石井音楽事務所時代とその前後-7

幸福を売る男

        芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

4 石井音楽事務所時代とその前後-7

 石井好子の魅力-2

 いやに石井さんをほめちぎるように思われるかもしれないが、私が石井音楽事務所に所属している間に、受けた恩恵は数に限りがない。まずはパリ祭に招いた、イヴェット・ジローやフランスのビング・クロスピーともいうべきジャン・サブロンと同じステージに立てたこと、彼の伴奏者として来日した著名な作曲家(「ライライライ」「ジャヴァ」「コーヒー畑」など) でピアニストのエミール・ステルンの伴奏で歌わせてもらったことなどである。ステルン氏とはご一緒の地方公演も多く、彼からは音楽的なスピリットをたくさん頂戴した。また、世紀の歌姫ジョセフィン・ベーカーの前唄として全国各地を歌い歩いたときも、彼女からステージングの軽妙な身のこなしやウイットに富んだ話術を学ばせてもらった。
 昭和四十五年、万博が大阪で開かれたときは、ダリダ(エジプト生まれのイタリア系シャンソン警丁)の舞台の前座として岸洋子さんたちと共演することもできた。このような貴重なことを日本にいながら、しかも仕事をしながら勉強できるなんて、それこそ夢物語である。
石井さんは音楽事務所を閉めてしばらくしてから、「日本シャンソン協会」を設立した(平成三年)。シャンソンの普及と発展、若い人たちに仕事の場を与えること、それはとりもなおさず石井音楽事務所時代に岸洋子、加藤登紀子、田代美代子、大木康子らを世に出したかたちと似ている。ただ昔と違うことは、マネージメントをしないことだろう。これからも石井さんには、日本のシャンソン界を代表して大いに頑張ってもらいたいと思っている。私も副会長として、及ばずながら、「日本シャンソン館」をホムグラウンドにして石井会長をバックアップしていきたい。