バレンタインデー
小学生の孫からチョコのプレゼント、嬉しい出来事です。
今日、14日は土曜日、恒例の山口放送ラジオで当然ながらキャスターからは、バレンタインデーの話題が出ます。
私はせいぜい孫からの贈り物で逃げたいところですが、あれこれ話題が盛り上がって私の締めの挨拶に入ります。
「さて、今日から一週間共通の一言は、チョコの効果は気にしない・・・上げても貰ってもチョコの話題はこれで終わり!」
インフルエンザが下火になったら、杉の木の花粉シーズンがやってきますね。
これも、かなり厄介なものです。私の築地サロンでは、花粉除去機を購入して24時間稼働にしました。おかげで来客から好評です。
最近、周囲の親しい友人知人で体調不良を訴える人が多く、何だか医者知らずの私が肩身が狭い思いをしています。
2月3日(火)深夜、100歳の母が心不全で呼吸困難になり、救急車で近所の済生会病院に緊急入院しました。
100歳を超えていると弟達も達観していて「万が一のことがあっても仕方ないよ」ともう誰もが諦めています。
すぐ、医師に呼ばれ「心臓に水が溜まっているが手術は体力的に無理、高齢でもあり、いつ発作が起きるか分かりません。お気の毒ですが万が一を考えて・・・」で、”死亡しても病院に責任はありません”のような内容の書類にサインして印鑑を押します。またまた酸素吸入と点滴、タンが絡んだ荒い息で死んだような表情、いつ心臓が止まってもおかしくない状態であるのは間違いありません。私が母の最期を覚悟して捺印したのは、これで3度目、もう慣れっこです。医師の助言もあって弟達には「病院に見舞いに」と連絡して、一目だけでも生前に顔を見せてやろうとの兄心です。
ところが、昼間、私が築地の事務所で仕事中、すぐ下の弟、といっても10歳違いの弟からの電話です。
「いま夫婦で病院に来たけど、死にそうもないんだけど」
なんだか怪訝な様子で、いかにも私と医師が結託して大げさに騒いでいるのではないか? との不信感がありありです。
「変だな?」、たしかに前の晩に見た時は死にそうだったのです。
さっそく、その夜、仕事を終えてから病院に駆けつけると、母は死んだような表情で目を閉じ、酸素吸入のマスクが外されています。
とうとう医師も諦めたのか、こう思って母の手を握ってみると、まだ手が温かいのです。
「まだ生きてる」、何だかホッとしたところで母が目を開けて私を見つめて口を開きました。
(遺言かも?)、心構えは出来ていますが、やはり緊張します。
「この部屋はテレビはないのかえ?」
これが第一声です。とんでもないことです。救急車で運ばれて死ぬの生きるのの患者が言うべき言葉ではありません。第一、緊急患者専門の部屋を用意してくれた病院の皆様に失礼です。思わず「シッ!」と口を塞ごうとしましたが、それで窒息死したら私が高い塀に囲まれた鉄格子入りの狭い部屋に入院しなければなりません。長い介護生活ですから、この場の処方箋も心得ています。すぐ病院の売店に行って週刊誌を買い求めて手渡すと、それで大人しく本を少し読んで満足したように眠りにつきました。
ただ、ナースセンターに挨拶して帰るとき、週刊誌を与えたことを言い忘れてしまいました。
翌日の夜、寄ったら週刊誌は忘れ物として保存されていました。
母の生態を知らない看護師は、まさか瀕死の重病人が”週刊誌を読む”など考えてもみなかったと思います。
こうして週刊誌は無事に母の手に戻ったのですが、また事件です。仕事中の私に病院から電話があり、母が死ぬか生きるかという表情で荒い息をしながら「トイレに歩いて行く」と言い張るのだそうです。家でも、デイサービスから宿泊まで世話になる地元施設でもそうでしたから仕方ありません。看護師が運んでくる車付きのオマルやおむつでは無理なのは分かりきっています。母は死ぬまで人間の最低限の尊厳を守りきろうとしているのです。もっとも、それを習慣づけたのは介護無知の私ですから罪は私にあります。
なにしろ、病院のマニュアル通りに患者に接している生真面目な白衣の天使も、この死に損ないの重病人にはかなり手こずっている様子が窺えます。なにしろ、ぜいぜい酸素吸入をしながら苦しそうに手をあげるから、看護師が慌ててマスクを外して耳を口元に当てると母が虫の息でこう言ったそうです。
「そろそろお迎えですか? いつごろですかね?」
これこそ、看護師泣かせの悪い冗談なのですが、本人は全く気にもしていないのです。
こんなことが続いて悪い予感がします。
案の定、12日(金)の昼間、病院から緊急の呼び出しです。
「とうとう母のご臨終か・・・」
3人いる弟達は、私にゲタを預けた5年前から母の死に対する免疫は出来ていて、何を言っても驚きません。
それでいて母105歳の誕生祝の会場として幸手市の温泉施設の大広間をすでに仮予約しているのも弟達ですから呆れます。これだと何としても105歳までは私が必死で生かさねばなりません。もっとも、これだけ先のことだと温泉施設でも解約したからといって違約金を寄こせとは言わないはずです。しかし、私としては違約金を取ると言ってくれれば、その僅かな違約金惜しさに母親の延命を必死に考える、というケチの理屈が成り立つのです。
それが、突然の病院からの呼び出しで105歳の夢がフイになる・・・ともあれ、来客一人を断って病院に駆けつけました。
相談室に集まってたのは主治医、介護婦長、担当介護士など5名ほど、どなたも真剣な表情です。
いきなり、主治医が口を開きました。
「本日は退院の相談です」
やはり? 死期が近いから畳の上で?
これは、5年前に私が千葉県松戸市の病院に入院していた母に使った手です。
当時、母の危篤を伝えられて親族が集まり、病院でも臨終近しとの宣告を受けた時です。
母を我が家の畳の上で看取りたい、その一心で死に体の母を車に乗せて帰って来たのがそもそもの発端です。
早世した兄に代わって7年間、母の面倒を看てくれた兄嫁もギブアップしていて私が母を引き取るのを黙認してくれました。
その時の要介護度5が、今は要介護度1、そんな母を今回の病院と医師は見捨てませんでした。
「これを見てください」
レントゲン写真を見ると、心臓の30%を占めていた水の影が、なんと10%ほどに減っているのです。その医師が打った手がドンピシャリ成功した事例です。医師は、手術は無理だから利尿剤の服用と、飲み水1日500CC以下、「これを続けました」とのことです。
食事も平常の半分ほどまでに回復しているし、リハビリに歩かせてみたら、よく歩いたそうです。
早速、出入りの施設に連絡をとったところ、部屋の準備が出来次第連絡するからデイサービスなしの「入居に切り替えます」、との親しいケアマネの助言です。やはり、年齢からみて医療と介護の24時間体制が必要だから・・・が、その理由です。
”雨降って,地固まる”、なんだか今回の母親の入院騒ぎは、私に大きな時間をプレゼントしてくれたようです。
おりしも今日は聖バレンタインデー、母親からの嬉しい贈り物のような気がします。