合掌の日々
花見 正樹
5月の爽やかな風を受けて緑の樹木にも道行く人々にも活力を与えてくれます。
大型連休も終わり、レジャーを楽しんで心身ともにリフレッシュした人々は、これから新たな気持ちでスタートが切れます。
なのに、熊本地方の人々は未だに止まぬ地震の恐怖の中で毎日を過ごされています。この地震による被害はすでに死者49人、行方不明と負傷者が1、500人以上、避難者は20万人ともいわれます。この一連の地震の関連で避難のため車中泊をしていた高齢男性(86)が死亡とのこと、地震の関連死は18人、地震の余波が続く中での悲劇で、この被害はまだまだ続きそうです。
私は80歳、人の死は必然ですからいつかは必ず死ぬのは仕方ないことです。しかし、地震や津波、噴火などの災害や航空&交通事故など予期せぬ不慮の死だけは避けたいものです。それが避けられないから不慮の死なのですが、いつ死んでもいいと口では言いながらも不慮の死は望みません。それだけに全国で毎年3万人以上の交通事故死、神戸淡路大地震、サリン事件、東北北関東大地震&大津波、御嶽山噴火、熊本大地震、その他の災害や事故などで不慮の死をされた方々には手を合わせてご冥福を祈り、そのご家族には深い哀悼の意を表します。
私は今、仕事場に出た時は真正面に見える築地本願寺の本堂に向って合掌瞑目低頭しての災害死者への祈りを欠かしません。
それだけですと格好よく見えますが、実際は私のエゴもかなりあり、病死と老衰、球磨川での溺死以外の災害死は全く望みません。
心臓発作、脳溢血、これらの突然死も一応病名がありますからOK、ただただ災害と事故など不慮の死だけは嫌です。
それだけに、不慮の事項でお亡くなりになった方々の無念が無性に痛ましく日々合掌の習慣がついてしまったのです。
不幸の連鎖
テレビ、新聞、NETなどに氾濫する死亡事故のニュースには胸が痛みます。
火災事故、交通事故、海難事故、家屋倒壊、天災事故など、あらゆる事故死が予期せぬ突然の出来事です。
老衰や不治の病での死亡なら死期を悟ってからの覚悟も出来ますが、地震、火事、交通事故などの突然の死には準備も何もありません。
東北大地震での津波による多くの死者も傷ましい限りですが、一ケ月前の軽井沢でのスキーバス転落事故も悲惨でした。
大学生ばかり15人が死亡しています。
最近の交通事故は圧倒的に高齢者が多く、何となく平均寿命を超えた高齢者の事故死には同情出来ないケースもありました。
しかし、人生がこれからという孫と同年代の若者の死は、痛々しく惜しまれてなりません。
長野県警の調べでは、どうやら事故は人災らしいことが様々な角度からの検証からはっきりしてきました。
まず、時速96キロ。なぜスピードを制御できなかったのか? これではカーブは曲がり切れません。
つぎが、減速なし。ギアがニュートラルに入っていて、エンジンブレーキが利かない状況だったことが分かっています。
事故現場には、右タイヤ痕などの状況からバスが片輪走行状態となって転落した可能性があることも分かっています。
これですと場合によっては整備士の整備不良となって、運転手に罪がないという妙な結果になるケースも有り得ます。
長野県警では、運転ミスが原因との見方を強めていますが、運転手が死亡していることで完全な原因究明は難しくなっているようです。
いずれにしても、最愛のわが子を失った悲しみはいかばかりか、それを想うとこちらまで胸が痛みます。
子を持つ親として、痛いほどその心の痛切な悲しみや怒りと苦しみがビンビンと伝わってきます。
警察や行政による原因究明や再発防止の取り組みも分かりますが、一日も早く遺族への真相説明が必要かと思います。
そうでもないと、わが子を失った悲しみと憤りで、次の悲劇が連鎖する可能性があるからです。
不幸が不幸を呼ぶ・・・この不幸の連鎖は意外に多いのです。
だからこそ、そんなことのないように早い解決を祈るばかりです。
旧友の死
新春早々「曼珠沙華」投稿は気が重いのですが、この9日(日)、年賀状への返信で以前鮎釣り仲間だった旧友の死を知り、そのショックをそのまま記述します。その友人とはここ数年、賀状と暑中見舞いだけの往来でしたが昨年の10月末、秋風に誘われたように会いに来たばかりです。その時は、近所まで来たから寄ったと言い、病気の話は出ませんでしたが、奥方からの私信によると肺ガンで闘病中だったそうで、師走に入って急速に病状が悪化、手当の甲斐なく暮れの22日に逝き、家族で密葬を済ませたとのことです。
と、なると、昨年の10月末の突然の来訪は、長い付き合いのけじめとして最期の挨拶に来たことになります。
そういえば、懐かしげに数十年前に一緒に鮎狂いしていた頃の話をしていましたが、私はまだ現役で大鮎釣りを続けていますから、さほど過去に思い入れがなく親身になって相槌を打てななかったことが悔やまれてなりません。
この友人は、私との同行でお互いに大釣りをした過去を話すのですが、私には身に覚えがなく、増水で中州の河原に置いた弁当入りのリュックが流され、雨の中空腹で釣りを續けた挙句、泳いで川を渡ったことや、その友人がスズメバチに首を刺され呼吸困難になり必死で病院に運んだことなど、大釣りとは無縁なことばかり思い出すのですが、近いうちに必ず墓前でご冥福を祈って参ります。
それにしても、ここ数年、年賀状の添え書きで体調不良を訴える友人が増えつつあるのは世代的にも仕方ないことですが、何だか自分だけが元気なのも申し訳ないような気にもなります。したがって最近では、あちこちガタが来たと話を合わせてはいますが、これはいけません。何だか本当にガタが来たような気になってしまうからです。
暮れの12月某日、築地の花見サロン(13階)での忘年会当日、運悪くエレベーターの点検日になってしまい、階段から玄関へのドアーがカギ無しでは開かないのです。したがって、中途退席の友人を送るのには一階まで同行しなければなりません。降りは何ともありませんが登りは結構足に来ます。これを何回か続けましたが意外に何ともなく13階往復で足に自信がつきました。今年は積極的に階段歩きを続ける所存です。
つい先ほど、フジテレビ系情報番組でコメンテーターとして活躍していた若手ジャーナリストの竹田圭吾死の訃報をニュースで知りました。膵臓ガンでの51歳の死、あまりにも若過ぎます。元阪神タイガースでドラフト1位入団で活躍した安達選手は41歳で、これも今日の死去、さらにコアな野球ファンなら誰でも知っている広島の名スカウト、村上孝雄さんが死去したとの報もあります。北別府、緒方、前田智選手らを発掘しただけではありません。自分でも代打安打数の日本記録保持者なのです。
ひと昔前、名球会の江藤慎一氏と少年野球のボランティアをしていた頃の知人は、私がまだその世界にいると思っての知人からの報ですが、それも江藤氏の死で終わっていますので、今は野球界とは無縁、ただただ村上氏のご冥福を祈るのみです。
それにしても今日はなぜか人の死が気になる日で、昨夜の夢も葬儀・・・亡き人のご冥福を心からご祈念申し上げます。
追悼・北の湖「冥土の土産に」
・北の湖 「冥土の土産に」 花見 正樹
平成27年11月20日(金)、福岡国際センターでの大相撲九州場所のさ中、日本相撲協会・北の湖理事長が直腸ガンと多臓器不全で急逝した。奇しくもこの日、私は、北の湖と輪粉(りんこ)時代を築いた元横綱・輪島関の親しい先輩・山中氏と会食中、輪島対北の湖の熱戦の話題で盛り上がっていたところでした。山中氏は水泳の自由形でオリンピック3回、出場全種目入賞、銀メダル4個獲得しています。
輪島出身の山中氏が後輩の輪島氏と親しかっただけに、私らも当然、輪島と北の湖なら輪島を応援しましたが、北の湖が生涯で唯一負け越したのが輪島関で、北の湖からみて21勝23敗、上手投げの北の湖と下手投げの輪島ががっぷり四つでの力相撲で沸いたものです。
私はこの当時、関脇・舛田山と親しかったために北の湖対舛田山(現・千賀の浦親方)になると、見るだけでも力が入りましたが、残念ながら対北の湖戦は舛田山から見て0勝11敗、完敗でした。舛田山得意の突っ張りも叩きこみも全く相手にされませんでした。
それにしても北の湖関は強い横綱でした。
北の湖関の横綱での成績は670勝156敗で勝率は.811、すごい数字を残しています。
横綱での出場818、これも当時は歴代1位でした。
現役在位109場所、幕内在位78場所、横綱在位63場所、生涯勝ち星は951勝335敗です。
本名は小畑 敏満(おばた としみつ)。昭和28年(1953)5月16日生まれ、血液型はAB型です。
愛称は、北の怪童・不沈艦・モンスター、北海道有珠郡壮瞥町(うすぐんそうべつちょう)の出身で、8人兄弟の7番目で四男です。
中学1年の13歳で、身長173cm、体重100kg、柔道・野球・水泳・スキー全部が選手というスポーツ万能、柔道初段で北海道の地方大会では高校生を破っての優勝が中学1年生ですから誰でも驚きます。
こんな怪童の噂を聞いた三保が関部屋の親方が親を説得、墨田区立両国中学校に転校させて各界入りさせました。
同じ墨田区で花見化学を開業していた私にも、その噂はすぐに伝わっていました。
なにしろ、部屋で作ってくれた自分の弁当は最初の休み時間に食べて、昼は周囲の生徒の弁当を少しづつ巻き上げて食べ、授業中はマンガを見て昼寝、これが滅法強い相撲をとる中学生でいずれは横綱間違いなし・・・こんな噂はすぐに広まるものです。
案の定、中卒と同時に幕下に昇進、18歳で入幕、21歳で横綱の当時までの最年少スピード出世記録です。
柏戸・大鵬時代の子供が好きな「巨人、大鵬、玉子焼き」に対して、憎まれ役の「江川、ピーマン、北の湖」というのもありました。
なにしろ、北の湖があまりにも強すぎるため、結びの一番で横綱・北の湖が下位力士に圧勝したところブーイングの座布団が舞ったことがあるくらい憎まれていたのです。北の湖が観衆から憎まれた理由は、倒した相手に一切手を貸さず、さっさと勝ち名乗りを受けるふてぶてしい態度が嫌われたのです。この行動に北の湖本人は、「負けた相手から手を借りるのは屈辱だった」と述懐しています。
しかし、同じ時代の人気力士、貴ノ花・千代の富士・蔵間・舛田山?ファンから見たら、にっくき敵役だったのは間違いありません。
それでもなお、それら人気力士を容赦なく叩きつぶす北の湖の圧倒的勝負強さに魅了されるのも事実でした。
私の応援した舛田山、輪島からは敵役ですが、今でもそれなりに北の湖関の強さには敬意を表しています。
輪湖(りんこ)時代を築いた輪島との優勝は両者合わせて38回、柏鵬の37回を上回っています。
とくに、昭和50年9月から53年1月までの15場所の千秋楽結びの一番は全てが輪島対北の湖戦ですから、千秋楽の連続対戦15回、こんな記録は多分、破れないと思います。なお、今までの千秋楽結びの一番連続回数2位は白鵬対日馬富士の10回、3位は朝青龍対白鵬の7回です。
もしも、「冥土の土産に」というものがあるとしたら・・・
平成25年(2013)年5月16日に満60歳の還暦を迎えた北の湖親方は、直腸ガンの宣告を受けてからの同年6月9日に、両国国技館において赤い綱を締めての還暦土俵入りを披露しました。その時の太刀持ちは九重親方(第58代横綱千代の富士)、露払いは貴乃花親方(第65代横綱貴乃花)という豪華メンバー、それぞれが幕内以上で20回以上優勝した元大横綱ですから、冥土の土産としてよき思い出を持って黄泉の世界に旅立ち、悔いのない人生とした・・・と私は推測し、北の湖親方のご冥福を心からお祈り申し上げます。
坂本龍馬記念館・館長の死
11月3日(火)、高知県の桂浜の高知県立坂本龍馬記念の館長・森健志郎氏が73歳で逝去され、昨6日、葬儀も済みました。
森館長とは私の親しい友人で坂本龍馬研究家の小美濃清明氏の紹介で知り合い、拙著「坂本龍馬異聞」にも、「新鮮な切り口での坂本龍馬、楽しく読ませて頂きました」とコメントを頂いており、つい数日前にも小美濃氏と電話で話していたのを知っているだけに全く突然の予期せぬ死に驚き悲しむばかりです。小美濃氏は幕末史研究会会長、高知県観光大使、坂本龍馬研究会副会長の他に刀剣研究家としても知られ、前述の龍馬記念館に龍馬の差し物と同じ、土佐藩鍛冶奉行・陸奥守(むつのかみ)吉行作の刀を寄贈しています。
森氏の死因は、胸部大動脈りゅう破裂・・・血管にコブが出来て血液が滞留して破裂する症状で、早期発見が助かる道と聞いています。
森氏は、10年前に高知新聞社を定年退職後、当時の知事・橋本大三郎氏の推薦で館長に就任、龍馬の思想を現代に生かす現代龍馬学会を設立、3年後オープンの新館建築に向けて精力的に活動していただけに、その早い死が惜しまれてなりません。
人の死は必然、周囲が故人の遺志を継いで、故人の目指した目標への協力でその魂の冥福を祈るのも故人への供養と信じます。
私はとくに坂本龍馬ファンという立ち位置にはいませんが、龍馬の目指した戦争回避の大政奉還と公武合体政治、これが理想でした。
私は今、明治維新の光と影、その双方にスポットを当てて、「戊辰戦争」の大作に取り組んでいます。私の頭の中では、戊辰戦争は坂本龍馬の策した薩長連合から始まり、土方歳三の遺書を遺しての壮烈な死によって終わった、とします。
友人知人の死は悲しく切ないものですが、函館一本木で戦死した土方歳三の潔(いさぎよ)さを想って流す涙の量とは比較になりません。
愚の一念、結果を恐れず修羅の世界で義に戦って死んだ土方歳三もまた、龍馬に劣らぬ男の中の好漢(おとこ)です。
平和主義の龍馬一筋でお亡くなりになった森健志郎さんと、いつか黄泉(よみ)の世界で龍馬対歳三での対談をしましょう。
心からご冥福を祈ります。
まだ若い友人を喪いました。
私の事務所の目の前にある築地本願寺で友人の葬儀が行われました。 私が顧問になっていた警備会社元社長S氏は、数年前から体を壊し御殿場で静養していましたが、ついに力尽きました。元警視庁警部補だったS氏は、富山県の旧家に生まれ、富山県一の名門校といわれた高校を出て警視庁に就職、警部補時代に一念発起して警備会社を設立しました。 武道に自信のある警察中退者を募集、要人警護を看板にしたボディガード中心の警備会社です。仕事も順調で、私とは仕事上も相互乗り入れで、お互いに顧問契約を結び、人手が不足した時は協力し合いました。私も時々は駆り出され、警備会社の名刺と鉄板入りのカバン、伸縮自在の警棒などボディガードに必要な用具を使って何度か要人のボディガードを経験しました。おかげで小説の題材もかなり集めてあり、NETに掲載中の「アルプス秘話」は、その頃の経験を生かした小説です。 もしも興味が湧きましたら、https:/www.kaiundou.jp で「花見正樹作品集」ー>「アルプス秘話をご覧ください。 故人のS氏も、まさか私の小説の中に登場しようとは思っていなかったかも知れません。 S氏は富山県在住時代も、通夜でお会いした高校時代の友人らの話しではかなりモテたらしく、警視庁時代に会社秘書の美人と結婚、一男一女を立派に育てていますので残されたご遺族は心配ないと思いますが、何と言っても逝くのが早過ぎて、友人としても悲しく辛いことです。 築地本願寺での通夜の参列者も大勢が列を成し、翌日の本葬も格調高く厳粛で、まことに立派な葬儀でした。 S氏のご冥福に合掌、残されたご遺族のご多幸を心からお祈り申し上げます。
水辺に近づかない。
ひどいことになりました。
「関東・東北豪雨で3人の死亡確認、豪雨災害の死者は7人に」
なかには豪雨で道路が冠水したため車ごと流され、逃げ損ねてて死亡した人もいます。
ドア上まで水がくると水圧でドアは開かず、電気系統が壊れると窓ガラスも開かず、車にとじ込まれたまま浸水か水没、酸素不足も死因になります。
今回の鬼怒川決壊は専門家によると、決壊現場の水位が堤防より高くなって、あふれた水が堤防の外側の土を削ることで堤防の強度が弱まって水圧に耐えられずに決壊する「越水破堤」が起きたとのことで、いかにも自然の猛威だから仕方がないとの見解です。
東北大地震のときも同様、想定外の天災だから仕方ない・・・これが行政の基本姿勢です。
今回は、避難情報が遅れた地域があったことから、一部の住民からは行政を糾弾する動きもあるようです。
勿論、避難勧告が出ても、事態を甘く見て素直に避難しない人もかなりいます。
避難勧告を受けてからは、逃げて助かるも、逆らうか無視して被害に遭うも自己責任で決めるしかありません。
九州球磨川の激流での大鮎釣りを生き甲斐にする私の場合は、死ぬも生きるも自己責任ですから常に細心の注意は怠れません。
逆説的ですが、水難事故を防ぐには着衣のまま水辺に近づかないこと、着衣のまま泳がないこと、理由は衣服が水を含んで重くなって水中での抵抗が増え体力の消耗が激しくなって溺死の原因になるからです。衣類を身につけたまま流されたら、泳がず暴れず顔を上げて流されながら岸に近づく努力をするか、何か捕まる物を探すか大声で助けを呼ぶようにする。 水死にいたる行為に多いのは多いのは魚釣り魚捕りによる、舟の転覆や川流れで、毎年数百人がそれで命を落とします。
最近、海釣りはライフジャケットの着用が法令で義務づけられていますが、川釣りはまだそこまでの規制はありません。
水死は辛く苦しいものです。
なにしろ、水が口や鼻から呼吸器系に侵入し、肺に水がたまって気道がふさがれると呼吸が出来ませんので、苦しみながら窒息死することになります。これを水難事故での溺死といいますが、水を相当飲みますから腹が膨れて皮膚が紫色になり顔が真っ青、心臓麻痺での水死の場合は水を飲みませんからきれいな死に顔です。大鮎が掛かって激流に足を取られた瞬間に心臓麻痺・・・そんな都合よくなりません。渦巻く流れに二転三転、必死で足場を探りながら岸に近づこうと必死でもがきながら水を飲んで呼吸が出来ずに溺死・・・その手にはしっかり竿が握られ、その先にはオトリ鮎と掛かったばかりの大鮎が暴れている。そんな状況をよく夢にみます。
私は夢占いの著書もありますので、大鮎を釣り上げるのは願望達成の吉兆、溺死は風邪に注意の凶兆とみて、節制しなければ、と考えます。
まさか、その夢が現実となる「正夢」にはなるまいとは思いますが、最近、どういうわけか正夢が多いので要注意、自重します。
死は天意ですから逆らえませんが、まだ死にたくはありません。
白虎隊を悼む
今更ながらと思いつつも、戊辰戦争を書いている以上は、その報告を兼ねてあちこち墓参をしなければならない心境になります。
雨の土曜日、いつもは観光客の多いこの飯盛山には人影も少なく、ボランティアの高齢者が詠う詩吟が朗々と流れていました。
白虎隊は、会津藩が組織した16~17歳(年齢を偽った15歳も)の男子による少年隊で、このうちの二番隊の20名が、戸ノ口の戦いで敗れ、負傷者を抱えながら会津城東方の飯盛山へと落ち延びました。ここで会津城下の火災を目にして、城が墜ちたとみて疲労と空腹と刀傷や銃砲傷で絶望的だった20名は哀れにも互いに刺し合って自刃を決行します。その時、唯一人、喉を突いた飯沼貞吉のみが一命を取り留め、虫の息で倒れているところを農婦に助けられて匿われ生き延びます。
私はこの墓参は数年ぶりでしたが、何とこの墓参の翌日8月29日(日)、白河市の戊辰戦争白河の戦い記念碑除幕式でばったり、旧知の飯沼定吉翁のご子孫と会い、旧交を温めました。なお、蛇足として加えますと、記念式典後の祝賀会の円卓の私との同席者は、幕末に使節としてアメリカに渡った咸臨丸艦長・木村摂津守のご子孫、南北朝時代に創建され全国に7000社をもつ宗像神社・宗像家のご子孫、 薩摩藩主・島津家のご子孫のご内儀などこちらも旧知の仲、奇縁の多い二日間でした。
今更ながらと思いつつも、戊辰戦争を書いている以上は、その報告を兼ねて墓参をしなければならない心境になります。
雨の土曜日、いつもは観光客の多いこの飯盛山には人影も少なく、ボランティアの高齢者が詠う詩吟が朗々と流れていました。
白虎隊は、会津藩が組織した16~17歳(年齢を偽った15歳も)の男子による少年隊で、このうちの二番隊の20名が、戸ノ口の戦いで敗れ、負傷者を抱えながら会津城東方の飯盛山へと落ち延びました。ここで会津城下の火災を目にして、城が墜ちたとみて疲労と空腹と刀傷や銃砲傷で絶望的だった20名は哀れにも互いに刺し合って自刃を決行します。その時、唯一人、喉を突いた飯沼貞吉のみが一命を取り留め、虫の息で倒れているところを農婦に助けられて匿われ生き延びます。
私はこの墓参は数年ぶりでしたが、何とこの墓参の翌日8月29日(日)、白河市の戊辰戦争白河の戦い記念碑除幕式でばったり、旧知の飯沼定吉翁のご子孫と会い、旧交を温めました。なお、蛇足として加えますと、記念式典後の祝賀会の円卓の私との同席者は、幕末に使節としてアメリカに渡った咸臨丸艦長・木村摂津守のご子孫、南北朝時代に創建され全国に7000社をもつ宗像神社・宗像家のご子孫、
薩摩の藩主・島津家のご子孫のご内儀など多士済々、楽しく過ごして参りました。
M氏の早い死を悼む
暑い日が続きますが、お元気ですか?
いま残暑見舞いを書き始めたところです。
先月末に、旧事務所を引き揚げ、応接用の築地本願寺前の花見サロンに統合したのもお知らせしたいからです。
ただ、最近は年賀状、暑中見舞いを書くのが消極的になって我ながら歯がゆくてなりません。 筆不精もありますが、そのために躊躇しているのではありません。
もっと違う原因からです。
それは、ここ数年、しばらく会っていない知人の死亡が相次いでいるからです。
先日、残暑見舞いに先立って、ご無沙汰続きの友人知人に事務所移転通知を兼ねて暑中見舞いを約200枚だけ出しました。
すると危惧した通り、知人2名の御家内から「去るx月x日に・・・」と知人ご逝去を知らされています。 一人は、私と同年で元郵政警察本部室長(警部)のM氏、私が警備会社の顧問をしていた頃からの交流ですが、仕事上の付き合いが守秘義務を有する水面下であったために奥方様は、私との交流を全く知らなかったようで、すでに隠居中の元部下に聞いて私への返信を書いたとありました。勿論、我が家でもM氏を話題にしたことがありません。そのぐらい守秘義務は徹底しているのです。この契約期間も過ぎ、私の義務も終わっていますが、私がここにその内容を書くことで誰かに迷惑がかかってはいけません。したがって重要なポイントは書きませんがM室長チームと私のチームとの連携で全国津々浦々の郵便局から悪を一掃したことがあり、その殊勲者がM氏であるのは当然で、これこそM氏一生の栄誉だったはずです。M氏の作戦は過去の誰もが考えない大きな投網でした。そのM氏の部下の一人が鮎の投網をやることから,われわれは投網作戦と言いましたが、これで引っ掛からない雑魚はいません。面白いように掛かるのです。
さて、世の中の平和な人は、ごく気楽に手紙をやりとりし、その中に入学・出産・就職祝い、病気見舞いなど冠婚葬祭などのお金が毎日のようにポストに投函されています。本来なら現金書留か為替にして送らねばならないお金が、誰にも分かるまいと熨斗袋を便箋に挟んで 気軽に送ったりしています。
さて、これが北海道の果てから沖縄に送られた手紙だとします。
村の郵便局の集配人が集めて村から支局、支局から道本部を経て東京駅丸の内側の中央郵便局に集荷され地方に送られてゆきます。普通郵便ですから誰も何も調べません。ですね? ところが、ベテランの集荷&配達人、いわゆる郵便屋さんは現金の入った郵便物は百発百中見抜いているのです。これは公務のM氏と民間の私が、この作戦遂行に際して実際に試していますので全く間違いありません。
本来は現金をそのまま送ると罰せられますが、それが目的ではありませんので話を先に進めます。
局内勤務、配達業務を含めて郵便配達員も人の子、ギャンブル、お酒、女、その他もろもろでお金に窮する場合もあります。
その場合、つい魔がさして封書から現金を少しだけ抜くこともあります。しかも、一般封書で現金を送るのは犯罪ですから、少々のことでクレームはつきません。不祝儀などは相手に届かなかくても問題にされるケースは殆どありません。ところが、結婚祝いに「5万円と書いてあるけど2万円しか入ってないぞ」、あるいは送った祝儀が届いていない、など軽犯罪で罰せられるより道義と面子が掛かって大げさな争いになります。実はこんな話はゴロゴロあるのですが、たいがいは最初から2万円で、5万と「書き間違えたんだろう」となります。
こんな場合は簡単です。その郵便物の投函時間と配達推定時間が分かれば、その郵便物に関係した人物は、支局本局を含めて全て分かります。しかも日常の素行や趣味道楽・交友関係、サラ金取引の有無などつぶさに調べてありますから怪しい人物はすぐ洗い出せます。さらに発送者の使った糊を調べ、届いた封書の糊との違いも調べます。最終的には遊動尋問で自白に追い込み一件落着、そんな感じです。
しかし、M氏が考えたのはそんなケチなことではありません。私も悪乗りか意気に感じてか銀座サロンに公金を預かるための金庫を用意しました。私がここで明かせるのはここまでです。もしかすると、この手はまだM氏の後継者が続けているかも知れませんので明かせません。それでも賢明な開運村ホームページの読者なら「こうかな?」と思いついたかも知れません。そうです、それが正解です。
この一網打尽作戦を考えた頭脳明晰で行動力のあった郵政警察室長M氏のご冥福を心からご祈念申し上げます。