11月3日(火)、高知県の桂浜の高知県立坂本龍馬記念の館長・森健志郎氏が73歳で逝去され、昨6日、葬儀も済みました。
森館長とは私の親しい友人で坂本龍馬研究家の小美濃清明氏の紹介で知り合い、拙著「坂本龍馬異聞」にも、「新鮮な切り口での坂本龍馬、楽しく読ませて頂きました」とコメントを頂いており、つい数日前にも小美濃氏と電話で話していたのを知っているだけに全く突然の予期せぬ死に驚き悲しむばかりです。小美濃氏は幕末史研究会会長、高知県観光大使、坂本龍馬研究会副会長の他に刀剣研究家としても知られ、前述の龍馬記念館に龍馬の差し物と同じ、土佐藩鍛冶奉行・陸奥守(むつのかみ)吉行作の刀を寄贈しています。
森氏の死因は、胸部大動脈りゅう破裂・・・血管にコブが出来て血液が滞留して破裂する症状で、早期発見が助かる道と聞いています。
森氏は、10年前に高知新聞社を定年退職後、当時の知事・橋本大三郎氏の推薦で館長に就任、龍馬の思想を現代に生かす現代龍馬学会を設立、3年後オープンの新館建築に向けて精力的に活動していただけに、その早い死が惜しまれてなりません。
人の死は必然、周囲が故人の遺志を継いで、故人の目指した目標への協力でその魂の冥福を祈るのも故人への供養と信じます。
私はとくに坂本龍馬ファンという立ち位置にはいませんが、龍馬の目指した戦争回避の大政奉還と公武合体政治、これが理想でした。
私は今、明治維新の光と影、その双方にスポットを当てて、「戊辰戦争」の大作に取り組んでいます。私の頭の中では、戊辰戦争は坂本龍馬の策した薩長連合から始まり、土方歳三の遺書を遺しての壮烈な死によって終わった、とします。
友人知人の死は悲しく切ないものですが、函館一本木で戦死した土方歳三の潔(いさぎよ)さを想って流す涙の量とは比較になりません。
愚の一念、結果を恐れず修羅の世界で義に戦って死んだ土方歳三もまた、龍馬に劣らぬ男の中の好漢(おとこ)です。
平和主義の龍馬一筋でお亡くなりになった森健志郎さんと、いつか黄泉(よみ)の世界で龍馬対歳三での対談をしましょう。
心からご冥福を祈ります。