幸福を売る男
芦野 宏
Ⅲ 新たな旅立ち
5、パリ・コンサートをめぐつて
シラク市長誕生パーティー 2
八時からの晩餐会はじつに素晴らしい、エスプリのきいた楽しいものであった。招待客のなかで外国人が私たち夫婦だけであったせいか、特別扱いでいちばん良い席を与えられたので、スライドを使った酒落た演出や、知恵をしぼった手作りのアトラクションがよく見えて、じつに楽しかった。食事のあと、大きなボール箱が運び込まれ、シラク氏の前に置かれて彼が大きなリボンをほどくと、その中から前かけをした彼と等身大の人形がとび出し、われわれ一同「フレール・ジャック、フール・ジャック、ドルメ・ヴー」を合唱した。
みな大笑いで盛り上がったところで、私が紹介され、「いつの日かパリに」をフランス語で歌ったのである。今度はみなしんとして静かに聴いてくれた。映画やテレビでよく見かける人たちに交じって、シャンソン界の大御所シャルル・アズナヴールや、アンリ・サルヴァドール、リーヌ・ルノー、ミレイユ・マチエーらの顔も見えたが、みな大きな拍手を送ってくれた。な
により嬉しかったのは、帰国してまもなくシラク氏から届いたあのときの写真と、心のこもった感謝の言葉であった。
(注)
二六七ページに「二年間の契約でカジノ・ド・パリに出演中のリーヌ・ルノー」とあるが、実際にはそのレヴュー『愉悦』は昭和三十四年十二月に幕が上がり(芦野夫妻が訪ねたのは三十六年六月)、三十九年四月まで四年半近く、一〇〇〇回というロングランの大記録をうち立てた。その後も何度か記録をつくり、戦後最高のレヴュー・スターと謳われる。彼女は戦前のレヴューの女王ミスタンゲットの助言でレヴューに取り組んだという。
平成四年七月から十二月、東京・パリ友好都市提携一〇周年を記念して第三回『パリ年㌘が開催された。その文化交流の芸術フェスティバルのなかにシャンソン&レヴュー『サ・セ・パリ』があり、リーヌ・ルノーが東急文化村シアター・コクーンで華々しいステージを見せた。このパリ、パラディ・ラタンかカジノ・ド・パリのようなショーを再現した舞台には、石井好子(十月三十日)と芦野宏(十一月一日)が日替わりでゲスト出演した。パリで数々のレヴューを見ている薮内久氏いわく「往時の本場の
ステージに劣らない見事なものですよ」。
薩摩忠が昭和五十八年の『芦野宏シャンソン三〇年史』に寄せた「芦野宏さんの(初めて)集」でピックアップした、日本人として「初めて」 の記録は次のとおり。