アリよ、安らかに。

 
 
 
 
ライオン
アリ
アリよ安らかに
「我こそは世界一!」
格闘技の世界で異才を放っていたモハメド・アリが亡くなりました。74歳、一生を戦いに捧げた人生でした。 ベトナム戦争への徴兵を拒否して世界タイトルを剥奪され、それをまた実力で奪還したこともありました。
パーキンソン病に苛まれ乍ら五輪の点火台に立った悲壮な雄姿、倒れるまで社会奉仕を續けた男の生き様、アリは正しく金メダル男です。
モハメド・アリは、百獣の王のライオンの豪快な強さと豹のような華やかで軽快な躍動感のある戦士で、恐れる者など何もないと思えたのですが、アントニオ猪木との異種格闘技戦後、「怖かった」と言った言葉が印象的で好意を持てたのを覚えています。
つい最近、6月3日(金)夜、私の好きなテレビ番組(CS/アニマル・プラネット)のドキュメンタリー映画で凄惨な惨劇シーンを見て戦慄しました。間違っているかも知れませんが、英国BBCかどこかの撮影スタッフが何年もの歳月をかけてライオン王国の生態を撮った作品ですから迫力があります。
要点だけを描写しますと、舞台はアフリカの野生動物自然公園での出来事です。多少の記憶違いはご容赦ください。
物語は、6頭の雄ライオンが自分達の王国を創る話から始まります。若い元気で強い雄ライオン兄弟の6頭は力を合わせて縄張りを広げます。中でも兄弟の末っ子(仮にTとします)が一番凶暴で、あらゆる敵に真っ向から立ち向かい6頭兄弟の無敵の進軍の先駆けを勤めます。
彼らは親から譲られた居住区に隣接する他のライオン王国を襲っては殺戮を繰り返し、約八倍にも及ぶ広大なテリトリーを得て推定110頭の雄ライオンとの死闘でそれを殺戮し、その子供ら数百頭を殺して食べ、多くのメスと豊富な狩場を得て、自分たちの子孫を残すべく奮闘します。画面は、その過程で起こる凄まじい他のライオン軍団との戦闘や獲物狩りシーンに加えて、6頭の兄弟が並んで池の水を飲むシーンなど兄弟愛の絆の強さを知らされ、観客である私も徐々にこの6頭のライオン王国に感情移入されて行くのは、自分自身が男ばかり5人兄弟で育っているだけに仕方ありません。撮影スタッフの思い入れもかなりのもので、映画の中心は当然ながら長男でリーダーのMを中心に物語は進みます。
多数の雌を従えた6頭の頑強な雄ライオンの君臨する強大なライオン王国の誕生は、過去に例を見ないことだそうです。このための被害で野性のライオンの数が激減していますが、これも成り行きで仕方ないのです。このライオン王国の確立でドラマは終わるはずでした。ところが、スタッフの予期せぬ事態が起こって撮影は続行せざるを得なくなりました。
6頭のうち一番下の弟のTが長男のMにボス争いの戦いを挑んだのです。
草原を血で染める激しい戦いの末にTは破れ、すぐ上の兄(仮にN)と二頭で、すごすごと仲間から去ってゆきます。6頭で得た広い土地の西北を下の弟二頭NとTが、東南を長男のMから四男までで分かち合います。
これがまた不思議なことにMの居住区の東南には他のライオンの居住区がなく、NとTは奇しくもM達の外堀を守る役割になっていて、どう考えても話し合いでそうなったとしか思えないのです。この分裂が何を意味するかはスタッフにも分からず、予想外の出来事にひたすらターゲットをTとMに絞ってカメラを回し続けるしかありません。
ここから起った出来事は、撮影スタッフの全く予想だにしなかったことです。
まず、スタッフの全く情報のないTとNの居住区の北側の草原に密かに5頭の若い雄ライオンの群れが育っていたのです。
その中の一頭が獲物の豊富なTとMの居住区に侵入して偵察を始めました。
雄ライオンは、自分たちの縄張りを示すために尿で木の幹にマーキングをします。そこに侵入して新たにマーキングをするのは宣戦布告に他なりません。広い土地を巡察しているNがそれを見つけて待ち伏せし、激しい戦いの後にその一頭を殺します。
それを知った北の居住区の凶暴な若い4頭が直ちに報復に殺到し、4対1の激闘が始まります。それは夜まで続き、撮影班のライトの光の輪の中で凄惨な殺戮が始まります。脚を噛まれて動けないNの背骨の折れる音や腹を食い千切られる血がしぶく光景は凄まじく、さらに凄いのは瀕死の重傷を負いながらもNが牙を剝いて敵に立ち向かう悲壮感漂う闘魂です。そのうち、遠くにいて何故これを知ったのかTが駆け寄って再び4対1の激闘になります。Tは死にかけたNの体を庇うように牙を剝き低い唸り声を上げて4頭を威嚇して鋭く噛みつき爪で応戦しますが、多勢に無勢で体中に傷を負って次第に追い立てられ戦場を離脱します。4頭の目的はNに対する報復ですからTを深追いしません。 新たな王国の4頭は、Nの喉を噛み切ってから揃って夜空に向って高らかに大きく長く勝利の咆哮を繰り返しました。
スタッフによると、これはライオンが敵から縄張りを奪った時に吠える勝どきだとのことです。
こうして、Mを中心に長い年月をかけて築いたライオン王国の半分が全く見知らぬ新興国に奪われたのです。
それだけではありません。なんと、戦いに敗れたTが兄たちの王国に戻って仲間として受け入れられたのです。
これは驚くべきことで、一度去った仲間は二度と受け入れないのがライオン社会です。しかし、ライオン寿命が最高15歳中すでに12を過ぎているMには、再びTとリーダー争いをする気力がなかったのです。他の兄弟も同様で、10歳とはいえまだまだ血気盛んなTには逆らえませんでした。Tは群れに君臨すると、当然のように王国の子供達を食い殺し始めました。当然ながら母親の雌ライオンは団結して子供を隠しますが、Tは次々と子供を探しては殺戮を繰り返し、その魔手から逃れたのはほんの数頭の雌と子ども達でした。
かくしMの王国は末弟のTに簒奪され、同時にTの縄張りを奪って隣国になった新興国との闘いに備えねばなりませんでした。
そのうち、Mの弟ライオンが一頭また一頭と姿を消しました。撮影スタッフは、隣から侵入した新参者に殺されたと見ています。これで、相手は若くて闘争心旺盛な4頭、こちらは老練とはいえ体力の衰えた高齢の2頭、勝負は戦う前から見えていました。ここは尻尾を巻いて逃げるが勝ちです。しかし、さすがに旧王国を乗っ取ったTのプライドが撤退を許しません。兄のMを差し置いて単身で自分から若い4頭に立ち向かって戦いを挑み、最期の呼吸が止まるまで戦い続け、全身の骨も肉も引き裂かれ4頭に食い荒らされてその数奇な一生を終えました。
戦いに気付いたMが戦場に駆けつけた時はすでに戦いは済んでいましたがMもまた敢然と4頭に飛びかかって激しく戦って玉砕してTと同じ運命を辿りました。
その凄惨な戦いを恐怖におののきながら望遠で撮り続けた撮影スタッフは、お互いに声もなく沈んでいました。自分たちがMの王国を撮り終えた時の感激と、それからのハプニングの大きな心のギャップを埋めることなど出来るはずもありません。私自身、身が竦む思いでこの番組をみていたのです。その翌日、撮影スタッフが現場を訪れると、ハイエナ、コヨーテ、禿げ鷲などの奪い合いで、草原の王者として君臨したMとTの兄弟の雄姿はすでに骨と皮にバラバラにされ、Tの黒いたてがみを加えて逃げ去るコヨーテが象徴的えした。
ラストシーンに、一頭の雌ライオンと数頭の子ライオンの姿がありました。撮影スタッフの推測ですが、子供は6兄弟の長男・Mの子で、Tの魔手から逃れて密かに自分達の小さな縄張りで暮らす強い母ライオンの庇護の元に育てられているらしいとのことです。と、なると、いつの日か、この子達が逞しく成長し、あの広大なMのライオン王国を占拠した新興国の雄ライオンに戦いを挑む日が来るに違いない。私はそう信じて、テレビを消して仕事に戻ったのですが何も手につきません。そこで、暫くは音楽とコーヒータイムにして気持ちを癒すことにしました。ちなみに、私の好きなスクリーン・ミュージックの中に「黒いオルフェ」もあります。今は何故か、その映画と音楽から、純粋な少年たちの憧れの的だったオルフェと、モハメド・アリの二人のイメージがピタっと重なるのを感じ、さらに、遠い地の果てから黒いたてがみを草原の風になびかせた勇壮な雄ライオンの戦闘への咆哮がかすかに聞こえて来る気配を体感じています。