死刑を宣告されて収監された人間が生き延び、再逮捕された時、別人になっていたらどうなるか?
今回は、それが人間ではなく金魚が主人公、その運命はどうなるのか? これからが見ものです。
三重県志摩市の水族館「志摩マリンランド」で巨大金魚が見つかったというニュースには驚きました。
本来は、3センチほどの大きさで死を迎える餌用金魚が、なんと7年も逃げ延びて体長25センチ、体重360グラムの巨大金魚に育っていたのです。
以前、「獲物」という短編小説を書くために、巨大魚を人工的につくる仙台市のある研究施設を訪れて巨大金魚を見ているだけにこのニュースにはすぐ興味を持って反応しました。それにしても、祭りの夜店の金魚掬いに使われる安物で、飼育魚の餌として売られている種類の金魚です。以前、私もイワナ釣りの餌として東銀座にある淡水魚専門店から買っていましたから、なぜか身につまされます。
水族館の里中館長の談話では、この金魚は、水族館の人気魚で、アマゾン川流域に生息する世界最大の肉食淡水魚「ピラルク」のエサとして与えられた金魚の中の一匹で、「ピラルク」の水槽の排水口横の直径1センチの小さな穴に逃げ込んで脱出し、地下の浄化槽に潜伏していたそうです。その浄化槽は真っ暗闇で、潜伏7年の間に赤い色素が抜けて黄金色に輝いているとか。
どうして、こ巨大金魚が今まで発見されなかったのか?
この地下浄化槽(縦5メートル、横3メートル)は定期的に清掃しているが普段は真っ暗闇で、飼育員らは投光器を片手に作業していたため、洗浄の水流に耐えて深さ30センチしかない浄化槽の隅に身を隠していた金魚に気付かなかったのです。浄化槽の底には砂が敷きつめられていて、そこにはピラルクの水槽から栄養のいい固形エサ(金魚から変わった)の残りカスなどが流れ落ちていて食べものは豊富だったようですが、浄化槽にたまったゴミを除去する月1回程度の清掃作業で流す「逆流」と呼ぶ浄化槽の水を巻き上げて砂に溜まったゴミやピラルクの糞を外に流す水流はかなり強烈で、これを浄化槽の隅でじっと耐えていた金魚の生存意欲もかなり凄まじいものだったと考えられます。
この水族館の目玉は、世界最大の淡水魚で生きた化石で知られる古代魚「ピラルク(最大3メートル)」です。
その餌として与えられた金魚が凱旋して、その横の水槽で、善玉「黄金の巨大金魚(最大30センチ)」が悪玉「肉食魚・ピラクル」から人気を奪うのは間違いありません。
ただ、餌として他の魚に与えられ一度は殺されかけ、必死で逃げて自力で生き抜き、光もない世界で孤独に耐えた巨大金魚が、今度は同じ殺戮者の手でそこの目玉商品にされるのを潔しとするかどうか? 金魚にも武士の魂があったら何というか? こんなことを考える私がおかしいのか? 金魚の最大寿命は約20年、この巨大金魚の雌伏7年後の華やかな凱旋を横目に、私もこの鬱々とした物書きの「書きかけ未完成状態」からの脱出を図るべく「よし、生き返るぞ!」と、気合を入れたところです。
月別アーカイブ: 7月 2015
釣り人の大往生・那賀川
この1文は、以前、月刊誌「つり人」に連載していたエッセイの再掲載です。
釣り人の大往生 那賀川
「伊豆の那賀川に逝く」
花見 正樹
事件記者「熊さん」最後の舞台
かつてNHKの人気テレビ番組「事件記者」の熊さん役で親しま
れた外野村晋(とのむらしん-本名小野三郎)さんが、緑濃い樹木
に包まれた伊豆の那賀川で八十二歳の人生を閉じたのは平成六年六
月一日の午前四時、山深い清流はまだ夜の名残りをとどめていた夜
明け前のことです。多くの人々に惜しまれての人生でした。
山形県出身の外野村さんは、シャンソン歌手の芦野宏さんが会長
を務める芸能人山形県人会の副会長として会の運営を補佐してきま
した。その外野村さんは、平成二年十一月に山形市で行われた同会
の初代会長でもあった故伴淳三郎を偲ぶ会の記念誌上に、挨拶に添
えて得意の句を寄せています。
「菊晴れや アジャパア 今日の伴淳祭」
その記念誌の編集者で、会の事務局になっていた芦野事務所の責
任者でもある私の友人の藤村知弘さん(60)は、今回の取材に同行
して外野村さんを悼んでお返しの一句を詠みます。
「鮎と群れ 遊ぶや熊さん 那賀川に」
春たけなわのある日、外野村さんが逝って五年になる西伊豆那賀
川への取材の旅に出ました。大仁に立ち寄り神島橋近くに在住の、
狩野川漁協や教育委員会の仕事を歴任して伊豆の生き字引といわれ
る飯田照男さん(65)もお誘いして三人で西伊豆松崎へと向かいま
した。同行頂いた釣友の飯田さんは、地元の長岡小学校校長で教職
を去りましたが西伊豆でも教鞭をとっていたこともあり、知己も多
くどこにでも顔が利きます。
地味なバイプレ-ヤ-だった外野村さんは無類の釣り好きで、俳
優として油の乗った四十代半ばには趣味が嵩じて釣具店(小野晋平
経営・とのむら釣具店-TEL〇三-三七五七-〇二七一)を開い
ていたほどでした。子息の晋平さんも「時々は、父親と釣りに同行
したものです……」などと、藤村さんに語っています。
趣味の釣りで店を出し、好きな鮎釣りに出て逝ったその人生の幕
引きも、好きな西伊豆那賀川だったということで、ご遺族の方には
申し訳ありませんが、やはり「大往生」だったと思います。
その藤村さん、飯田さんと連れ立って西伊豆に向かうと、ちょう
ど桜の季節で、河津川の桜が満開で車が大渋滞でした。私達も海側
の土産屋の駐車場に車を入れ、飲み物片手にしばしお花見散策とし
ゃれました。それからまた移動です。
現場は、花とロマンの里・松崎町の国道一三六号線を宮野前橋か
ら那賀川を桜並木沿いに山路を数キロ上った大沢温泉地区です。
緑に包まれた渓相のいい川ですが、二日前に降った大雨でかなり
の増水があったとかで底石はきれいに洗われています。まもなく鮎
の季節で小鮎がキラキラと姿を見せていました。
川ヤナギの古木が岸辺から大きく枝を張って清流を覆っている対
岸が外野村さん終焉の地でした。
外野村さんは、この那賀川をこよなく愛していて十年ほどこの川
で鮎の解禁を迎えていた様子です。この年の解禁日前夜も親しい釣
り仲間と四人で定宿の民宿「こんや」(渡辺雄市・はつえ御夫妻経
営・TEL〇五五八-四三-〇一〇六)に泊まっています。宿の切
り盛りをする渡辺はつえさんもしんみりと懐かしみます。
「夫(雄市さん)がこの川に合った鮎の仕掛けなどを教えると素直
にそれを真似て準備していましたし、言葉少ない人でしたが冗談も
けっこう言ってましたですよ」
松崎町民宿組合連合会の会長(99年現在)として松崎温泉郷約一
八〇軒の民宿をを束ねる渡辺雄市さんも残念がります。
「鮎釣りは上手とは言えんが、とにかく釣りが好きで負けず嫌いな
ところもあり、釣りの話になると夢中でしたよ。うちに二日ほど泊
まってあまり釣れないと仲間を誘って河津川に移動して、また二日
ほど遊んで帰ったということでしたな」
鮎釣り人にとって解禁前の夜ぐらい時間の経過が遅く感じる日は
なく、多少のお酒では眠れません。午前三時、外野村さんも軽く仮
眠をとった状態で仲間と宿を出たといいます。川はまだ闇に包まれ
ている時間です。那賀川は宿のすぐ前の道を隔てた至近距離にあり
、明るくなってからでも竿は出せますが、いい苔の付いた一等地に
入るには夜の内に場所決めをしておきたいのは当然です。
外野村さん達四人は二手に別れて、懐中電灯の光を頼りに明るい
内に狙いを定めていた何カ所かの好場所を見てまわり、先客の有無
を確かめました。そして、午前四時近くなった頃、外野村さんは友
人と二人で、前述の川ヤナギの古木の下から対岸に渡ることにしま
した。対岸に腰を下ろせるほどの大石が三つほど辺地の流れに頭を
大きく出していて、その前の流心の深みに黒光りした大石が流れに
沿って沈んでいたようです。
外野村さんは、友人の肩を借りて川を渡り始めました。水深は四
〇センチほどですが流れは見た目より速く、苔の付いた底石はよく
滑りますので、オトリ函や背負い籠などのフル装備などではバラン
スを崩しやすく油断をすると足をとられます。
あとわずかで対岸という位置で友人が足を滑らせ外野村さんも一
緒に水中に倒れました。あわてて態勢を立て直した友人がすぐ外野
村さんを助け起こしましたが、その時、外野村さんの身体からはす
でに力が抜けていたそうです。友人は声をかけながら必死で岸に寄
り、外野村さんを抱き抱えたまま水辺の岩に腰を下ろし、懐中電灯
を対岸の道路側に大きく振りながら声を限りに叫び続けて救いを求
めました。錯乱した中での対策としてはせいいっぱいだったと思い
ます。その辺りにいる釣り人の目にには当然、その電灯の光は見え
ていたはずです。ところが、その光の輪は、居場所を知らせる仲間
への合図としか思われなかったようです。やがて、その懐中電灯に
気づいた人がいます。上流で新居屋という民宿(現在は廃業)を開
いていて、当時漁協(那賀川非出漁業共同組合)の副会長でもあっ
た依田猪佐美さんが、知り合いの若者と土手の上に立っていて、そ
の光の輪をおかしいと思ったそうです。
とりあえず様子を見ようと急いで駆けつけ依田さんは、その友人
の口から緊急事態であることを知らされ、仲間を集めて川から二人
を助け上げると、すぐ警察に通報しました。
しかし、外野村さんの呼吸はすでになく、救急車に乗せられたと
きも腕がだらんとしていたそうで、警察官が来たときにはすでに死
亡していたといいます。検視の結果、死因は急性心不全と判明して
います。おだやかな表情だったそうです。
外野村さんが、仲間とよく食事をしたという同地の食事どころ「
鮎の茶屋」(山本真墨経営・民宿TEL〇五五八-四三-〇二八二
)を訪ねてみました。大自然の仙境と素朴で静かな山間の茶屋と、
大輪の花が咲いたような真墨さんの明るさに外野村さんは惹かれた
のかも知れません。町役場の観光課に勤める真墨さんの夫の一司さ
んが仕留めた天城の猪の肉やイワナの塩焼き、山菜料理などを食し
ながら冷えたビ-ルを飲んでいると、外野村さんが通った奥伊豆の
豊かな旅情が伝わってきます。
「おとなしい方でしたが、フッと冗談を言ったりして……」
真墨さんが言い、外野村さんの色紙を持って来ました。
「ほどほどに釣れ ほどほど酔ひて鮎の宿」と、あります。
俳句好きで趣味も多く、テレビの熊さん役で顔の知られた外野村
さんですから、友人も沢山います。
東京釣具博物館(TEL〇三-五六八八-八八六〇水土開館)の
常見保彦館長は、
「外野村さんの鮎は、おだやかで静かな釣りでしたなあ」
週刊新潮の墓碑銘の一文に、趣味で釣りもやる作家で「事件記者
」の原作者・島田一男さんも次のようにコメントしています。
「外野村さんは、黙々と川に対して品性のある釣り方でした」
その文中によると、外野村さんと親しかった本誌発行元の「つり
人社」前社長の小口修平さんも言います。
「一番好きなことをやってる最中に死ねたのだから、幸せだったん
じゃないか。今頃は三途の川で釣りをしてるでしょう」
前述の芦野宏さんは、故人を惜しんで振り返り、
「外野村さんは、山形県人気質そのままの地味で気骨のある俳優さ
んでしたね。イベントの時には清川虹子さんを誘ってくれたり、会
(芸能人山形県人会)の運営では、いつも私を助けて裏方に徹して
くれました。俳優としても人間としても立派なバイプレ-ヤ-でし
たね。毎年、夏になると県人会の集まりがあるんですが、いつも酒
杯を傾けながら、おだやかな口調で鮎釣りの楽しみを披露されたも
のです。ご本人を失ったことも悲しいことですが、尺鮎の自慢話を
語ることもなくお亡くなりになって、多分、本人にとってもそれだ
けが心残りだったのではないでしょうか……」
展望風呂のフレ-ズに惹かれて私達が泊まった、「ヴィラ扇」(
細田栄作さん経営・TELO五五八-四二-一三六七)は”静思・
再生の宿・旅先で過ごす贅沢なコ-ヒ-タイム”などのキャッチコ
ピ-を持つ宿で、玄関を入ると、洋風のレストランにでも来たかの
ような錯覚を感じます。父親の細田義也さんが民宿のご主人とも思
えない博学の話好きであるのに比べて、経営を任された息子の栄作
さんはハンマ-投げで鍛えた体躯からは想像できないような細やか
な気配りの持ち主で寡黙、本格的にコ-ヒ-の豆を挽きます。
料理上手の栄作さんは、一級小型船舶操縦士、特殊無線技師など
の資格を持ち地元のヨットクラブの事務局を引き受ける海の男で、
これからは本格的なフランス料理をお客に提供したいという夢を持
つと聞きます。さすがに西伊豆、変わった民宿もあるものです。ぜ
ひ、立ち寄ってみてください。
取材を終えた私達は、飯田さんの案内で、浄感寺の長八記念館、
重文の岩科学校をはじめ象牙博物館などに寄り、飯田さん宅で書道
家で大正琴にも長じる奥様の手料理を堪能して帰途につきました。
それでも、鮎の季節にまだ早く、鮎にも対面せずに帰った西伊豆の
旅……やはりチョッピリ未練は残ります。
愛する那賀川の解禁を楽しみに、ほとんど眠らずに夜明けを待っ
た外野村さんの心情も、「野鮎を一尾だけでも掛けたかった」のが
本音ではないか、と、無念さを感じるのです。そこで、ふと、この
文の本当のタイトルは「少し未練の残る大往生!」かな?という思
いに駆られました。
外野村晋さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。
ここのところ、日本の世界遺産登録が続きました。
国際的な賛否両論で揉めてまで、という思いもありますが、とりあえず無事に登録出来たことを素直に喜んでいます。
ところで、それ以上に最近の国際ニュースで気になっていることがあります。
遠い他国の出来事と気にされない人が殆どですが、注意してみると驚くに違いありません。
それは、女性や子供を脅して強制的に行う自爆テロの増加です。
つい先日、イスラム過激派のボコ・ハラムが7歳の女児を使っての自爆テロで5人死亡・・・この事件は悲惨です。この子が自分から望んで犠牲になったとはとても思えません。世の中には理不尽で常識も倫理観も法律も通じない世界があって矛盾に満ちています。
昨11日(土)のニュースでも、タイ南部で爆弾テロや放火などで8か所で事件が発生、16人がケガや死亡と報じています。さらに、エジプト・カイロのイタリア領事館前で、自動車に仕掛けられた爆弾が爆発して11人が死傷しています。
つい先日も、ナイジェリア北東部のモスク(イスラム教礼拝所)付近で、2人の少女に装着された爆弾が爆発して約30人が死亡、多数のけが人が出ています。これは、イスラム過激派の犯行による自爆テロとみられています。
国連児童基金(ユニセフ)の5月末の報告書によると、今年5カ月間で確認された自爆テロは約30件で、その4分の3の事件が、女性や子どもの体に爆弾を巻き付けての自爆テロですから哀れです。
その女性と子供による一連の犯行は、6月22日、チャドの爆弾テロで23人死亡。6月4日、過激派ボコ・ハラムの犯行で市場で爆発、50人が死亡・・・いくらでも惨劇は続いています。
これからみれば日本は確かに平和です。しかし、油断はなりません。
少年少女の苛めが原因での死が、一向になくなっていないのです。
今回も相変わらずの責任逃れ苛め死が続いていて、腹立たしくてなりません。
こんな記事を見ました。
「岩手中2、いじめ自殺。少年の母、憤りと悔しさ訴え「ここまでひどいいじめとは…」「学校は『言うな』と箝口令」・・・
ことの発端はこの7月6日(月)、岩手県矢巾町(やはばちょう)の中学2年生・少年A(13)が列車に飛び込んで自殺したことから始まります。その死が苛めとみられる問題で、その母親(44)と学校側、教育委員会、マスコミ、それぞれ意見が分かれます。
<矢巾中2自殺>「もうイヤだ」悩み綴って3カ月写真 河北新報 10時5分
<岩手中2自殺>優しい子、奪われた笑顔…父いじめ解明誓う写真 毎日新聞 9時0分
<1年時も「いじめ」訴え、学校は報告せず 岩手中2死亡 朝日新聞デジタル 5時45分
<いじめ訴え、1年時も 学校、教委に伝えず 中2死亡有料 朝日新聞デジタル 5時40分
<いじめ訴え、昨春からノートに…岩手中2自殺 読売新聞 11日(土)16時52分
<岩手中2自殺 少年の母、憤りと悔しさ訴え「ここまでひどいとは」「学校は『言うな』と箝口令」産経新聞 7月11日(土)18時59分
<矢巾中2自殺>文科相が教委に徹底調査要求 河北新報 7月11日(土)10時45分 .
<いじめ訴え、昨春からノートに…岩手中2自殺 読売新聞 7月11日(土)16時52分 .
<中2死亡「手さしのべられず、心からおわび」町教育長 朝日新聞デジタル 7月10日(金)21時57分 ..
<岩手・中2死亡 町教育長「事実上いじめ一因」「心よりおわび」 産経新聞 7月11日(土)7時55分 .
ここまでの記事は見つかりましたが、まだ学校側からの正式コメントはありません。今回の事件も、過去の数多くの苛め問題と本質は何ら変わるものではありません。学校の体質はどこも同じで、生徒の命より世間的な学校の体面や校長の名誉、気弱な担任教師を庇うことに必死なのです。
これが、全国のどこかで繰り返し行われていて、一向に是正される気配はありません。
どんな事件でもて、時がたてば忘れられ、いつかまた繰り返される、これが悲しい現実です。
私はかつて婦人公論(中央公論社)での連載執筆で苛めや自殺問題を書いていました。
年配の人ならご存知の、次男が父親をなぐり殺した「金属バット殺人事件」のあの時代です。あの事件は、一流大学ら一流企業のエリート兄に比して、両親に蔑まれる落ちこぼれ二浪次男のやりきれない矛先があの事件でした。
せめて、母親だけでも「大学だけが人生じゃない」ことを身をもって教えられたら、あの事件はありませんでした。
でも、しか、たら、この三つの言葉は愚痴に過ぎませんが、それを学ぶことで自戒に役立っているような気もします。
5年前の夏、少年Aの両親は何らかの事情で離婚しました。
少年Aの姉は母が、少年Aと妹二人は父親に引き取られて東京で暮らし始めました。しかし、おばあちゃん子だった少年Aは、母より「祖母が心配」と、岩手に戻ることになります。
そして5年後のこの事件です。
事件を知って東京から駆け付けた少年Aの父親は、当然ながら別れた妻を責め、警察に行き真相究明を訴えました。
少年Aの母親は、「こんな時だけ現れて!」と、子供の死の悲しみを怒りに変えて元夫を責めます。
多分、これから先は責任のなすり合いで泥仕合を続けることでしょう。
残された少年Aのノートには、同級生からの暴力や悪口に苦悩していたことや、担任の先生には何度いじめを訴えても解決までの努力をしてもらえない苛立ち、部活で所属していたバレー部の先生にも相談したこと、そのバレー部の生徒からも苛めを受けていたことなどが書いてあるそうです。そして自殺する5時間前、NET上に自殺をほのめかすコメントを遺して駅のホームから列車に飛び込みました。
もしも、この世の中の因縁に興味がある人がいたら、この少年Aの住む町は、私が小説の舞台にと考えて何度も足繁く通った縄文遺跡の多い山間の町で、「ちゃぐちゃぐ馬っ子祭り」の町といえば納得される人もいるはずです。しかも、この事件の起きる1時間前、この町から盛岡市内の某テレビ局に通う親しい局長と、私の出演番組に関しての局内移動人事などで電話で話していたところです。
それだからこそ、この事件の成り行きが少々気がかりになっています。