なかにし礼との出会い-2

幸福を売る男

芦野 宏

Ⅲ 新たな旅立ち

2、お茶の間にシャンソンを

なかにし礼との出会い-2

 なかにし礼さんは、その後、作詞分野でもめきめきと頭角を現し、歌謡界の寵児となり一世を風摩した。レコード大賞も何度か受賞し、そうした活躍で日本一収入の多い作詞家として話題を集めているころ、週刊誌のなかで私はこんな記事を見つけたことがある。「振り返ってみると、一時期、ぼくの歌に色気ぬきの訳詞の時代があった。いまそれを集めてみたら、ほとんど声野宏のために書いたものであった」という談話である。なるほど、なかにし礼さんの膨大なヒット曲、それらはすべて男女の愛がテーマのものばかりである。あのころ、私がNHKテレビでお茶の間向けの番組のなかで歌うことを意識されて、次々と書いてくれた歌を思い起こすと、うなずけるものがある。「ワルソーのピアニスト」「旅芸人のバラード」 のような名曲にも男女の影は見えない。
(注)
なかにし礼は日本レコード大賞三回、同作詞賞二回、ゴールデンアロー音楽賞など受賞。クラシックの分野での活躍も目覚ましく、歌曲・アリアの訳詞、オペラ台本の執筆・演出、放送や著作など多彩な 活動ぶり。日本音楽著作権協会理事長、鎌倉芸術館芸術監督などを歴任。

 なかにし礼さんはシャンソンの訳詞から始まり、流行作詞家としてナンバーワンの栄誉を勝ちとると、しばらくして流行歌はいっさい書かないと宣言した。そして自費を投じてパルコ劇場を五日間借り切ってシャンソン・コンサートを開き、そのライヴCDの制作に踏み切った。
シャンソンの訳詞は流行歌に比べたら、印税が入ることは少なく、原稿料だけの場合が多いだろうから、比較にならないほど収入が少ない。それでも彼はあえてシャンソンを取り上げてくれた。自分が詩を書くきっかけとなった銀巴里が閉鎖されることを記念して『さらば銀巴里』
というCD五枚組を発売したのである。すべてが「なかにし礼」訳詞によるもので、石井昌子(祥子)、川島弘といった古い銀巴里の仲間たちが集まって歌ったが、そのうちの一枚は芦野宏のステージであった。ほかに出演者は深緑夏代、旦口同なみ、仲代重吉、仲マサコ、しますえよしお、田代美代子、阿部レイ、堀内環、戸川昌子、真木みのる、の皆さん。
なかにし礼さんのシャンソンに対する思い入れ、そしてシャンソンを愛する気持ち、それが私にはとても嬉しくてならない。彼が作詞作曲した 「知りすぎたのね」を「チユ・アン・セ・トロ」と仏訳し、リーヌ・ルノーと私が久しぶりにデュエットでCDを出したことは既述したが、なかにし礼さんは作詞の才能だけでなく作曲の面でもヒットを飛ばし、この曲もそのなかの一つで、メロディーの動きがヨーロッパ風でおもしろかったので取り上げてみた。リーヌもたいへん気に入って、フランス語で歌ったCDを大切にしてくれている。