幸福を売る男
芦野 宏
Ⅲ 新たな旅立ち
5、パリ・コンサートをめぐつて
シラク市長誕生パーティー 1
「いつの日かパリに」
詞 芦野ふさえ
曲 ルイ・ガステ
思い出のみやこ パリ
あの石だたみに 残る
わがふるさと
思い出よ
ひとりはなれて 寂しく
うちくだかれた わが胸
すべてを夢と忘れて パリ
こよい胸にしむ 思い出の パリよ
この曲「いつの日かパリに」は、今でも私の大切なレパートリーとして歌っているが、私の第三回日仏親善パリ・コンサートの前日、とつぜん当時パリ市長であったジャック・シラク氏の誕生パーティーに招かれたとき、この曲を歌って参会者から拍手喝采を受けた。それは昭和六十三年(一九八八)十一月二十七日、日曜日のことであった。その前の日、シラク夫人から一通の手紙が私たち夫婦のもとに届けられた。封書の内容は、夫人同伴で午後七時にオテル・ド・ヴィル (パリ市役所)にご招待したい。これはシラク氏の誕生晩餐会であるが、内密にしてほしい、というものであった。
私たち夫婦はいちおうタキシードにロングドレスという装いで指定された場所に向かうと、なんと市役所入口から警備のSPに取り
囲まれ、正式な招待状の提示を求められたのである。それを片手に持ち、荘重なオテル・ド・ヴィルの大理石の階段を静かに上ってい
く。柱の陰から無線機を持った男が出て、「今、一組の夫婦が向かっています」などと連絡をとっている。少し行くと廊下の曲がり
角にまたSPがいて、私たちはたくさんの監視のなかを通り抜けて、ずっと奥にある一つの部屋までたどり着くまでがたいへんだった。
仲介役の服部紀一郎氏の話によれば、この夜の誕生パーティーはシラク市長にはまったく知られぬよう、シラク夫人や彼の親しい友
人たちが相談して仕組んだもので、この席で日本からの友人代表としてアシノに一曲歌ってもらう予定になっていたのだという。
七時から始まったカクテルパーティーには、どこかで顔を見たことのあるフランスの芸能人や文化人たちが集まっていたが、皆ひそひそ声でお喋りをしながらアペリティフを楽しんでいた。そして七時三十分、シラク夫人が黒いカクテルドレスで現れると、「皆さん、連れてきますからお静かに……」と言って、あたふたと引き込んでいった。
部屋の明かりが消され、真っ暗になったところで、廊下の向こうからシラク氏と夫人の声が聞こえだし、だんだん近づいてきた。部屋の戸口にシラク市長が立ったところで、バッと明かりがつき、私たち招待客はいっせいに大きな柏手を送って、「ハッピーバースデー」を歌ったのである。デニムのGパンにグレーのトレーナー、スニーカーをはいて現れたシラク氏は思いがけぬ来客にびっくり、しかしすぐにそれが夫人の仕掛けたワナだとわかるや彼女に感謝のキスを捧げ、客席を一巡すると、「では私もドレスアップしてきます」と言って引っ込んでいった。