第七章 救出作戦

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1、ミュ-レンの町

 キャビンが降下すると、山頂駅はたちまち小さく遠のいて行く。
二郎を乗せたキャビンが一つ下のビルク駅に着くと、ホ-ムにも駅頭にも人が群れていた。二郎はここでは降りない。駅員と争っている人もいて英語で二郎に聞く。
「シルトホルンの展望台は、工事で閉鎖中って本当かね?」
「もっと悪い状況だから行かない方が無難だよ。でも、工事はしてないよ」
 二郎がたどたどしい英語で答えたのを、相手は理解できたらしい。
「さっき駅にいた男たちが、頂上は工事中だからって言って、乗客全員がここで降ろされたんだ。ここの展望台は超満員でな。だから、もう帰るんだよ」
 二郎とのその会話を聞いた人が、二郎に情報を求めた。
「工事がないんなら、展望レストランは営業中かね?」
「いや、行くのは止めたほうがいい。上のレストランは貸し切りだったから」
 二郎がそんな意味を片言の英語で喋ると、キャビンに乗り込んできた男が探るような目で睨んだ。暗い殺気が漂っている。ここにも彼らの目は光っていたのだ。
 キャビンが満員になってドア-が閉まった。
 車内に乗り込んできた人相の悪い数人の男達が、密着するように二郎を囲んだ。
 頂上駅からロ-プウエイでミュ-レンまでは19分、麓の始発駅へは、ここで乗り換えてギンメルヴァルト経由で戻るのが早いが、ミュ-レンへはこのままでいい。
 ロ-プウエイのミュ-レン駅は村の南側にある。二郎が降りると数人の男が続いた。
 駅前に待機していた電気自動車が、迎えの客を乗せて走り去る。
 二郎が窓越しに室内の駅員に英語でホテル・ゼフィネンの位置を聞くと、おだやかな表情の駅員が一枚ペラの観光案ガイドを出してきて、地図の上を指で追いながら早口で説明する。
「ホテル・ゼフィネンは満員ですよ」
 フランス語でこう言っているらしいが言葉は通じない。それでも、数カ国語で書かれているパンフを見ると、総人口4百人余りというミュ-レンの町には12軒のホテルがありホテル・ゼフィネンが町を代表するホテルの一つでもあることと、おおよその位置は分かった。
 駅員の説明を聞き終えて視線を上げると、背後にいた三人の男が目配せして頷いているのがガラス窓に映った。
 目指すオテル・ゼフィネンはロ-プウエイ駅の東方にあり、道は2本あって、山側の上の道と、街中の下の道とがあり商店街のメイン通りは下側の道だが、どちらを歩いても合流する。ロ-プウエイで降りた観光客もそれぞれ散った。

 

2、ミューレンの町(2)   

 人通りの少ない山側の道に向かって歩きだした背後から、すぐ二人の男が追って来るのを二郎は足音で感じていた。その背後にトレンチコ-トを着た男がもう一人見えるが、その男は急ぐ様子がない。
 しばらく歩いて人通りの絶えたのを見極めてから二郎は足を止め、道路脇にある花壇のブロックに腰をおろした。
 二郎が急に止まったので男達が戸惑い、明らかに足並みが乱れた。足を止めるのが不自然と感じたのか、濃い茶系の背広に白いスカ-フを巻いたイラン人に見える男がそのまま、威嚇するような目で睨み、二郎の前を通り過ぎて行った。途中で待ち伏せるつもりでもあるのか。
 二郎は、素知らぬ顔でポケットから出したタバコにライタ-で火をつけて口にくわえ、煙を吐いてからもう一度深呼吸をした。これで、少しだけ気持ちも落ちつくし恐怖心も和らぐ。
 背後を見ると、足を止めて二郎の様子をうかがっていた黒ス-ツの中東系の男が、二郎の視線に誘われるように歩きだし、わざとセキをして挑発的な仕種で目の前をゆっくりと通りすぎて行った。これで前に二人、後の一人はまだかなり離れて二郎の様子をうかがっている。敵は前後に三人、もう逃げ道はない。
 二郎は、この男達の追跡を振り切るのは無理と判断した。こうなると、お互いに倒すか倒されるかの覚悟を決めるしかない。多少の心得はあるが三人となると自信はない。(こんな筈じゃなかった)、後悔してももう遅い。
 争いは好まない二郎だが、ただ一方的に殺られるのは嫌だから徐々に神経がイラ立って好戦的になってくる。二郎は、前を行く黒ス-ツの男を追って山道に入った。
 足を早めて前を行く男との距離を詰めながら振り返ると、案の定、二郎からほぼ30メ-トルほどの距離を保って背後の男が追ってくる。
 周囲を森に囲まれた暗い道に入ると人通りが絶えた。拳銃は使いたくない。
 曲がりくねった道で街路樹に隠れて追尾する男の視界から外れたのを感じた二郎は、ナイフを抜いて手に隠し持ち足音を殺して一気に走った。
 それに気づいた黒ス-ツの男が振り向きざま、コ-トの内側から拳銃を引き出して迎え撃つように身構えたが、一瞬早く体当たりした二郎がナイフを男の太股目掛けて突き刺した。急所を避けての軽い脅しのつもりだから刃先は浅い。
それでもナイフを引き抜くと血が滲んだ。空に向かって発砲した男が拳銃を落とし、くぐもった悲鳴を上げて倒れ傷口を両手で抑えると、その手が朱に染まった。
 男が手放した拳銃を二郎が拾って左手で構え、太股に刺さったナイフを右手で抜くと、男の足元に血が流れた。血で濡れた刃先を相手のス-ツで拭ってホルダ-に納め、男の内ポケットから銃弾ケ-スを抜き出し、倒れて呻いている男に「傷は浅いからな」と日本語で言葉を投げて二郎は立ち上がった。言葉など通じなくても気は済んだ。
 奪った拳銃は、殺傷力には定評があるS&W(スミス・アンド・ウエッソン)のリボルバ-で、二郎が通版で買ったモデルガンのニュ-ナンブより一回りは大きいが同型だから違和感はない。敵はこれで一人減り、武器がまた増えた。
 銃声を聞いて駆けつけたトレンチコ-トの男が、傷ついた男を助け起こす声を背後に聞いて二郎は走った。こうなると異常心理が「敵を倒せ!」と叫んでいる。
 異変を感じたのか前を行った茶の背広を来た褐色のアラブ系の大男が、二郎を見て拳銃を構えて凄い剣幕で駆け戻って来るのが見えた。
 こうなると、もう後には引けない。二郎も迎え撃って走った。
 奪ったS&W拳銃の劇鉄を起こして突き出し、前方から接近する男目掛けてジグザグに走りながら突っ込んで行く。走って来る相手が二郎を狙って拳銃を撃つが、二郎が左右に激しく動いて迫ってくるからますます焦って狙いが狂う。
二郎が走りながら拳銃をベルトに鋏み、男に体当たりして胸ぐらをつかんで日本語で叫んだ。
「ぶっ殺すぞ!」
 敵の胸ぐらを掴んだ二郎が、大外刈りで男を倒して馬乗りになり、もぎ取った拳銃を遠くの草むらに投げ捨て、拳で頬を思いっきり殴って戦意を奪い、ベルトから抜いたS&W拳銃を胸に突きつけて身を起こした。
「立って歩け! ホテル・ゼフィネンだ」
 いつでも撃つぞ! との意思が敵にも分かるのか抵抗の気配が消えた。死ぬのは嫌だから、男は観念したように立ち上がって歩きだした。
 二郎は、男の白いスカ-フを奪って拳銃の上に巻いてカモフラ-ジュした。生意気にシルクの上物で肌触りがいい。これならすれ違う人からも怪しまれない。
 やがて、観光局の看板が出ているスポ-ツセンタ-の建物の先に、尾根瓦が赤茶で建物がレモンイエロ-という洒落た4階建てのホテルが見えた。
「ストップ! もうここまででいい。好きなところに消えろ」
 二郎の言葉が終わらないうちに、濃茶背広の男は走り去った。

 

3、銃撃戦(1)

 植え込みの陰から見ると、ホテルの玄関前に用心棒なのか人相の悪い中東系の男が二人立っていた。そのどちらも背後にまわした手に拳銃を握っているとみて間違いない。
 広場の花壇には赤と黄のチュ-リップが咲き、庭も建物もきれいに整備された洒落たなかなかのホテルだった。この建物内に財相が監禁されているからこその厳重な警戒とみれば、無謀な突入は命取りになる。時間はすでに午後4時を過ぎている。

 二郎は、クロ-ド警視の言葉を信じて、機動隊の出動を待つことにした。
 玄関前の見張り達から死角になっている木陰の敷石に座って、用心のために右手に拳銃を持ったまま、左手で器用にタバコを取り出して口にくわえた。
 そのとき、観光客なのかホテルに近づいた男4人女2人のグル-プが、玄関前にいた男たちと、「入れろ」「入れない」で小競り合いを始めた。
二郎があわてて火の点けていないタバコを捨てて身構えていると、用心棒らしい男の一人が問答無用とばかりに、6人の足元に向けて脅しで拳銃を発射した。その途端、観光客と思われた一団が素早い動きでそれぞれが物陰に散って応戦したから銃弾が乱れ飛ぶ。

 玄関前にいた用心棒男が一人腰を撃たれて倒れ、残った一人が仲間を引きづってホテル内に逃げ込むと、騒ぎに気づいたその仲間らしい男たちがいっせいに玄関内や2階や3階の窓から6人グル-プに向かって狙い撃ちに出た。
「われわれは警察だ。抵抗をやめて出てこい。命の安全は保証する!」
 グル-プのリ-ダ-らしい男がフランス語で叫び、次になまりの強い地元の言葉に翻訳して叫ぶ。もちろん二郎には意味不明だが状況から考えて内容はそうなる。しかし、その声に銃弾が集中してリ-ダ-が傷ついて転倒し、木陰に飛び込むのが見えた。
 ヘリのエンジン音がホテルの上空で響き、玄関前の広場に着地すべく下降する。
 飛来したヘリは2機、ようやくスイス・フランス合同の機動隊が来たらしい。たちまちホテルの窓から敵の銃が、空に向かって激しく火を噴いた。
 これではヘリが着地する前に全員が蜂の巣にされてしまう。ヘリが着地場所を変えたのかホテルの屋根すれすれに建物を飛び越えて裏口の広場に向かった。二郎も腰を屈めて、ホテルの横手から林に入って走り裏庭に向かって走った。
 木の間越しに見ると、ホテルの裏庭には警察では使用しない機種のB0105型武装ヘリがある。それでも裏庭には2機の警察のヘリが着地する程度の空き地は充分にあり、しかも樹木に遮られて敵の狙撃も避けられる。
 裏にまわった二郎に気づいたのか、ホテルの裏口を守っていた二人の男が自動銃を乱射してきた。耳元を銃弾がかすめ飛び、カラニシコフ銃の乾いた音が響く。距離は約40メ-トル、この距離だと拳銃では戦えないから一方的に撃ちまくられるだけだ。
 二郎は身を屈めて木の幹の裏側を伝ってヘリに向かって走り、敵の銃弾からの死角に入って一息ついてからから銃座に飛びついた。弾帯のセットを確認してから機銃の銃口をホテルの裏口に回した。

 二郎は、名前だけ社員にされている警備会社の訓練参加でヘリに同乗し、無免許ながら勝手にコックピットに入り込み見よう見まねで操縦を習った経験がある、ただし、機銃の操作は初めてだから勝手が分からない。それでも、銃座のハンドルを握ると狙いの要領が分かった。弾帯もそのままセットされている。
 二郎はまず敵の動きを見た。ホテルの裏口に二人、2階の窓から3人、3階からも撃ってくるが、自分たちのヘリに傷をつけたくないから銃弾はまばらだった。ただ、狙い撃ちだから危険度はさらに高くなる。
 敵の人数は不明だが、4階にも人影は見えるが銃声はない。反撃による人質のケガを恐れて狙撃手を外したのか。と、なれば小城財相は4階に監禁されていることになる。
 二郎は、ホテルの裏口の男が銃を構えるのを見て引き金を引いた。銃声が響いて悲鳴を上げて倒れた男の手から銃が落ち、銃を持った男が屋内に逃げ込むのが見えた。
 二郎の存在に気づいたのか、3階から銃を構えた男が撃った弾丸が頭上を掠めた。二郎がそれを見てヘリの機銃を乱射すると、敵はすぐ窓から顔を引っ込めて姿を隠した。
 二郎が拳銃を手にヘリの機体をとび出して裏口に走ると、また頭上から銃弾が降る。
 なんとかホテルの裏口の円型ドア-の下にとび込んだが、内側からロックされたのかドア-が開かない。3階からの射撃でバリバリと庇の金属板が穴だらけに砕けて二郎の頭上に当たって散った。このままでは殺される……恐怖を感じたとき、玄関側から裏にまわって降下した合同隊のヘリからの援護射撃が3階の敵を沈黙させ、おかげで二郎はそれほど価値もない命を救われた。
 スイス警察庁自慢の350B型の武装ヘリが、敵のヘリの横に無事に着地すると、続いてフランスが誇るアイロスパイアルがその後に続いた。
 2機のヘリから、15人近い武装警官が走り出て二郎が待つ裏口に殺到し屈強な数人の男が同時に体当たりしてドア-を破り屋内になだれ込み、ドア-の内側で銃を構えていた男に銃弾を浴びせ、一瞬のためらいもなく銃を乱射しながらホテル内に走り込む。機動隊長らしい男が二郎の肩を叩き、英語で「よくやった」と言い部下に続いてて屋内に消えた。
 二郎もそれに続こうとした時、ドア-の内側に撃ち倒されていた男が下から拳銃を構えて二郎を狙った。二郎がその手の拳銃を蹴飛ばしてから男の額に銃口を押しつけた。
「人質のフロア-は?」と聞く。言葉が通じないのか返事がない。一発、床に発射して戦意を喪失させてから今度は日本語で「Mr・オギはどのフロア-にいる? 吐け!」と、早口でまくし立てた。
「いいか。フロア-だぞ」と言い、握った左手の指を、1、2、3……と立ててゆくと、4本の位置で男が頷いた。思った通り小城財相は4階に監禁されているらしい。
 二郎は、左手でその男の38口径のコルトとポケットから弾薬を没収し、ハ-フコ-トのポケットに押し込んだ。これで所持した拳銃は4丁になる。
 二郎は男をそのままに放置して、1階を無視して2階に駆け上がるが、そこはすでに制圧されておりケガ人が呻いていた。3階までの階段を上るとそこが主戦場だった。階段の踊り場手前の角にスイス警察の機動隊員がいて、どの部屋からか廊下に顔を出しては撃ちまくってくるマフィアと銃撃戦を続けている。
 二郎は銃撃戦の合間をみて飛び出し、そのまま一気に4階への階段を駆け上がった。
 下から見たときには銃を持った狙撃手の姿があったが、二郎の姿を見ながらも撃って来なかったのは撃ち合いで人質の財相を傷つけたくなかったからか? 
人質を匿うなら4階の中央の位置なのは推測できる。だが、見張りの敵が何人いるかは予測できない。
 4階の階段最上部の角で様子をうかがったが出たが誰もいない。踊り場まで出て右側に折れて五つめの部屋が中央になる。踊り場に出ようと顔を少し覗かせたとき、かなり近い距離からライフル銃の乾いた発射音が炸裂して弾丸が二郎の頬を掠めた。敵は階段横の角部屋で待ち伏せしていたのだ。驚いて顔を引っ込めた二郎は、恐怖で心臓の高鳴りを静めようと深い息を吐いた。こうなるとうかつに顔も出せないが、ここで釘付けになっていたら財相の救出もままならない。二郎は腹を決めた。

 

4、銃撃戦(2)  

 軽量の小型のコルトを左に、持ちやすいS&Wを右に構えた二丁拳銃で、まず左手だけを角から出して銃声のあった右廊下の方角に向けて連射し、廊下に躍り出てヘッドスライディングし、敵が撃って来た部屋の開いているドア-の外から片膝を付き、銃を構えている男の肩口に一発撃ち込んで倒した。急所は外れているが痛さに耐えかねてか男はのたうちまわっている。すぐ部屋に押し入りその男を蹴飛ばして手放したライフルを拾って窓を開けて外に投げ捨て、すぐ部屋から退去して姿勢を低くして走り、角から五つ目の部屋のドア-を引き開けて飛び込み、あわてて迎え撃とうと拳銃を構える男にタックルして拳銃で横顔を殴ると、男は仰向けに音をたてて倒れた、そのミゾオチを靴先で思いっきり蹴飛ばすと「ギェ」と言うような奇妙な悲鳴を上げて男がエビになって失神した。間をおかずに銃を構えて奥の部屋に躍り込んだ二郎は、拍子抜けしたように立ちつくした。
 そこで、思いがけない光景に接したのだ。
 ダ-クグレ-のス-ツ姿の小柄な小城財相が一人、スイ-トル-ムの応接イスに悠然と座っていた。口にくわえたパイプの先から紫煙が揺れている。
 どう見ても人質にしては余裕があり過ぎる。見張りは一人だけだったのか、他に人の気配がない。拳銃を構えながら扉越しの隣の部屋を覗こうとした二郎に、財相が落ちついて声をかけた。まったくあわてる様子もない。
「4階の見張りは今倒した二人だけだ。他の部屋には誰もおらんよ」
「小城大臣ですね?」
「そうだ。おかげで助かったよ。警視庁かね?」
「公安235X・警備会社メガロガの海原二郎です。谷口丈吉元副総監の指示で大臣の警護に来ました」
 さすがにこの場では、無名のライタ-なのに人員不足で寄越されたとは言えない。
「そうか。わしの警護が秘書の草苅では足りんのか。彼は今、どこにいる?」
「この上のシルトホルン頂上駅の展望台にいます」
「迫丸君も一緒かね?」
「迫丸という秘書の方なら、パリで死亡したと聞きました」
 小城財相が憮然として呟いた。
「そうか、税関職員だった前歴がバレたのかな?」
 何はともあれ、小城財相救出作戦はこうして成功し、誘拐犯はクルド人やイラン、イラクなど中東のアラブ系革命戦線を名乗るグル-プであるらしいことが判明した。
 やがて、下の階を制圧した警察の地上組とヘリの合同機動隊が405号室に集まり、財相の無事を喜び、二郎が人質救出の功労者だと知って口々に褒めて握手を求めた。
 スイス警察側の指揮官であるロイル警部と名乗る機動隊長と、4人連れで玄関前に現れて戦って肩にケガをした地元の警察の警部補と、これも腕に軽傷を負って包帯を巻いたパリ警視庁のデビット警部が揃って現れて大臣に詫びた。
「救出が遅れまして、ご心配をおかけしました」
 敵は二人死亡で5人重傷、3人が軽傷、二人が無傷で逮捕されている。警察側は死亡はゼロだが重傷が一人で軽傷がデビット警部を含めて3人いた。
人質を無事に救出できたことを考慮すれば、まずまずの成果ともいえる。
 デビット警部が、高性能のトランシ-バ-で、頂上駅展望台のクロ-ド警視に連絡を入れて、財相の無事救出を知らせると、クロ-ド警視の声が響いた。
「よくやった。オギ財相を安全な場所へ、機動隊は山頂に応援を!」
「まだ、全員逮捕までいってないのですか?」
「目下苦戦中、押され気味でな」
 スイス警察のロイル警部に、デビット警部が伝えた。
「ここの現場検証とオギ財相の護送をお任せして、我々は山頂に飛びます」
「いや。ここは部下を残してスイス隊も山頂に行く。まだ間に合いますかな?」
事件を知って駆けつけた地元の人々が、いつの間にかホテルの前に大勢集まり、平和な町に生じた事件の成り行きを見守って、逃げ腰ながら遠巻きに見物している。
 すぐに逮捕者を尋問したが、財相拉致の首謀者は誰も知らないという。ただ、シルトホルン山頂にいる大物マフィアのフランクかパゾリ-ニが、その首謀者との連絡係らしいことだけは判明した。黒幕はフランクでもパゾリ-ニでもないのだけは確かだった。
 負傷者運搬用赤十字マ-ク入りスイス警察ヘリが風をまいてホテルの前庭に着地した。
 ジュネ-ブの病院に運ぶ敵味方の重軽傷者を乗せた赤十字マ-クの医療ヘリが、先に飛び立ち白銀の山を越えて去った。犯人側の怪我人は治療後に裁判にかけられる。
 デビッド警部の率いるフランス機動隊のヘリに二郎と財相が乗った。エンジンが唸り、プロペラが回転して砂塵を舞い上げた。が、すぐには飛び立たなかった。目標で揉めたからだ。
 ロイル警部の指揮するスイス警察のヘリと共にシルトホルン山頂に飛んで、機動隊を降ろし、そのままこのヘリで小城財相と二郎をパリまで送る、というデビッド警部の案に小城財相が猛反対したからだ。
 財相は、「草苅秘書を救出してからパリに行く」、と言い張った。それでないと気が済まない。自分だけが助かったとなれば武士道の精神に反するから日本では世論が許さず、「私の政治生命も終わるから、ここで腹を切る」、とさえ言い切っている。
 武士道とかハラキリなどと時代錯誤もいいところだが外国では説得力があるらしく、この「ハラキリ」の一言で小城財相と二郎の山頂行きが決まった。
 二郎はもう、どうでもなれという気分だった。
「草苅君は、ワシの身代わりに人質になってるんだ。助け出さねば気が済まん」
 一国の財務大臣が誘拐を解かれた直後に、警護官の救出に向かうなどとは正気の沙汰とも思えない。しかも、そこは麻薬密売組織のマフィア逮捕の戦闘現場なのだ。だが、小城財相はシルトホルン山頂行きを強く主張した。それを、周囲では武士道の誉れとか責任感の強さと見て許したことで、警護役の二郎にまで危険が及ぶことになる。二郎はメガロガ代表の田島源一を恨み小城財相を呪った。しかし、その反面、再びあの瞳のクリっとした山田葵に逢える……この思いを感じた瞬間、二郎は悪夢を振り払うように首を振った。
「そんなバカな」、たかが、知り合ったばかりの二十五歳の小娘に一目惚れするなど、二郎にとってあり得ないことだった。それでも若い娘たちの安否は気掛かりだった。
 ヘリは、シルトホルン山頂に向かった。
「戦闘はかなり激しいようです」
 ヘリが動き出すと、無線で傍受した若い機動隊員が報告した。クロ-ド警視からの作戦開始寸前の一報が入ったようだ。ここからは15分もあれば飛べる。
 二郎と小城財相らを乗せたパリ警視庁のヘリが緑の大地を舞い上がった。ミュ-レンの村が一望の下に入る。
 ミュ-レンから標高差千メ-トル上昇した位置にビルクの展望台があり、さらにそこから三百メ-トル高い所にシルトホルンの展望台がある。上空の風はかなり冷たい。
 しかし、遠い山々だけではなくラウンタ-ブルネン渓谷や、細くかすかに鉄道の路線、緑の草原に点在する赤や黄の家々の屋根。それらを上空から眺めていると、のどかなユングフラウ地区の日々の暮らしがかいま見られるようで、上空を飛ぶヘリの行く先に修羅場があるとしたら、それは白昼夢としか思えない。
「君は、余分に武器を携帯してるようだね?」
 財相が二郎のコ-トのポケットの膨らみを見た。 
「拳銃をいくつか……私はS&Wだけでいいです」
「余ってたら護身用に貸したまえ」
 右ポケットのとベルトからの拳銃が2丁、財相の手に渡った。
「38口径のコルトに、こっちはトカレフの48口径か……トカレフを借りるぞ」
 財相が手慣れた様子で拳銃を眺めて目を細め、左手を前に出し、その上に右手を重ねて銃を構えた。これは重い銃身を扱うときのプロの手つきだ。その二郎の思いを感じたのか小城財相が言い訳をするように語った。
「ワシは太平洋戦争で士官で参戦したが、拳銃は久しぶりだよ」
 その口調は懐かしげでもあった。
 窓から見下ろすと、頂上駅テラスのヘリポ-トが間近に迫っている。

 

5、山頂会議(1) 

 シルトホルン山頂での出来事はこうだった。
 二郎がキャビンの乗り込んだすぐ後から、葵ら3人娘の活躍が始まっている。
 エレベ-タ-ホ-ルにいたマシンガンの用心棒も葵と恵子に頂上駅に誘い出された。
 髭もじゃのマシンガン男は、人影のないホ-ムの陰で恵子とのラブシ-ンに備えて、マシンガンを葵に預けたのが運の尽き……走り寄ったダニエル警部とその部下に囲まれて逮捕された。その直後に恵子がしきりにツバを吐くのを見ると、舌まで吸われたらしい。
 葵は気の毒がって「キスされたの?」と、同情して聞いた。
 恵子のことだから自殺まではしないだろうが……この友人思いの葵の気持ちを踏みにじるような言葉が恵子の口から出た。
「思いっきり舌を入れたら、わたしの苦手なシナモンガムを噛んでたのよ」
「まあ呆れた! でも、あの髭もタバコを止めさせなければ……」
 葵はタバコ嫌いだから、つい本音が出る。
「あら、葵もやっぱりキスしてたのね?」
「されただけよ! もしかして妬いてる?」
「だれが、あんな人に。勝手にしなさい!」
「わたしだって、あんな人……」
 そう言いながらも葵は一瞬、二郎の安否を思った。
 こうして、失神したマシンガン男も手足を縛られて、葵らが最初に誘い出して逮捕した1階の見張り役二人と同じく、シルトホルン山頂駅の倉庫に放り込まれた。
 クロ-ド警視がダニエル警部に語りかける。
「あとは、2階でどのような談合が始まるのか、それさえ抑えれば、いつでも急襲して全員を逮捕できる。ここは大義名分のためにも、彼らが集まった趣旨と確たる証拠を掴みたいとこだな」

 1階のレストラン内の片隅で盗聴器から流れる会話を、シャ-ロット刑事がDVD機器で録音しながら、翻訳して小声で全員に伝えていた。
その、会議のもようはクロ-ド警視の手元にある携帯型モニタ-に映し出されている。
 カナダの老夫婦に扮してレストランの店主に会った時に、クロ-ド警視は身分を明かして依頼し、監視カメラの映像を転送させているのだ。
それを見たり聞いてたりしていると葵も真剣にならざるを得ない。内容は明らかに大量の麻薬の売買に絡んでいる。葵は本気でメモを取りはじめた。これは、もしかすると凄い記事になる。
回転レストラン”ビッツグロリア”では、ほぼ80人になろうかという各国の麻薬ブロ-カ-を前に、司会進行を務めるコインディラ-だと名乗るパゾリ-ニが自己紹介し、何人かの男女が分担して、英語、フランス語、ロシア語、日本語、中国語など主要国語に通訳して、それぞれ希望者のイヤフォンに流すという会議のシステムを説明している。
「ほら、宇野さんが言っていたパゾリ-ニって、頬に傷のあった男よ」
 恵子が葵に囁いた。
「お二人は、なんでパゾリ-ニなんて男を知ってるの?」
 その日本語の会話を小耳に挟んだシャ-ロット刑事が驚いた表情で聞いた。
「食事をしたレストラン、オペラ座、クラブと3度も会ってます」
 会場では、そのパゾリ-ニがフランクを紹介している。
「世界のマ-ケットを我々で独占するという素晴らしい企画の立案者 でこの会のオ-ナ-でもある、EUファミリ-の大ボス、Mr・T・フランクを紹介します」
 ヘリで到着した男がパイプを片手に吠え、それがまた数カ国語に訳される。
「T・フランクです。みなさん遠路はるばる、よく集まってくれた。
今日からは仕事を通じて、ここにいる全員がわれわれのファミリ-として巨万の富を築くことになる……はじめに、まず、話を聞いてくれ」
 フランクという男が手を上げて座を制した。
「まだ表には出ていない話だが、長い間、この世界の頂点に君臨し、タイ、ミヤンマ-、ラオスの黄金の三角地帯でのケシ栽培を支配していた麻薬王のクン氏がヤンゴンで倒れたという情報がある。脳卒中でらしいから再起は不能で現地を一つ岩に統率できる後継者はいなくなった。
皆さんにとってクン氏が盟友かライバルであったかは別にして、これでアヘンの流通のバランスが大きく崩れ、早い者勝ちの自由競争になるのは火を見るより明らかだ。これからは、需要と供給のバランスを考えて皆で儲かるように、自分勝手な暴走だけは控えて欲しい……言いたいのはこれだけだ。では、最初に、はるばるボリビアの首都ラパスから参加したR・ゴンザレス氏を紹介する。氏は結構な商材をご持参で、今後の巨万の富の一部としてそれを紹介してくれるそうだ。盛大な拍手でお迎えを!」

 まばらな拍手の中で、50歳前後の背の低い太った男が立ち上がった。
「ご紹介のゴンザレスだが、まずサンプルをお配りします」
 同行の部下が小袋に入れたサンプルを配っている。それを手にしたブロ-カ-らは小袋から白い粉を指にとり、舌に触れさせて純度を確かめたりしている。そこからゴンザレスが熱弁を振るった。
「ご承知の通り、DEA・アメリカ麻薬取締り局の締めつけで、コロンビア・シンジケ-トは壊滅状態になり、コロンビアものの供給が難しくなっています。そこで、今回はポリビアものをお持ちしました。ポリビアではコカの葉が大量に自生していますし、その生産量は、コロンビア、ボリビアとペル-の3カ国だけで世界の90パ-セントを占めていた時代もあり、それを摘む農夫の数はボリビアだけで50万人以上、年間生産量は約75万トン、生産原価は1グラム約3ドルだが、末端価格はその百倍以上の1グラム約400ドル、総販売価格約300兆ドルという途方もない数字になる……物質文明に飽きた先進国の人々が物余りの構造不況と多発テロへの恐怖に迷い、発展途上国は貧困と飢えに道を失い、いまや世界中の民族の落ちこぼれ共が宗教か白いコナにその救いを求めています。国際的に見てもコカの需要は大きく喚起され広がってゆくばかりです。ぜひ、この機会を逃さずに利益が大きいわれわれポリビア物への切り替えを決断していただきたい。いま、最大のマ-ケットであるアメリカ、日本を含む東南アジア、EU諸国を制するのはポリビアものを置いて他にはないと断言し、とくに、日本への新規参入を希望する組には自信をもってお薦めします!」
 ゴンザレスが座るとパゾリ-ニが立ち上がった。
「つぎに、パキスタン・マフィアの大物のマジド・アルミダ-ル氏を紹介する」
 頭に布を巻いたアラブ系の大柄な男が立ち上がり、英語でまくし立てた。
「マジド・アルミダ-ルだ。いまのボリビア説には納得できんな。アメリカに次ぐ世界有数の消費国である日本のマ-ケットは絶対にワシらが頂く。
最近の情報だと、コロンビア・メディジン崩壊後、ボリビア・シンジケ-トも落ち目で、南米物全体の供給が不安定になっていると聞いている。これからは、米英ソの介入した内戦を巧みに切り抜け、復興と難民救済の大義名分をかざして、自由世界から最大限の援助を引き出して生き抜く東アジアのアフガン・パキスタン物がこの世界をリ-ドすることになる。

 ワシらアラブ民族は大国に攻められようと政権交代が何度あろうと、国力回復のための産業振興と外資の獲得には、石油と併せて貧しい山岳部族に大麻とケシの栽培を奨励し、この事業を推進するより他に生きる道はない。従って、これからはアフガン・パキスタン物のマリファナやコカが世界市場の大半を占めるだろう。この業界全体の盛衰は、いかに安定供給が望めるかどうかにかかっている。見てくれ、右のチョコレ-トがアフガンから出荷された樹脂、左がカラチの工場で95パ-セント物に精製したまっ白いコナだ。これからは、このコナが我々の世界制覇を可能にする……  さあ、そこの日本人!」

 

6、山頂会議(2)   

 演説の間に、頭にタ-バンを巻いた部下の男がサンプルを配って歩いていて、その目線の先に日本人を見つけたらしいが、盗聴器から遠く監視カメラからも外れている。
 続いて、イタリアのシチリア半島出身のマルセチ-ノという男が、パゾリ-ニに紹介されて発言した。この男はイタリアから帰化してアメリカン・ファミリ-の大幹部にのし上がっているという。
「ポリビアもアフガンも眼中にない。まだまだ東南アジア物の時代が続く……Mr・T・フランク氏はクン将軍が倒れて黄金の三角地帯が壊滅したように言うが、タイ・カンボジア・ベトナムのゴ-ルド・トライアングルは永遠に不滅ですぞ。この地の大麻から生産されるアヘン、それを精製したヘロインを諸君は忘れてはなりません。われわれは40年以上も、ここに多額の資金を投入しているのです。
 すでに最大のお客さんである日本には、メタンフェタミン系の覚醒剤として上陸を果していて、かなりの実績を上げているのは諸君もご承知のことと思う。
かって、アメリカ当局からその首に500万ドル(約6億円)の懸賞金をかけられていたシャン州の将軍と3人の息子たちが、多額の献金でミャンマ-の軍事政権当局者と話をつけ、森深い山岳地帯に50以上の工場を建設した。それがまだ機能していて重装備で組織した武装兵に守られて、3億から4億錠という膨大な量のスピ-ドとヤバ-をを製造しています。この品は、われわれの大卸価格が10錠で1ドルでだが、その10錠が、日本では末端販売価格が1錠で3千エン、10錠で3万円、原価1ドル113円が266ドル3万円という値がつくのだから扱い業者は笑いが止まらないそうです。266倍ですぞ。こんなボロい商売がどこにあります? 倒産した零細企業だって100万の元手があれば、すぐに立ち直って大企業になれるほどの大金がつかめるのです。こんな高値で売れるのは日本だけ……ぜひ、この流れに乗って日本向けの商売に協力してください。まだ、これを扱ってないグル-プもいると思うので補足するが、スピ-ドは純度の高い覚醒剤、ヤバ-はその純度の低いもので多少は精神面に影響するから、学習しなくなった日本の若者はますますバカになって偏差値を下げて落ちこぼれるが、これも仕事だから仕方ありませんな」
シャ-ロット刑事が驚いたように美代に聞く。
「日本人はなぜ、こんな危険なクスリが好きなの?」
「わたしたち日本人がじゃありません。日本人の一部だけです」
「でも、これを聞いていると日本ではどこでも売ってるみたいじゃない?」
「盛り場で外国人が売るから悪いんです」
「でも、買う人がいるから売れるんでしょ?」
 マルセチ-ノというイタリア男がまだ喚いている。
「われわれは、長い年月を将軍と歩んで来た結果、黄金の三角地帯は不滅であるという結論に達した。まだ、世界のマ-ケットを潤すには量的に不足だが、今後もこのゴ-ルド・トライアングル地区こそが世界一のアヘン生産地として君臨するのは間違いない。とにかく儲かるのです。これで財を成そうとする大卸し業者の登録は早いもの勝ちですぞ」
 数人の部下が、さらに手際よく小袋入りのサンプルを追加して配っている。
 パゾリ-ニが補足する。
「今回の発言者は、それぞれが裏付けのある資料によって自信をもって見本の品を配っています。これだけ各地のブツが集まれば、世界各地で新たな需要が喚起されて急激に需要が伸びたとしても品切れの心配はありません。EU圏で三大富豪の一人であるT・フランクを大ボスと認めて結集したわれわれニュ-ファミリ-は過去の争いをやめ共存共栄の精神で、いま紹介したボリビア、アフガン、東南アジア物の全てと手を結び、世界を制覇することを誓おうじゃありませんか。仲間の信頼を裏切ることは、自分達だけではなくこの新しいファミリ-の滅亡につながることになります。したがって、裏切り者は容赦なく抹殺する……これがわれわれの掟ですが異存はありませんね?」
中途半端に挙手をした男が立ち上がった。
「メキシコから来たアントニオだが、今までのファミリ-より絶対に儲かるという取り引き上の特典はあるのかね?」
 南米マフィアの質問にパゾリ-ニが応じる。
「われわれは、近代的な産業としてこの事業に乗り出しています。従来の現金引き換え取り引き方式を改め、我々はインタ-ネットを活用した新方式を打ち出しました。まず保証金を預かり、その10倍までの品を信用で出す。受注は、各国のシ-クレット・オフィスから暗号を用いてメ-ルで出すことになります。商品は全てアダルトDVDの商品ナンバ-に一ヵ月ごとにコ-ドを変えますので絶対に安全です。コカでもヘロでも各国の絶対安全な保管場所から注文の翌日には出荷しますので、最短時間で注文主の指定場所に届けることができますし、品代は現品引取り後3日以内にスイス銀行のXX口座に振込んで頂ければ結構……ちょ、いうことは入荷後2日で売りまくってから販売代金のほんの一部を払えばいいという画期的なシステムで、しかも、大卸価格は従来品より10パ-セント安となります。このことからも、ここまで遠路はるばる集まって頂いた諸君には損をさせる話ではないと思いますが、いかがですかな? 
ただし、1日でも1ドルでも代金未納があれば理由の如何を問わずにそのグル-プ全員の家族を含めて死の制裁が待っています。この鉄のル-ルだけは曲げられない……これだけは、肝に銘じて覚えておいて頂きたい」
 メキシコのアントニオが、重ねてパゾリ-ニに質問した。
「サンディエゴからメキシコシティなかけてはペル-物を扱う業者が細かい網を張っていて、オレ達が新たなマ-ケットを開くとなると争いになる。その時は?」「これからは、本部指令で周辺地域の組織の戦闘員を大挙動員して、積極的に戦争を仕掛け、ライバルの息の根を止め、旧来のネットワ-クを頂くという戦略をとるので心配は無用、ひたすらマ-ケットを広げてください」
「ドイツの一部では麻薬が公認でフリ-になったと聞いているが……?」
その問いに、パゾリ-ニが反応した。
「その通りだが、いま猛反対で抗議運動を仕掛けてる。冗談じゃない。いまフリ-にされたら相場の大暴落でわれわれの優雅な生活もこれまでだ。たしかに、いまは悪魔の薬と言われるコカやヘロも、かつては人の命を救う代表的な医薬だった。現に今でも歯科医や外科医は痛み止めにモルヒネを用いているではないか。その常習者が、やがて脳神経や細胞を冒され廃人同様になり餓鬼地獄に落ちていく、という。ならば一人一人が自覚して常習を防げば、フリ-にしてもいいという理屈になる。だが、そうはさせん。
 この薬物を違法として扱うからこそ価値があるんだ。いまは、われわれを迫害し敵役にしているが、この薬物が貧しい人々を救っているのは事実だ。もうすでに、われわれが全世界の救世主になっている。この白い薬こそが、貧しさに苦しむ世界中の庶民や、愛のない人生に悩む若者たちの心を癒す、ひとときの万能薬として幻想の世界の幸せに漬けさせてくれる……その夢のような恍惚の中で死んでいくのと、地雷で身体を吹っ飛ばされたり、交通事故で死んだり、飢えと貧しさに苦しんで首をくくったり電車に飛び込んだりするのとどっちがいい。希望のない現代に望みを失って自殺しようとする若者が、このコナと出会ってひとときの幸せを知って生きる気になったとしたら、これこそ思うツボだ。われらのビジネスも世のため人のため、地獄にような日々に生きる人々に、ひとときの平安と天国と極楽の悦楽を与え、生きている喜びをも知らしめるものとなる。これこそ魂の安らぎを与える究極の宗教ではないのか、この我々の仕事にもっと誇りを持とううじゃないか……EUの一部では、条件付きで大麻が解禁になっている。いつか、世界中の表舞台でこれが認められれば、われわれファミリ-が世界の政治をも牛耳ることになる」
スペイン人ブロ-カ-が同調した。
「そうだ、こいつは世間のヤツらが間違っている。これを、悪魔に手を貸す所業だとかいうヤカラがいるが、そう思うヤツはこのマ-ケットから去ればいい。
ヤツらは、貧困に泣くケシの栽培人やコカの精製工場に働く者、善良なるわれわれ業者までを、自分達の利益のために悪魔に組する者として糾弾するが、それは大きな間違いだ。大きな需要があるからこそ供給がある。社会がわれわれを求めているのだ!」
「そうだ、しかも儲かる!」
今度は盛大な拍手が沸いた。やはり「儲かる」の一言が効いたのだ。
 拍手が収まるのを待ってロシアの男が、サンプルの白い粉を指で舐めて純度を確かめてから発言した。
「このブツもいいが、今までのル-トとも縁が切れない。両方扱うとどうなるかね?」
「好きにすればいい。交通事故など不慮の災難が待っているだけだ」
 パゾリ-ニが忠告すると、ロシア男が怒鳴った。
「汚いやり口じゃないか。ワシは従来の北朝鮮ものにも義理があるんだ……」
「ここに集まった以上は、われわれはEUファミリ-だ。裏切りは許さん!」
「なにが裏切りだ! こんなファミリ-ならワシは抜ける」
「嫌なら抜けていいぞ」
 パゾリ-ニが、部下にあごをしゃくった。
 見張りをしていた用心棒の男達が拳銃を出して、ロシア男を狙った。 
 ロシア男も背広裏のホルダ-から素早く拳銃を抜き、その仲間とロシア男に同調する共産圏のグル-プが立ち上がって銃を構え、双方が睨み合った。
 ただ、撃ち合いをするには周囲の人数が多すぎる。フランクがなだめた。
「いまは仲間割れしている時ではない。ここは銃を収めてくれ」
 こうして、最上階の回転レストラン・ビッツグロリアでは一触即発の空気が流れ、下階のレストラン・イ-グルネストでの盗聴も、もはやこれまでとなった。
クロ-ド警視が決断した。
「よし。行くぞ! このテ-プで証拠は充分だ。映像も録画させてある」
 クロ-ド警視が立ち上がって続けた。
「現物も没収できるし、全員が麻薬売売買の現行犯だ。抵抗したら容赦なく撃て! 今日だけは全てが正当防衛だからな」
 そこで、レストラン内にいた観光客に化けた警官全員がいっせいに立ち上がった。

 

7、戦闘(1)  

 麻薬組織改革の談合は白熱していた。しかも醜い内輪もめが始まっている。
「世界平和、人類の快楽のためにも麻薬は欠かせないものだ。1958年にわずか6ヵ国でスタ-トした欧州経済連合体が、50年の歳月を経て今や27ヵ国の欧州連合に発展した。EU域内の経済パワ-はいまやアメリカをも凌ぐ巨大なマ-ケットに成長し拡大を続けている。だからこそ、われわれ欧州連合の健全な麻薬取り扱い業者が結託して、人類に悦楽と安らぎを与える麻薬を武器にして世界統一を行わねばならない……」
 これが、かってフランス大統領の座を狙ったこともあるという麻薬マフィアのボス・フランクの世界平和をと訴えるごく真面目な論理だった。しかし、そんなへ理屈が通らないのは誰もが知っている。
 だからこそ、力づくで利権獲得に有利になろうとして争うのだ。
お互いに脅しや暴力が日常茶飯の連中だけに、罵り合いは止みそうもない。
そのとき、階段の方角から銃声が響いた。会場の全員がその方角を見た。
「全員、逮捕する。動くと撃つぞ!」
 身内のトラブルで見張りの全員が、室内に気を向けたのは油断だった。
「マシンガンは何してるんだ!」
 今さら遅い。マシンガン男は葵と恵子の色香に迷って、先刻の見張り役と同じ手で、いや同じ足で急所を蹴られて倒れて縛られ虫の息で倉庫に横たわっている。
観光客を装ったフランス&スイス警察合同隊が、拳銃を手に一気に駆け上がった。
 階段口にいた男の拳銃が振り向きざまに撃ったが、下から狙ったダニエル警部の銃が一瞬早く火を噴いた。肩を射抜かれた男が拳銃を手放してもんどり打って階段を転げ落ちてゆく。階段上に現れた数人の男達が銃口を向けたときは、すでにダニエル警部に続いて躍り込んで来た機動隊や刑事たちが撃ちまくるので、仕方なくまた回転レストランに逃げ戻って応戦し激しく抵抗した。
「撃たれたくないヤツは、手を上げて出てこい! いま自首すれば刑を軽くしてやる」
 クロ-ド警視がそんな権限もないのに、口から出任せを言い彼らの動揺を誘った。
 それで、ひっ掛かって手を上げた男は、背後の仲間から、「裏切り者!」と言われて殴られて倒れた。こうなると戦いたくなくても全面戦争で戦うしかない。
 麻薬マフィア達は床にはめ込んだ角テ-ブルを力任せに無理に倒して楯にし、姿を隠して撃ちまくって来た。警察側も戦闘意欲のない麻薬の密売ブロ-カ-までは撃てない。
 そうかといって、戦闘力のあるマフィアの構成員と単なる密売ブロ-カ-の区別もつかない。ためらっているうちに狙い撃ちされてバタバタと警察側にも怪我人が出た。
 敵味方が入り乱れて銃の発射もままならず、あちこちでマフィアと警察側がもみ合ったが、80人以上の麻薬密売団と20人弱の警察側では分が悪すぎる。頼みとする機動隊はまだ財相の救出が遅れているのかまだ連絡がない。これでは全員逮捕など無理な話だ。

 

8、戦闘(2)  

 クロ-ド警視が2階に上がると、2階に上がることを禁じられていた葵も怖いもの見たさで続いた。恵子は下に残ってモニタ-の前で成り行きを見守っている。
 葵の耳元を弾丸が掠め飛ぶ。こうなると不思議に腹が座ってくる。葵は必死の思いで柱の陰からデジカメを出し、銃弾と悲鳴の乱れ飛ぶ凄惨な戦場の光景を撮りまくった。
 その葵の横手から屈強そうな男がイスを振り上げ、打ち下ろそうとした。
それを目にした瞬間、葵のしなやかな足から繰り出したスニ-カ-の靴先の一撃が男の股間を強打し卒倒させた。葵はひたすら二郎のアドバイスだけを守っているだけだが悪いことを覚えたものだ。
 だが、そうそうは同じ手は効かないものだ。人相のよくない大男が背後から葵を羽交い締めにして、葵が手足をバタつかせて必死で抵抗するにも関わらず容赦なく回転レストランの奥に引きづりこんで突き倒した。それに気づいて葵を救助しようとレストラン内に踏み込んだ機動隊員が数発の銃弾を受けて倒れたが、葵を捉えた大男もまた警察側からの射撃で倒れて呻いている。撃たれた機動隊員は、出血する頬を手で押さえながら這うようにして中央の非回転ホ-ルの部分に逃げ戻った。腹部も撃たれたが防弾チョッキで防いでいたのが何よりだった。倒れた葵を、テ-ブルの陰で座っていた男が救ってかばった。
それが草苅秘書だった。
「わたしは草苅だ。ここに潜っていなさい。顔を出すと危ないから」
 その時、警察側でも動きがあった。
 無線が鳴って、小城財相救出の一報がクロ-ド警視に届いたのだ。
「よし、15分で来るな」
 勢いづいたクロ-ド警視が年齢を感じさせない敏捷な動きで、飛び交う銃弾をものともせずに疾風のごとくレストラン内に駆け込み、そのまま倒れたテ-ブルやイスをかき分けて走り、とっさに身構えたボスのフランクの脇腹に拳銃を突きつけて叫んだ。
「フランク。もう、これまでだな!」
 フランクが余裕の表情でニヤリと笑った。
「こんなことをしていいのかね。遠来のお客さんの生命が消えるよ」
「ほう、それは誰のことかね」
「ここは取引しようじゃないか。ここを見逃せば日本の大臣を渡すが、どうだ?」
「もう大臣は救出した。今頃はパリかジュネ-ブに向かっているさ」
「なに!」
「ウソだと思うならゼフィネン・ホテルに電話してみるかね?」
 フランクが表情を変えた。しかし、大物だけに往生際もいい。大声で叫んだ。
「この場での商談は、私がサンプルを見せただけですから、皆さんには関係のないことです。サンプルをお返しいただいてこのままお引き取りください。
警察では、ここにある品はすべて、私……フランクの物と証言してください。
警察官に死傷者が出た場合は、すべて私が責任を負います。一切、皆さんには関係のないことです」
「それはダメだ。全員、そのまま動くな!」
クロ-ド警視が銃を構えて怒鳴った。だが、戦いは止まなかった。