徹夜の若者!


 お元気ですか?
 朝晩めっきり寒くなりました。私の帰宅はいつも深夜になりますが、ここ数日はめっきり寒さが増していて、雨の後は路面も凍ります。
 通勤時の愛車は、住まいのある栗橋と、一つ東京寄りの隣駅・南栗橋駅前駐車場を往復します。駐車場は駅から20秒の至近距離にあり月額5千円(自転車は3千円)、1年で6万円ですから都心の1ケ月分駐車料金と同額の超格安です。
 なぜ? この疑問は3・11の東北大地震で露顕しました。私が住む栗橋は畑地だったので地盤は固いのですが、隣駅の南栗橋周辺は沼地だった箇所もあって大地震があると、場所によっては泥状化現象で家が傾いたりすることが判明したのです。そのために駅前開発が遅れ、土地の有効利用で東口も西口も駅周辺は全て駐車場という珍現象が起きました。
 さて、その通勤途上の話に戻ります。
 いつもの週末は、母の介護もあり金曜日の夜に帰宅するのですが、最近の母はデイサービスに通っていた通称”元気村”という老人施設が気に入って、帰宅拒否を繰り返し、ついに永住権?を手に入れたところです。その施設では、お風呂に「草津の湯」とか「別府温泉」とか湯の元を入れるところから、母は未だに温泉施設と錯覚していて、施設が自分を正式に受け入れてくれたことがよほど嬉しいらしく、早速、イケメンの介護士とのツーショット写真を撮らせてご満悦、これが元気で長生きの秘訣かも知れませんね。その施設もまた、100歳の元気おバアさんの係りの一人にイケメンの介護士を当てるなど洒落た演出です。
ただ、老オオカミに子ヒツジを与えたようなもので介護士には気の毒ですが、母はますます意気軒昂です。これでは、100歳祝いをした幸手市の温泉施設”極楽湯”での105歳祝い予約をさらに5年延長も可能ですが、残念ながら私のほうが先、天命には逆らえません。
 ともあれ母が帰宅しないと知った土曜日で気が抜けたのと、HPに載せる小節「綾部の里に花が咲く」の執筆で帰りそびれて事務所泊りとなりました。翌土曜、ラジオの占い番組を電話で喋り終えての午後、駐車場から愛車での帰宅中のことです。
 駐車場から我が家への帰宅途上に、東武鉄道の車庫があり、常時、東武と共来るまでの同乗り入れの日比谷線、半蔵門線、東急線など色とりどりの車両が広大な敷地内に駐屯中の南栗橋操作場があります。それらの車両を見たり学んだりする「東武鉄道まつり」が7日(日)の朝10時開門で行われます。
 なんと、その正門前に、鉄道マニア・通称鉄ちゃんの若者二人が寝袋の上に座って缶ビールなど飲んでいるではありませんか。思わず車を停めて窓を開け、声を掛けました。
「明日のため今から?」
「そうです。去年も同じ一番乗りです」
「朝10時からだろ? 今夜は冷えるよ!」
「大丈夫、テントを張るし、カイロも持ってます」
 その口調には、余計なお世話というよりは、よく声を掛けてくれましたという誇らしげな若者の快い気負いがありました。
「じゃあ。気をつけてな」
 愛車を走らせながら、つい6年ほど前までは3月1日の渓流釣り解禁の前夜になると、栃木県の山中の河原で焚火を囲んで仲間と飲み明かしていた我が身を懐かしく思い出していました。今はもうその渓流釣り仲間も老いて去り、未だに現役の私は独りぼっちです。

師走への覚悟


 お元気ですか?
 今年もあと1ケ月、どこもかしこもクリスマス商戦から歳末年始を見据えての大型商戦の戦略に必死の様相を呈しています。銀座周辺の夜はクリスマスに向けてのイルミネーションでまばゆく輝き、夜の商売もそこそこ忙しくなっているようです。
 私もこの暮れは身辺多忙、人のことを心配するどころではなくなっています。同世代の友人知人の本人身内の訃報も多く、今年は”忌中につき年賀遠慮”の通知が早くも10通を超え、昨年の16通を上回るのは確実という状況です。私自身も来春早々満79歳、そろそろ広げ過ぎた風呂敷を畳む時期が迫っているようです。私は、家族にも周囲にも隠居後の自分の所業で広言しているのは、たった三つです。
 1、もの書き
 2、占いの普及と弟子の育成
 3、大鮎釣り
 ところが、今年は全てに誤算が出ました。1と2が両立せず、3は惨敗でした。それと、もの書きには思考と執筆と取材という孤独な作業が必要なのに時間が足りません。今までの弟子も隠居仲間も当然のように、入れ替わり立ち代わり押しかけて来ます。それでまた時間がなく
なります。そこで、新規の会員募集を1年、中止しました。すると、収入が激減でとんでもない赤字決算になりました。
 なにしろ、隠居後は年金と印税、授業料などで全てを賄う計画ですから本業(花見化学)からは1円も出しません。その結果、個人事務所か集会サロンの持続に赤信号が点りました。家族は、寿命を考えて上記三つのどれか一つにしたら、と善意の提案をします。そうなると、好きな一つは大鮎釣りで晩夏だけの仕事ですから、残った時間をどうするか?
 結局、今の生活に戻り三つの事項を守り続けることになります。残された道は、時間の有効利用で小説を書き上げて印税を稼ぎ、有能な弟子を育てて自分のやり残した万人への幸せづくりを継いで貰うことを続けながら身辺整理も急ぎ、温泉付き道楽の大鮎釣りも激流に流されてギブアップするまでは続けることにします。この師走入りにこの覚悟・・・なんだかまた楽しみが増えました。

横浜人形の家に惹かれて・・・


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 私は人形に興味があったわけではありません。たまたま坂本龍馬展が横浜人形の家の展示場を借りて開かれたご縁で訪れただけのご縁です。
 しかし、龍馬が生きているかのような人形に接して、がぜん興味を持ちました。
 幕末維新に活躍した著名人の書に触れて、心を洗われての帰途、ついでに立ち寄っただけのご縁です。そこで展示されていた世界の人形の様々な表情に接して、民族の壁を乗り越えた親しみと安らぎを感じました。明治維新の文明開化発祥の地の横浜で文化活動と児童文化の推進を目的に建てられた人形の家は、まさしく文化の殿堂でした。
 横浜人形の多目的ホールや会議室は講演&講座の開催や会議や会合、展示室としても幅広く利用出来ます。
 場所は、横浜市中区山下町18番地、電車の場合はん、みなとみらい線「元町・中華街駅」4番出口より左に徒歩3分です。
 最近では「鳴子こけしまつり」「人間国宝 平田郷陽(とうよう)作品展」「人形劇公演・クリスマス・パペットパーティー」「手作り人形教室」などのイベントが行われていたようです。
 私が立ち寄った人形展示室では「世界の人形展」が行われていて、取材の名目で撮影許可を頂き、その一部は本ホームページの写真館で個別に掲載を始めたところです。実際の展示物は、ここに載せた写真のように各国の人形が混然とガラス張りの棚に並んでいたものです。それを撮影し、編集で個別に切り離したものを”写真館”の「村長の日々のつぶやき」に載せました。是非、立ち寄ってみてください。

横浜人形の家ー1


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過日、横浜人形館に顔を出してきました。
 横浜人形の家開館28周年特別企画として坂本龍馬展&幕末維新遺墨展が開かれ、それに招かれたからです。なにしろ毎週木曜日には昼食を共にし幕末を語る友人(小美濃清明氏)が全国坂本龍馬会副会長で「坂本龍馬と黒船来航」の講演をし、幕末偉人の子孫を壇上に上げてのパネルディスカッションの司会をやるのですから行かないわけにはいきません。
 さて、会場に着いたところ、驚いたことに坂本龍馬本人がお出迎えなのです。
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なにしろ私も「坂本龍馬異聞」などといういかがわしい本を出版していますから挨拶は抜かせません。「あそこは間違ってるぜよ」などと文句を言われても困ります。
 チラと見ただけで右側のは間違いなく偽物と分かりますから、和服姿の本人に向って握手を求め「初めまして」と声を掛けたのですが返事がありません。よく考えたら、ここは人形
の家でした。

山形県庄内地方取材の旅


 お元気ですか?
 今回の取材旅行は山形県の庄内地方でした。
 同行は友人で坂本龍馬研究家の小美濃清明氏、当初は二人で出かける予定です。ところが前日になって、小美濃氏の奥方が参加を希望されて同行3人、私のマイカーで賑やかに出かけました。
 季節は秋たけなわの季節、出羽の山々は紅葉の真っ盛り、全山華やかな秋の彩に包まれていました。3人共通の取材目的は、明治維新のきっかけをつくった浪士組とされる京都守護を目的として浪士組を結成した清河八郎の遺品や資料が展示されている清河八郎記念館です。記念館は、清河八郎を祭った清河神社の広い敷地内にありますので、神社にも近くの歓喜寺にある清河一族の墓にも詣でて手を合わせて参りました。
 館内の取材では広田館長の特別許可を得て、清河八郎の妻お蓮が獄中から夫に出した手紙や八郎直筆の書、戊辰戦争で使われたゲーベル銃など展示物の写真も充分に撮らせて頂きました。
 清河八郎の幕府への献策で明治維新の先駆けとなった浪士組は京都に赴任してすぐ清河八郎が勤皇の立場を明確にしたため二つに仲間割れし、京都残留組と江戸への帰還組とに分かれます。京都残留組は新選組となり、江戸に戻った組は新徴組となって江戸の治安を任されます。
 幕府の委託を受けて浪士組をまとめた清河八郎は、勤皇に寝返ったことで刺客に倒されますが、新徴組は庄内藩に託されて戊辰戦争では新政府軍をおおいに苦しめます。
 戊辰戦争の奇跡として知られるように、庄内藩は会津落城後も孤軍奮闘し、新徴組を前線に勇敢に戦い、最後まで新政府軍を自軍の領地に進行させなかったことで西郷隆盛を感銘させた実績があり、寛大な戦後処理によって被害を最小限で食い止めることが出来ました。その戦いは凄惨を極め、弾薬尽きての白兵戦もしばしばだったとも聞きました。いずれにしても、庄内地方の戦場の雰囲気はしっかりと目と頭に刻み込んで参りました。
 その勇猛で鳴る庄内藩新徴組が拠点としたのが山形県鶴岡市湯田川温泉地区で本部跡が私達が泊まった300年の歴史をもつ隼人旅館です。若主人の庄司庸平さんに案内されて新徴組戦死者の墓地にも詣で、有意義な取材旅行になりました。

坂本龍馬ファンの集い


 過ぎた話ですが、秋晴れの18日(土)、横浜で行われた「第26回全国坂本龍馬ファンの集い」にちょこっと顔を出してきました。
 毎年1回、全国のどこかで行われる二日間に及ぶイベントで今年は参加者も多く、大変な賑わいになっていました。
 この会は、親しい仲間で開運道顧問の小美濃清明氏が副会長だけに、私も少しは顔を出さないわけにはいきません。
 今回の大会は、龍馬を歴史的英雄として取り上げるだけでなく、龍馬を生み出した土佐の風土を感じさせる雰囲気がありました。
 しかも今回は坂本龍馬の人物像に迫っているだけに、龍馬ファンがまた新たに増えるのは間違いありません。
 とくに、11月3日まで横浜人形の家で開催されている「坂本龍馬展~幕末維新遺墨展」では、龍馬が土佐藩に斡旋したスペンサー騎兵銃や愛用の刀と同じ刀剣、龍馬や西郷隆盛を始め幕末の偉人達の書や手紙など貴重な資料が公開されていますので、龍馬ファン以外でも幕末史に興味のある方は、是非一見されることをお勧めします。
 記念講演は、高知県知事・尾崎正直氏と大河ドラマ「龍馬伝」や「るろうに剣心」で知られる映画監督・大友啓史氏のお二人でした。
 会の副会長で私の友人でもある小美濃清明氏も、会に先立って講演を行っており、さらにパネルディスカッションの司会、大会の締めの謝辞を述べるなど大活躍で、友人としても大いに顔が立ちました。しかも、パネリストとして壇上に上がった幕末志士の子孫は坂本龍馬本家、勝海舟、榎本武揚、千葉重吉の御子孫などで皆さまが私とも旧知の間柄ですからますます身近に感じたイベントでした。
 なお、私の書いた「坂本龍馬異聞(右文書院刊)」は、開運村ホームページ「花見正樹作品集(無料)」で見ることが出来ます。
  

台風が接近中です


 お元気ですか?
 大型台風18号が近畿から関東に上陸するおそれ・・・と発表されていますが、日曜の夜半、まだ外は静かです。
 テレビ画面では明朝の各交通機関の中止が続いていますが妙なことも起こります・
 空の便ではJALは早くから全国各便の欠航を発表しましたが、ANAは、かなり遅くまで「全便運航」となっていました。
 多分、万が一、台風が逸れることを期待しての決断の鈍りだったと思われます。
 これで、月曜朝の空の便はJALの欠航でANAの利用を考えていた人もいたかも知れません。
 それが、すでに空の便の利用を決めた人達の寝静まってからの発表だったら?
 下種の勘繰りかもしれませんが、これが吉と出るか凶と出るかは、まだ誰にも分かりません。
 JRその他の電車はかなり運航中止のニュースが伝わっています。
 この台風の影響でまた御嶽山の行方不明者捜索は中止になります。
 噴火時の巨大岩の直撃を受けて即死に近い状態で苦しみながらお亡くなりになった方も少なくないようです。
 まだ発見されていない方もいらっしゃるようですし、リストに上がっていない登山者も数名いるらしいのです。
 ともあれ、関東地方の雨や風のピークは月曜の通勤時間帯、くれぐれもご注意ください。

 私は競馬ファンではありませんが、ヨーロッパ有数の競馬イベント「凱旋門賞」で日本馬は今回も惨敗でした。
 怪物ディープインパクトの遺伝子を持つ娘ハープスターは桜花賞優勝の余勢を駆っての出場でしたが残念です。
 いつも前評判は優勝期待で、終わってみれば「やっぱり!」、これが多いのが日本のマスコミです。
 これらもまたまた視聴率のため読者に期待を持たせるために必要なのでしょうが、ひどすぎると思う場合もあります。
 毎回、オリンピックの獲得メタルや入賞者の予想が出ますが、殆どが期待値の水増しで結果は似ても似つかぬ数字になります。
 さて明日の台風の勢力予報ですが、気象庁発表が外れて軽くて済み、朝の電車が動くことを願っています。
 大外れを恨んだり願ったりで人間なんて、いや、私は何と自分勝手な人間だろうと少々自責の念に駈られています。

怪童・逸の城


 お元気ですか?
 相撲界でも凄い若者が活躍しています。
 92センチ約200キロ、モンゴル出身の逸の城(21)、実業団優勝の看板はダテではありません。十両優勝から快進撃で幕内入りです。
 東京・国技館での大相撲秋場所13日目の26日(金)、横綱白鵬が苦手の豪栄道に3連敗でついに黒星が一つ付き、41年ぶりに横綱鶴竜を倒して一敗を守った新入幕の怪童・逸の城、14日目の結びの一番で優勝を賭けて戦い白鵬に敗れて2敗にはんありましたが立派なものです。本来であれば番付最高位の白鵬の14日目の取組は大関の琴奨菊でしたが、慣例を破っての新人との対戦となり相撲ファンを沸かせました。ただ、稀勢の里戦も鶴竜戦も、最初からハタキ込みを狙っていたというセコさが気になります。勝負ですから勝ち負けは仕方ありません。勝てば官軍、負ければ賊軍は昔からある俗言ですし、ハタキ込みは立派な相撲技で、私の親しい仲間の千賀の浦親方も、関脇舛田山時代の決め技はハタキ込みでしたから文句をつけるのは筋違いですが、舛田山は突き押し+ハタキ込みですから許されます。最近の注文相撲は立ち合いの変化+ハタキ込みですから騙し討ち、相撲の面白みも醍醐味など少しもありません。これでは、息を呑んで立ち合いを待っていた観客にとっても騙し討ちのハタキ込みです。
 勝てば何でも許されるのか? ハタキ込みで負けた稀勢の里、鶴竜の心構えが悪いのか?
 しかも立ち合いの前に、まっすぐ攻めると見せかけてのつっかけで相手に油断させている心理戦まで考えての知能犯ですから、逸の城の強さは体だけではなく頭も使っての強さということになり、ますます上位の関取には厄介な存在になってきます。
 それでも、14日目の白鵬戦だけは正々堂々と戦って負けたガチンコ相撲ですから、セコい手で勝った時以上の拍手を惜しみません。
 この怪物・逸の城を鼻字血を流しながら激しく攻め勝って連勝を止めた力士・勢、これは間違いなく本物です。
 それにしても、テニス、水泳、柔道、野球、あらゆる分野で若者の活躍が目立つ今日この頃、将来が楽しみです。
 明日は千秋楽、まだ一波乱あるのを期待して、逸の城から目が離せません。

秋ですね!


 お元気ですか?
9月もはや下旬、朝晩は涼しい風がさわやかに頬を撫でて通り過ぎます。
 秋の気配は日一日と早まっていますが、芸術の秋、食欲の秋、スポーツの秋を謳歌したいものです。
 大相撲は横綱ハルマフジの休場があっても、土俵上には相変わらずモンゴール旋風が吹き荒れています。
 将来の横綱を嘱望される遠藤は、中日を迎えてようやく1勝、大拍手の中で厚い束の懸賞金を抱えてニコリともしません。
 明日からの相撲を7連勝で乗り切って勝ち越せば笑顔が見られるかも知れませんね。
 さて、秋が深まると心が忙しくなるのは例年のことですが、今年はとくに落ち着きません。
 戊辰戦争を題材に小説を書き始めた自分が、どっぷりと底なし沼にはまり込んでいるからです。
 調べれば調べるほど難しい事実に遭遇して、それを書来始めると他にも手直しが必要になるのです。
 何か、とんでもない事実を見逃しているような不安に駆られるとき、図書館にこもって資料あさりをするのです。
 すると、目的以外の出来事がまた生まれてきて、数日はそれで時間が費やされてしまいます。
 九州から北海道まで自分なりに歩き、この11月いっぱいで取材は打ち切り、と心に決めてはいるのですが、どうなりますか。
 この秋から冬にかけては私にとって、正念場の執筆期間になりそうです。
 では、くれぐれもお体大切にお過ごしください。

敬老の日に・・・


 お元気ですか?
敬老の日を挟んでの秋の連休での我が家のイベントは100歳の母が中心です。
 母に言わせると、人生で「今が一番楽しい」そうです。
 理由は「何の悩みも苦もないから」・・・これは息子の私と同じ考え、やはり親子ですね。
 家の地元の通称「元気村」という施設にデイサービスで通っていますが、最近入居させて頂きました。
 そこは、草津や伊香保の温泉の素を風呂に入れて、温泉風にして人気があります。
 食事も美味しい上に、イケメンで親切な介護士もいるので母は大喜びです。
 先日の七夕には、笹竹に下げる短冊に書いた願いは、「この幸せがいつまでも続くように」です。
 施設でも祝って頂きましたが、敬老の日は我が家で身内の祝い、翌16日(火)は住んでいる埼玉県久喜市市長からの祝い届きます。それを私を含めて男4人の息子達で迎えて喜びを共にする予定です。おかげで私(78歳)への敬老など話題にも出ません。