幸福を売る男
芦野 宏
Ⅲ 新たな旅立ち
3、ディナーショーとファッションショー 4
ディナーショー事始め-3
昭和苧二年(一九六七)早春のことであった。束京・港区芝の東京プリンスホテルの有名
なマグノリアホールで、その日、外国人向けのディナーショーに出演していた。これは外国人を乗せた観光バスが東京見物のあと、ホテ~で食事をして、私のショーを楽しむというデラックス・コースである。司会はまだ新人としてあまり名前の出ていなかった、若き日の小林克也氏であった。
流暢な英語の司会と、それに外国人ばかりだから柏手の大きさが違って、私はほんとうにやり甲斐のある仕事だと思った。事務所を移籍したばかりのことであり、こうした仕事が多くなつて、石井音楽事務所に移ってよかったと思っていた。
その夜、いい気分でショーが終わったあと、楽屋にボーイさんがメッセージを持ってきた。アメリカ人のお客さんがぜひお会いしたいそうで、お待ちになっておられます、ということであった。平服に着替、葺から客席に行くと、一人のアメリカ人男性が待っていた。
「私はオジー・カーティスと言います。私の兄はハリウッド・スターのトニー・カーティスです。ぜひお話ししたいことがあります」というので、ロビーでお話しすることにした。話は「今のショータイムに感動したので、ぜひあなたをアメリカに呼びたい」というのである。そんなこと、とつぜん言われても狐につままれたようで返答もできないし、いい加減な話に決まつているとも思ったので、即答はできないと申し1げて早々に引き上げた。ところが、明晩のショーにも必ず来るから、終わったらもう一度会いたいと言って帰っていかれた。
半信半疑である。こんなことってあるものかと思い、信じないことにした。
私のショーは二日続きで、翌日も外国人笛体が入った。楽屋で司会の小林克也氏と、その話をした。そして私の英語の言い回しなどを教わったりした。というのは、司会者が英語で私を紹介したあと、私は全部フランス語でシャンソンを歌い、二曲ほどスペイン語の歌を入れる。
曲の解説や思い出などは英語で説明したから、自信のないところを助けていただいたのだ。
この話は結局、私の夢物語で終わった。石井さんが調べたところ、彼はたしかにトリニ・ロペスのマネージャーであり、トニー・カーティスの弟であって、お金持ちであり、とくに良くないことは見つからなかったが、五年間の契約というものに疑問をもった。私自身もそのことがいちばん気がかりだったので、お断りすることにし、私も決断したらさっぱりした。
しかし今でも披から送られた十数枚の楽譜と、トニー・ベネット、ペリー・コモ、アンデイ・ウィリアムズなどの歌が入ったLPレコードが、あのときの夢を思い出させてくれる。