鉄道マニアの5歳の孫が、最近はマリオに凝って少しだけ鉄道熱が冷めたようでヤレヤレです。
最近知ったのですが、私が若い頃通勤にも乗っていた京成電鉄の”赤電”が2月いっぱいで姿を消すそうです。
この”赤電”は、昭和40年代から都内から千葉県内までを走り続けた京成電鉄”3300形”車両で、これが28日の上野発臨時特急の「成田山号」で仕事を終えるそうで、終点の成田駅では多くの鉄道マニアの惜別の狂騒で大変だったと思います。
社労引退の恒例では、終着駅に着いた運転士に花束贈呈のセレモニーもあるはずです。
京成電鉄といえば、地味な緑系の色で馴染んでいますが、この3300形だけは派手で明るい赤い塗装でしたから、鉄道マニアとは無縁の私らでさえ気になる存在だったのです。この「赤電」の愛称で親しまれた3300形が消えてゆくのも時代の流れ、仕方ないことです。なにしろ、現在主流のステンレス製に抵抗して、いまだに昔ながらの鋼鉄製の車両で、最後まで生き残った8輌は1968~72年生まれ、60年近く休みなしで働いてきたことになります。
「お疲れさん」、このねぎらいの一言でを私の惜別の挨拶とします。
ところで、今、鉄道フアンが熱いのは、映画のロケに多く使われている神奈川県内を走る相鉄(そうてつ)です。ここは都内から近いため日帰りロケ可能で経費が安いこともあり、テレビドラマや映画のロクに、25の駅も運行する車両の姿も、山や田園地帯を含む一帯の景色も申し分ないのです。しかも鉄道側もロケの誘致に協力的で、そのために観光客も急増中、鉄道ファンも殺到しているそうです。
もちろん、まだ孫には内緒です。こんなことがバレたら一日がかりの旅になって仕事が出来ません。
今は、孫がスーパーマリオにでも熱中していてくれることを祈るだけです。
もっとも、その父親である私の長男が小学生の頃、ブルートレインのブームがあって、私があちこちに連れ歩いた記憶から、この長男が仕込んだ遺伝子ですから、私が無視すれば長男が連れ歩くことになります。
しかし、我が家の鉄道ブームもこの夏には終焉または休止になる可能性があります。
理由は、この夏からは渓流遊びと魚釣りを教える予定だからです。これは、私自身が子供の時に父親に連れられて遊んだ魚釣りを未だにだらだらと続けているぐらいですから、今からハマったら抜け出るのが困難かも知れません。それがいいか悪いか、家族会議になる前に、さっさと川遊びを教える・・・これが私のこの夏の作戦です。
2月22日は世界友情の日です。
お元気ですか?
2月22日(日)は誰が決めたか日暦には”世界友情の日”とあります。
にも拘わらず、国際的テロ組織イスラム国をめぐる戦いや、あちこちでの局地戦は後を絶ちません。
しかも、その争いはますます激しさを増して、いつ果てるのか? 誰にも終結の見込みが予測できません。
民衆を巻き込んで婦女子の体に爆薬を巻きつけ、人混みで自爆させるなどテロ戦争とはいえあまりにも酷いことです。
暦にある”世界友情の日”がいつになったら万人が納得のいく現実になるのか?
私は第二次世界大戦が終結した昭和20年の夏を小学校3年のときに迎えました。
あれから約70年の長期にわたって、日本は戦争のない平和な日々を享受しています。
この平和も、ついに均衡が破れる時が訪れようとしています。
阿部総理も、アメリカを主体とする欧米各国の圧力の前に苦慮しつつも徐々にタカ派の本性を露わにしつつあります。
政府は閣議決定で、憲法第9条の下で許容される自衛の措置、に「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」「国民の生命などが根底から覆される明白な危険がある場合」など「新三要件」を加えた上で、集団的自衛権の武力行使を可能にすることを閣議決定しました。
戦争放棄で中立国家・日本の平和もこれまでで、これからは国土防衛のための自衛隊も、実質的には国際組織の中の一軍隊として組み込まれて海外派兵で武器を使用することになりそうで何とも不気味な雰囲気です。
これで政府は海外派兵への「道を開いた」かの印象は拭えませんが、総理はそれを否定しています。政治家はタヌキとキツネ、どこまでが本音かは分かりかねますが総理官邸での記者会見では次のように声明を出しています。
1、いかなる事態にあっても国民の命と平和な暮らしは守り抜いていく。
1、新たに閣議決定した、安全保障法制の整備のための基本方針は、公明党との協議を積み重ねた結果である。
1、集団的自衛権の問題も、抽象的な議論でなく、現実に起こり得る事態に対して現行憲法の下で何どうすべきかという議論である。
1、今回の閣議決定で、日本人搭載の外国船が日本近海で攻撃を受けた場合、日本人の命を守るために自衛隊がそ船を守るようになる。
1、仮にそうした行動をとる場合であっても、それは他に手段がないときに限られ、かつ必要最小限度でなければならない。
1、現行の憲法解釈の基本的考え方は今回の閣議決定においても何ら変わらず、海外派兵は許されないという原則も全く変わらない。
1、自衛隊が海外の戦闘に参加するようなこと、外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるということもあり得ない。
1、日本国憲法が許すのは、あくまで我が国の存立を全うし、国民を守るために万全の備えをすること自体が、抑止力になる。
1、日本を取り巻く世界情勢は一層厳しさを増す中、あらゆる事態を想定し、国民の命と平和な暮らしを守るために法整備の必要がある。
1、今回の閣議決定を踏まえ、関連法案の作成チームを立ち上げ、準備ができ次第、国会に法案を提出し審議をいただきたい。
今回の論争は私達にも考える機会を与えてくれました。国と国民を守るために「我々は」何をすべきか?
国とは領土であり主権です。北方領土を不法占拠して日本人を追い出したまま返す素振りもないロシヤや、海上利権を求めて日本海どころか太平洋にも進出してきて漁場を奪い海洋資源を狙う中国のあくなき野望にどう対峙すればいいのか? ひそかに忍び寄って人を浚って行く非道な北朝鮮に対しても成すすべもないもどかしさをどうsべきか? これが自分の土地を荒らされ、自分の子供や孫を浚われたら? そう考えると国力は強くあらねばならない、との結論に達します。
国の平和は、中立を守って外交力で、は理想ですが、現実は以前より厳しくなっています。攻める国があれば防がねばなりません。非道で残忍な強盗と戦える家庭はそう多くは有りませんが、家族を守るためには無抵抗だけではダメな場合もあります。
この終末、孫娘の誕生陽日祝と100歳の母の退院祝いを兼ねた夕餉を前に、この一族を自分は守れるか? 自問自答をしています。
どうでもいいこと・・・
世の中には、一般にはどうでもいいことでも当事者にとっては重要な問題であったり、場合によっては死活問題になることもあります。
文部科学省は、2月13日、なんと2018年に行われる平昌冬季五輪への種目別支援で、氷上の花形だったフィギュア女子をAランクから最低のCランクに引き下げました。理由は、国中が期待した昨年のソチ五輪でメダルを逃したことにあり、信賞必罰に徹して各スポーツ団体の底上げを図ったものと考えられます。
この支援事業は「マルチサポート事業」と呼ばれる公的なもので、メダル獲得が期待される冬季競技の各種目を対象としたもので、アイスホッケーと女子カーリングなどが新たに指定されています。この事業では、支援の濃淡をメダル獲得の期待度に応じて3段階に分け、最上位のAランクにはスキーのジャンプ女子とフィギュアスケート男子が入っています。
期待されながらソチ五輪であっけなく敗退したアイスホッケー女子とカーリング女子は、フィギュア女子と共に最下位ランクに落とされて強化予算どころか現状維持も危ぶまれる状態になるようです。これらは多分、懲罰の意味もあると思いますが何だか政府のやり方は、「花が咲かなかった木には水をやるな!」と、極端にセコ過ぎる気もします。
さりとて、世界のレベルからはるか遠く、予選でイチコロ承知で参加する競技団体や選手がいるのも事実で、これを税金の無駄遣いと指摘されても仕方ありません。
ともあれ、これで文部科学省が、オリンピックは参加することに意義があるとされたオリンピック精神に反して、勝つことに意義があるに方針を変えたことがハッキリしました。こうなると、予選で敗退するのが最初から分かっている競技種目や選手は参加させる必要もなくなりますし、不必要な各団体の役員、コーチ、トレーナーなども大幅削減できますし、勝てる可能性のある選手だけが出場しますから国内の応援もヒートアップ間違いありません。これはこれでいいのでしょうか? ま、どうでもいいことですが。
さて、今度は私のプライベート面のことになります。
前回報告の通り、2月3日(火)深夜、100歳の母が心不全で呼吸困難になり、救急車で近所の済生会病院に緊急入院しました。
100歳を超えていると弟達も達観していて「万が一のことがあっても仕方ないよ」ともう誰もが諦めています。
あれから、どうなったか? 人にとってはどうでもいいことでも、私にとってはどうでもいいことではありません。
その顛末は是非、私のエッセイ”曼珠沙華”で・・・
https://www.kaiundou.biz/Zuihitsu/
w.
またも辛い事件です。
和歌山県紀の川市の空き地で、近くに住む小学5年生の森田都史(とし)君という11歳の男の子が刺殺された凶悪事件をニュースで知りました。まだ人生の楽しみを知る前の無垢な幼い子が刃物で惨殺殺されるという非道極悪な残虐事件、犯人は八つ裂きにしても収まらない怒りを感じます。それは、私が同年の孫(女児)を持つからかも知れません。
その後、殺人容疑で現場近くに住む無職の男が容疑者として逮捕され、自宅の衣装ケースに隠し持った凶器とみられる剣のような形の大型のナタ3点を、目撃情報で見られた物と似ている着衣を没収したとありますが、いずれも刃渡り約40センチ、これはまさしく刀剣と同じか、それ以上の凶器です。
登山や渓流釣りをしていた頃の私は、藪の枝落としに山刀を所持していましたが、それとて刃渡り25センチ前後、鞘に納めてきちんと管理していたものです。法律では、正当な理由なく持ち歩くことの出来ないのは刃渡り5.5センチ以上の刃物です。刃渡り40センチ以上ものナタを、この男は何に用いるつもりだったのか?
この男と男の子の接点は剣道教室で、以前、剣道の稽古をつけていたという情報もあり、容疑者が礼節を尊ぶ武道教室に在籍したことがあるとしたらますます許せません。
つい先日も、名古屋大学理学部1年の女子学生が、殺害事件で愛知県警に逮捕されています。
これは若者だけの問題ではありません。
イスラム国問題を含めて、地球全体のモラルが今、ギシギシと音を立てて崩れてゆくような不安を感じるのは私だけでしょうか?
私はいま79歳、老骨にムチ打って一日一日を睡眠時間3~4時間で人生の残り仕事をしているのに、それを傍観しながら何もしない人もいます。その人は、人生はなるようになる・・・と達観して、時間を惜しむ私を冷笑します。
人類愛を訴える人、人を傷つけて何とも思わない人、人生いろいろ確かに何をしても自由です。
この世の中、一体全体、モラルや人生観はどこでどうなってしまったのでしょうか?
80歳まであと1年弱、もう何も気にしないで済む日が刻々と近づいています。
政府は頼りになりますか?
悲劇は起こってしまいました。
一縷の望みを託した救出交渉も進展しないまま、過激派組織「イスラム国」に拘束されていあた日本人2人が殺害されました。
湯川遥菜さんも後藤健二さんも、危険な地域と承知して出かけたのは間違いありません。
政府の一部の議員は、これで厄介払いが済んだ、と胸をなで下ろしている不届き者もいるそうです。
確かに、報酬を約束されて望んで出かけている以上、自己責任という一面は否めません。
それでも、このような殺害のされ方で人生の幕を閉じるのは無念残念、最悪の結末だったと思います。
今回の事件では、最初から最後まで日本政府は翻弄され続けました。
ニュースによると日本政府は、ヨルダン政府頼みで、それ以外のイスラム国とのパイプは全て用いていないようです。
これで、中東での日本人人質事件への政府の対応の限界も見えてきました。
これからも過激組織「イスラム国」による日本人の拘束は有り得ます。
その救出を目指す日本政府は、イスラム国側と直接交渉する手だてがありません。
ただ、ヨルダン政府などへの協力要請に終始するだけで、ネットを通じて次々と要求を突き付ける相手に翻弄され続けるのです。
国連総長は「野蛮な殺害」、英仏首脳は「邪悪の権化」と非難しますが、今回の事件では国際的に当事者能力のない日本政府の実態が浮き彫りになって世界に広まった感もあり、一国民としても恥ずかしい限りです。
私はいま、戊辰戦争に取り組んでいますが、当時の日本も、オランダ、フランス、アメリカ、ロシアなど列強の見守る中で、井の中の蛙が競い合っているような日本では最大の内戦ですが、国際的には全く無力で小さな存在の国であったことに気づき、今と何ら変わらないような頼りない政府に思えてなりません。これが私の思い過ごしであってくれればいいのですが・・・
一日も早い解放を!
またまた起こった人質誘拐事件、困ったことですね。
国際的には未承認で明確な国土を持たないイラクの過激派組織”イスラム国”は日ごとに支配領域を広げ、イラク国内の人口集中地域のうち、北部を中心にクルド人とほぼ同程度の領域を支配しているとみられていて、その勢いはますます高まっています。
アルカイダを上回る残虐さを発揮するイスラム国の戦士は、身代金目当てに誘拐した英国人やフランス人の人質を次々斬首し、女性を性奴隷にして、それも”聖戦”の一環として正当化しています。
イスラム国は、油田から得た収入による豊富な資金力で”世界で最も裕福なテロ組織”とされてきました。一時期は原油の密売で1日85万~165万ドル(約1億~2億円)の収益があったのですから武器の調達や戦士の養成にもこと欠きません。
しかし、アメリカを含む連合軍の度重なる空爆でシリア国内の製油施設などまでが次々に破壊され、さらに生産過剰による世界的な原油価格の下落でイスラム国の資金源は激減しました。これではイスラム国の兵士に十分な報酬を与えることは出来ません。
そこでイスラム国の指導者は、産油による収入を諦め、敵対国の人間を拉致しての身代金による資金調達を考えたのです。この実行による
人質解放の見返り収入は、なんと年間3500万~4500万ドル(41~50億円以上)です。これでは止められません。
今回のフリージャーナリスト後藤健二(47)、湯川遥菜(はるな・42)ご両人の拘束もその一環ですから、解決策は身代金の支払い以外はあり得ません。しかもイスラム国は、金額は2億円、支払期限は日本時間1月23日午後X時と金額と締め切り時間を提示して支払いを迫っています。これにOKすれば、ひとまずお二人は解放される可能性が高くなります。
しかし、これには困難な問題がいくつかあります。
その一つは、アメリカからの「絶対に身代金は払うな!」という脅しともとれる日本政府への強硬な申し入れです。
これにイギリスやフランスが同調しているのは、自国民の誘拐が増えるのを防ぐためで最も当然な申し入れです。
それに追い打ちを掛けるのが国内世論で、NETでは「危険な地域に勝手に行ったのだから自己責任だ」の声が高まっています。
一方、後藤健二さんの母親はテレビで涙ながらに、日本政府の対応で一刻も早いわが子の開放を訴えています。
こうなると事態打開への糸口は、政府とイスラム国との水面下での交渉での身代金支払いになります。
表面上は、人道的立場にイスラム国が配慮しての人質解放・・・これが表向きで裏取引は闇から闇に消え去ります。
それでも人命が救われれば・・・一縷の望みをもって私も成り行きを見守っています。
阪神・淡路大震災に想う
あれから20年、一度見た悪夢は死ぬまで消えないのかも知れません。記憶も悲しみも年々が薄れているのですが・・・あの日みた光景は今でも瞼に焼き付いています。まだくすぶっている家屋の傍らの人形と花束や、ビルの廃墟からやっと救出された瀕死の男性が目を見開いたまま息絶えるのも見ました。焼け落ちたばかりで消火活動のさなかに死体が運ばれているのも見たし、崩れた家の瓦礫の下から救助された老婆や、救出が間に合わずに息絶えたという死体も見ました。さらに、住宅街の焼け跡で救出活動中の自衛隊員の横で、泣き叫んで子供の名を連呼している母親も見ました。救急車に運ばれる重傷者は数限りなく見ました。
20年前の1月17日、私はパリにいて阪神地方大地震の発生を知り、急ぎ帰国して取材と見舞いと救援に向かいました。米沢新聞という小さな郷土紙の東京支社長だった私は、マスコミの一員としてもこの大地震の記録を紙面に残さねばならなかったのです。
この2ケ月後に地下鉄サリン事件が発生し、私はマスコミ在任中、この二つの大きな事件を取材する羽目になっていました。
地震の被害が甚大だった神戸ポートピアの高層ビルの1フロアーに主要な取引先のスイスの化学会社の日本支社があって、そこが壊滅すると本業の花見化学が大打撃を受けることになります。その上、親しい知人が何人か芦屋、神戸地区にいて、その災禍見舞いにもと気は焦ります。
成田空港から新橋駅近い旧知のレンタルショップに直行して旅の荷物を預け、折り畳み自転車と寝袋を借り、非常食や飲料水など救援物資も持てるだけ買って、身支度を整えてから家に電話をし神戸出張を告げたのを覚えています。多分、先に家人に先に電話をしていたら、一度帰宅して出直していたかも知れません。その半日か一日の差が緊迫感の差になって取材力を半減させていたのは間違いありません。
撮影機器も旅支度も旅行帰りですから揃っています。そのまま大きな荷物を抱えて超満員の新幹線(自由席)に乗り、荷物に身を預けて仮眠しつつ被災地に向かいました。本数を減らして運行を始めていた新幹線は新大阪が終着駅で、神戸地区は全てが不通です。
新大阪に着いて交通事情を調べると、阪神電鉄が西宮まで運行していることが分かりました。そこからは各社とも臨時バスを運行させているとのこと、そこで西宮まで行ってバスでの神戸入りを考えました。
ところが、西宮のバス停はどこもかしこも人が溢れていて折り畳み自転車は積載禁止です。覚悟を決めて西宮から自転車で被災地に向かうことになりました。ところが驚いたことに西宮がすでに被災地で国道沿いの家が倒壊していたり、橋が壊れ、道路がひび割れています。
この時点では、私はまだ現地の本当の悲惨な被害は分かっていませんでした。
暗くなり掛けた中央区三宮あたりまで来た時に、ふと動物が焼けたような異様な死臭を感じたところから、凄惨な災禍の結果を私の本能が感じ取って背筋が寒くなるような恐怖感と切迫感を感じ始め、その感覚は今でも思い出せるほどの迫真で鮮烈なものでした。
その時は、知るべくもなかったのですが、平成7年(1995)1月17日(火)の早朝に発生した兵庫県南部地方・・・正確には淡路島北部沖の明石海峡の深さ16キロを震源として発生した震度7という最大級の激震で、兵庫県を中心に、大阪府、京都府などが大きな被害を受け、中でも震源に近い、東灘区・灘区・中央区の三宮・元町・ポートアイランドなど・兵庫区・長田区・須磨区など神戸市市街地が甚大な被害で壊滅状態になっていました。
港を埋め立てた新市街のポートアイランドに渡る橋は、自転車でさえやっと渡れて振興地は泥状化でぐちゃぐちゃ、車が何台も崩れた岸壁から海に落ちていました。取引先も知人も私の突然の災禍見舞いの来訪に驚き歓迎してくれて、恐怖と混乱で狂乱状態だった地震発生時の状況を話してくれました。その時、持参した飲食品も喜ばれましたが、次回への差し入れで欲しがられたのは日曜大工用品と風呂を沸かす防水防温の電気ヒーターでした。これは、私の本業の取り扱い品ですからすぐ間に合います。私は社員に品ぞろえを支持し、トンボ帰りで帰京して、すぐ同じパターンで二度目の訪問を果たしました。宅配便はまだ再開していなにので自分で運ぶしかないのです、
水はタンクで運ばれ、電機は復旧してもガス管は容易に回復できませんので風呂が沸かせなかったのです。そのヒーターを近所中がしばらくは回し使いをしたそうですから私の行為も少しは役立ったと自負している次第です。
地下鉄サリン事件についてはいずれまた・・・
無理は禁物・・・
早くも1月も中旬、正月気分も抜けました。それでも義理付き合いも含めてあと5回ほどは新年会が続きます。これが終わってか
ら本格的に・・・とはなりません。
今年の「三碧木星」年は、新しいものが古きを駆除して新陳代謝、世代交代など政財界。芸能スポーツ、一般社会においても旧態依然とした保守的体質は時代の流れから置き去られるか忘れられる存在になってしまいます。正月恒例の大学対抗箱根駅伝は、思わぬ伏兵の青山学院大の優勝ですが、この番狂わせに一番驚いていたのが当の原監督で「選手にこんな力があったとは・・・」と絶句、優勝など考えてもいなかったそうです。大相撲も今日から始まりますが、初日取組の一番人気は何といっても逸の城対遠藤、すでに世代交代の兆しは見えてます。
と、なれば老骨に鞭打って新たな挑戦をするのか、無理を避けてマイペースで残務整理に徹して隠居の坂道を下ってゆくのか二つに一つ、中途半端は結果を悪くします。その点、私の場合は気楽です。どれをとっても隠居仕事ですから誰に指図を受けるわけではなく、好きな仕事を好きなようにやっているだけです。
今年は初詣のおみくじが終盤までは不調の”末吉”と出たように、自分でもイマイチの感がある出だしです。初仕事の盛岡で帰路、のどに痛みを感じて土産も買わずに予定より早めの新幹線に乗って帰宅しましたが「無理は禁物」、これが今年最初の自戒の言葉で、こんなことは今までになかったことです。ま、健康だけは自分自身で守らねばなりません。昨年までの積極策からは路線変更で年相応の対策は考えねばならない時期に来たようです。皆様もご自愛ください。
謹賀新年、もう4日です。
明けましておめでとうございます。
花見正樹です。
本年もよろしくお願いします。
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近くの八坂神社の初詣にはカメラを持たずに行きましたので、とりあえず神社仏閣の写真を探したところ、昨年暮れに戊辰戦争の取材でお邪魔した山形県庄内の清河八郎を祭った清河神社の写真が手元にありましたので載せました。
清河記念館は雪が深くて今は閉館中、雪解けまでは行きたくても行けません。
今年もはや4日、身内の新年会や孫の買い物、小原稿書きで過ごしました。
娘や孫たちと初詣に出かけた地元の八幡宮は超満員、おみくじは”末吉”でイマイチでした。
「のどけしと見えし海原風たちて 小舟危うきおつき白波」
こんな戒めの句が書いてあり、なにごとも辛抱我慢を第一に急がぬことが大切、と、張り切ってスタートダッシュをと思った出鼻をくじかれたところです。
私自身、いつも結果よければ全てよしの楽天的肯定型で暮らしていますから、末吉でもなんでも1年の終わりに結果良ければ”全て良し”と気楽なものです。
今年は天変地異もさることながら全てに新陳代謝が絡みますので旧態依然の生き方で安閑としているわけにはいきません。少しでも努力を怠ったり手抜きをしたりすると思わぬ失敗で後悔することになります。
青山学院大の箱根駅伝初優勝も新旧交代の1例で、これから1年間、めまぐるしい世代交代の波が押し寄せてきます。いくら高齢化時代だといっても年寄りが若者に道を譲る前に、若者が力づくで年寄りから身ぐるみ剥いでゆくのです。これが自然の理で、それに尤もらしく礼節や道徳を添えて高齢者を敬うような形式は踏みますが、実態は若者のパワーを生かしてこそ群れは生き残れるのです。
それにしても正月早々、北海道や西日本の豪雪地帯の方はお気の毒、雪?きをしないと車庫から車が出せず仕事にも支障を来すご様子で、ただただ豪雪見舞いを申し上げるのみです。とはいえ、この私も明日の5日(月)は初仕事のテレビ岩手出演で寒さ厳しい岩手県行きからボチボチ始動を始めます。仕事といっても私の場合は本業(花見化学KK)を息子に譲っての隠居仕事ですから、もの書き、占術家の弟子養成、大鮎釣り(釣れませんが)の三つしかありません。
新年の挨拶の中に北海道のお弟子さんから嬉しい便りがありました。
札幌の繁華街に友人と二人で小さい店を借りて占いを始めたところ常連客もついて、口コミにも乗りそこそこ仕事になっていると写真数枚を添えてのメールです。
この便りを含む多くの年賀に励まされ本年は出だし好調、今年もこんなに嬉しいことから1年が始まるのですから悪いわけはありません。
この他力本願の勢いでモノ書き仕事にも精出して、晩夏の九州球磨川で昨年のゲリラ豪雨に悩まされた屈辱を晴らして大鮎を掛ける、こう考えただけで心は早くも心は激流に・・・今年こそどでかい大鮎が釣れそうです。何だかこの数10年同じことの繰り返しで、何の進歩もしないで歳だけ重ねている自分を再確認しているところです。
年の瀬
いよいよ年の瀬もあと数日で除夜の鐘、今年も数多くの煩悩を抱えたまま新年を迎えることになりそうです。
1年があとわずかで終わるときには、昔から年末、歳末、年の暮れなどさまざまな言葉を使いますが、私は葉書などでの年末の挨拶には年の瀬という言葉をよく使います。では、なぜ年の瀬という言葉が好きなのか? それは、いかにも押し迫った慌ただしい年末の様子が、激流の早瀬のように感じられるからかも知れません。
本来が、瀬というが出ている言葉には、流れが速い急流や激流の意味で、船でも通るのが困難な場所という意味も含まれています。鮎釣り師には瀬を釣るという言葉があります。瀬というのは大石小石が水底にあり水流の起伏で波が立つ荒場のことで、その底石に付着する苔を食べるために鮎は縄張りを持ちます。その縄張り鮎に尻から垂らした糸に⒈~4本イカリの鋭いハリを仕掛けたオトリ鮎を泳がせて争わせ、イカリに掛かった野鮎を獲り、つぎはその野鮎をオトリ鮎に使う漁法・・・これが鮎の友釣りです。瀬には浅瀬、中瀬、深場とあり、大鮎は流心の深い荒瀬の大石を縄張りにしていて私ごとき老鮎師などはそこまで立ち込めません。無理すればたちまち流されて名前も変わり、花見土左衛門となってしまいます。
朝は瀬頭(せがしら)といって鮎は朝早くから瀬の波立つ上流の浅瀬に集まる傾向がありますが、私は浅場は好みませんので朝からでも深場に入ります。深いといってもヘソが基準で、その深さまでなら荒瀬も少しはこなせます。
いずれにしても瀬の下流は瀬落ちといって深場が多いことから、年の瀬とは、それ以上はないという意味にもとれます。
年の瀬とは、その川の瀬から転嫁して、年末に溜まった借金を払う辛さや困難さを、川の瀬に例えて表したようです。集金する側からみればお金を集めなければ年が越せないし、払う側からすれば正月のモチ代がなくなる・・・この攻防もまた切羽詰まったものになります。
私がまだ独立する半世紀以上も前のこと、集金は盆暮れの2回、大福帳を手にという顧客が何軒もありました。暮れの集金は大晦日でしたから昼食もとらずにあちこち駆け回っ
てあと一件、忘れもしません千代田区神田多町の田子商店、接着剤など和物の問屋
さんでした。大晦日の夜ですから、こちらも番頭さんが集金してきたお金の集計の報告を白髪頭の大旦那が聞いているところでした。私の顔を見るなりニッコリして、
「集金だね? よく来ました。すぐ払いますからね。そこでお茶とお菓子でちょっと待ってくださいよ」
熱いお茶と和菓子を有り難く頂いて、そろそろ集金かと大旦那の様子を見ると、阿吽の呼吸で奥から老婦人が現れます。
「あらあら、大晦日のご集金は寒いでしょ? いまお雑煮を作ってますからね」
外の厳しい寒さから解放された安堵感と空腹に、その老婦人の魔法の言葉は限りなく嬉しく、つい報告を終えて気楽な顔の番頭さんと世間話をして雑煮を待つことになります。
やがて熱い雑煮が盆の上に三つ運ばれ、大旦那の田子老人と番頭さん共々湯気を顔に感じながら一日早い雑煮を目を細めて頂いていると、やがて浅草寺の除夜の鐘が腹に響くような思い音で聞こえてきます。
大旦那が嬉しそうな顔で私の顔をまじまじと見て言ったものです。
「この鐘が鳴り始めたら1年は終わりだな。まさか新年早々集金なんて野暮なことは言わんだろうね。つぎの集金はお盆だよ。帰ったら社長に宜しく言っとくれ」
これで追い払われた経験があります。
年の瀬には、良くも悪くも人間の喜怒哀楽さまざまなドラマが集約されていて、私は好きです。