平成の悔い、令和への覚悟


平成の悔い、令和への覚悟

花見 正樹

いよいよあと数日で年号が代わります。
 気分一新、過去は過去として今後が楽しみ、新しい時代の流れに乗って何ができるか、これからが楽しみです。
と、ひとまず気合を入れて令和の時代を迎えます。
ただ、時代の流れに乘れない場合はどうするか? これも考えてみました。
最近、とくに時の流れが高齢者の私には少々速すぎるように感じます。脳学者は、高齢になると時間の流れを早く感じるのは、脳に与える刺激が少ないからだ、と言います。しかし、私は意識して刺戟を増やしているつもりですが、それでも一週間、一ケ月、1年があっという間に過ぎてしまいます。まったく「光陰矢のごとく、何もかも成り難し」です。
そこで、私は思いつきました。老化現象で記憶力が減って、あれもこれも片っ端から忘れてゆくから時間の経過が早く感じるのではないか? そう考えると全てが納得、自分の頭脳のマイナス現象が時を速めていたのですから自業自得です。
それでも、個人の思惑などに関係なく時は進み、平成から令和へと時代は着々と移り行き、新旧入れ替えの世代交代も着実に粛々と進みます。これが世の倣いとは知りつつも、老兵は消え去るのみ、とは悟りきれずに儚い抵抗を試みる所存です。
私は平成時代入りを50代前期の働き盛りの最盛期で迎えました。 当時は図に乗っていて思慮も浅く、そこから20年もあれば、自分の目標は全て達成できると信じていました。ところが今、平成の終末を目前にして、我が身のあまりの不甲斐なさに気づき愕然として身が竦む思いで立ち竦むだけ、成すすべもありません。
このままでは死ぬに死ねない・・・とはいえ、老いは着実に肉体を衰えさせ気力を萎えさせます。
その肉体衰えを、て、精神の高揚が辛うじて老化の前に壁となって立ち塞がっていている気配です。その自分のこころはまた一方では残酷で、己の不甲斐なさに容赦なく鞭打って咤激励し、我が身を奮い立たすべく追い詰めます。
私は家人との約束で、「忙しい」「疲れた」「時間がない」を一切、口にしない約束をしています。それは、私の生活の全てが趣味道楽の類であり、誰に頼まれたものでもなく、自分が好きでやっている事象ばかりだからです。
それらに関わっている友人知人親しい身内は一様に「時間をつくれ」と忠告してくれますが、では何を削ればいいのか? それを考えて無駄時間の断捨離を考えると、他人の目からみる私の日常と、私の考える時間づくりでは、理解できないほどの大きな隔たりがあることに気づきました。私の周囲の誰もが、本人自身は別として考えますので、それを個々に照らし合わせると切り捨てるものなど何一つありはしないのです。

かなり、私と親しい友人が、ある時にふと、「釣りは時間のむだ使いの最たるもの」と喝破したことがあります。そう言われると一言もありません。まったく空と樹木に囲まれて流れる水に身を浸けて、たかが鮎ごときに自分の大切な時間を奪われているのです。それもガキ時代から数えて70年以上、かつては四季を通して海や川に通った日々を入れると、人生の数分の1の時間は、魚に奪われていたのです。その対象は正月のタナゴ釣りに始まって、寒バヤ、寒ブナ、イワナ、ヤマメ、オイカワ、キス、鯉,クロダイ、メジナ、鮎、セイゴ、スズキ、ナマズ、雷魚など、自分が手にした獲物がなおさら憎く思えてきます。こうなれば、その恨みを晴らすべく、令和の時代になっても大アユ釣りに怒りをぶつけるのが当然、これで釣りはやめられなくなりました。
しかも、現在の私の下手な大アユ釣りは晩夏の一週間だけ、たいした問題ではありません。
この程度の枝葉末端の時間をカットしたところで、大作が書ける道理もありません。しかも、今の私には、人に会ったり、人の世話をしたりする無駄な時間が大切に思えて仕方ないのです。しかも、「私に「もっと上手に時間を作れば」と忠告してくれる友人知人ほど私の時間を共有し食い潰しているのです。
そこでまたふと気づきました。私はいままでは有言不実行で、プレッシャーを感じ恥を搔いて参りましたが、令和に入ったら、不言実行、仕事は水面下で行ない、人には結果だけ知って頂く、これで自分らしく生きられます。
ここでようやく結論が出ました。
怠けず奢らず語らず欲張らず焦らず、「穏やかに日々を過ごす」、これが私の令和に向けての覚悟です、
宜しくお願いします。

勝ち組、負け組


勝ち組、負け組

 大相撲は千秋楽を迎えて横綱白鵬が圧倒的な気力と意地を見せて全勝優勝、大阪場所は幕を閉じました。
同じ大阪ながら、甲子園では、春の選抜高校野球の熱戦が始まり、早くも悲喜こもごものドラマが生まれています。
勝つも負けるも紙一重、甲子園には魔女が潜んでいるらしく、圧倒的な強さで県大会を制した強豪チームが、初回の一つのエラーで浮足立っての大量失点、まさかと思われるような負け方で甲子園を去ってゆくのも残酷無無慈悲な魔女の仕業・・・実力差ではないのです。
そこでふと、己れの人生を省みて、男はいつも魔女に操られて生きていることに気付きます。
いまさら、山の神と魔女が同一人物と名指しはしませんが、魔女は男どもの周囲にうじゃうじゃといt隙あればエラーを誘い大量失点に結びつけようと虎視眈々と爪を研ぎ牙を磨いて機を狙っているような気がします。
それでも私はいま何とか高齢化社会の一員として無事なのは・・・と、ここでまた気付くのです。私は情けないことに、魔女にも相手にされなかったからこうして無事に生きてこられたのです。そう思うとチョッピリ淋しい気もしますが、ここまで来たら贅沢な悩みと思われますから、魔女とはつかず離れずの関係で、と言い直して魔女の呪縛だけはご勘弁いただくことにします。
相撲でも野球でも勝者の輝きは当然ですが、敗者の口惜し涙も輝いて見えることがあります。
これは、人生も同様です。
きっちりとした勝敗のケジメはありませんが、こうして老いの目で周囲を見渡すと男社会の勝ち組と負け組の区分けはとっくについているにも関らず、過去の勲章をブラ下げて虚勢を張って老残の身を晒している友人知人に気付き、自分もその仲間であることに気づいて愕然とします。しかも私には職業的な勲章すら何もないのです。
私には孫が6人いて、桜が芽吹くこの季節になるとさまざまなドラマが生まれます。
今年も、息子の長女が中学卒業=高校受験の孫娘がいて、ハラハラしましたが無事に志望校に入学、これで一安心です。
かと思えば、長女の次女がハワイで挙式、孫の動向に右往左往しまくっています。
と、今のところ、孫に関しては勝ち組、勝手な自己評価ですが・・・

苦難を乗り越えて


苦難を乗り越えて

 この週末、朝晩は寒い日が続くとはいえ猫の額ほどの我が家の庭の遅咲きの梅がようやく花開いてほぼ三分咲き、早速メジロのツガイが蜜を求めて現れました。次はウグイス、と心弾ませてカーテンの隙間からガラス戸越しに見ていると、なんと急降下で現れたのは図体の大きいオナガのツガイ、その脅しの声を背に二羽のメジロは羽音も忙しく飛び去ってしまいました。
今年は梅の実を収穫したら蜂蜜で漬けて、食べ頃になったら築地サロンに持ち込み、梅好きの来客に食して頂く予定です。
ところで、この開運村も開村してほぼ十年、ようやく花開く春を迎えて賑やかさを増しています。
開運村のホームページは、バラックづくりの家がまばらに建つ貧しい過疎地の寒村から始まって、移民の受け入れが良策だったのか、いまはちょっとした観光地の様相を呈して定住者も続々と数を増しています。
思えばこの約10年間、コツコツと地道に村の発展に尽くした甲斐あって、今や千客万来の盛況となっています。
それもこれも、これまで私を支えてくださった開運村HPへの来訪者の皆様、HPにご寄稿くださる講師の皆様のお陰です。
それに加えて、新たに掲載コーナーを開設された大原裕美講師、菜月講師、芹洋子顧問兼講師、3人それぞれが個性豊かですから、開運村がますます発展するのは間違いありません。
前記3人の共通点は、3人それぞれが驚くような苦難を乗り越えて今日の盛栄があるという事実です。
大原講師は現役のアナウンサー時代に過労と家庭的な事情でウツになり、職を辞して2年間の闘病生活の後、苦難を乗り越えてアナウンサーとして復帰し、見事な活躍を見せています。
菜月さんは少女時代に両親の離婚という不幸な出来事に見舞われ、自分は母方、弟は父方と家族が離散、父にひきとられた弟は父の都合で幼くして児童養護施設に預けられます。それを伝え聞いた菜月姉ちゃんは、母に泣きついて、弟が一人では可哀そうだからと、自分から望んでその施設に入って弟の面倒を見て育ちます。その艱難辛苦を乗り越えて定時制高校を卒業後、天性の美貌と語学や立ち居振る舞いやマナーに磨きをかけて、23歳でミス日本、24歳でミス・インターナショナル日本代表、世界69ケ国代表と覇を競って世界5位、25歳で開運道講師の道を選んで、人を幸せに導く「開運道アドバイザー」として活躍中です。
歌手の芹洋子さんは、子供の頃からマスコミび登場している国民的歌手として知らぬもののない国民的歌手で、代表的な「四季の歌」は海外でも広く歌われている名曲です。その芹さんは、今から26年前に交通事故で頭に重傷を負って危篤状態に陥り、生死の境を彷徨って生還し、記憶喪失という最悪の状態から立ち直って歌手としてカムバック、高齢とは思えぬ若さを保って美声の歌姫を続けています。
かくの如く、苦難を乗り越え、逆境をプラスに変えた3人の異才を迎え、従来の身近なお弟子さん達に囲まれた私としては、平均寿命を超えたから引退などと言ってもいられません。老骨にムチ打ってでも、開運村を皆様の集う「NET上のパワースポット」として更なる発展を目指すことに頭を切り替えました。

水ぬるむ春近し・・・


水ぬるむ春近し、されど心躍らず。

立春が過ぎても寒さは一段と厳しさを増しています。
それでも気象庁の予想では、この週明けにも関東地方には春一番が訪れるようです。
となれば、水ぬるむ季節の到来も間もなく、以前の私なら胸のときめく季節でした。
それは、3月1日が待ちに待った渓流の解禁日、源流のヤマメ、イワナを求めて前夜から山に入る楽しみがあったからです。
渓流釣りの相棒は栃木県鹿沼地方の漁協幹部で私と同年のF氏、夏になると鮎のオトリ屋も始めるという川魚好きのこの地一番の豪農の主でした。表現が過去形なのは、このF氏が糖尿病の合併症で急死、すでに八年になるからです。
以後八年、私は渓流釣りを中断して九州球磨川の大鮎釣りだけに釣り人生の全てを賭けています。
思い起こせば小学生の頃から釣り好きの父親のお伴で海、川、池と片っ端から釣り歩きました。ただ、当時の住居が千葉県市川市だったこともあり、市内の釣り会に入っても渓流釣りがありません。
夏は五井や木更津周辺の河口近くの川で小鮎の餌釣り、房総半島丘陵地帯の養老渓谷で清流の川魚を楽しむ程度でした。
それが、十代の終盤に登山に凝って週末になると山歩きの日々でした。そこで、山奥の源流に泳ぐイワナやヤマメを散見して渓流釣りも登山の楽しみに組み込んだのですが、登山より渓流釣りのほうが面白くて沢登りに転向、何度も滝つぼに転落しました。
その後、沢登りも引退し、渓流釣りと鮎釣りのダブルヘッダー、8年前から鮎だけの楽しみになりました。
もっとも私の場合は季節に関係なく春めいた気分でいますから、つねに心は弾んでいます。
これが若さの秘訣・・・残念ながらそれは自信がありません。年相応に無駄な年輪を重ねているだけの今日この頃、いまさら反省しても仕方ない、と諦めか悟りかはんぜんとしないまま今日という日も過ぎてゆきます。

隠居仲間の求める人生の目的は?


隠居仲間の求める人生の目的は?

 私が住む埼玉県久喜市にも2月9日(土)の朝から夜半までハラハラと少量の粉雪が舞いました。路面には積もるほどではありませんが家々や野天駐車の車の屋根にはほぼ2センチほどの積雪を見ましたが10日(日)の午前中には跡形もなく消えました。
先週、この欄で、相変わらず同じ言葉の繰り返しですが、私の三大生き甲斐は、もの書き、弟子育て、大鮎釣りで変わらないが、今年は力の入れ方の配分が少々変わったことを報告しました。
すると、長らく疎遠で最近また付き合いが戻った友人から、「人生の目的変更ですかな?」との突っ込みメールが届きました。
その友人は私より少々若いのに何事にも舌鋒鋭く論理的、何を言っても反論され論破されるので、何となく面倒になって、私は君子でもないのに「危うきに近寄らず」とごく自然に縁遠くなり年賀状のやりとりだけになっていたのです。
このメールにはまだ返信をしていません。ここで一言でも反論すれば、虎視眈々と狙い撃ちをと身構えている相手の罠にまんまと引っかかって、暫くはメール交換に明け暮れた過去の愚を再現するからです。
したがって、ここは穏便にこの一文を相手にも読ませて、立ち合いの肩すかしで空を泳がせ、相手の力みを利用して土俵の外に弾き出して完勝を狙う作戦と、手の内を明かした上で私の『人生の目的』について応じることにしました。
もちろん反論を受け付ける気はありませんから、メールは無駄とご承知おきください。
私の人生の目的は、いつもの口癖に出る『三大生き甲斐』ではありません。
臨終に際して「楽しかった、有難う」、この気持ちで人生の幕引きをと願うだけです。
死は不慮の災難や心臓発作や脳梗塞などで突然訪れることもありますが、この私の一念は変わりません。
昨年も一昨年も、昨日も今日も、多分明日も将来といつでも、「楽しかった、有難う」なのです。
前述の友人(多分、この一文にも目を通されていると思いますが)と疎遠になった経緯も思い出しました。
以前は、同じ話を耳にタコが出来ても聞き続ける余裕があったのに、私も高齢化して気が短くなって相槌うちの米つきバッタになり切れなくなったのです。私には一流企業の重役などという輝かしい過去はありませんから、いかに華々しく国際社会で活躍したかを語られても返事のしようがありませんから、ただただ頷くか感心するだけですが、最近はそれにも飽きました。
前述の友人がその典型でしたが、ある日、ふと私に質問を振ったのです。
「最近、成すこともなく、人生に退屈してるんだが、なにかいい手はないだろうか?」
ここでつい、「なにか趣味を」とか平凡なことを答えて失笑を買い、一方的な妙な論争に巻き込まれた記憶があります。
相手は墨絵や書道、和歌にも通じ、大手広告代理店の管理職の現役時代には海外で活躍した強者ですから、何でも出来るはずですが、確かに何もせずに都民限定高齢者優待パスを利用して毎日バスや都営地下鉄を利用してデパートの無料画展巡りや友人の事務所めぐりなどしかしないのは確か、これに「新たな趣味を」は釈迦に説法でした。多分、相手の求めているのは、仏教でいう『悟り』の世界ではないかとも推察できて、悟りとは縁遠い雑駁な日々に追われている自分とは別世界に生きている友人の存在に気付いたのです。
そう思って周囲の隠居仲間を見まわすと、大半の友人が企業戦士の一員として活躍した経歴の持ち主で、功成り名遂げた過去について語り合うことで悠々自適の日々を過ごし、人生の目的について語り合って結論のない論争を楽しんでいます。
ここでふと気づきました。私の隠居仲間の人生の目的は、学歴、職歴、戦果を含めて「過去を語り会える仲間探し」ではないか、と。そうなると、そこで対等に渉りあえる経歴の主は限られますので、その目的もまた意義のあるものに思えてきます。
そう考えて周囲を見回すと、隠居仲間の夫々が海千山千の企業戦士出身で、今は既に生活に余裕があっての無為無職、あくせく働く理由など何もないからこそぶらぶら出来るのです。
これでは、私のように「楽しかった、有難う」では単純すぎて人生の目的という深淵からはほど遠くなり、隠居仲間の大半が求める、永遠にエンドレスでなければ意味がない人生の目的論戦に参加する資格もないのも無理はありません。
そこで、この一文に目を通すであろう友人に一言、私の非を詫びて「どうぞ、仲間と語り合うことを人生の目的に」、これで幕引きとさせて頂き、論争で損なう時間さえなければ、いつでも熱い珈琲と冷えたビールぐらいの用意は・・・といつもの自分に戻って、またあくせくと自分の仕事に戻るのです。

立春に誓う


立春に誓う・・・と自分自身にハッパを仕掛けて!

花見 正樹

さあ、待ちに待った立春です。
本年の2月4日は正真正銘の立春で、旧暦の正月節といい、占いではこの日が1年のスタート日になります。
この日は、暦でいう24節気の一つで、天文学でみると太陽の黄経が315度のときで、冬至と春分の中間です。例年、殆どの年が2月4日がこの日になりますが、太陽の運行によって稀に立春が5日になったりする例外もありますが、占いでは平均節入り日として4日をスタートとしています。
冬至は1年で昼間が一番短い日で、春分は昼と夜の長さが同じ日、そのど真ん中が立春で、冬至からは1/8年(約45.66日)後になります。
旧暦では1年の始まりが立春ですから、暦上の様々な節目の行事や八十八夜や二百十日などはこの日を起点に数えます。
中国では、この日を「立春大吉」として家の玄関の両側に、願い事を書いた紙を貼ったりしますが、日本でもこの日に「立春大吉」の御札を出す禅宗のお寺さんがあると聞いたことがあります。
我が家の立春の最初の行午前0時を期して、居間の隅の柱上部に、神社から頂いて来た「一陽来福」の逆円錐形のお札を本年の恵方「東東南」に向けて貼ることです。
これは占いを業とする私は全く無関心なのですが、二番目と三番目の末娘のどちらかが持ち込んで来るので、毎年の行事になっています。ま、おかげで無病息災、今年も元気で皆さんのお役に立てるように頑張ります。
 開運村もこの日から一年が始まり、新た仲間の参加を得てますます発展、これからが楽しみです。
私個人としては、気学同会法でみて東北の艮宮入りで、意識改革と環境改善で前向きに前進する年です。
私の三大生き甲斐は、もの書き、弟子育て、大鮎釣りで変わりませんが力の配分が小々変わります。
弟子育ては新たな弟子はとらずに後継者育成を重点に、大鮎釣りはマグレ狙い、エネルギーの大半をもの書きに注ぎます。
もちろん、新たに計画中の開運村友の会(仮称)には全力投入、きっと皆様に喜んで頂けることをお約束します。

新年会の報告です。


 大相撲初場所は、初土俵以来無休の通算1151回目という34歳の関脇・玉鷲が人気力士の遠藤を破って、史上2番目の年長力士の初Vとなり、大きな拍手を浴びていました。遅咲きの桜は美しいといわれますから私ももう少々仕事を続けます。
私はいつも築地の事務所兼サロンから埼玉県の北の果てにある自宅への帰路に着くのは午後10時近くですが、1月の下旬までは地下鉄日比谷線の築地駅周辺は、いつも新年会崩れの酔客で賑わっていて歩道を塞いでいることもありました。
そこでふと考えました。
 以前の開運道サロンの新年会や忘年会は、私の隠居仲間主体でしたから男の高齢者ばかり集ってわいわいガヤガヤ、もっぱら飲むのと昔話に花を咲かせるだけでした。大声で語る内容は毎回同じ内容の自慢話で、誰も聞いていなくても喋るだけ喋らないと参加した意義がありませんから、とにかく喋ります。喋っていない時は飲むか食べるかしていますから口は常時動いていることになります。私はもっぱら聞き役ですから、頷きコックリで会がお開きになっても数日は首が痛い状態が続きます。本当ですよ。

そこで近年は、開運村のホームページを手伝って頂いている年齢不詳の才女などにも参加して頂くようにしたのですが、今度はもっと華やかなスタッフの投入をと考えました。


開運村の村長(花見)、副村長(小林)、事務局長(宗像)が喪中にも拘わらず開運村関係者の新年会ですから、お目出度いのは間違いありません。出来れば開運村関係者に揃って参加してほしいものです。
ところが築地の開運道サロンにはイスが16しかありません。これでは主要メンバーだけでも入り切りません。
 そこで、仕方なく新年会としては型破りの入れ替え制新年会で決行することにしました。
ここまで書くと当然、疑問が出るはずです。それならどこか会場を借りたら? 当然の疑問です。

そう思われるのはご尤もですが、そうもいかない事情があるのです。

開運道サロンでは日頃からお酒の出ない朝カフェやランチ会は5百円、お酒飲み放題のワイン会は千円会費という決まりです。しかも頂き物のお酒類は山口放送寄贈の獺祭の大吟醸(たまたま)なども含めて在庫豊富ですから会場を移そうなどと文句を言う者は一人もいません。そんな状況の中での忘年会で懲りたことがあります。いつも通りに来たい人が集まればいいよ思って始めた忘年会に、狭いワンルームいっぱい27人も集まってしまい、仕方なく寿司や飲み物満載のテーブルを部屋の隅に追いやっての立食パーティ―、疲れますから隠居のイス取り合戦が始まります。これに懲りての入れ替え制新年会、これが大成功でした。
 1月16日(水)、13時~14時50分、15時10分~18時、18時30分~21時30分と3交替、入れ替え制ですが、当然ながら飲み会にも参加したいのが人情ですから、2部には立ち見が二人(一人は私)、何とか窓際の出っ張りに座れました。
以前、人数が多すぎて立食パーティーにしたところ、高齢者の多い会ですから壁際のイスの取り合いで懲りたからです。
今回は、歌手の芹洋子顧問や、2016ミス日本の菜月講師(2017世界5位)、現役アナウンサーの大原裕美講師などなど今後の開運村に貢献して頂ける方々の参加で、四季の歌大合唱などで大いに盛り上がりました。

その一部だけですが写真を載せます。これからの開運村の発展を楽しみに、次のカフェ会には是非ご参加ください。
芹洋子さんを囲んでの日帰りコンサートツアーも計画中、近いうちに「お知らせ欄」で予定を発表します。

有終の美の難しさ


有終の美の難しさ

 横綱稀勢の里が大相撲初場所2日目の14日(月)、平幕逸ノ城の叩きこみに敗れて連敗し、ついに先場所からの通算で横綱ワーストタイの7連敗、もうこれ以上の醜態を見るのは辛すぎます。勝負の世界に同情は禁物とはしりながらも、この落日が日馬富士の半ば計画的な衝突打撃による怪我から始まっただけに残念でなりません。当人の無念さ悔しさは想像以上のはずです。
例えその怪我は完治したとしても勝負カンも実力も戻らないからこその連敗ですからもう引退以外に道はありません。
勝者もいつかは滅びます。その有終の美を飾れるかどうかで人生の勝者と敗者は大きく変わります。
今からどの時点で引退しても稀勢の里には悲劇の横綱という負のレッテルが貼られ、それは永久に消えません。
力士としては最高位の横綱まで昇り詰めたのですから大成功なのに、その成功には誰も目を向けません。
これは、どの世界でも同じで、頂点に立ったものは、失速して凋落する前に、手際よく引退出来ればいいのですが勝負の世界は勝ち逃げが許されません。ボクシングを例にとれば理解しやすいと思いますが、全盛期には無敵でKO勝利を重ねて世界チャンピオンになったとしても、ほんの少し力が落ちただけで上り調子の挑戦者に容赦なく叩きのめされて引退してゆくのです。
人の幸不幸も同じこと、今日の幸せも永遠には続きません。今を精一杯に生きる。これ以外に何もありません。
マラソンランナーは途中でいくら苦しい表情で走っていても、全力走行でゴールに駆け込むラストランではどの選手も個性丸出しのいい表情を見せています。
稀勢の里も心機一転、一つでも白星を挙げたら即引退、これで周囲も納得で敗者の汚名は帳消しになります。
と、他人事のように言いつつもそろそろ自分も終活期、有終の美を飾るにはもうひと頑張り、この欲が命取りかも知れません。

謹賀新年   花見正樹


 謹賀新年
本年も宜しくお願いします。
2019年は「八白土星・己亥(つちのとい)」年、万人共通の吉方位「恵方・あき
のかた」は「東東北・東の北寄り)」です。
本年の「八白土星」は動かざる山を表わし、山の色が四季夫々変化するように改革
改善も意味します。
したがって本年は、我慢強く努力して改革改善を成功させた人に幸運の女神が微笑み
ます。
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つぎに、2019年を幸せに過ごす風水の極意を三つ上げます。です。
1、仕事・対人運を良くかするには玄関をきれいに鏡を置くか絵を飾る。
2、愛情・家庭運を良くするにはキッチンをきれいに火伏札を貼る。
3、金運・財運を良くするにはバス・トイレをきれいにし照明を明るめにする。
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本年は12支でいうと亥(い)年で、亥年生まれは大吉、亥と相性のいい卯年と未年
生まれが「三合の吉」で大吉です。その12支を1月を丑月、2月を寅月というように
12ケ月を12支でみた生まれ月別の今年1年間の運勢です。

 1月生まれ〇中吉
「仕事も趣味にも本気で打ち込む」
ツキのあるのは5月
ラッキ-アイテムは「文庫本」
ラッキ-カラーは「ブラウン」
金運◎大吉 仕事運□小吉 愛情運〇中吉 健康運△注意

2月生まれ○中吉
「仕事も大事だが健康第一で万全」
ツキのあるのは12月、
ラッキ-アイテムは「ミステリー」、
ラッキ-カラーは「メロングリーン」
金運〇中吉 仕事運◎大吉 愛情運□小吉 健康運△注意

3月生まれ□小吉
「積極行動が功を奏して結果よし」
ツキのあるのは12月
ラッキ-アイテムは「手帳」
ラッキーカラーは「グリーン」
金運□小吉 仕事運△注意 愛情運◎大吉 健康運◎大吉

4月生まれ◎大吉
「よき相棒に恵まれて公私共順調」
ツキのあるのは5月
ラッキ-アイテムは「料理雑誌」
ラッキ-カラーは「シルバー」
金運□小吉 仕事運◎大吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉

5月生まれ○中吉
「身内に喜び事が重なり自分にも」
ツキのあるのは10月
ラッキ-アイテムは「美容雑誌」、
ラッキ-カラーは「ローズ色」
金運〇中吉 仕事運〇中吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉

6月生まれ△注意
「高望みせず安全策で地道に行動」
ツキのあるのは2月
ラッキ-アイテムは「筆記具」
ラッキーカラーは「レッド」
金運◎大吉 仕事運〇中吉 愛情運□小吉 健康情△注意

7月生まれ〇中吉
「小さな努力の積み重ねで大成功」
ツキのあるのは 8月
ラッキ-アイテムは「地図」、
ラッキーカラーは「クリーム色」
金運□小吉 仕事運◎大吉 愛情運〇中吉 健康運◎大吉

8月生まれ◎大吉
「奉仕の精神で働いた結果が大吉」
ツキのあるのは1月
ラッキ-アイテムは「電子辞書」
ラッキ-カラーは「オレンジ色」
金運◎大吉 仕事運〇中吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉

9月生まれ□小吉
「マスコミ情報を活用して益あり」
ツキのあるのは2月
ラッキ-アイテムは「辞典」、
ラッキ-カラーは「ゴールド」
金運△注意 仕事運□小吉 愛情運〇中吉 健康運◎大吉

10月生まれ〇中吉
「公私共NET活用でプラス多し」
ツキのあるのは3月
ラッキ-アイテムは「楽譜」
ラッキ-カラーは「ブルー」
金運◎大吉 仕事運△注意 愛情運〇中吉 健康運□小吉

11月生まれ〇中吉
「何事も有言実行で信頼が深まる」
ツキのあるのは12月
ラッキ-アイテムは「時代小説」、
ラッキ-カラーは「グレー」
金運〇中吉 仕事運□小吉 愛情運◎大吉 健康運△注意
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12月生まれ◎大吉です。
「余裕が出来れば旅行の楽しみも」
ツキのあるのは 5月
ラッキ-アイテムは「週刊誌」、
ラッキ-カラーは「ホワイト」
金運〇中吉 仕事運◎大吉 愛情運◎大吉 健康運〇中吉
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では、本年一年お元気でお過ごしください。

開運道主宰・花見 正樹

新しい仲間です。


素敵な仲間を紹介します!

 先週、村長の一言が抜けたところ、HP常連さんからお叱りメールを受けました。今か今かと日に7回も開運村を訪ねたのに、とのことです。
謝罪返信はしましたが、村長がサボっては村の活気に影響するのは当然、皆様、平にお許しください。
それにしても光陰矢の如し、楽しかりき82歳の青春もアッと叫ぶ間もなく年の瀬で、来春5日で83歳、公約の百歳までまだ17年もありまだまだ人生を楽しめます。ただ、急流日本一の球磨川の激流にどこまで耐えられるのか、こればかりは神のみぞ知るで自分では予測がつきません。毎年の抱負で申し上げる通り、私の三大生き甲斐は、”もの書き、弟子育て、大鮎釣り”ですから、球磨川に入れなくなったら生き甲斐の一つが失せることになります。
あと二つの生き甲斐のうち、”もの書き”は、このコーナーで「来年から本腰を入れる」と宣言した通りです。
残る”弟子育て”ですが、ちょっとしたエピソードがあります。少し時間の余裕が欲しいので暫く弟子をとらない方針だったのですが、在る時、実直で真剣な申し入れに負けて「オマケ」と断って弟子入りを許した人がいます。
幼稚園に勤めていると聞き、名刺も貰ったのですが目が悪いので名刺の字は見ませんでした。受講態度もよく学習も熱心で将来は立派な占術家になると思って教えてはいましたが、幼稚園の先生にしては妙に華やかなオーラがあるので気にしたら、授業中に米沢新聞の社長らが来訪、珈琲を前にその弟子と名刺交換、その3人の驚きの様子と会話で、初めて私は弟子の正体を知ったのです。
先ほど、招福の舘担当のアナウンサー・大原裕美講師の掲載文を受けて、私の代わりに、その弟子を新たな開運村仲間の筒井菜月(2016ミス日本、2017ミスインターナショナル5位)次期講師として紹介していましたので、私はそれには触れません。これからも幼稚園の先生として弟子として育てるのが師匠としての役割と感じています。もっとも弟子ですから、お茶も淹れますし台所もきれいにしてくれて、嬉しく便利なこともありますが。
そこで、私はもう一人の素敵な仲間を紹介させて頂きます。
四季の歌、坊がつる讃歌などで国際的歌手として活躍されている芹洋子さんです。
今回、芹さんの開運道講師への仲間入りを報告させて頂きます。

私は昔、作詩をしていた時期もあり、私の詩で芹さんがレコーディングしたこともある仲でしたが、故人となられた元芹プロダクション社長のI氏と、年齢差のある二人の結婚に迷っていた頃の相談がマスコミに洩れたことで私が疑われて口論となり、それから疎遠だったのです。ところが、芹さんは、私が新居の土地探しまで手伝っていたのに、それらを全く夫から聞かされていなかったそうです。なんだか疎遠になる必要もなかったこともこれで分かりました。
こうして、ごく自然な交流復活ですが、開運村の仲間入りは、皆さんにも歓迎して頂けるものと安心して紹介させて頂きました。

(注)写真は左から花見、芹さん、芹さんのマネージャーでご長女のアミさんです。