出版パーティのお手伝いをします。


yjimage[1]

  写真は、白石正一郎が晩年に宮司を勤めた下関の赤間神社・・・私の小説の舞台にもなっています。
 

 お元気ですか?
 今日11日は梅雨の合間の快晴の土曜日、久しぶりの青空でホッとします。
 毎週・土曜日の午前11時過ぎから始まる山口放送ラジオの私の番組も、朝8時に連絡が入って中止、今日はお休みです。
 この時期は、全国各地の高校球児たちが夏の甲子園を目指して予選を勝ち抜くための熱戦を繰り広げています。
 この時期、今は殆ど影響ありませんが10年前は、土曜日の瀬戸内海沿岸の天候が気になって落着かなかったものです。
 理由は、レギュラー出演の山口放送ラジオが、野球の地区予選実況とダブって休みになるからです。
 以前のこの時期は、鮎シーズンで週末になると仲間の誘いがあり、決断しなければなりません。
 雨が降って地区予選が中止になれば、私の占い相談番組があり、晴れれば私はお休み、これが3週は続きます。
 以前なら、天気予報で山口方面に傘マークがなければ、釣り仲間の誘いに乗って伊豆でも那須でも出かけたものです。
 それが殆ど的中しますが何回かは失敗もあります。その場合は河原に上がって携帯での生放送でつい鮎の話題が優先になります。
 最近はもうこの季節には鮎釣りをしませんので、休みには書斎で執筆(といってもパソコンですが)仕事です。
 今月の18日(土)は、知人の出版祝賀パーティのお手伝いをします。
 知人といっても大先輩で、山口県出身の老作家で8月で93歳の冨成博翁、作品は、坂本龍馬や高杉晋作など幕末の勤皇の志士や長州藩を援助した下関の豪商を描いた「渦潮の底・白石正一郎とその一族(右文書院刊)」です。
 冨成翁は、私の友人で開運道講師でもある小美濃清明氏が主宰する幕末史研究会の顧問でもあり、同じく友人で開運道講師・三武義彦氏の経営する出版社からの発刊だけにお手伝いせずにはいられません。そこで、地元下関にも支社のある山口放送報道部カメラマン同道で、テレビにはニュースで、ラジオでは特番編成で私が勝手に喋ります。
 当日は幕末の立役者のご子孫、榎本武揚、勝海舟、木村摂津守、坂本龍馬、阿部正弘、東久世道とみ(公卿)のご子孫・縁者などが出席しますので旧知の仲ですし、私自身が「戊辰戦争」の大作に挑んで取材済みの方々ですが、改めてコメントを頂く予定です。
 なお、公卿のご子孫・東久世章氏は文学・占い共に私の弟子で、開運村ホームページの日本文芸学院で長編小説「太平洋年代記」を好評連載中、占術家としては開運道講師・ビギー・ネプテューンとして現役で活躍中です。
 是非、日本文芸学院で連鎖市中の、東久世章「太平洋年代記」、小美濃清明「坂本龍馬八十八話」もご一読ください。

梅雨に想う


あじさい (2)

 お元気ですか?
 梅雨の季節は降ったり止んだり晴れ間が出てもまたすぐ雨雲がどこからか湧いてきます。室内で仕事をしていても何となくジメっとしていて仕事をしていてもすっきりしません。
 しかも3日(土)夕には関東南部に大雨と土砂災害注意報、千葉県では大雨による避難勧告が1万人超にも及んでいて、神奈川県南部でも避難勧告が出た地区があるそうです。4日(土)朝のテレビのニュースで、今週3つ目の台風11号がマーシャル諸島付近で発生したと報じていました。中心付近の最大瞬間風速は今のところ18メートル、これが徐々にスピードを増して西北西に進んでいますから、いずれ我々にも何らかの影響をもたらすのは間違いなさそうです。こうなると6日(月)からの一週間も傘を離せない毎日になりそうですね。
 それでも、この季節、アジサイが鮮やかに咲き誇っているのに出会うとホッとします。アジサイは字面の紫陽花の通り明るい紫系統の花が多い中、純白のアジサイは心を癒してくれます。梅雨とアジサイ、この絶妙な組み合わせがあるからこそ梅雨時の憂鬱も軽くて済むのかも知れませんね。
 この季節、以前の私なら週末になればどこかの川で鮎釣りをしていました。いくら雨が続いて川が濁っても岩がごろごろしている上流は意外に濁っていないものです。鮎は流れに逆らって必死に上流に避難し、流されずに残った石裏の水苔を争って求めます。したがってこの時期は、いつもはイワナやヤマメを釣る上流でも鮎が釣れるのです。ただし、雨季の渓流釣りには細心の注意が必要なのは当然で、登山の心得がないと源流には入れません。私は幸いに独身時代は登山、沢登りに凝っていましたから滝壺の岩場でも難なく登れます。さすがに後期高齢者扱いになった今は若い頃のような冒険はしませんが、心は躍ります。

夜に想う


築地の月1 (2)

 ようやく不要になった旧事務所の撤退を無事に終えました。
 引っ越しには、精神的にも肉体的にもかなりのエネルギーを要することも久しぶりに体感しました。
 それでも、無事に引っ越しから片付けまでを終えると、肩の荷が下りたような安堵感がで心が安らぎます。
 しかも、今回の引っ越しは終活のための事業整理を含むだけに、過去への惜別と達成感という矛盾した感情もあって思いは複雑です。
 同時に、これによって得た自由を生かして雑務を減らし、執筆活動に専念できそうにな開放的な気分になっています。
 これで取材活動の時間がとれるとなると、地方新聞社顧問という肩書を生かして再びマスコミの特権を生かす気にもなっています。
 マスコミといえば、いま大きな問題が生じています。
 6月25日に開かれた自民党文化芸術懇話会で出た若手議員の「新聞社不要」発言が今、大きな問題になっています。
 たしかに一部マスコミの行き過ぎた報道やでっち上げ記事には辟易しますが、それでも{新聞社を潰せ」は言い過ぎです。
 では、どんな発言だったのか? その2,3を報道された範囲内で列記してみます。
「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番。政治家には言えないことで、安倍晋三首相も言えないことだが、不買運動じゃないが、日本をあやまつ企業に広告料を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけしてほしい」
「以前、福岡の青年会議所理事長の時、マスコミをたたいたことがある。日本全体でやらなきゃいけないことだが、スポンサーにならないことが一番(マスコミは)こたえることが分かった」
「沖縄の特殊なメディア構造をつくったのは戦後保守の堕落だ。先生なら沖縄のゆがんだ世論を正しい方向に持っていくために、どのようなアクションを起こすか。左翼勢力に完全に乗っ取られている」
「本当に沖縄の二つの新聞社は絶対つぶさなあかん。沖縄県人がどう目を覚ますか。あってはいけないことだが、沖縄のどっかの島でも中国にとられてしまえば目を覚ますはずだ」
 以上の発言がテレビや新聞で流れたのを見聞きした人も多いと思います。
 ネット社会の発展やテレビの普及で若者の新聞・書籍離れが急速に落ち込み紙媒体の市場は年々縮小の一途を辿り、つい先日も書籍取次大手4番目の栗田書店が倒産したばかり、中小出版会社や書店の倒産などは日常茶飯的に発表されていて少々のことでは誰も驚きません。ただ、自分たちが批判されて状況が不利になると新聞不要を声高に叫ぶ、こんな卑劣な人物が国会議員なのですから情けないものです。
 私は時々これからどう生きるべきかを自問自答します。これでいいのか? 悔いがないのか? いつも答えは「後日に!」です。
 それにしても、築地のサロンからみた夜景はいつ見ても優雅で穏やか、心が癒されます。
 

我が家の父の日


945魚 (2)

 父の日、これは我が家では死語に近い言葉です。
 我が家の場合、母の日にはカーネーションやケーキ持参の4人いる子供達家族が集まって賑やかですが父の日は閑古鳥です。
 辛うじて末娘だけが毎年しゃれた衣類を贈ってきますがあらかたが私には派手すぎてお蔵入りです。
 私の隠居仲間に聞いても皆同じようなもので、父親とは現役で稼いでいるうちが華で、隠居後は居ても居なくていい空気のような存在か、粗大ゴミのような邪魔な存在であるのは確かなようです。第一、母の日に対して父の日は「バラだよ」と言ったら、「庭に咲いてるよ」と言われるのがオチです。
 七五三、子供の日、成人の日、母の日、父の日、勤労感謝の日、敬老の日と、世代別に祝えるように一通りは揃っていますが、この中でもっとも軽いのが父の日です。
 父の日とは、アメリカで先にあった「母の日」に対して、父親に男で一つで育てられた兄弟が、その父が死んだ野で、父の誕生月である
六月の第3日曜日に教会で感謝の祈りを捧げたのをきっかけに「父の日」もあってもいいだろう、と、ついでに出来たおまけの記念日ですから、やはり添えものには間違いありません。
 ま、正式な記念日でもありませんし、子供が父親に感謝するだけなら個人的なものですから国が強制しても有効とは思えません。
 ところで、父親を日常的にパパと呼ぶのは英語圏だけかと思ったら、台湾でも父親をパパ(八八または爸爸)と呼び、8月8日が父の日になっています。徐々に世界各国で「父の日」も認められるようになりましたが、その地位は「母の日」に比べて格段に低く、「母の日」から「国際女性デー」に輪が広がったにに比べて「国際男性デー」など全く考えられません。やはり「母は強し」です。
 当然ながら我が家も、もうすぐ101歳になる意気軒昂な母に続いて代々女系家族であるのはもう100%決まりです。


カニー1

 お元気ですか?
 今回も引っ越しに関する私的な呟きです。
 前回からは荷物の移動は進んでいますが、まだ全体の1割も終わってはいません。それでも今回は一歩前進です。不動産屋と部屋の持ち主への解約手続きが終了、返却引き渡しは6月30日と決まりました。そうなると、引っ越し業者を探さねばなりませんし、電話の移転も急がねばなりません。
  その前にまず、設置場所に問題のある大型コピー機(キャノン製)をどうするか? 買取済みですから廃棄もできます。A4のコピー機でしたらブラザーの普及機がサロンにもあります。しかし、大きな地図や貴重な資料などどうしてもA3は必要です。仕方なく、そのままコピー機は移動して使用することにしました。説明書には、移動して新たな場所に設置する場合はメーカーに相談をとあります。
 そこで、早速、キャノン社に電話しますと、たまたま数年前に新人研修で先輩のお供で私のところに出入りしていた青年が、一人前になっていて臨時の担当を引き受けてくれたのです。しかも、引っ越しをサポートする社内の新事業部があるというのです。そこで、そこの専門家とやらを連れて来てもらったのですが、さすがに引っ越しのアドバイサー、その知識の豊かさには驚きました。その専門家のアドバイスで、大ゴミで捨てられる燃えないゴミも選別でき、故障で捨てずに残っていたパソコンやワープロ7台で、データ保存の必要・不要の選別など細かいアドバイスに加えて、引っ越し業者に不要物品の廃棄まで請け負わすなどで、6月23日(火)の数時間で、引っ越し、廃棄、整理まで全てが一気に出来るようになりました。
 その引っ越しの下請け業者が下見に来るのが6月15日(月)です。
 キャノン、ニコンを始め、カメラメーカーは全て本業(花見化学)の取引先ですが、まさか、カメラのキャノン社に引っ越し専門の新事業部があるとは知りませんでした。したがって、その引っ越し費用もキャノン社の売り上げになるそうで、コピー機だけを単独で移動設置するだけだと5万円程度なのを考えると、移転、廃棄処分までを一括してくれれば、当方としては願ったり叶ったりで経済的にも精神的にも負担は軽くなります。もう何の心配もありません。キャノン社もよく考えたものですね。
 とはいえ、書類や資料の山に埋もれて、捨てる捨てないで葛藤する我が心根の卑しさにはほとほと愛想が尽きました。ここは大幅な断捨離を! これは前回と同じです。頭では分かっているのですが・・・

断捨離は無理かも?


花見正樹

 お元気ですか?
 この度、今まで仕事に用いていたセントラル東銀座10階の事務所を閉じました。
 と、過去形に表現しましたが、実は賃貸契約は解約しましたが荷物の整理はまだ中途半端なのです。
 とりあえずダンボールに30ケほどの本や書類、コピー&FAX機、机やディスクトップな、オーディオなどが居座っています。
 それを、会員や隠居の溜まり場に用いている本願寺前の築地サロンや自宅に、といっても物理的に置き場所がなくもう無理なのです。
 自宅の書斎は、入り口と窓を除いて四面が天井まで棚いっぱい本の山、あの東北大地震ではそれが全部倒れましたから壮観でした。
 猫の額ほどの庭にはイナバの1間半物置があって過去の自著書籍や制作した音楽DVDやビデオ類など不用品でいっぱいです。
 そこで、辿りついたのが、娘が主張する今はやりの断捨離です。
 山下なにがしという女性が書いた「断捨離、の本は、300万部も売れたそうです。
 私らの世代は、物を大切にする、ことを教えられて育ったのに、今は整理して身辺をきれいに片付けるのが文化らしいのです。
 娘に言わせると、断捨離とは単なる片づけじゃなくて、モノへの執着を捨てて身も心もスッキリさせることだ、そうです。
 確かに、雑然と積み上げた本の山がなくて、気持ちのいい空間で過ごせたら健康にもいいような気がします。
 そういえば、我が家の書斎や倉庫にある本やアルバム、レコードなどのうち本当に必要なものは多分約10%、90%は不要です。
 ただ、それぞれに未練があるのは想い出が詰まっていたり、必要な時に手元にない不便さを考えてしまうからです。
 だから、なかなか捨てられないのです。
 今、私は男の平均寿命を迎えていて人生も土壇場、もう後がありません。
 断捨離と土壇場、何となく似たような響きがありますね。
 土壇場とは文字通りで、土を盛って築いた壇の上に罪人を横たえたり座ったりさせて斬罪の刑を執行した刑場を意味し、転じて、今では、どうにもならない最終場面や決断を迫られる場面に用いられるるのは、誰でも承知のことです。
 当然ながら、何となくこの土壇場を感じながらの引っ越しですから全く気乗りしません。
 とりあえず、サロンに荷物を押し込んで断捨離はそれから・・・ますます道遠しです。
これからも宜しくお願いします・・・花見 正樹
 
======================================
新事務所&サロン/
〒104-0045東京都中央区築地2-14-6 LXS築地1304  
電話 03-3542-1150 
 携帯 090-4672-1094
Eメール・masaki94581@gmail.com
HP  https://www.kaiundou.biz
========================================

 

暑さも地震もまだ「序の口」です。


 千賀の浦親方と  

 お元気ですか?
 いよいよ6月入りで夏、衣替えの季節です。
 と、言っても連日30度を超していましたから体感ではとうに夏を迎えています。
 6月を水無月(みなづき)といいますが、これは旧暦ですから、梅雨で天の水が無くなった状態を差したとされます。でも、信歴ではま

だ梅雨は真っ盛りです。おれでも、田植から稲が育つまでに水が必要なところから水を乞う意味で水無月と名付けたとも解釈できますね。

でも、それよりも俳句の季語にも使われる「風待ち月」「水月」「蝉羽月」「炎陽月」のほうがシックリきませんか?
 これからは、花菖蒲、グラジオラス、あやめ、蜜柑の花、紫陽花なども目に優しく映りますね。
 この6月は、私にとっては特別な意味のある季節です。
 また下手な鮎釣りを楽しめるからです。
 以前なら、31日の夜から河原で焚火をして解禁日の夜明けを待ったのですが、今はまだ道具も出していません。
 ここ数年、鮎が大きく育つ八月中旬までは川は眺めても竿は出さないことに決めているからです。
 小鮎から釣り続けていると、その延長で中鮎から大鮎を釣っても感動が湧きません。
 どうせ、9ケ月待ったのですから最高の楽しみを味わいたいものです。
 と、思いつつも昨年は連日の大雨に祟られて大空振り、見事に大空振りで1年を棒に振ってしみました。
 そこで、今年は考えを変えて半月か1ケ月だけ竿を出すのを早めることにしました。
 これで、もう好機を逸することはありません。
 ところで、昨日30日(土)の夜、埼玉北部の我が家には大きな地震が挨拶もなしに訪れました。
 しかも我が家は、週末になると現れる娘家族などと遅い夕飯でしたから一瞬、箸が止まって子供たちは大騒ぎです。
 なにしろ気象庁の観測では、M8.5という3・11東日本大震災に次ぐ大規模な地震だそうですから全国47都道府県で揺れを記録し
たというのも納得です。
「占いでいえば、三碧木星年は{震}の意味、地震は仕方ないさ」
 つね日頃から家族には言い聞かせていますが、いきなりグラグラとくる地下に潜った竜神の卑怯な手法には我慢がなりません。しかも、
震源地は小笠原沖なのに、震度4の都内を通り越して、我が家に近い埼玉北部の春日部市周辺は最大震度5に近い強力な揺れ、なんと世の
中の秩序や礼儀をわきまえない失礼なやり方ではありませんか? 
 震源地は深度約600メートル、震源地が深ければ深いほど途中を通り越して遠隔地に大きな揺れをもたらすそうですから嫌な奴です。
 しかも、震源地の深さに比例して揺れは大きく広がるそうです。と、同時に、震源地が深いほど余震は少なく津波の心配も少ないそうで
すから、地震のメカニズムにも一長一短、悪者ばかりではないようですね。
 前回の3・11大地震は沢山の死者を出す殺人鬼でしたから人間でいえば極悪人、当然、死刑です。あの時は拙宅も食器棚や本棚が倒れ
て室内はメチャメチャでしたが、今回は我が家の被害はゼロ、一応は善玉地震とみて無罪放免の予定でした。
 ところが、テレビのニュースでは、新幹線や列車・電車・地下鉄が止まって帰宅できない人が出て大混乱、650人が新幹線で一夜を明
かすなど大変な騒ぎです。それに、高層ビルのエレベーターまでが途中で止まったり停電地区も出て人的被害は少なくなかったことが判明
、しかも、駅の階段で転んで肋骨を折って入院した会社員をはじめあちこちで怪我やヤケドで入院する人が続出、これでは無罪どころか無
期懲役に変更です。
 今年は地震の当たり年、地盤が緩めば当然ながら噴火側もハッスル、地下で眠っていたマグマさんも「待ってました!」とばかりに目を
覚まして活発に動き始めます。
 富士・箱根もさることながら、口永良部島の噴火は、まだ序の口、これからが本番間違いなしです。
 序の口といえば、相撲の番付表に載らないほど下っ端ですが、それで引退する若者も沢山います。
 その序の口でも、部屋によっては断髪式を行う場合があります。
 千賀の部屋でも先日、序の口の若者の引退で断髪式が行われました。
 千賀の浦親方(元関脇舛田山)も、部屋に関取が一人もいない状況では辛い立場です。
 つい昨年までは、升の山というとてつもなく強い力士がいて前頭上位まで進出、三役を狙えるところまで上りました。
 しかし、升の山には足首のケガと心臓病の二枚持病がああって休場続きで降格と浮上を繰り返しついに十両からも陥落、千賀の浦部屋は
関取不在の激震に見舞われています。幸い、写真のように千賀の浦親方は元気ですから早晩、また強い力士が台頭して、白鵬時代と入れ替
わっての新たな相撲ブームに寄与することに期待します。
 ところで、私の大地震への心構えは、「出たとこ勝負、成り行き任せ」、人生観と同じです。

 絵画展


 大湯・環状列石 (2)
        環状列石  
   
松岡隆一画1
        松岡画伯の絵と私

 5月23日(土)午前中のラジオの仕事を終え、午後から六本木の新国立美術館へ・・・
 ルーブル展で熱気盛んな館内の混雑を避けて二階で開催中の「第66回・三軌会展」会場へ。
 三軌会は、絵画、彫刻、工芸、写真の4部で構成される総合美術団体で、毎年5月、新国立新美術館で「三軌展」を開催しています。
 さらに、移動展も東北(仙台)、東海(名古屋)、関西(京都)の3地区で毎年開催しています。
 作家の個性を尊重し、新鮮で自由な表現をモットーに、民主的で自由な会風の伝統ある会です。
 私はこの二十数年來、足繁く通っています。
 理由は、この会には毎年、秋田県鹿角市の松岡隆一画伯の絵が出展されているからです。
 鹿角市は、青森県の十和田市と隣接している歴史のある落着いたいい街で、人々は穏やかです。
 この鹿角市は縄文時代の古跡が多く点在し、なかでも大湯の環状列石(ストーンサークル)は、秋田県鹿角市十和田大湯にある縄文時代後期の大型遺跡で国の特別史跡に指定され、とくに大きい万座遺跡の環状直径は46メートルで現在は日本最大のストーンサークルとされています。
 学術調査によると、この環状列石は「日時計」「共同墓地」「葬送儀礼施設」「祭祀的用途」などとされ、縄文時代の葬送や祭祀にかかわる遺構とみられ、人類に普遍的な円環の思想が縄文時代にはすでに確立していたことを示します。
 松岡画伯は、以前、私の事務所に勤めた娘さんの父親で、当時から鹿角市の名士でした。その娘はサンミュージックに転職し、入社したばかりの松田聖子の後援会設立に携わり、私はソニー、サンミュージック、電通と組んで「松田聖子とあなたの相性」という占いソフトを開発し、松田聖子のレコード発売キャンペーンに一役買っていました。その関係で、松岡画伯の娘の結婚式では主賓で挨拶し、同席の松田聖子の歌も聴きました。その時の松田聖子のサインと写真は、今見ると普通の田舎娘としか思えませんが懐かしいものです。
 松岡画伯の作品には幻想的で不思議な光景が多く、それに興味を抱いたところ松岡画伯が現地を案内してくれたのです。それ以来、私はどっぷりと縄文時代に興味を持ち、縄文文字、縄文土器、縄文人研究にも打ち込みました。その成果が「小説・縄文幻想」です。メインの挿し絵は松岡画伯、入選作を含めて200号の三軌会出展大作ばかりという贅沢なものです。
 宜しければ松岡画伯の絵だけでも・・・表紙の花見正樹作品集から「縄文幻想」を!
http://kaiundou.jp

都構想破れたり!


 札束

 お元気ですか?
 久しぶりの雨で東京の乾いた舗道も少しは潤いを取り戻しています。、
 大阪を舞台にした住民投票による政治劇の一コマが幕を閉じ、負け組になった主役の橋下さんが引退することになりました。
 勝てば官軍、負ければ賊軍、敗軍の将もわずか1万余票差、無効5千余票では悔やみきれない思いであろうと察します。それでも、二重構造の行政を糺す、という大義名分はそれなりの強力な主張として認められています。
 言葉がきついので敵も多く、維新のスタート時点では大阪府も市も圧勝だった勢いもありません。慣れない政界で縦横無尽の大活躍、「ご苦労さん」で見送ります。
 私の見るところ、本来は圧勝のはずでした。橋下さんは、たった一つのキャッチコピーに敗れたのです。
「少しでも不安があれば反対を!」
 これを考えた人には座布団3枚、いや、大阪での褒賞はお金が一番、ここは金一封が妥当です。
 とくに、市と府を併せて一元化すると福祉などの住民サービスが悪くなる・・・これが効きました。都構想に賛成させるには説明が必要ですが、「少しの不安でも」には説明など無用です。
 革命には必ず未知なる不安が伴いますし、高齢者は何もなくても将来に不安を抱えています。そこに更に追い打ちをかけて高齢化社会の「福利厚生」手抜きを焚き付けられたら一溜まりもありません。この未知なる不安が、60歳以上の高齢者の殆どを反対票に振り向かせたのです。
 この高齢者票が五分五分であれば都構想側の圧勝だったそうです。
 そう考えると、世論の流動性をどう動かすかも選挙参謀の腕次第ですね。今回の投票では大阪市内中央部では、都構想賛成派が多く、湾岸部や南部の郊外では反対派が多かったようです。これも住民の年齢差があり、中心部に若者が多く、郊外に高齢者が多かったことになります。
 もっとも、関東に住む私にとっては大阪都構想はよく理解できない面が多すぎます。スケールの大きさからみて町村合併での合理化とは根本的に違うのまでは分かりますが。
 ところで5月もはや半ば、木々の緑もさわやかな季節になりました。毎週土曜日、31年目になる自分のラジオ番組(山口放送)では、こんな締めの言葉があります。
 さて、今日からの一週間共通の一言は「XXXXXXXX]です。
 このXXに私が何かを入れるのですが、今週は「初夏の訪れ、ビールで感じる」でした。ここは、ビールに変えて、若葉、あじさい、日傘、など何でも埋まります。
 でも私は「初夏の訪れ、女性の服装で感じる」が本音、ここだけの話ですが・・

どん底からの復活!


 5月中旬のさわやかな季節、テレビの朝のニュースで「今日は夏日、都内の最高温度は30度」、早くも盛夏の訪れです。
 さあ、いよいよ鮎のシーズンだぞ! こうなると気持ちが落ち着きません。もっとも6月に鮎が解禁しても、私が竿を出すのは8月ですから準備期間は充分あります。とはいえ私はいま79歳、70代最後の夏をムダには出来ません。ひとまず川に入る準備をと、今日はパソコン入り重いカバンを肩に階段上りを始めてみました。
 ところが体は思うように動いてくれません。たかが13階が意外に大変なのです。5階で息切れ、8階で一休み、ようやく13階に辿りついてときは息も荒く足もガタガタ、ただの老人でした。昨年は何とか休まず上れた階段が今年は上るのに一苦労、これが現実です。
 今日はもう階段上りはしません。でも、明日はまた挑戦します。これを続けると1ケ月後には休まず苦もなく13階まで上れます。
 そうなれば、今年も激流に耐える体力が出来ますので一安心、あとは天候と腕次第、昨年は折角仕事を空けた一週間が連日の雨で不漁でしたが今年は何とかなりそうです。今年は早い時期から仕事の段取りを仕上げて、いつでも出かけることが出来るように考えます。
 私の人生の三大目標は、もの書き、占術家育成、大鮎釣り、これだけですから単純です。それも全て中途半端だから我ながら呆れます。人生には限りがありますから仕上げ期が必要なのに、そのラストスパートもなくゴールも見えていないのです。
 こんなことでいいのか! と自らを叱咤激励するのですが、自問自答の結果は「これでいいのだ!」と自分を肯定して終わりです。
 したがって、今年もマイペースで無理はしません。階段上りも「気が向いたら」と、自己妥協です。
 さて、昨日のプロ野球の話題です。昨年オフに中日を戦力外となって解雇され、まだ29歳の若さで夢を絶たれて絶望的になった堂上選手は、巨人軍の入団テストを受けて、何とか拾われ育成選手として再就職し、何とか命拾いをしました。
 その堂上選手が昨日の12日、外野手としていきなり出場、2安打1打点。しかも、自分をクビにした中日相手に決勝点を叩きだして勝利の雄叫びです。インタビューで流した堂上選手の涙は男として共感できます。中日時代から練習の虫と言われていた堂上選手は、この猛練習による自信と男の意地で逆境を乗り越えたのです。この一瞬の光明を永続させられることができるかどうか? これからが堂上選手の正念場です。一度は挫折した人生を諦めず、初心に帰って最初からやり直しどん底からの復活・・・この意気や良し!
私も大いに学びました。