九州から戻りました。


 お元気ですか?
私が楽しみにしていた一週間の九州の鮎旅も、降り続く雨の中で終わりました。
 それにして、連日、ゲリラ豪雨に見舞われてビショ濡れでした。川は増水して水底のコケも少なく、縄張りを持つ野鮎も極端に少ないだけ

に釣り人の姿も見掛けません。それでも、時々は何を血迷ったかオトリに襲い掛かってきてハリ掛かりする運の悪い鮎もいるから止められな

いのです。1日、2時間ほどの釣りですから釣果はさっぱりです。それでも観光を含めて充分に英気を養ってきました。
「おどま盆きり盆きり盆からおらんど・・・」
 あの哀しい調べで知られる五木の子守歌の里、五木村もすっかり様変わりしていました。
 私が五木ダム反対の先鋒を務めてのドキュメント「巨大ダムは要らない!」で取材に訪れた五木村は、川辺川の畔の狭い地域に村役場や駐

車場や学校などギュウギュウ詰めの状態で、民家も庭の少ない見るからに貧しい家ばかりでした。
 その五木村が今や補償金で潤って高台に移動、近代的で快適な文化村に大変身、目を見張るばかりです。
 ダム反対運動で一致団結した村人でしたが、補償金に1億円という一生かかっても稼ぎ切れないニンジンを鼻先にぶら下げられてあは断る

者もいません。皆さん一律に「右に倣え」でダム賛成に寝返ったのです。
 ともあれ、ダム反対は県民の声でしたので工事は中止されました。
 その工事の余波が木を倒し崖を削った天罰としての川の汚れです。
 かつては四万十川支流の仁淀川、日光連山から流れ落ちる大芦川と並ぶ清流だった川辺川は今や雨が降ると土色の濁流です。
 今回も球磨川との合流点に入り、球磨川はまだ鮎が釣れる水色なのに川辺川はドブ濁り、その汚れの差に唖然としました。
 これから先、また行政とゼネコンの癒着でダム工事再開か、工事の全面撤退での後始末かで大仕事を仕掛けるのも読めます。
 貧しさから豊かさに変わった五木村からは暫く目が離せません。それと、五木村には美味しい蕎麦屋がありました。

薩摩藩の財政を取材しました。


 お元気ですか?
 今回は、戊辰戦争・薩摩藩取材で鹿児島入りし霧島神社にも詣でて参りました。
 この神社のある霧島高原は薩摩藩の湯治場としてもよく知られています。坂本龍馬も、ここで寺田屋で捕吏と戦って斬られた手の傷を癒しています。
 時間の都合で温泉は入りませんでしたが取材の目的は達しました。
 財政ひっ迫の貧乏藩として知られた薩摩藩が、莫大な軍資金を必要とした戊辰戦争に突入したのか? その謎を解くべく訪れた今回の旅でやっとその資金源を突き止めたのです。薩摩藩の財政は、鹿児島市内福山の豪商・厚地次郎右衛門および浜崎太平次、この二人の豪商が藩の財政を支えていたという噂を、厚地家のご子孫に会って確かめたのです。戦争に必要な武器弾薬、兵隊集め、兵糧などお金がないと何もかもが不可能です。なんと、厚地家には藩主島津斉興公自身が自ら足を運んで頭を下げ、金策を手伝わせたのです。
厚地家は、藩主公認で密貿易をして莫大な利益を上げ、その多くを藩に拠出しています。
 厚地家は、黒砂糖の一手売買、綿の流通、藩士相手の金融事業なども行っていました。
 とくに、厚地家が出費元だった福山酢には藩も全面的に関与して、金融政策と産業発展の同時進行で大きな利を上げています。さらに、酢の原材料となる米の生産奨励、黒酢生産に必要なカメの製造、これらに藩が介入して戊辰戦争の資金作りに励んだようです。
 従来の説ですと、薩摩藩の筆頭財政責任者の調所広郷(ずしょひろさと)は、精製前の綿を買い占めて、相場が高騰したところで市場に出して大儲けをして軍資金の一部にしていたとされていますが、それはほんの一部です。
 さまざまな取材で、これを確信した今回の旅でした。
 で、いまは高速バスで移動して、熊本県球磨郡の山の中、球磨川の鮎宿で球磨焼酎を飲んでいます。 

崖下の家


お元気ですか?
 記録的な豪雨による広島県内の土砂災害は多くの死・行方不明者を出して、その被害は未だに拡大し続けています。被害に遇われた方々には
ただただ哀悼の意を表し心からのお悔みお見舞いを申し上げます。私は広島の隣県である山口県のKRY山口放送で出演中だけに、今回の豪雨は気になって仕方ありません。自分の番組のラジオでもキャスターとの最初の会話は、まず天候と各地の被害状況からです。それによっては知人への災害見舞い電話やメールを急がねばなりません。
 今朝の情報では、雨は止んでるとのことで一安心、これで救出活動が再開できます。テレビに映し出された安佐南地区の被害現場を見ますと、山のすぐ下に新築の家屋が沢山並んでいて、これ以上、豪雨が続いたら山の地盤が緩んでいるだけに土石流の幅が広がってまだまだ被害が出る可能性があ
るのは一目瞭然です。山から離れた平地に住む人は、なぜ山の下に家を建てるのか不思議かも知れませんが、先祖代々山と共存して生活する人にとっては何の問題もないのです。
 この山の下の家のテレビ画面を見て、私は瞬間的に奈良県吉野の山の中腹の長い歴史のある屋敷を思い出しました。そこは、私の尊敬する人の一人である福西さんという人間国宝級の和紙づくりの名人の家で、つい先日訃報に接して大切な人を一人づつ失ってゆく悲しみを身に沁みて感じているところでした。仕事は優秀な息子さんが継いでいますので心配はありませんが、南朝保存会などの昔話が聞けなくなるのも寂しく、それも心を痛める一因になっています。
 以前、東京の某デパートで江戸文化展の折り、吉野葛を用いた和紙の制作実演をされた折り、たまたま同名の小説(吉野葛・川端康成)を愛読していて和紙に興味があるという女優の左幸子(故人)さんを引き合わせたこともあり、左さんと吉野の福西家にお邪魔する約束でしたが、
これも残念ながら左さんの早逝で実現できずに立ち消えになりました。
 この福西屋敷横に湧き出る石清水を一升瓶に保存すると、その水は1年過ぎても2年過ぎても淀みも水苔もなく透明なままなのです。飲んで
みると美味、やや酸性でミネラルは豊富な山の水そのものです。こんな素晴らしい水と吉野の山で育てた葛を用いて透いた和紙だからこそ、手
触り、書き味のよさ、和紙の温もりが生まれるのです。
 この福西邸の北側は垂直に近い山が迫っています。いわば、屋根の上は山の崖なのです。だからといって、この家でいくら山災害の恐ろしさを語って移転を勧めても無駄です。跡を継いだ息子さんも腹の座った方ですから、多分、言葉も親譲りです。
「我が家の歴史は、この山と共に生きてますので動く気はありません」
日本全国には多くの山を背にした家屋があります。でも、いつ訪れるか知れない災害のために転居する勇気と余裕はなかなかあるものではありません。せめて、一刻も早く災害を予知して避難勧告を出し、人命だけでも失うことのないような公的災害予防システムの完備を提言して警鐘とします。

100歳の可能性


お元気ですか?
またもや西日本への集中豪雨の週末で新幹線も一時不通、九州、四国、中部地区では洪水による被害や土砂災害での家屋倒壊などで死者も出て
います。このブログで連載中の小説の舞台になる京都府綾部市も由良川という暴れ川をもつだけに福知山市の惨憺たる状態をテレビニュースで
知って、知人も多いだけに心配でなりません。
 由良川は日頃はおとなしい清流で美味しい鮎が獲れる川でも知られていますが、護岸が低いこともあって豪雨になると荒れ狂ったように激流
が渦を巻いて小石まじりの濁流で沿岸を襲います。
 それにしても今年の気象は以上です。例年の8月の雨量をたった一日二日でオーバーしてしまいます。 これから本格的な台風シーズンに入るとどうなるか?
 早く異常気象が終息してこれ以上の被害が出ないことを祈るばかりです。私自身はもう今年の大鮎釣りはなかば諦めかけています。これでは日本三大激流の一つ、九州球磨川の大鮎釣りも無理です。竿も仕掛けも用意して手ぐすねひいて待ってはいても水量は減らず、一度下流に流された鮎は、餌になるコケをも流されて上流に戻る体力を失っているからです。以前にも同様の年がありました。いくつかの台風が収まって川がようやく落ち着いたところで、大鮎がいるとの情報で出かけたところ、たしかに30センチ近い大鮎は釣れるのですが、痩せこけて身もぶよぶよ食べても美味しくなかったのを記憶しています。
 清流の大岩を縄張りに、岩に付着した新鮮なコケをたっぷり食べて精悍かつ丸々と太った28センチ以上の大鮎こそが、激流釣りを楽しみに
1年を待つ私たちの闘う相手なのに、その鮎がいない年もあるのです。
 こんな年が1年あると、自分の寿命が3年も4年も知事待ったような落胆感で仕事にも熱が入らなくなります。
 趣味=大鮎釣り=生き甲斐=仕事=健康=寿命、単純明快な方程式で、このリズムの狂いはそのまま実生活に反映するのは過去の生活習慣から
割り出しても明らかです。
 高校野球の熱戦を見ても上の空、執筆生活にも大きく影響しています。ところで先週の日曜日、母の100歳祝いのパーティが無事に開催で
きました。豪雨の中での地元の温泉施設でのお祝い会でしたが、終了時には雨もやみ、身内ばかりの参加者約40名は大満足の一日でした。
 元気で杖なしでの100歳・・・近くて遠いのか? 遠くて近いのか? 今年、大鮎が釣れるようだと100歳も可能な気はしますが・・・
 では、暑さ厳しき折、くれぐれもお体を大切に・・・

母が100歳!


お元気ですか?
 台風11号が接近中の10日(日)、我が家は大イベントです。母がこの日、満100歳の誕生日を迎えるのです。
 男ばかりの兄弟5人(兄は他界で現在は4人)の身内40人余が集まって、近くの温泉でお祝い会を開きます。こじんまりと、のつもりが、会場側が母の名入りの祝100歳のタレ幕を用意するとか母の郷里からも身内の参加とか徐々にこじんまりさが消えつつあり、大ケーキや花束、ビンゴの景品が山ほど運ばれて来たり、どうなることか主催者の私としては嬉しい心配も浮かんでは消えています。
 それにしても、兄の死に落胆した母親が狭心症で倒れて以来、入院生活の挙句、医者にも見放されて冥界入り寸前に我が家に来て5年、要介護度5の酸素吸入点滴生活から、要介護度1の杖なしでも歩ける(見栄もあります)状態の今、誰もが奇跡といいます。新聞や週刊誌は読むし、針に糸を通して縫い物をしたり、いや、して見せるのです。デイサービスでのお出かけもおシャレになりました。
 私自身は仕事も何もかも捨てるつもりで共同生活はしていますが、けげんな顔の市役所の職員の質問にも答えようがありません。
 元文芸春秋社社長の知人が出版を勧めるのですが、これは無理です。苦労談はありませんから、目次も本文もまとまりません。
 本は白紙、私の執筆は一行で終わりです。
「ほったらかし・・・」
 これ以外に表現のしようがありません。もちろん、動けない本人に代わってあれこれ身の回りの世話はしますが、母の意志に反することはせず、したいようにする・・・結果的には「お節介なしのほったらかし」で、これが良かったような気がします。
 母の尊厳を傷つけない・・・これ以外には考えたこともありません。母はもともと控えめで謙虚な人でした。それだからこそ我慢が
得意で、それを兄嫁は知らずに一生懸命介護に力を入れ過ぎたものと考えると、ふと母は重病人を演じていあたのではないか? と疑
問を感じるのです。だとしたらすごい役者です。医者を騙し身内を騙し、葬儀場まで探させたのですから・・・その芝居も終わって、
今度は元気者を演じています。
 さあ、これがいつまで続くか?
 次回のお祝い会は、満105歳と決めましたが、それまでこっちが持つか? そこで考えました。私も見栄を張って元気者を演じよう・・・こうなれば母と私の騙し合いです。ともあれ感無量、今夜は眠気の吹っ飛んだ状態で、数時間後のお祝い会での母を想像しながら嬉しい気持ちでパソコンに向かっています。
 では、暑さ厳しき折、くれぐれもお体を大切に・・・

豪雨被害、お見舞い申し上げます。


お元気ですか?
 7日は立秋ですが暑い日が続きますね。
 週末、11号を追い抜いて先に日本に上陸した台風12号は予想以上の猛威を振るっています。千ミリを超える雨量を記録した高知をはじめ豪雨の襲来で九州四国各地の河川が溢れ、被害が続出しています。
 道路で乗用車が水没していたり床上浸水どころか家屋が水中にあったりと悲惨な状況がニュースで報じられています。避難勧告を受けた人も60万人、心からお見舞い申し上げ、早く雨が止んでくれることを願っています。しかも、気象予報によると大型台風11号が接近中とのこと、くれぐれもご注意ください。
 さて、最近、遅まきながらフェースブックというNET上の交流サイトに本格的に参加しました。かなり以前、お弟子さんが参加させてくれたのですが書き込み方も知らず、殆ど放置状態でした。それが、この7月に掲載方法を教えてくれた人がいて毎日、日替わりで簡単な占いを載せています。
 と、いっても文章は、開運村ホームページの表紙上部に掲載中の12支占いと同じものですが・・・違っているのは、写真を同時掲載していることです。
そこで自分でも驚いたのは、いつもは気にもならないサロンの窓から眺めたさまざまな風景の変化です。南を眺めると、東京湾を行き交う船舶や小舟の様子やレインボーブリッジの景観があります。東北方面を眺めると東京スカイツリーで、ライトアップした夜景などはいい絵に撮れます。
 これからは、サロンから撮った写真を中心に日常の出来事を掲載してゆくつもりです。
 もしも、この一文に目を通された方ですでにfasebookにが参加の方は、花見正樹 に友達申請をお願いします。
 私はすぐ承認しますので、このブログからと書き込んで頂ければ必ずご返事しますので交流の輪が広がると思います。
 では、暑さ厳しき折、くれぐれもお体を大切に・・・

高校野球に想いを馳せて


高校野球も各地で甲子園出場校が決まり始めていよいよ夏本番です。私が子供の頃は、まだサッカーは知りませんでしたから男の子は誰でも野球でした。
 中学までは私も野球漬けで県大会まで・・・高校は定時制で野球部はありませんでした。その子供時代の野球好きが高じて、花見化学を立ち上げた時は早速、野球チームを作りました。営業社員には、積極的に対戦チームを探させ、日曜日は毎週、取引先のどこかと試合です。
 当時はまだ週休5日制は定着していませんから土曜日はナイターです。とはいっても照明設備のある球場は限られていますので、相手が決まる前から予約を済ませています。なにしろ、社員には元高校球児かいて仕事より野球が好きな連中ばかりでしたから連戦連勝でした。やがて、ボーリングと麻雀ブームがきて野球の対戦相手がいなくなり、社内野球は終わりました。
 その後、縁があって元中日ドラゴンスの4番打者でプロ野球監督を経た江藤慎一氏が私の元に来ました。そこで意気投合し、少年野球育成を目的とした元プロ野球選手による野球指導の会を始めました。これには名球会の方々の賛同もあり、各地から依頼が来て順調でした。
 ただ残念なことに、これに目を付けた当時与党の大物政治家が地元の支持者を集めて自分の売名行為に利用したのです。
 これを後で知って私はがっかりしました。
これは、純粋に野球が好きで始めた私の趣旨とは反しますので、私は江藤氏と話し合って少年野球ボランティアから手を引きました。この少年野球のおかげで、長嶋さん、王さん、金田さん・・・沢山の野球人とも知り合いになりました。その時代の相棒・江藤慎一氏も修善寺に野球学校を開いて志半ばに逝き、残念ながら夢は実りませんでした。
 そんな経緯を経て、私は今でも高校野球が始まると、自分の青春の血の騒ぎを感じます。しかも、その血の騒ぎは野球だけに向かっているのではありません。高校野球が始まるころから鮎釣りの支度をするのが、ここ数年の週間だからです。
 心はすでに、熊本県球磨郡を流れる日本三大急流の一つ、球磨川の大鮎釣りです。
 自分の腕は下手でも地元の釣友には恵まれていますので、現場の心配は何もありません。あとは、急流の中に運の悪い大鮎がいて、私の運が良ければ釣れるはず、です。
 そんなヘボ釣り師の私に、大鮎釣りの本を書かないか、と物好きな出版社の社長が言います。
 私は以前「巨鮎(おおあゆ)に憑かれた男たち」を出刊し、それはそこそこ売れました。
 東京駅八重洲口のブックセンターでは、一般小説枠で山積みしていました。
 その二番煎じを狙っての提案ですが、釣りブームはとうに去っています。
「今更、そんなの誰が読むと思うんです?」
「全国の鮎釣りファンは読みませんか?」
 これこそ、とんでもない誤解というもの、人は自分にプラスにならない本は読まないものです。全国各地の鮎河川を渡り歩いた私の実力を知る釣友が、腹を抱えて笑う姿が目に浮かびます.その悪夢を振り払うように「今年こそは尺鮎を!」、と小声で呟いています。
 足首の捻挫はかなり腫れと痛みが失せています。何とか川に入るまでには完治しそうです。

健康が一番


 各地で高校野球・夏の大会の予選で熱戦が続いています。
 この季節の約3週間の毎土曜、私は朝の天気予報を気にして過ごします。山口放送の私の占い番組が、高校予選実況があると潰れるからです。
 以前、鮎宿から放送予定でしたが、テレビの天気図で山口地方は晴れでしたので安心して川に入りました。ところが山口地方のにわか雨で、急きょ番組が始まると携帯に連絡が入りました。さあ大変、中州に入っての鮎釣りを中断して原稿を用意して、瀬音の中での放送となりました。
 これに懲りて、今ではいつでも間に合うように待機中、一昨日の土曜は野球で番組は飛びました。家族行楽も、この3連休は不安定な天候ですので、行楽予定が狂った方も沢山いると思います。ましてや、21日の「海の日」などは水温も冷たく海は荒れているとの情報です。
 それなのに、こんな日でも海で泳いで溺死する人がいるからやり切れません。なにもそうまでして泳がなくても、これは正論ですが正しいとは限りません。泳いだ本人は水泳が得意で、自分が溺死するなど考えてもいないからです。
 昔からの俗諺に「うぬぼれとカサブタのない人はいない」があります。その小さなうぬぼれで墓穴を掘ることはよくあることです。
 最近、私の周囲の隠居仲間が、糖尿だの前立腺だの心筋梗塞だのとよく倒れます。
 それでも「自分だけは」とひそかに健康自慢を自負していました。それが、二週間ほど前に右足のくるぶし下の筋肉の筋を傷めてしまったのです。
 変な座り方をしたときに、右足首下の筋を傷めて軽い捻挫の症状を感じました。少々不自由を感じましたがそのまま普段通りの生活をしていたある日のことです。重い荷物を持ったまま足首に痛さを感じてバランスを崩しました。
 その瞬間、ギクッと完全に筋を傷めた衝撃的な感覚が背筋まで走って今度は重傷の捻挫です。
 思わずうずくまって、最初に頭にめぐったのは「鮎釣りに間に合うか?」です。腫れた患部を冷湿布して薬剤を塗り、すぐに手当したのですぐ激痛は止まりました。
 少し筋を痛めただけでアキレス腱を切った訳ではありませんので日常生活にも支障はありません。しかし、河原の大石小石を歩き激流に踏ん張るには足首の筋の痛みは致命的欠陥になります。
 8月に入って九州の釣友から「大鮎が出たぞ!」の一報が入れば、すぐ行かないと一年を棒に振ります。今は、かつて直接指導で学んだ「蔡一藩(さいいっぱん)」の中国式ツボ療法などで必死にリハビリ中です。内心の焦りを顔に出さず、ひたすら大鮎釣りが出来る体作りに励みながら仕事をしています。
 それにしても、やはり「健康が一番」、これが今日の私の実感です。

愚の一念!


お元気ですか?
台風一過、暑い土曜日を迎えました。
 私の生活の一部の鮎釣りも、7月の中旬からが本格的な盛期に入ります。
 鮎釣りというと一般にはどの河川も6月1日頃ですから、これからは残り鮎です。残り物には福があるといいいますが、私はまだ何の準備もしていません。以前は解禁前夜から河原でたき火をして・・・でしたが、今はその気もありません。
 釣り仲間からの誘惑にも、全く気が動かないのです。
 では、鮎釣りを辞めた? とんでもない、下手ながら鮎釣は私の生活の一部ですからやめる気など全くありません。
 8月中旬を過ぎると、追い気のある強い縄張り鮎は一通り釣られて塩焼きになり、魚影も薄くなり釣り人も激減します。
 その頃から私は竿を出して、もぞもぞと支度を始めてスケジュールを組みます。まだ一か月以上も先のことですから、慌てる必要はありません。
 熊本県八代市の釣友から「今年は鮎が少ないばってん、あまり釣れんで!」という朗報も入っています。
 釣友はがっかりした口調ですが、私は一瞬、「ヤッタ!」と心躍るのです。
 ホームグラウンドの九州球磨川(熊本県)の鮎は、極端に数が少ない年は大雨の後に暑く晴れた日が続けば驚くほど大きく育ちます。
 昨年は台風が多く餌のコケが少なく鮎が大きく育たず、ガッカリしたものです。河川条件が良好で魚影が濃すぎても、少ない餌場の縄張りを守るための闘いに明け暮れて餌を食む時間もなく餌も少なく鮎は大きくなれません。
 今年も今のところ台風の影響で川は増水し、弱い鮎は激流に流されて下流域に落ち。ますます残り鮎は少なくなります。この数少ない鮎が、天候さえ回復すれば広大な大河の縄張りを独占して良質の苔を存分に食べて巨大化します。鮎が少ないと釣るのには苦労しますが、掛かれば大きいはずです。
 炎天下の河原の石は火傷をするほど熱いのに、胸まで浸かった水流は体を快く冷やしてくれます。大鮎との遭遇をイメージして、川底の大岩を縄張りにする大鮎に向けて、大きめのオトリ鮎を刺客に送ります。自分の縄張りに侵入したオトリ鮎を見て、怒り狂った大鮎は猛然と体当たりして来ます。
 その結果、オトリ鮎に仕掛けた3本イカリが体に刺さって暴れ、流れに乗って脱出を図ります。なにしろ、オトリ鮎もまだ元気なら大鮎2体が一気に激流に潜って下流に走るのですから力比べになります。
 糸が切れないのを願って激流での大鮎とのやりとり、それを考えただけでも気が高ぶって眠れません。夜、眠れなければ昼間仮眠すればいいのですが、昼間はもっと思いが強まります。
 糸が切れないように太い丈夫な糸を使えば? これを試みて釣り人は値は高くても丈夫な竿を求めます。仕掛けが丈夫過ぎると、竿に負担が大きく掛かって、無理に頑張ると竿が折れます。
 そこで釣り人が竿を溜め乍ら一歩二歩から10メートルぐらいまで下がって、大鮎に対抗します。すると根負けした大鮎が抵抗を弱めますので、それを機に引き上げて手編に収めて万々歳となります。
 さて、こんな白昼夢を考えて毎日を過ごしていますが、8月末からはまた台風シーズンです。増水して濁流渦巻く球磨川では鮎は釣れません。鮎は海に下って姿を消し、私の1年も終わります。そうなると、こうして竿も出さずに1年を無為に過ごしての後悔と悲しみ・・・これを考えるとまた眠れません。
 大鮎じゃなくてもいいから、とりあえず鮎釣り、この誘惑に乗ると大鮎とは無縁になります。手頃な鮎なら関東近県のどこにでもいますし、そこそこは釣れるからです。それでもいいか、と、悪魔のささやきが・・・いや、やはり下手な釣り師の大鮎狙いで愚の一念、初志貫徹です!
 あれこれ考えて今日も寝不足です。

母の健康


お元気ですか?
 今日は私の母親と心身の健康について一言、私なりの考察をお許しください。
 先日来、度々話題に載せていますが実母の100歳祝いの会を1ケ月後に控えています。母は大正3年8月生まれですから今、99歳と11ケ月です。
 母の100歳祝いを、と通知したところ、日頃は疎遠の身内から疑問めいた電話が入りました。
 数年前、点滴と酸素吸入で病死寸前、要介護度5の母しか知らない身内ですから無理もありません。今の母は、杖なしで歩けて針に糸が通せて縫物が出来る、新聞を読み詩吟を唸ります。遠い身内は、要介護度1に生き返った母を想像も出来ないのだと思います。
 今の母は毎日が楽しいらしく笑顔が多く、お出かけの時はオシャレもします。もしかすると、母は本来が長生きのタイプなのかも知れません。
 なれば、私も長命かも知れません・・・とはいっても男は短命なのです。
 本日4日未明、嫁(長男の妻)の実父が長い闘病生活の末に逝去しました。私より10歳も若いのに残念でなりません。
 謹んで瞑目し安らかにと祈るのみです。
 それにしても年々、周囲の友人知人から体調不良の通知や愚痴が多くなっています。数日前、図書カード会社の社長だった何十年来の親しい知人が心筋梗塞で倒れました。これは、長年の釣友が川に同行できなくなった以上に悲しい出来事です。一緒に電子書籍会社を始めるところでしたから中途挫折、でも健康第一、回復を待つばかりです。
 それにしても、健康な心と健康な体で毎日を楽しく過ごす工夫は? ストレスが少なく適度の運動と食事と睡眠、これで無理をしなければ病気になり難い・・こんなことは誰でも知っています。
 私は78歳と7ケ月、おかげさまで10年来記憶にある限り歯科以外の病院とは無縁で生きています。多分、母も私も楽天的でストレスが少ないタイプだと思います。
 どうか、この一文を読んだら、私の実母の生き方も参考にしてください。