幸福を売る男
芦野 宏
Ⅲ 新たな旅立ち
5、パリ・コンサートをめぐつて
シラク市長誕生パーティー 4
《参考と補充》
2 昭和三十一年(一九五六) 芦野 宏、オランピアに特別出演「ラ・メール」ほか歌う
昭和四十二年(一九七七) 五輪真弓、オランピアのアダモ・ショーにゲスト出演
平成二年(一九九〇) 石井好子、オランピアでリサイタル
5 昭和六十三年(一九八八) 芦野 宏、第三回日仏親善パリ・コンサート
平成十年(一九九八) 芦野 宏、第四回日仏親善パリ・コンサート
8 明治三十三年(一九〇〇) 川上音二郎、パリ万博で「オッペケペ一節」録音(東芝EMI復刻)
大正六年(一九一七) 三浦 環、アメリカ・コロムビアで「ある晴れた日に」ほか録音)
大正十四年(一九二五) 藤原義江、アメリカ・ビクターで「荒城の月」ほか録音)
昭和四十四年(一九六九) 森山良子、アメリカで「思い出のグリーン・グラス」ほか収録のLP
録音
4関連 昭和二十九年(一九五四)
昭和二十六年(一九六一)
リーヌ・ルノー、ディーン・マーチン(米)と二曲デュエット録音
リーヌ・ルノー、アシノ・ヒロン(日)と二曲デュエット録音
芦野宏の言葉を借りると、「戟後十年あまりをへて世の中も落ち着き、ようやく心にゆとりができてきて、人々がシャンソンのようなムードを多分にもった歌を望むようになってきた。いいかえれば、シャンソンのなかには日本人の心にフィットする大衆性がある」 (アサヒ芸能新聞、昭和三十一年七月十四日)。
彼はわが国が第二次世界大戦の敗戟から立ち直り高度成長に向かうころ、戟後の日本ポピュラー史で「初めて」 と「最多」 の記録を次々とうち立てた。
この一〇項目のなかには既刊書の空自を埋め、または塗り替えるものがいくつかあるのではなかろうか。
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再開が決定しましたらご案内いたします。
日本シャンソン館 館長・羽鳥功二
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