追悼・蜷川幸雄さん。

マクベス
この5月12日(木)、日本を代表する演出家の蜷川幸雄(にながわゆきお)さんが都内の病院でお亡くなりになりました。死因は肺炎となっていて行年80歳、私と同い年、健康ならまだまだ活躍できた年齢だけに残念でなりません。
私の年代であれば、演出家として成功する前のテレビドラマ「事件記者」などでの地味な俳優時代を知っている人もいるはずです。
蜷川作品の芝居を初めて見たのは日生劇場での「ロミオとジュリエット」、次が「マクベス」でした。それからはシェークスピアものだけは結構観ています。
「ハムレット」「ロミオとジュリエット」などで藤原竜也が出ていたのは後で知りました。蜷川さんは藤原竜也の他にも宮沢りえ、西島隆弘、吉高由里子ら多くの役者を育てています。
蜷川さんは、現代劇から日本の古典、ギリシャ悲劇やシェイクスピア、さらにチェーホフなどの海外作品まで幅広く手がけて活躍、文化功労者、文化勲章を授与されて世界のニナガワ”と呼ばれるようになっています。
稽古では俳優に厳しく、罵声を浴びせたり靴や灰皿を投げたりしましたが、それも演出だったという説もあります。
それにしても、近年はますます奇抜で画期的な芝居が多く、「下谷万年町物語」「盲導犬」「火のようにさみしい姉がいて」「海辺のカフカ」「元禄港歌」など宮沢りえを登用した舞台が成功していたような気がします。
私は、この蜷川演出の醍醐味は「真剣勝負」にあり、その死は死力を尽くした戦いの末の壮絶な戦死とみています。
終戦を小3で迎えて餓えた少年時代を過ごした同学年の天才演出家の死は、私にも大きな刺激を遺しました。
これで得た教訓は「私も燃え尽きるまで!」、蜷川幸雄さんのご逝去に心から哀悼の意を表します。

合掌の日々

永華築地1
            合掌の日々
花見 正樹

5月の爽やかな風を受けて緑の樹木にも道行く人々にも活力を与えてくれます。
大型連休も終わり、レジャーを楽しんで心身ともにリフレッシュした人々は、これから新たな気持ちでスタートが切れます。
なのに、熊本地方の人々は未だに止まぬ地震の恐怖の中で毎日を過ごされています。この地震による被害はすでに死者49人、行方不明と負傷者が1、500人以上、避難者は20万人ともいわれます。この一連の地震の関連で避難のため車中泊をしていた高齢男性(86)が死亡とのこと、地震の関連死は18人、地震の余波が続く中での悲劇で、この被害はまだまだ続きそうです。
私は80歳、人の死は必然ですからいつかは必ず死ぬのは仕方ないことです。しかし、地震や津波、噴火などの災害や航空&交通事故など予期せぬ不慮の死だけは避けたいものです。それが避けられないから不慮の死なのですが、いつ死んでもいいと口では言いながらも不慮の死は望みません。それだけに全国で毎年3万人以上の交通事故死、神戸淡路大地震、サリン事件、東北北関東大地震&大津波、御嶽山噴火、熊本大地震、その他の災害や事故などで不慮の死をされた方々には手を合わせてご冥福を祈り、そのご家族には深い哀悼の意を表します。
私は今、仕事場に出た時は真正面に見える築地本願寺の本堂に向って合掌瞑目低頭しての災害死者への祈りを欠かしません。
それだけですと格好よく見えますが、実際は私のエゴもかなりあり、病死と老衰、球磨川での溺死以外の災害死は全く望みません。
心臓発作、脳溢血、これらの突然死も一応病名がありますからOK、ただただ災害と事故など不慮の死だけは嫌です。
それだけに、不慮の事項でお亡くなりになった方々の無念が無性に痛ましく日々合掌の習慣がついてしまったのです。