第四章 山麓の町

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1、チューリッヒへ(1)

葵と恵子は、夜明けにホテルを出てパリ南方のオルリ空港に向かった。

まだ周囲が目覚めていないほどの早朝のエア・フランスのロ-カル便は、通勤路線だけにビジネスマンやオフィスレディなどが、まるで通勤バスにでも乗るような気軽さで乗り込んでいて、席はフリ-なのだが座席数だけの乗客が乗り込むと、係員がストップをかけて次便への優先チケットを配っている。

朝一番の近距離向けのエアバスA320は、座席数が150もないから機体も軽いのか離陸距離が極端に短い。操縦もシンプルで、サイドスティック操縦で操縦桿のないA320は、滑走路を走り出したと思ったら、あっという間に青空に舞い上がっていた。

機体が水平飛行に移ると、葵と恵子は駅の売店で買ったスナックパンと缶コ-ヒ-で軽い朝食をとり、葵が機内で読むために買った英字新聞を広げた。

「あら、昨日見た死体の人と、あのパゾリ-ニって男の顔写真が載ってるわよ」

一面にも社会面にも昨日の殺人事件が載っていて被害者の迫丸秘書の名と顔写真が掲載されていて、犯人はがっしりした体格の東洋人で、警察で現在行方を追っている、となっている。パゾリ-ニらしい男は目の部分をモザイクで隠されていた。

「犯人ががっしりした体格なら、あのヒョロッとした柳沢敬三は犯人じゃないわね」

「当たり前でしょ。あんなのに人は殺せないわよ」

記事は、パリ警視庁広報担当官の公式コメントとして掲載されていた。

「Mrサコマルの死因が38口径の拳銃による射殺であることは、付近に落ちていた薬莢と体内を貫通して落ちていた弾丸によって判明した。

ただ、死体の近くに落ちていた吸いかけのタバコからと、死亡したMrサコマルの体内からも薬物反応が出たことで、そのタバコとMrサコマルの死亡との因果関係についても調査中である。なお、そのタバコの出所については、Mrサコマルの死亡現場での証言で、ベトナム・レストランの店長が、店内で常連客の男と死亡した男との間に口論があったこと……その常連客が和解後に死亡したMrサコマルに何かを手渡したのを見たと述べており、これが薬物反応が出たタバコではないかとも見られており、警察ではその常連客に任意出頭を求めて追求したところ、男は、その事実を否定した」と、ある。

そこからは、社会部記者の憶測記事になっている。

「死んだサコマルに薬物反応が出たタバコを手渡した容疑で警察に調べられた男は、パリ郊外に住むPという42歳のコインディラ-で、関税法違反などで逮捕歴があるイタリヤ系フランス人である」

氏名は伏せてあるが、目の部分に黒い帯状のモザイクで顔を隠された写真が掲載されていて、頬に疵があるのまで見えているから、これが無実だとすれば新聞社は名誉棄損で訴えられても仕方がない。しかも、その記者は容赦なく追い打ちをかけている。

「Mr・サコマルが、Pとどのような用件で会っていたのか? サコマルを拳銃で射殺したアジア系犯人は? そのアジア系犯人がサコマルを殺害した背景には何があったのか?

拉致されていたサコマルが自由にPに会えたのはなぜか? Pがサコマル殺害に関与した疑いは消えていません」

そこで、「これらの疑問については警察で調査中です」と、逃げている。

しかし、この記事の表現では、このPが事件に関係があるかのように思われても仕方がない。

 

2、チューリッヒへ

新聞を見終わった葵と恵子が、真剣な表情で推理をする。

「迫丸秘書と、このパゾリ-ニは、麻薬か何かの取引で会っていたのね?」

「なるほど……その取引が不発に終わった」

「そこで、パゾリ-ニが殺し屋に指示して殺させたのかしら?」

「さらに、殺し屋が失敗した場合を考えて、迫丸秘書を葬るために毒物入りのタバコを渡して万全を期した」

「しかも、迫丸秘書のカバンまで奪ったのよ」

「なにが大変な内容の書類でも入っていたのかしら?」

「奪ってみたら下らない雑誌ばかりだったりして……」

「いや。ユ-ロの札束がギッシリ詰まってたのかも?」

「札束か? 麻薬代金ならそれも考えられるね」

話はここで行き詰まったが、それにしてもミステリアスな事件だった。

上空から窓越しに眺める古都チュ-リッヒは、さすがに2千年の歴史を誇る人口38万人の都市だけあって緑の中に重厚で落ちついた建物がどっりと腰を据え、自然と建造物の美しいコントラストを見事に描き出していた。

クロ-テン空港は、ヨ-ロッパ屈指の近代的国際空港の名にふさわしく、壮大な建物の隅々まで管理が行き届いていて標識も分かりやすく、旅人を快くさせるいい雰囲気を保っていた。遠距離からの直行便は空港タ-ミナルBに、二人の乗ったパリからの便など近距離便はタ-ミナルAに着く。

ゲ-トを出て地下から列車に乗るとチュ-リッヒ中央駅に10分で着いた。まだ朝が早いのか通勤客で駅はごった返していたが、中央駅の見事な造形美のア-チを眺めた葵の大きな目が輝いている。

「この駅の建築、すごい迫力ね!」

時刻表を見ると、ゴ-ルデンパス・ラインと呼ばれる古都ルツェルン経由でブリュニック峠を越えてインタ-ラ-ケン行きの特急列車にはまだ時間がある。この路線には、最高時速300キロのインタ-シティ・エクスプレスというドイツとスイスを結ぶ通称ICEと呼ばれる高速列車もあるが、時間からみて特急列車がベタ-だったのだ。

葵が提案した。

「麓まで行って、山を見て帰ってくるだけじゃ、つまらないと思わない?」

「じゃあ、登山列車で上まで行く?」

「ユングフラウ・ヨッホの近くまで行くのがゴ-ルデンパスでしょ?」

「だったら、日帰りなんて無理よ」

「いいじゃない。山のホテルで泊まってパリには明日ご帰還ってことで」

「アルプスの宿か……それもいいねえ。シ-ズンだから泊まれるかな?」

ユングフラウ・ヨッホなどアルプスの見える展望台の基地ラウタ-ブルンネンまではインタ-ラ-ケンからならそう遠くはない。山頂まで行かなければ日帰りも可能だった。帰路は、超特急のTGVを乗り継ぐか、往路と同じチュ-リッヒ空港経由で帰れば深夜までにはパリに帰れるのは分かっている。だが、もう二人ともその気はなくなっていた。

山岳地帯で一泊するつもりになった二人にはもう急ぐ理由がない。恵子が言った。

「お腹が減ったわね」

そういえば、機内でスナック菓子のようなパンを食べたがもう消化している。

「その辺を散歩して、朝から開いている店を探そうか」

急に元気になった二人がさっさと足を早めて駅の外に出た。駅前のバ-ンホフ広場を横切って緑に包まれたベスタロッジ公園まで足を延ばすと、新緑の梢を揺るがすさわやかな風が新鮮なオゾンをたっぷりと二人に運んでくる。ゆったりとした川の流れが見えた。

「リマト川よ。行ってみる?」

そこから東に少し歩くと、ロ-マ時代の税関所跡地(ツ-クロム)だというリンデンホフ地区があり、その高台からの眺望が二人をさらに感動させた。

古い街並みから一際高く立つ教会の尖塔、リマト川の悠々たる流れ。川面を行きかう色彩豊かな舟、緑と水、大自然に恵まれた美しい街、葵は思わず叫んだ。

「好きな人と来たいなあ」

恵子がムッとした表情で葵を睨んだ。

「わるかったわね私で……でも、私だって同じこと考えてるよ」

二人が声を出して笑った。

リマト川畔の『ル・シトロン』という小さなレストランが朝から開いていた。可愛らしいレモンを描いた看板が目印になる洒落た店で、何人かの先客がいた。

サンドイッチとサラダに玉子2個入りハムエッグにコ-ヒ-というお決まりの軽い報食で空腹を満たした後で、店員が一押しでおすすめの果実酒を注文した。

「ねえ、このサクランボのキルシュ、おいしいいねえ」

口当たりがいいから葵が一気に飲み干したのを見て、恵子があわてる。

「つい飲みすぎちゃうでしょ。でもアルコ-ル分は強いから、奈良漬けで酔っぱらうよな葵がそんな飲み方だと引っ繰り返っちゃうよ。昼間だとよけい効くからね」

そこで恵子が葵と同じ、ミッキ-の絵柄があるTDLの腕時計を見た。

「丁度いい時間だから、そろそろ駅に戻ろうか」

支払いを済ませて表に出ると、さわやかな風が頬を撫でて通り過ぎてゆく。

二人の行く先はラウタ-ブルンネンだが、インタラ-ケンが乗り換え駅になる。

インタラ-ケンはアルプス登山への基地の町でもあった。

葵と恵子は、インタラ-ケンに向かう列車に乗るために歩みを早めた。

ほぼ同じ時刻に、海原二郎はインタラ-ケンのホテルで目を覚ましていた。

3、高所願望症(1)

あの日、ゴ-ルデンウイ-ク初日の4月28日の土曜日、日比谷公園で哲学的な思索(実際は仮眠)にふけっていた二郎は、嘱託契約を結んでいるメガロガ社の田島ボス(親しみをこめてこう呼ばれている)に呼び出され、すぐ自宅に戻って下着などをショルダ-バッグに詰めて飛び出して空港に直行している。たしかに田島ボスが言う通り、帰宅しても代わりばえしないのは事実だった。

荷物もショルダ-バック1個という軽装だから身も軽く、空港でも預ける荷物がない。下着などはホテルで洗ってよく絞れば朝には乾く。乾きが悪くても多少の湿りは体温でなんとかなる。旅慣れた二郎にはこの程度のことは何でもない。

空の旅は快適だった。

成田発21時55分発のエ-ル・フランスAF27便でシャルル・ドゴ-ル空港まで13時間20分の空の旅を、二郎は退屈することもなく、アルコ-ル類の摂取と睡眠で過ごし、ほろ酔いの状態でまだ夜明け前のほの暗いフランスの地に着いた。

4時15分着というのは田島ボスの計算違いで、パリは東京から時差8時間……まだ3時半前だから暗いのも無理はない。

とりあえず一眠りするために、以前にも利用したことのある空港並びのイビス・パリ・アエロポ-ル・テルミナルという全館で556室もあるというマンモスホテルに向かうことにした。ここでまず仮眠して田島ボスの指示を待ち、それからパリ観光に出掛けても遅くはない。

ただ、空港並びのホテルといっても歩くにはかなりの距離がある。

タクシ-乗り場に並んで、乗り込んだ車の運転手にホテル名を告げると、客待ちで長時間並んでいた運転手としては、あまりにも近いので面白くないのか顔をしかめて不快さを表したが、二郎が10ユ-ロ札2枚をチラと見せて、「ジュペイパ-」と、これで払う、という意思の何とも怪しげな単語を告げたら運転手は機嫌よく車を発進させ、わずか数分でホテルの玄関前に着いた。

パリのタクシ-料金には3通りの基準があり、この至近距離なら5・5ユ-ロだから20ユ-ロなら3倍以上になる。また客待ちの列に並ぶとしても悪くはない。二郎としては自腹が痛むわけでもないし、これでホテル探しの手間が省けたのだから安いものだ。

使った費用は領収書があればいいし、領収書がない場合はメモ書きにしてメガロガ社に請求するから気が楽だ。ただし、到着早々のこの無駄な出費が今後の財政に影響しないとも限らないのだが、自腹を切らないとなるとそこまでは考えない。

玄関を入ってロビ-に行くと、同じ便で到着した先客がすでに10人以上もいてフロントに列をなしている。やはり、空港に隣接するホテルというのは夜明け前の到着便では動きがとれないのもあるが、パリ観光の拠点としても空港に隣接するという立地条件のよさもさることながら、仮眠や時間調整にも便利だから利用客が多いのも無理もない。

フロントに行くと服装や風貌にもまったく気にせず、深夜便の到着に慣れた様子で丁寧な応対で迎えてくれたので、二郎は早朝から翌朝まで、と言って申し込みをした。

部屋に入ってシャワ-を浴びると、冷蔵庫からまずフランス産ビ-ルを取り出して一気に飲み干し、ベッドに倒れこんでたちまち深い眠りについた。この男には時差ボケという言葉など縁もゆかりもない。機内でも充分に睡眠をとっていたのにまた眠っている。

当然、携帯の電源は切ってある。二郎は電話で眠りを覚まされると相手の首を締めたくなるほど腹が立つ質だった。もっとも、相手によりけりではあったが。

 

4、高所願望症(2)

4時間ほどの爆睡から目覚めて、成田で借りた携帯の電源をオンにして、国際フリ-コ-ルでメガロガに電話を入れると、すぐに代表の田島ボスが出た。

「どこに潜ってたんだ。着いたらすぐ連絡しろと言っただろ! そのEU対応の携帯に何回電話しても応答がないし、メ-ルは読んだか?」

「いや、まだですが?」

「そこはどこだ? ホテルなら電話も教えろ。携帯が当てにならんからな」

二郎がル-ムガイドの印刷物を見ながらホテル名と電話番号を告げると、電話の向こうでメモをとる気配があり、田島ボスが言った。

「空港に近いのがいい。今日はそこで待機しろ。何か動きが出たら連絡するからな」

パリに到着した初日からホテルに缶詰など、監獄同然で所詮は無理な話だ。折角のパリ出張の意味がなくなる。携帯電話さえあれば、どこにいても連絡できるから心配はない。まずは観光が先だ。

ホテルのレストランでハムエッグとパンとコ-ヒ-の軽い朝食を済ますと、地下鉄を乗り継いでトロカテロ駅でパリ市内の地上に出た。そこから二郎は、前から行きたいと思っていた、16区ともバッシ-地区とも呼ばれるシャイヨ-宮に近いジャン・ドラ・フォンテ-ヌ通りに向かった。

ここには、ア-ルヌ-ヴォ-と言われる独特の建築が多く見られる。新しい芸術というような意味をもつア-ルヌ-ヴォ-は、すでに新鮮さを失って古典的な響きでさえあるのだが、その昔はこの地にモダンな店があって、その店の名がア-ルヌ-ヴォ-だったことから知られるようになったとも聞く。

ア-ルヌ-ヴォ-と言われた斬新な芸術の形態は花や植物をモチ-フに、曲線を巧みに用いて何故か心を癒してくれる。もっとも芸術性に無神経な二郎にとっては、ア-ルヌ-ヴォ-などという古びた言葉はどうでもよかった。ただ、その通りに面したアパルトメントの外装や、コ-ヒ-を飲みに立ち寄った「アントイネ」というカフェバ-の赤いドア-やア-チ型の窓、内部のアンティックな天井や窓枠や壁のア-トなどが心に優しく響くのが快かった。

室内の雰囲気がよかったこともあって、まだ昼には早かったが、前菜、サ-モンとステ-キにサラダとパンでの昼食で腹ごしらえをしてからまた歩いた。

その16区から近くにある1937年のパリ万博に合わせて建設されたというシャイヨ-宮にも寄ってみた。建物内には海洋博物館、人類博物館、フランス文化博物館、シャイヨ-劇場などがあり、セ-ヌ川を隔てたエッフェル塔を目の前にするテラスにはアポロンの彫像などが並んでいた。

そこからイエナ橋を渡ってセ-ヌの流れや自由の女神像を眺め、エッフェル塔まで行くと、塔の真下に無粋な男の胸像などがあって、エッフェル塔の生みの親だとか説明が付いている。見上げると、遠くから眺めた景観とは違って無機質で無骨な鉄骨が肌を剥き出しにして青空に向かってそびえている。

「子供と煙とは高きを目指す」というが、それに、「貧乏人」を加えると二郎にもあてはまる。二郎はパリに来る度にここに昇るのだが、未だに貧乏は解消されていない。11ユ-ロを払って二郎は3階の最上階までエレベ-タ-で昇った。ここは安い料金で階段を昇ってもいいのだが、二郎はパリに脚力を鍛えに来たわけではないから時間と労力を考えてエレベ-タ-にしたのだ。

もっとも、二郎の経験では一階の57メ-トルまで歩いただけで息切れするから、3階の展望台の276メ-トルなど無謀な話……競技会でもあれば別だが。

二郎は何度か東京タワ-の外階段で、大展望台2階の150メ-トルまで13分ほどで歩いた経験があるが、高さ250メ-トルの特別展望台までは歩いたことがない。歩行禁止かどうかは知らないが、機会があったら一度は登ってみようと思っている。この大型連休の間だけだと思うが、東京タワ-では階段で下の展望台まで上ると証明書を発行するという、マンネリ化しているエレベ-タ-の混雑を緩和するための姑息な企画なのだが、それなりの効果はあるに違いない。

エッフェル塔3階の展望台から眺めるパリの街は、東に延びるセ-ヌの流れに沿ったル-ブル美術館やシテ島のノ-トルダム寺院の尖塔やボンビド-文化センタ-の建物などが並び、南にスイス村やパリ見本市会場などが一望の元に眺められる。

さらに西にはセ-ヌを越えてシャイヨ-宮からブロ-ニュの森、はるか彼方にベルサイユ宮殿など……北にはアルマ橋を越えて市立近代美術館やガリエラ美術館、ギメ美術館に至るまでが展望台を巡るだけで一望できて飽くことがない。

午後の陽光にまぶしいエトワ-ルの凱旋門もはるか彼方に小さく見えて、門のあるド・ゴ-ル広場からは、シャンゼリゼやマルソ-、イエナやクレベ-ルなどの大通りが、蛸やイカの足より多い12の放射状の線の半分ほどが一望の元に眺められ、ゴマ粒のような車の列が動いている。

ただ、豚に真珠などの例え通り二郎にはこの景色はもったいない。それでも、モノ書きにしては芸術的な観点と表現力に乏しいのを自覚しているからまだいい。これだけの景色を眺めたのにただただ感嘆するだけの二郎だけにこの人工的な造形美を言葉にすれば,ただ「見事!」としか言いようがないのだ。この表現力の乏しさが、アオイというメルトモへの返信の「同じく」に反映されているのは間違いない。

二郎がパリの街で夜食を楽しみ、空港並びのホテルに戻ったのは深夜だった。

缶ビ-ルを飲んで二郎は眠りについた。

その夜、田島ボスから電話が入ったのは二郎の寝入りばなだった。なんだか遠くで野犬が遠吠えしているような音を感じてうつらうつら眠りから覚めたところで室内備え付けの電話のベルに気づいたのだ。寝ぼけ眼で電話を手にすると田島ボスが喚いている。

「起きてたか?」

「起こされたんですよ。こっちは何時だと思ってるんですか?」

「だから何だ?」

「夜中の2時ですよ」

「そうか、こっちは午前中でいい天気だ。また携帯の電源を切ってただろ?」

「天気も携帯もどうでもいいから夜中ぐらい寝かせてください、用件は何です?」

「拉致犯グル-プがジュネ-ブ方面に移動中らしいんだ」

「ジュネ-ブですか? 7ケ国蔵相会議のあったところですね?」

「そうだ。未確認情報だからまだ何とも言えんが、心づもりだけはしておいてくれ。また電話するからな」

「そんなことで、イチイチ起こすんですか!」

「情報を提供してるんだ、文句をいうな」

これが、EU来訪二日目の朝だった。

 

5、モンパルナスにて(1)

遅寝遅起きの悪しき習慣が、異郷に来て変わったのか、時差ボケが今頃になって出てきたのか、珍しく早起きした二郎は朝食をホテルでとらずに、また地下鉄でシャンゼリゼ大通りまで出た。1時間ほど散歩をしてから裏通りのしゃれた軽喫茶で朝食をとり、コ-ヒ-を前にテ-ブルに地図を広げた。金髪のウエイトレスが笑顔で話しかけたが、残念ながら二郎には通じない。

「ウイ」とか言っただけで二郎はまた地図を眺めた。

この日は、かねてから望んでいた、モンパルナス地区を探訪することに決めていた。ささやかながら執筆を業とする二郎としては、芸術の街としても一度はここに来ておきたかったのだ。しかし、いつ移動の指示が出るかも知れないから、早く目的を果たさなければならない。勝手に目的をすり替えた二郎はこう考えた。財相などはどうでもいい。

古都パリの街も再開発の波のうねりは高く、ここモンパルナス地区はとくに変貌が大きい、と言われている。この街で昔の面影を残すのは、ラ・リッシュと呼ばれる有名なアパ-トなど、わずかに残されたいくつかの古い建物だけだった。

表通りに出ると、まだ手も上げていないのにタクシ-が寄って来た。

最初は、自分の足と目で歴史探訪を……と柄にもなく殊勝なことを考えた二郎だが、時間のムダを考えて、つい便利な乗り物に頼ることになる。それにしても、挙動や服装から的確にカモを見抜くプロの目はさすがだった。

モンパルナス……ラ・リッシュ」

二郎が地域と建物の名を並べただけでイタリア人らしい小柄な運転手が頷き、車は幾つかの通りを曲がったり突っ切ったりしながら南進し、やがて、パリ中央の喧騒から逃れたモンパルナス地区の落ちついた市街に入って奇妙な建物の前で停まった。運転手が振り向いて、「ラ・リッシュ……」と、その妙な建物をフロントガラス越しに手で示した。

二郎は、タクシ-を待機させて外に出て、歴史を感じさせる12角型3階建ての奇妙な建物を眺めた。建物の周囲を一周すると、住宅地の住民から挨拶されたり手を振られたりで、いかにも観光客慣れしている気さくな土地柄というのがよく分かる。

「ラ・リッシュ」とは蜂の巣という意味で、かつては売れない芸術家たちの溜まり場で、無名時代のシャガ-ルなどもここに住んで貧しい暮らしに甘んじていたという。

この建物は、ブッシュという彫刻家が私財を投げ打って、貧しい作家のために建てたものと聞くと、人のためどころか自分一人の身の置き所さえままならぬ二郎にとっては、執筆活動に専念できない環境を自分から生み出している現状からの脱出こそ当面の目標のような気がしてならないのだ。

古い建物に勇気づけられて、自分を叱咤する思いでタクシ-に戻った二郎は、運転手に地図を見せて、モンパルナス通りの適当な交差点を指さして、「モンパルナス、スタチュ-、バルザック」と続けてみた。意味が通じたらしくタクシ-が動きだした。

広大な土地を専有するモンパルナス墓地の横を通ってラスパイユ大通りに出て北上すると、モンパルナス大通りと交差するヴァビンの5叉路に出た。

交差点の先にタクシ-を停めて運転手と一緒に降りて、貫祿充分なバルザック像を眺めると、偉大な作家のエネルギ-が伝わって来る。二郎は柄にもなく頭を下げた。

二郎が見回すと、交差点脇にある赤茶の内装で統一された渋いアンティックな佇まいのカフェが目に入った。運転手に声をかけ、飲み物を一緒にしようと手真似で誘うと、常連らしい運転手が嬉しそうに先にたって店に入り、気軽に挨拶を交わしている。

運転手の希望に任せてコ-ヒ-を頼むと、ウエイトレスの若い女性がこの店の名物だというアップルパイを勧めたのでそれも注文した。

先に来たコ-ヒ-を前に、タクシ-の運転手がこの店の歴史などを手真似を交えて何やら説明し始めたところに、パイを運んできたウエイトレスが話題に参加して、お腹を膨らませたゼスチェアを入れながら、ここで産まれた女性が著名になった……と、熱弁をふるって説明をする。運転手は頷いたが、二郎にはさっぱり内容が理解できない。

その雰囲気に気づいたのか、店のオ-ナ-らしい中年女性がアルバムと書籍を持って現れ、二郎に英語で説明を始めた。それによると、この店は開業百年以上の歴史があり、幾多の芸術家がここに集まって語り合い、フランス文化の担い手として巣立って行った、と熱弁を振るった。二郎が、そこまでを理解して頷くと、さらに、シモ-ヌ・ド・ボ-ヴァワ-ルという女性作家の写真と著書を見せてくれて、この女性がここで産まれて育ったことと、それが自分の祖母であることを自慢げに語った。

店内を見回すと、画家や作家のサイン入りの写真などが壁面を飾っていた。

これによってもこの店が、若い芸術家の溜まり場であったことが納得できたし、この店で産まれた女の子がこの芸樹的雰囲気の中で育ったことで芸術家になったであろうことも納得できた。

二郎が、自分も執筆家の端くれであると伝えたが、どう間違われたのか「有名作家ならサインを……」と言われ、運転手に声を掛けて逃げるように店を出た。

タクシ-はそこからエドガ-・キネ大通りに出て、キネの市場を眺めて北上し、元モンパルナス駅の跡地に建つこの地区の現代を象徴する「モンパルナス・タワ-」に向かい、二郎はそこで車を停めるように言った。

そこで、運転手の言う代金を支払い、ユ-ロ札でチップを手渡したところ、「待ち時間も代金に入ってるし、コ-ヒ-とパイも御馳走になった。これ以上は頂けない」というような意味を何度も言って、余分なチップは受け取らない。根負けした二郎がユ-ロ札を引っ込めて感謝の握手だけで車を降りると、運転手は笑顔で手を振って車を発進させた。

運転手を見送る二郎の心も和んだ。

モンパルナスタワ-は高さ210メ-トル、これも見事に高かった。

見上げると、天を突くビルの先に青い空が広がっている。それにしても、二郎は我ながら「高いところが好き」と、あきれるばかりだが、このモンパルナスタワ-と呼ばれるマンモスビルの56階に展望レストランがあると聞いていたので、高所フェチの二郎は迷わずにエレベ-タ-に乗っていた。

6、モンパルナスにて(2)

レストラン「シェル・ド・パリ」は予約が必要だが、時間が昼食時を過ぎていたこともあり、ノン・リザベ-ションの二郎が予約なしで窓際のテ-ブルに案内されたのはラッキ-だった。ここから眺める風景は、パリ市街を一望するエッフェル塔からの景観と違って、郊外だけにさすがに自然が多く、はるか西にブロ-ニュの森、南に緑濃いモンパルナス墓地のはるか彼方にひろがるオルリ-空港に発着する機影がきらきらとまぶしい。

二郎は、パリ郊外の素晴らしい景観の中で、美味で極上のヒレ肉とサ-モンのランチを充分に楽しんだ。

だが、この至福の時間もそう長くは続かなかい。世の中そう甘くはないのだ。

二郎の携帯の受信音が無粋にも鳴っている。電源を切っておけばよかったと悔いたが仕方がない、「チェッ」と舌打ちして電話に出た。田島ボスが喚いている。

「いま、そっちは何時だ?」

「午後2時半を過ぎたところ……」

「やはり、ジュネ-ブに行って待機してくれ。どうも風向きが怪しいのだ」

「財相は、蔵相会議があったジュネ-ブで開放されるわけですね?」

「情報が錯綜していて、真相はまだ分からん。万が一のためだ」

「警察との接触は?」

「まだいい。いずれ、財相の居場所がはっきりしたら合流することになってるんだ」

結局、二郎はそのままホテルに戻って、一日分のホテル代を清算し、パリを離れて、高速のTGVでジュネ-ブに向かうことになった。

列車で一緒になったドイツ人の初老の夫婦と、自国語と手話で語らいながらジュネ-ブに向かい、夕刻6時にはコルナバン駅に降り立った。

二郎はこうしてジュネ-ブに来た。

さり気なく見回すと、あちこちから私服の刑事らしき男たちの鋭い視線が二郎にも刺すように注がれているのが分かった。やはり、田島ボスの言ったように拉致犯らは人質の財相と秘書を連れたまま、この街のどこかに潜伏しているのだろうか。その救出作戦がどうなっているかは二郎には分からない。ただ、捜査の輪が縮まっているのは感じられた。

駅前の広場を横切ってモンブラン通りを南に進むとロ-ヌ川に掛かるモンブラン橋に出た。橋の下から東にはレマン湖が夕日を映して大きく広がっていた。

その彼方にはヨ-ロッパ・アルプスの稜線が白雪を夕日の紅に染めて連なっている。

湖上のあちこちには白い帆に風をはらんだヨットが浮かび、橋際の観光船発着所から出航したばかりの白い船体の大型遊覧船の甲板に立つ観光客が、岸辺の二郎に向かって手を振ったので、二郎もまた大きく手を振ってそれに応えた。観光船はゆったりと白い波をけたてて湖上を進んで遠のいて行った。

琵琶湖とほぼ同じ面積を有する三日月型のレマン湖は、氷河が溶けた水で形成されたともいわれる澄んだ水が、ヨ-ロッパ屈指の保養地としての価値を高めているのかも知れない。

二郎は橋を渡らずにベルグ湖畔通りを西に歩いてベルグ広場を過ぎ、レストランやカフェの他にバッグや貴金属、時計などの高級店が軒を並べるロ-ヌ川に沿って歩き、マシ-ヌ橋際に立つアムバサド-ルというホテルにチェックインして二日目の宿をとった。

ホテルにもレストランはあるが、ホテルの隣がラ・カスカ-ドというスイス&イタリア料理のしゃれた店で、夜は10時までのオ-ダ-がOKということを確認してから二郎はホテル入りしていて、もう夜の食事に迷いはない。

与えられた8階の部屋に入って、ロ-ヌ川に面した窓のカ-テンを開けると、対岸のロ-ヌ通りを行き交う人々や、広場で楽しげに犬と戯れる子供たちが眺められ、その嬌声までが厚いガラスを通して伝わってくる。

二郎は、シャワ-も浴びずにそのままが明けるとバッグを置いて入らずにそのまま外に出た。まだ、この時間なら市内観光はまだ充分に間に合う。

二郎はまず、マシ-ヌ橋を渡って対岸のジェネラル・ギサン湖岸通りをぶらついた。この辺りはジュネ-ブでも最高級の店が並ぶというショッピング・エリアで海外から避暑や休養に来る富豪やエリ-トが土産物や身につける装飾品を購入するエリアであることでも知られている。二郎はそれらにはまるで興味がない。

そのまま店内も覗かずに素通りしてモンブラン橋のたもとまでゆくと、緑豊かなイギリス公園の広い敷地が目に入る。

その公園の花に囲まれた湖畔側の一角に、二人の女性が威風堂々と肩を並べて立っている像がある。この像は、1814年にジュネ-ブがスイス連邦に加盟したのを記念して造られたモニュメントとしても国際的に知られていて、二郎もジュネ-ブに来たら立ち寄って実物を眺めてみたいと思っていたところだった。

そこから公園の丘側を見ると、さすがに時計のスイスだけあって色とりどりの花で造られたに花時計が夕日に浮かび、そこから丘に視線を上げると高級リゾ-ト地の豪華な別荘が点在するのがよく分かった。

それにしても、パリも銀座も同じだが、世界のブランド店はどこまで進出すれば気が済むのか、湖岸通りからる通りを丘側に一筋入っただけで雰囲気が一変する。

カルティエ、バレンチノ、サン・ロ-ラン、ブル-ノ・マリ、ジパンシ-、エルメス、セリ-ヌ、ピアジェ、ブルガリ、少し道を変えると、クラランス、グッチ、ルイ・ヴィトン、シャネルなど、おしゃれに興味のない無粋な二郎でも聞いたことのある名の店が軒を列ねて観光客のクレジットカ-ドかユ-ロを狙っている。

夕暮れの湖畔に戻って、湖畔の岸辺に係留されている白い船体が廃船を改造したレストランと知って興味を持った二郎は、おりよく空腹を感じたこともあり桟橋を渡って船上野店に入ってみた。船内の雰囲気はなかなかよく、シャンデリアなどもしゃれていて落ちついた雰囲気だった。

何種類かのメニュ-から選ぶのだが、日頃はラ-メン餃子とか立ち食いソバとかの貧しい食事に慣れている二郎でも、官費で食べるとなると人格が一変して太っ腹になる。

何となくスペシャルめいたコ-スを注文し、瓶ごと頼んだ白ワインをオ-ドブルを摘みながら味わって待つこと30分、ようやく現れたのがまず前菜なのか、蟹と帆立てのビオリ、フォアグラ・マッシュル-ム、枝豆のボレンタと、オレンジ風味のサ-モンと野菜のサラダ……リゾットは、アサリとフレッシュな野菜類で健康にもよさそうだ。

そこからがメインだから気になるところだが、牛ヒレ肉のグリルにほうれん草とポテトのグレ-プ添え、真鯛のソテ-には、それぞれのソ-スの味を含めて、ただ満足の意を表するしかなく、パンもよし、ホワイトチョコ入りのム-ス、苦みの少々強めのコ-ヒ-もまたよしで、味音痴の二郎にとっては評価などは何もないが、あえて言葉で表すのであれば「超美味」、この3文字が全てだった。

夕闇に包まれたレマン湖の風に吹かれて、ホテルに戻った二郎はまた部屋に備え付けの冷蔵庫からビ-ルを出して一人でジュネ-ブの夜を過ごした。

ホテルに入る前にチラと横目で眺めたラ・カスカ-ドという店は、かなり繁盛している様子で、明日の夜もまだジュネ-ブに滞在できるならば、ぜひディナ-をこの店で、と二郎は思った。

 

7、移動を重ねて(1)

二郎はEU来訪三日目の朝を、ジュネ-ブの河畔のホテルで迎えた。

だが、ここにも長くはいられなかった。田島ボスからの電話が入ったからだ。今度は田島の口調にも緊迫感が出ている。

「これからチュ-リッヒに向かってくれ。彼らが警察の網を潜り抜けて、ジュネ-ブからチュ-リッヒに脱出したという情報が入ったのだ」

「チュ-リッヒなら、TGVの超特急で行けますな」

「だめだ。財相が開放された時にあんたがいないと賠償金を払わされるんだ。すぐ空港に行ってくれ!」

「今度はチュ-リッヒ泊まりですか?」

「泊まるとこなんか、駅のベンチか公園で野宿だっていいんだぞ!」

「折角ですから、一流ホテルに泊まりますよ」

「うるさい! 予算はビジネスホテルだからな」

「もう手遅れです。それより財相はチュ-リッヒで釈放されますか?」

「今度はかなりの確率で、居場所がつかめたようだぞ」

と、田島が自信あり気に言った。

ホテルの支払いを済ませた二郎は、すぐホテル前に常時待機中のタクシ-に乗って、コアントラン空港に急いだ。空港までは約5キロで14分、搭乗手続きに費やした時間もさほどかからず、チュ-リッヒ行きの便は頻繁にあることから、二郎はすぐ、スイス航空国内便の近距離用プロペラ機に乗り込み、いよいよ財相開放の地に向かうことになる。

ただ、二郎にも未練はあった。ホテルに隣接するレストラン、ラ・カスカ-ドでの夕食が出来なかったことだ。あの鼻孔をついた焼き肉の匂いにそそられた食欲はそう簡単には消えるものではない。

やがて、チュ-リッヒのクロ-テン空港の滑走路に軽い機体が揺れながら着地した。

ひとまず、どこに泊まるかを考えたが、ここ数日間の経緯を考えると、犯人の行動範囲が徐々に狭まっているのは確かだから空港よりは鉄道の方が機動力を発揮しそうな気がする。したがって、駅に近いホテルがいい。だが、その前にまず食事……そう考えた二郎はタクシ-に乗って、とりあえず「バ-ンホフ・ストリ-ト」と、何の意味もなく行く先を告げた。それしか知らなかったからだ。それが、よかったのか悪かったのか、タクシ-は迷いもせずに真っ直ぐにバ-ンホフ通りのど真ん中、一流のサボイホテルまで二郎を運んでくれた。ならば迷うこともない。二郎は胸を張ってサボイホテルの玄関をくぐった。

知らぬこととは言いながら、このサボイは、チュ-リッヒで五指に入るデラックスホテルで、二郎に似合いのビジネス・ホテルから見れば料金は5倍はする。

まず、チェックインして豪華な部屋に入り、シャワ-で汗を流した二郎はすぐ町に出て、観光より先にホテルの前のツンフトハウス・ツ-ル・パ-クという肉料理専門のレストランで食事をした。目の前にレア-に焼けたステ-キがジュ-シ-な匂いで二郎の食欲をそそり、口の中にジュ-シ-な味が広がる。これで、ジュネ-ブのレストランに残した未練が消えたから単純なものだ。

そこに、田島からの電話で新たな情報が入った。やはり邪魔は入る。

「拉致犯人らがな、警察の追求を逃れて山岳部に車で移動したのを目撃されたぞ」

「そこで釈放ですか?」

「そんなの知るか。これでチャンスを逃したら、財相の命が危ないんだ」

「でも、最高級のホテルにチェックインしたばかりですよ」

「ホテルなんかに入るな。移動するかも知れんじゃないか!」

「でも、チュ-リッヒで財相が開放されそうだと……」

「だったら尚更、ホテルどころじゃないだろ?」

「とにかく、部屋は借りました。高そうなホテルですが」

「勝手にしろ! 安ホテルとの差額は、ギャラから引くからな」

「冗談じゃないですよ」

「冗談じゃない、まじめな話だ」

「で、山岳部の町ってどこですか?」

「すぐ、インタラ-ケンに行ってくれ。警察も追っている」

「無理ですよ。ホテルだってとったし、いま食事中ですから」

「そんなのはどうでもいい。先に列車のダイヤを調べるんだ。いよいよ逮捕劇だぞ」

「と、いうことは釈放じゃなく、救出ですか?」

「分からんが、そうらしい」

「では、明日の朝にでも移動します」

「明日? とんでもない。今、すぐ行ってくれ」

「どうしてもですか?」

「明日にでも警察と合流することになるぞ」

「ホテル代が……」

「分かった。経費でいいから早くキャンセルして移動してくれ!」

「じゃ。そうします」

こうなると二郎の血も騒ぐ。

「ちょっと、待ってください。時間を調べます」

店員を呼んでつたない英語と手真似で列車のダイヤを調べてもらうと、食事を終えても急行列車に間に合うことが分かった。その旨を伝えると田島が安心したように応じた。

「よかった。食べものの恨みは怖いからな。それに、これでわが社も顔が立つ。インタラ-ケンに着いたら電話をくれ。じゃ、切るぞ」

充分に料理を味わってからホテルに戻って二郎が交渉すると、シャワ-を使っただけだからと宿泊代の1割にまけてくれたが、高いシャワ-代についたのは確かだった。

8、移動を重ねて(2)

二郎は時間があることから、チュ-リッヒ中央駅までを散歩気分で歩いた。

国土の狭いスイスでは夜行列車はない。どこに行くにもその日のうちに到着するようにダイヤが組まれてある。スイス連邦鉄道のインタラ-ケン行き列車は闇の中、林や草原を抜けて急行列車は快適に走った。ルツェルンまで50分、チュ-リッヒから2時間近くの鉄路を走ってインタラ-ケンに着いたときは深夜になっていて山間の駅は寒かった。

駅に近いホテル数軒に飛び込んではみたが、どこも満室という理由で断られた。外から見ると空室の暗い部屋があることから、皮ジャンバ-で人相の悪い突然の宿泊申し込み客に警戒しての拒絶としか思えない。

仕方なく駅に戻ってたどたどしい英語で「今夜泊まるホテルを紹介してほしい」と、駅員に頼むと、「OK」と、慣れているらしく気軽に応じてくれてすぐ探してくれた。それが、ホテル・メトロポ-ルだった。

駅前の通りを教わった通りに10分ほど歩くとホテルに到着した。

移動中の拠点は逐次報告することになっているから、幸いに留守電になって いた田島ボスの携帯にホテル名だけを知らせてはおいたが、深夜に連絡されるのは苦手だから携帯の電源は切っておく。これで邪魔が入る恐れはない。

浴室に入ってシャワ-を浴び、軽装で地階のバ-に向かうと気が楽になった。

深夜からの眠りを深めるために飲んだその数杯のアルコ-ルが効いたのか、その夜は電話にも脅かされずに熟睡できた。このまま、警察が犯人を追い詰めて逮捕して人質が無事に開放されれば、二郎の役割は小城財相に付いて帰国すればいいだけだから気が楽だ。だが、何となく夢見が悪かった。

案の定、ホテルの電話が二郎の遅い朝寝の夢を奪った。あわてて手にとった受話器の向こうに、田島の怒鳴り声が響いている。

「そっちはもう10時過ぎだろ? 何度掛けても繋がらん。もう、バッテリ-切れなんて言わせん。留守電のホテル名から電話番号を調べてな、ようやく突き止めたんだ!」

その努力には敬意を表するが、まだ寝起きの頭の中がもやもやと霞がかかっている二郎としては面白くない。先刻までの朝寝の快さはすでに消え、当然ながら返事もぶっきらぼうになる。

「で、用件は?」

「大使館から政府に連絡が入った。昨日、財相の第二秘書の迫丸が殺されたんだ」

「身代金を払わないから?」

「そうじゃない。パリ市内でコイン・ディ-ラ-の男と会って食事をしながら何やら話し合った後で、東洋人の男に射殺されたらしい」

「東洋人?」

「そうだ。そこでカバンも奪われてるんだ」

「何が入ってたんです?」

「そんなの知るか! 財相も危ない。すぐインタラ-ケン・オスト駅に急いでくれ!」

「それから?」

「そこの駅から登山列車を乗り継いで、ラウンタ-ブルンネン駅で待機だ。そこの駅前あたりでうろうろしてればフランスとスイス警察の合同隊が、あんたの人相風袋から探してくれる。ヤクザ風皮ジャンのひげ男……これで手配書が回ってるからな」

「凶悪犯みたいで気にいらんですな。それで?」

「そこで合流すれば誰かが指示してくれるだろう。警視庁からの護衛官派遣ということでメガロガの身分証明書を見せればいい約束になってるからな。」

「財相は救出されますか?」

「それは分からん」

二郎は、手の届く範囲内に脱ぎ捨ててある衣服を身につけながら会話を続けた。

「まさか、オレも一緒に犯人のアジト急襲なんてないでしょうな?」

「それも分からん。とにかく警察と一緒に行動してくれ」

「財相の身に危険がおよんだら?」

「その時は一緒に突入して、命がけで財相を救助して来い」

「冗談じゃない。モノ書きにそんなの出来るわけないですよ」

「冗談だ。財相は警察が助け出すから安心しろ。そこからの警護で充分だ」

「そうなると、警護の草苅秘書の立場は?」

「警護専門私設秘書の職務も全う出来ずに自分まで拉致されたのだから、今回は釈放直後からクビだろうな。また谷口元副総監から頼まれたらメガロガに入れてやるさ。ま、当面は失業中になるだろうな」

「分かりました。草苅さんに警護を任せて職場復帰させます」

「だめだ! そんなことしたらメガロガの立場がなくなり、報酬が減る」

「じゃあ、共同でやります」

「勝手にしろ。オレは個人的には草苅は好かんからな」

「ところで、今、その草苅さんも財相と一緒ですか?」

「彼らが山岳地帯に潜伏したんだから、草苅もその辺りだろうな」

「その前に身代金の支払いがあれば問題ないのに……その可能性は?」

「政府も緊急の機密費から出すにしては金額が大きすぎるし、国際会議の期間中ならともかく、帰路にパリに立ち寄ったプライベ-トな静養日での出来事だけに閣議に謀ることもできない。日本の立場はあくまでも身代金を用意することが先だが、政府としては12億円近い拠出は衆議院予算委員会の承認なしには出せない。このまま保釈金ができないとなると、人質の生命も奪われて日本として恥をかくことになる。総理官邸の機密費や党の金や小城議員事務所などの金を掻き集めて犯人側と話し合い、とりあえずは犯人の指定する銀行に半額の500万ドルを振り込んで、財相の命の保証だけは取り付けたそうだ。

でも真相は違うぞ。谷口元副総監の話では、政府の方針でそれ以上の身代金は用意しないそうだ。麻薬の製造資金になるのを防ぐため、という大義名分があるからな」

「財相の家族からは?」

「政府は小城財相の留守宅にも計ったが、財相夫人は、『30年も家庭を放置した人ですから家計からはビタ1文出しません。これは国のお仕事ですから……』

と、剣もほろろに断られたそうだ。もっとも、万が一の時は生命保険で5億円が入るらしいが」

「せこい話ですな」

「しかし、犯人グル-プの要求は1千万ドルだから命は保証したが釈放はしないと断定していて交渉の余地がない。だから、救出作戦に切り替わったのだ」

「6億円近い大金を払ったのに、ジレンマですね」

「かといって、警視庁はすぐには動けない。だから、民間の警備会社に仕事がまわって来た。ところが、優秀な社員はそれぞれ仕事中で手が放せない。だから、部外者のどうでもいい  あんたに、この仕事を頼んだんだ」

「どうでもいい? それは私の命のことですか? それとも立場ですか?」

「その両方だ。そんなことより、犯人らの居場所が分かれば警察は突入するぞ」

「そうなれば、やはり財相と草苅さんの命も危ないですな」

「おまえさんの命も保証できなくなった」

「そんなバカな」

「死んでも泣く人もいないだろうが、ギャラが欲しけりゃ帰ってこい!」

電話を切った後の二郎は、寝起きの悪い思考回路を駆使して考えを巡らせた。

身代金の支払い前に、警察の合同隊が拉致犯逮捕に突入すれば、財相ら二人は殺害される恐れがある。その場合は二郎も無為に手をこまねいている訳にはいかない。しかも、その救出作戦に参加すれば危険な思いもするし自分の命の保証もない。

もう何年か前のことだが、二郎はドキュメントの取材中に暴力団員に絡まれて争いになり、多少の心得はある武道の技で右手を折って重傷を負わせたことがある。相手が前科者で余罪があったことと二郎が警備会社の身分証を所持していたことで正当防衛扱いにはなったが あれは折る気で折った。過剰行為だという警察の見方は正しかった。それが、二郎にとっても悔いになっている。だから、争いは好まない。

二郎に仕事を頼んだ田島の会社は、東京都公安委員会認定第1XX3号・警備会社メガロポリスガ-ド、略称メガロガ……センタ-オフィスは、数年前に千代田区神田司町から同じ区内の永田町2丁目のパレロワイヤル永田町マンションの3階に移転している。そのメガロガの業務内容は、「VIPの警護」が主体で政財界、芸能・文化人など著名人や社会的にも重要なポストにある人達を顧客にするボデイ ガ-ド業だから、いざという時も防御に徹して、争いには参加しないのが社是のはずだ。

しかも、嘱託の二郎は正式の警護員でもなく、ただのモノ書きなのに命の危険にさらされようとしている。しかし、いざとなれば自分の身は自分で守らねばならないから武器も必要になる。

身支度を整えてから顔を洗い、フロントで清算してから時刻表を調べ、まだ時間に余裕のあるのを確認して一階のティ-サロンに入った。そこで二郎は8ユ-ロでミニ・バイキング形式の遅い朝食をとった。ハムサンドと目玉焼きにサラダ、コ-ヒ-という軽い食事だったが胃は落ちついた。もう覚悟はできている。

こうして二郎はEU出張後四日目の朝を迎え、葵と恵子を乗せた特急電車は、刻々とこの町に近づいていた。