介護でご苦労されている方に・・・


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 介護でご苦労されている方に・・・

花見 正樹

今日3日(日)は母がお世話になっている地元の元気村という高齢者施設の敬老会でした。 祝賀の表彰状と記念品の贈呈があり、古希、喜寿、傘寿、白寿などに続いてラストが103歳の母でした。
昨年100歳以上だったお二人がお亡くなりになり、100歳以上は私の母一人だけです。
施設ではたった一人の100歳以上の母を皆さんで大切にしてくれています。
母は、耳が遠くて会話もよく聞こえないのに、誰とでも機嫌よく挨拶します。
それに自分なりに身だしなみも気にしますし、イケメンの介護士には好感を持っています。 さらに、母の元気のもとは、ストレスがないのと食欲、よく食べます。
今日も特別に出た松茸弁当を私と一緒に食べてほぼ間食、呆れるほどの健啖ぶりです。
8年前、兄嫁の世話から要介護度5で入院し、死の寸前に我が家で引き取った母でした。 それが今では要介護度1で元気はつらつ、杖なしでも歩けて自分のことは自分で出来ます。 と、いうことは我が家や施設の環境、介護士の方々との相性がピタリ合っていたからです。
でも、周囲の人はそれだけとは見ていません。
なにか特別なことをしていると思っているらしく、今日も質問攻めでした。
私としては、手もみ手まさつ、明るい会話を心がけているだけです。
でも、これでは本当の答えにはなっていません。
日本で最初のストレス解消サロンを開設して得たノウハウ、長年培った自己啓発法、長寿の研究なども、かなり応用しています。
若い頃、風水の師匠でもある蔡一藩師から学んだ中国式まさつ健康法も多少は用いています。それに加えて、20代から始めた気学九星術の開運法も少しは役立っているのは確かです。
おかげで自分自身も健全で健康、このノウハウを自分の家族だけに用いていていいものか? そう考えると、やはり、 世のため人のためにも、この「長寿で元気の会」を広めるのも天から与えられた自分の役割ではないか?と考えます。さらに、 これに「いつまでも若々しく」を入れたらもっとよくなります。
こう考えるのは自分の思い上がりかも知れませんが、誰かに役立てば本望です。
私は介護士の資格もなく医学や栄養学の知識もありません。
それでも、これから父母の介護をしなければならない世代の人に伝えたいノウハウは沢山もっています。
「介護をしながら幸せに!」をテーマに、いま介護で苦闘中の人にアドバイスを送りたいと思い、これから介護に携わる人をも含めて、私の時間のとれる範囲内でボランティアを考えました。
介護の大変さは、私自身が、酸素吸入&点滴での寝た切り状態の母の介護をこの手でしてきましたから、痛いほど分かっています。
私の場合は実母ですから愛情があるからこそ何でも苦なく出来ましたが、義母の場合は? それも考えました。
実際は私も皆さんと何も変わりません。悩み苦しみ、様々な実践を得て、介護には覚悟がいることも悟りました。
それと、精神的余裕があれば別ですが、介護する側の人も誰かが支えてくれないと介護は出来ません。
介護をする側が重いストレスを抱えていては、いい介護は出来ません。
介護する側のストレス解消と明るい笑顔は、必須項目です。
その心の余裕をつくるには、介護を嫌なものと思わないで済む心構えが必要です。 私は、そのためのお手伝いを考えました。
教えるのではありません。私の実践してきたノウハウをお伝えするだけです。
ただ、今の私にはほとんど空き時間がありません。それでも、介護で悩んでいる人の力になりたいのです。そんな状況でのボランティアですから、お手伝い出来る人数には限りがあります。
したがって、まずメールで状況をお聞きし、深刻度や重要度など必要に応じて優先順次を決めさせて頂きます。
開運村HP常連で、いま介護中か、これから身内の介護をしなければならない人だけにお伝えします。
私の意を汲んで、その必要性を感じた方は、masaki94581@nifty.com 花見正樹 にメールをください。 出来るだけ速やかにご返事を差し上げます。
もちろん、全て無料です。

 

五木の子守歌


五木の子守歌

花見 正樹

この8月21日(月)から25日(金)まで熊本県球磨地方の川遊びで過して参りました。
天候とよき釣友、地元の人々との交流に恵まれ楽しい数日を過して、すっかり命の洗濯をして大満足で帰京です。
今回は、鹿児島在住の若い鮎名人や地元の釣友の案内で清流日本一の栄誉に輝いていた川辺川に遊んで参りました。
清流といえば先年に国土交通省が全国の1級河川の水質検査の結果、その中で汚染の指標となる生物化学的酸素要求量(BOD)で評価した水質ランキング上位の9河川を発表しました。
細かい数値は省きますが、北海道では尻別川(しりべつがわ)、後志利別川(しりべしとしべつがわ)の2河川です。
本州では、阿武隈川水系で福島県福島市&二本松市を流れる荒川(あらかわ)と岐阜県&富山県に拘わる庄川、滋賀、福井県を
流れる北川(きたがわ)、島根県の高津川(たかつがわ)の4河川です。
四国では、四万十川の支流で高知&愛媛を流れる仁淀川(によどがわ)と徳島県の吉野川(よしのがわ)の2河川です。
九州では前述の川辺川tだ一つ、水質がいいとその川底の石に着く藻を食べる鮎も美味しいのは当然です。
したがって、今年、私が釣った僅かな川辺川の鮎は超高級品質で美味、その塩焼きでビール・・・考えただけで喉が鳴ります。
この川辺川は、ダム問題で騒がれた五木村から流れ落ちて日本三大急流の球磨川に合流して大河となります。
球磨川は延長62Km、水源の標高 1,739m、平均流量 m³ / s 流域面積533kの堂々たる一級河川です。
川辺川の上流が五木村ですから、釣友を誘って五木村特産の美味しいソバやトウフ料理なども食べてきました。
ところで、あなたも五木の子守唄はご存知だと思います。
あの哀調を帯びたもの悲しい歌を聞くたびに胸苦しさを感じるほど五木村の貧しさが伝わります。
熊本県球磨郡五木村に伝わる子守唄で、現在では熊本県を代表する民謡としても知られています。
地元には沢山の詩が遺されていますが、ここでは一般的なものを列記してみます。
「おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと 盆が早よ来りゃ早よもどる」
「おどま勧進勧進 あん人たちゃよか衆 よか衆ゃよか帯 よか着物」
「おどまいやいや 泣く子の守りにゃ 泣くといわれて憎まれる 泣くといわれて憎まれる」
「ねんねした子のかわいさむぞさ 起きて泣く子の面憎さ 起きて泣く子の面憎さ」
「ねんねいっぺんゆうて 眠らぬ奴は 頭たたいて尻ねずむ 頭たたいて尻ねずむ」
「おどまお父つぁんな あの山おらす おらすともえば行こごたる おらすともえば行こごたる」
伝聞によれば、寿永の乱に敗れた平氏一族が五家荘(八代市)に逃げて定着したのを機に、鎌倉幕府は東国の武士を五木村に住まわせて、八代の平家一族の動向を監視したのが真相のようです。
その後、これら武士の子孫を中心に「三十三人衆」なる地主層ができて、小作人たちに田畑や家屋敷から農具に至るまで貸し与えて生計を立てさせて搾取し、貧しい小作人は口減らしに幼い娘たちを地主の家や他村へ子守奉公に出さなければならなかったのです。
五木の子守唄はこの悲哀を歌ったものですが、今は、一軒1億円と言われたダムの補償金で皆さん優雅にお暮しです。
さて本題です。
私は今年も熊本県南部を流れる球磨川の大鮎釣りに行く、とHPに書きました。
ところが、球磨川の流れに胸まで入った途端、膝から下がガクガクで足元が定まらず、ずるずると下流に体が引きずられる状態が続き、体勢が崩れて竿先がぶれ、オトリ鮎の泳ぎが落ち着かないのです。
これでは、釣りになりませんので、恥も外聞もなくギブアップ・・・転ばぬ前の杖、溺れる前の自分です。
これで、ついに四半世紀続けた球磨川の激流遊びに終止符を打つことになりました。
昨年もその兆候はありましたが、まだ出来ると自分自身を鼓舞してきました。しかし、もう自分を騙せません。
もっと押しの弱い浅場で釣ることも出来ますが、これは性に合いません。
そこで、球磨川から支流の川辺川に転向したのです。
日本三大急流の最右翼にある球磨川で大鮎を狙ってこそ球磨川の大鮎釣り師ですが、もともと釣果の薄い私ですから、球磨川から川辺川に転向したところで、何ら精神的なダメージはありません。と、精一杯の負け惜しみで球磨川遊びの幕を閉じます。
前述のごとく、水質の良い川辺川の鮎は突出して美味なのも事実ですし、私はまだまだ鮎釣りをしますので関係者の方々はご安心ください。

 

母、103歳の誕生祝です。


今日は、母の103歳誕生祝いでした。
100歳祝いの時は親戚中が集まっての大騒ぎでしたが、今は兄弟家族だけの食事会です。
それでも母がお世話になっている「元気村」というグループホムでは職員の皆さまが盛大に祝ってくださいました。
「長寿で元気」、これだけでも息子としては大満足です。
長寿には、還暦、古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿、紀寿&百寿、茶寿、皇寿、大還暦、天寿の12段階があります。
さて、それぞれが何歳であるか? 答えられますか?
つぎに、あなたはどの段階まで制覇できるか、予測できますか?
もちろん、希望的予測でいいのです。
まず、長寿の第一関門は「還暦」・・・満60歳です。
長寿を祝う節目には、還暦や古希などの名称があり、本来は数え年でしたが、最近では満年齢で祝うようになりました、。
ただし、還暦だけはその性質上、満年齢60歳(数え61歳)で祝います。
還暦とは暦に使う60干支が60年で一回りして元の干支に還ることをいいます。
60干支とは、1番目の甲子(きのえね&こうし&かっし)から始まって60番目の癸亥(みずのとい&きがい)で終わり、また1番目の甲子に還ることから、61年目を「還暦」とし、赤を還暦祝いの色として赤いちゃんちゃんこなどを贈ります。
ところが、最近では60歳は高齢ではなく70歳の「古希」が長寿の入り口のように感じられています。
古希(古稀)は70歳です。
古代中国・唐の詩人、杜甫の詩に「人生七十古来稀(まれ)なり」とあり、70歳の長寿がいかに稀だったかが窺えます。
この詩に由来する70歳の「古希」が、現代では「還暦」よりも本格的な長寿の祝いの下限になりつつあります。
喜寿は、77歳です。
「喜」という字の草書体が七を三つ重ねた形から、七十七と読めることに由来しています。
ここでは、紫が長寿祝いの色とされています。
傘寿は80歳です。
「傘」の略字が八と十を重ねた形になって八十と読めることに由来しています。
ここでは、黄または金茶が長寿祝いの色とされます。
米寿は88歳です。
「米」の字をくずすと八十八と読めることに由来しています。
ここでも、黄または金茶が長寿祝いの色とされます。
卒寿は90歳です。
「卒」の略字の「卆」が九十と読めることに由来しています。
ここでは白が長寿祝いの色とされます。
白寿は99歳です。
百から一を引くと「白」となることに由来します。
ここでも白が長寿祝いの色とされます。
紀寿または百寿は100歳です。
100年が一世紀ということから紀寿です。
または1000歳であることから百寿ともいいます。
ここでもは白が長寿祝いの色とされます。
茶寿は108歳です。
由来は知りません。
皇寿は111歳です。
由来は知りません。
大還暦は120歳です。
還暦の2倍で大きいあらです。
天寿は250歳です。
人類ではまだ実在しません。
私はいま81歳ですから、つぎは米寿、いまで満足ですから、ここまで持てば大満足です。

長寿の秘訣!


長寿の秘訣

花見 正樹

お元気ですか?
私の母は、この10日で満103歳、いたって元気です。
お世話になっているグループホームで明日、兄弟身内集まってのお祝は20日(日)です。
世界一長寿国の日本にあって、平均寿命を超えて81歳の私が元気な母を見守れるのですから「元気で長生き」は幸せです。
昭和38年の厚生省発表による100歳は165人、私が長寿の研究を始めた昭和57年は約1650人でした。
何で長寿の研究を始めたかというと、当時、親しい医師(藤井尚治医博)の協力で日本で最初の「ストレス解消サロン」を銀座で開いていて、長寿とストレスの因果関係を調べたかったからで、それが今、自分の生き方や健康に大いに役立っています。
若い時は長寿願望などは女々しくて口に出せませんでしたが、最近は高齢で元気だと楽しいことがよく分かってきました。
私自身、81歳を超えた今も球磨川の激流で大鮎釣りが出来るとは、思ってもいなかっただけに格別の思いがあります。
これも、長寿の研究を極めて実践したのと、母が100歳を超えても元気なのとも無縁ではないようです。
その百歳が、46年連続増で、昨年の厚労省統計では100歳以上が日本全国で過去最多の6万5692人、凄いですね。
都道府県別での長寿率は、1位が島根県、2位高知、3位鳥取、4位鹿児島、5位香川で、最下位が私の住む埼玉県です。
1位の島根県が10万人中100歳が約96人で4年連続日本一、最下位埼玉は約31人で島根の約30%に過ぎません。
それでも最下位埼玉県にあって私の住む久喜市には、昨年9月現在で100歳以上が96人、さいたま市の425人は別格として、約15万4千の久喜市の人口比率からみて96人は10万人中62人となり、全国水準の10万人中51.60人を少々上回ることになります。
なお、日本人の平均寿命はますます延びて女性87.14歳、男性80.98歳、これでは100歳も増えるわけです。
厚労省では、今まで100歳の記念に純銀製銀杯(約7600円)を贈ったのを経費節減で、今年度から合金に銀メッキしたもの(約3800円)に変えましたが、そのうち100歳だらけになると百円ショップ並のアルミ製になるかも知れません。
私が長寿の研究に凝ってい当頃、お会いした人の中に忘れ難い人が二人います。
私と世代が近い方なら誰でも知っている鹿児島県徳之島の泉重千代翁と国文学の物集高量(もずめたかかず)博士です。
泉翁は当時115歳を超えているとされ世界最高齢としてギネスブックにも載りましたが、翁の健康を診た医師からの疑義で戸籍上の問題が出てギネスブックから削除され、没時120歳が105歳に訂正されましたが長寿には間違いがありません。
この泉翁には忘れられない出来事があります。
泉翁は酒好きで毎晩晩酌を欠かせません。そこで、地元の酒造会社の社長が差し入れを続けていました。
その酒造会社が泉さんの長寿を祝して「泉重千代長寿の酒」を発売し、当然、泉翁にそれを差し入れていました。
ところが、ある日、泉翁が代理人を立てて酒造会社を訴えて裁判を起こしたのです。
記憶は定かではありませんが、この裁判は和解で決着し、翁は現金約100万円と一升瓶で3千本以上を勝ち取ります。
ここで私は、長寿には物欲も大切か? と一時は誤解しましたが、あれは身内の仕業だったと思うようにしています。
物集高量(もずめたかかず)は足は不自由だが口は達者で、本当かな? と思うことばかり連発された記憶があります。
なにしろ日本有数の国文学者物集高見の長男として生まれ、私塾出身ながら父親の力で帝大国史科を卒業し、そこから頭角を現し、小説で賞金を稼いだりしたが女性問題で心中未遂事件を起こし手以来、素行が崩れ、見合い結婚後すぐ離婚、スリの親分に弟子入りを断られたり、博打や女遊びや稚児遊びにのめり込んだ時代もあったと言いますが、賭博癖は止まらず、花札賭博で警視庁に逮捕されたこともあったそうです。
著作は多く、東京作家クラブ賞を受賞したこともあり、100歳のときの著書「百歳は折り返し点」も好評でした。
私は見なかったのですが、テレビ「徹子の部屋」でに出て、特別ゲストとして出演の久米宏に「これからは私のライバルはあなただ」と言って大いに場を盛り上げた、と聞きました
物集翁の長寿に対する口癖があります。
「長生きするには、何事にも興味を失わないこと、恋をするのが一番、何と言っても色恋ですよ」
(うーん、こればかりは相手があることだし・・・)
とにかく一風変わったお洒落な老人でした。
さて、その長寿について世界に目を移すと公式非公式を含めて様々な人が登場します。
いま、世界一の長寿として注目されているのはインドネシアの老人(男)です。
この老人はなんと145歳、ギネス世界記録更新なるか?
調査の結果がシロであれば、地球上で最も高齢な人物となります。
その老人が語る長寿の秘訣をここに載せます。
「1“relax and take it easy”(リラックスしてのんびり過ごすこと)」
ただ、ギネス記録に承認されるには、信頼性ある公的な書類が数点必要で、それがまだらしいのです。
その成否も気になりますが、この老人の長寿の秘訣、これは私も実行中、あなたも是非!

泣くな清宮幸太郎!


 この頃、一日が早い、一週間が早い、一年が早く感じます。
それでも一日は24時間、一週間は7日、1年は365日か366日で何も変わりません。
なんだか、その日々が目まぐるしく日めくりカレンダーで次々に更新されてゆきます。
その過ぎてゆく日々で、得るものと失うものの質と差をふと考えることがあります。
若い頃は何げなく過ごしていた一日が、いまは貴重な一日になっているような気がします。
だからといって、もっと早くから時間を有効に、とはなりません。
所詮、人生は計算通り、計画通りには進まないものなのと、81歳の今頃になって私はようやく気付きました。
それでもあきらめない。これも人生です。
今日の7月30日、テレビ画面で早実の3年生・清宮幸太郎選手の泣きじゃくる姿を見ました。
神宮球場で行われた高校野球西東京大会の決勝で、早実は東海大菅生に6-2で敗れ、甲子園出場を果たせませんでした。
これで、怪物スラッガー清宮選手の高校野球の通算最多本塁打は107のタイ記録、新記録は成りませんでした。この107本、いずれも花見化学発売の金属染料によるアルミニューム陽極酸化被膜加工バットから出たホームランですから嬉しい限りです。
しかし、この107本の記録は立派です。胸を張って、ドラフト1位でプロ入りしてほしいもの。その上で、プロの記録をジャンジャン塗り替えるのです。
もちろん、本人の気持ちは「甲子園で新記録108号」でしたから、辛い気持ちは痛いほど分かります。
それでも健気に報道陣の質問に答える清宮選手の真摯な姿は、多くの野球ファンに感動を与えてくれました。
「清宮君、君の野球人生はプロ入りしてこそ花開き実も稔る。これからが正念場だぞ!」
で、同じ日のプロ野球の話題です。
なんと、巨人軍の控え選手で41歳のベテラン相川亮二選手がサヨナラ打で観客総立ちの大歓声です。
これで巨人は、相川選手の古巣・DeNAに劇的な3連勝、相川選手は歓喜の涙、いい風景です。
相川亮二捕手は千葉県市川市出身で東京学館高等学校時代から頭角を現し、ドラフト5位で横浜ベイスターズに入団、その後、
ヤクルトスワローズ、読売ジャイアンツとトレードされながら地道な努力を重ねて今日に至っています。
2006年に第1回WBC日本代表に選出されてから活躍し、2007年は横浜の選手会長を務めながら高打率を保ち、オールスターゲームにも選出され、打率も3割台を記録しています。
その後、右肩の故障から捕手としては盗塁阻止率が極端に悪くなったことから、シーズン終了後に右肩関節の手術を行ったところ、フロントは契約更改で低い金額を提示してきました。ところが、その時期に開催したクリスマスパーティーには。独身の相川選手目当ての女性ファンが
200人以上も集まって大変な騒ぎ、他の選手ならせいぜい10人ぐらいですから球団側も驚いて提示額を変更しました。
この相川選手の予想以上の人気によって球団も集客を考えて、推定年俸1億円の大台を提示、相川選手も一発サイン。
この「イケメン査定」はプロ野球始まって以来の珍事件です。この甲斐あって巨人移籍3年目で初のサヨナラヒット、冬の時代が長くても我慢をすればやがて春は巡ってきます。この自然の理を信じて、私ももう一頑張りしてみます。

二人の講師が超多忙・・・


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写真左は小美濃清明講師、右は宗像善樹講師です。
いま二人の開運村名主が超多忙、歴史の舘の「坂本龍馬」コーナー担当で龍馬研究の第一人者・小美濃清明講師と、同じく「歴史こぼればなし」担当の宗像善樹講師、どちらも著書が大きな話題を呼んでいます。
小美濃清明講師が執筆した「坂本龍馬大鑑」は、すでに各社が大々的な予約発売を始めています。
発売元のKADOKAWAがカドカワストアを窓口に、紀伊国屋、明屋書店など全国書店、さらに全国の郵便局、Amazonも宣伝をと、全国いっせいに予約受け付けが始まっています。


その、PRの一部を下記に転載します。

坂本龍馬大鑑
監修・執筆者:小美濃清明
早稲田大学卒。作家。幕末史研究会会長。全国龍馬社中副会長。主な著書に「龍馬の遺言〔近代国家への道筋〕」(藤原書店)、「龍馬八十八話」(右文書院)、「坂本龍馬と刀剣」、「坂本龍馬・青春時代」(ともに新人物往来社)などがある。
【本書の内容】
第一章新国家をつくる第二章高知城下に生まれて第三章幕末東アジア情勢第四章剣術修行開眼第五章土佐藩の枠にとらわれず第六章脱藩決行第七章勝海舟に心奪われて ~アメリカ最新事情に触れる~第八章薩摩の志士たちと“日本の洗濯”へ第九章長崎の港を見つめて ~海援隊誕生~第十章運命の薩長同盟締結第十一章秘境竹島に夢をもとめて第十二章本懐全う~「新国家創造」に夢と愛を捧げた志士~第十三章新国家の財政計画
※お宝および本書の内容は変更になる場合がございます。
完全受注生産版『坂本龍馬大鑑』仕様
[書籍]判型:A4判(上製・糸綴じ) ページ数:192ページ予定
特製ケース入り[付録]貴重な複製お宝資料全10点収蔵[DVD]龍馬の足跡を追った貴重映像を収録
発売予定日:2017年11月15日(水)【龍馬の命日】
受注期間:2017年7月14日(金)〜9月15日(金)
予価:本体 16,200円(税込)
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これぞ家宝!超豪華 完全受注生産版 坂本龍馬大鑑 〜没後150年目の真実〜 受注期間:2017年7月14日(金)〜9月15日(金)
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“坂本龍馬の実像”を体感する!
坂本龍馬の辿った道を貴重な資料と共に辿る! 大政奉還から150年。そして坂本龍馬没後150年を迎える2017年。日本近代史上最大のヒーロー「坂本龍馬」の最新情報がわかる1冊。明治維新の裏の立役者として、あまりにも有名であるにもかかわらず、多くの謎を残している龍馬。本書では、ヒーロー伝説の再現と共に、今まで語られていなかった龍馬と海外との関わり等、いまだ確認されていないその一面に迫る。大河ドラマ『龍馬伝』監修や、龍馬研究を手掛けている有識者たちによる最新の知見を集めた「最新の龍馬像」をまとめた豪華書籍に加え、龍馬ゆかりの品々を忠実に再現した複製資料全10点+DVDを収蔵。
高知・長崎・鹿児島・京都・東京を中心に、広範囲なお宝資料収集を実施。また重要文化財に指定されている貴重な資料を含む「龍馬直筆の手紙」や関連資料を精密に複製・再現し、これまでにない〝坂本龍馬の実像〟を“読んで、触って、体感する”まったく新しい読書体験をすることができる豪華保存版です。
【監修・執筆者】小美濃清明
早稲田大学卒。作家。幕末史研究会会長。全国龍馬社中副会長。主な著書に「龍馬の遺言〔近代国家への道筋〕」(藤原書店)、「龍馬八十八話」(右文書院)、「坂本龍馬と刀剣」、「坂本龍馬・青春時代」(ともに新人物往来社)などがある。
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記録帳 玄武館出席大概
複製お宝史料 記録帳 玄武館出席大概
「玄武館出席大概」は清河八郎が安政4、5年頃に北辰一刀流玄武館(千葉周作が開いた道場)に籍を置いていた309名の氏名を記録したもの。龍馬が山岡鉄舟(小野鉄太郎)に剣術を習っていたことを証明する史料〈一部抜粋にて複製〉。(清河八郎記念館蔵)
地図 龍馬が見ていたとされる世界地図
複製お宝史料 地図 龍馬が見ていたとされる世界地図
新製輿地全図。箕作省吾作。(国立国会図書館蔵)
【特別付録DVD】 約1年間に及ぶ本書取材の記録
【特別付録DVD】 約1年間に及ぶ本書取材の記録
龍馬の人生と明治維新のことを、末裔の方々や研究者たちが、すべて本企画のために分かりやすく振り返る。特別にインタビュー撮り下ろし
岡崎誠也(高知市長)、尾崎正直(高知県知事)、勝 康(勝海舟の子孫)、小曾根吉郎(小曾根乾堂の子孫)、西郷隆夫(西郷隆盛の子孫)、坂本匡弘(坂本家10代目)、橋本邦健(全国龍馬社中会長)、前田終止(霧島市長)、宮川禎一(京都国立博物館学芸部列品管理室長)、三吉治敬(三吉慎蔵の子孫)等(五十音順/敬称略)
以上の内容ですが16、200円でも龍馬ファンなら購入に心が動くような気もします。

 さて、日本橋高島屋8階の特設ホールで開かれている世界遺産「沖の島(宗像大社)」展、2日目でしたが大盛況でした。
宗像善樹講師の著書「史料でみる宗像三女神と沖ノ島傳説」も販売コーナーに山積みで売れ行き好調、一安心です。
当日同伴の相棒は、このHP「癒しの家」で「佐藤堅太郎の旅の絵日記」を担当する佐藤講師です。
会場入り口で写真を撮ろうとしても大混雑で人の切れ目がなく、このような写真になりました。

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80歳超の元氣高齢者二人、左が佐藤堅太郎講師、右が私(花見)です。

人口減と町興し。


人口減と町輿し

花見 正樹

7月14日(金)、米沢新聞社が事務局を務める米沢・置賜経済人クラブの東京例会に出席して参りました。
財務省国際局次長O氏などの講演があり、その合間に米沢の中川勝市長、吉野徹商工会議所会頭ともお会いしました。
中川市長の話で人口8万4千余の米沢市が、ついに出生率500人を割ってしまい、 いまや米沢市も、人口減に歯止めが掛からなくなってしまったとのことです。
なにしろ、ピーク時には94,790人だった人口が平成29年の3月の調査で、84、563人・・・なんと1万人減ですから市長の嘆きもよく理解できます。
しかも前述のように出産数も激減ですから人口は減って税収も減るばかり、それでも行政は支出増、公共設備や福利厚生、教育などにどう対応すべきか悩みに悩むばかりとお見受けしました。
その結論は、どの市町村でも同じこと、町輿しで観光収入を増やし、Uターンで若者を呼び戻す、それには魅力的な町づくりが必要不可欠・・・それにはペンの力も借りたいとのことなのです。
現在の私は米沢新聞社顧問ですから、米沢にも協力を惜しむものではありません。

ところで、先週のこのコーナーでは、茨城県古河市の市長、教育長との町興し談義を話しましたが、古河市は文化度も高く有史以来の歴史のある城下町ですから、町興しへの切り口はいかようにもなります。
古河市と私の住む埼玉県久喜市とは、利根川を挟んだだけの隣接市ですから、共に首都圏への通勤圏内で、東京のベッドタウン的傾向が強いことから人口減は殆どありません。
茨城県古河市は平成22年度末に約144、948人で、6年を経た平成28年の年度末が144、394人、ほぼ変わりません。
埼玉県久喜市は、平成22年3月末で157,007人、平成28年年度末は、154、033人、こちらも町村合併で新たな市が出来て以来、ほぼ同じ人口で推移しています。

国全体の人口減と出生率減少中での人口維持ですから、所帯数はは大幅に増えています。それでもすでに頭打ち、これからは全国他の市町村同様、人口減に転じるのは自然の理、このまま手をこまねいているわけにはいきません。
そこで、お節介ながら、旧知の仲の久喜市長の意見も拝聴することとし、近日中に会うことになりました。

いま私は、友人の元ANA取締役・西川嘉伸氏の故郷・綾部市の小説の詰めをほぼ書き上げて推敲中です。京都府綾部市は、風光明媚で人情に富み、文化度の高い歴史の町でもあります。綾部の 山﨑善也市長自身が、世界銀行役員を目指す出世街道を捨て、「いざ帰りなば」と故郷の苦境を救いにイバラ道を選んだ侠気に富んだ人物ですから、その人柄や行政手腕のズバ抜けた凄さは、外部の私から見ても魅力的です。それは、取材を重ね執筆を進めるうちに、その行政手腕の斬新さと勇気ある積極性にほとほと感じ入るばかり。小説の中でもいつの間にか準主役でご登場頂いています。
それでもなお、綾部市も人口減には頭を悩ますのですから地方都市の人口減は、もはや行政手腕だけではどうにもならない状態なのは間違いありません。
なにしろ、日本の人口そのものが今後50年もしない間に9千万人を切ると予測されているのですから、今のままでは日本そのものが滅びてゆくのです。
若者が、穏やかで平和な故郷を捨て、刺激と成功を求めて都会に憧れるのは仕方ありません。それを家族ごと故郷にUターンさせれば人口は倍増する理屈なのですが、故郷には家族を養う収入源になる就職先がありません。そこで工業団地を整備しての企業誘致となります。
これがまた自然破壊につながりかねませんから、行政側にとっては痛し痒しなのです。
地元の久喜市、お隣の古河市、縁のある米沢市をはじめ、全国各地の行政の長たる人は、それぞれが魅力的な個性や才覚をお持ちなのは当然ですが、これからが大変です。
私は、それにどう協力すべきか? それを考えるとき、これも執筆業の幸せのひとつであることに気付いて、心躍ります。
さて、もう夜が更けて16日(日)・・・今日はお盆恒例の母を囲んでの兄弟身内での食事会、元気で生きているのにお盆での集まりとはいささか不謹慎ですが母は大喜びです。
もうすぐ103歳、とうにあの世だったはずの母は元気いっぱい、これも温かい周囲の人情のおかげ、私も母と同様、周囲に助けられて元気に生きています。
この15日(土)も35度を超す炎天下でのアウトドアーでシャキシャキ、全ての人にも天地にも感謝感謝の一言です。

鷹見泉石をご存知ですか?


鷹見泉石をご存知ですか?

花見 正樹

7月8日(土)、茨城県古河市中央町の文學資料館に行って参りました。
鷹見家11代当主の鷹見本雄(もとお)さんの「蘭学家老・鷹見泉石の来翰を読む」の出版パーティです。
私の住まいは埼玉県久喜市内栗橋という宿場町で、利根川の渡船場近くに関所がありました。
それ以外は、全くといっていいほど他に自慢できる史蹟もありません。
そこから利根川を渡ると茨城県古河市で、一般的には譜代大名・土井家八万石として知られ、歴史の宝庫でもあります。
古河城は鎌倉時代の初期に活躍した御家人・下河辺行平によって築城され、転々と城主を変えています。
天正18年に後北条氏が滅び、秀吉の命で駿河・東海に5カ国から関東に移討された徳川家康は古河を重要視し、嫡男松平信康の娘婿である小笠原秀政を3万石で下総国・古河に入部させます。ここから古河は譜代大名の城下町として発展します。
城主は、3万石(譜代).小笠原秀政から始まって、松平家、小笠原家、奥平家、永井家、第一期・土井家5代(16万石→7万石)、堀田家、松平(藤井)家、本多家、松平(松井)家、第二期土井家7代(7万石→8万石)となっています。
そして、前述の如く幕末期の土井家だけが飛びぬけて有名で、古河といえば土井家八万石といわれます。
その大きな要因の殆どは、幕末の城代家老・鷹見泉石(たかみ せんせき)の業績に負うところが多いのです。
鷹見泉石(天明5年・1785~安政5年・1858)は、江戸時代の蘭学者で古河藩家老、名を忠常、通称を又蔵、十郎左衛門。字を伯直(はくちょく)といいい、さらに号は泉石の他に楓所(ふうしょ)、泰西堂(たいせいどう)、可琴軒(かきんけん)などがあり、さらに、ヤン・ヘンドリック・ダップルというオランダ名もあるという名前大臣です。
幕末期の鷹見家は家禄250石、泉石は藩主に補佐して全国各地へ同行して「土井の鷹見か、鷹見の土井か」といわれるほどの力を発揮し賞賛されています。
弘化2年に330石に加増されながら翌年の弘化3年(1846)に罷免されて古河に隠遁します。
泉石は、対外危機意識の高まる幕末期に、早くから海外事情に関心をもち、地理、歴史、兵学などあらゆる学問の習得と書物の収集に努め、川路聖謨、江川英龍、渡辺崋山、桂川甫周、箕作省吾、司馬江漢、谷文晁高島秋帆、大黒屋光太夫、足立左内、潁川君平、中山作三郎、カピタン(オランダ商館長)など幅広い分野の博識者と広く交流を持って洋学にも貢献しています。
渡辺崋山筆による鷹見泉石像(東京国立博物館蔵)は天保8年(1837)、泉石53歳のもので、西洋の画法も取り入れた近世画の傑作として国宝に指定されています。下世話な話で恐縮ですが時価数億円・・・内緒話です。その肖像画を惜しげもなく名刺に用いている方が、上記写真み左の鷹見家第11代当主の鷹見本雄(もとお)さん12代目の好青年・忠雄さんはまだ用いていない様子でした。
鷹見泉石の功績の一つに『鷹見泉石日記』があります。
これは泉石が職に就いた12歳から、なんと60年間にわたって書き続けた公務中心の日記で、泉石の交友の広さと、客観的な視点での文章から史料価値の高い一級資料になっています。
とくに、大塩平八郎の乱については泉石自身が鎮圧に当たったことから事件の詳細が分かります。
その『鷹見泉石日記』をはじめ書状や地図、書籍や絵画など、古河歴史博物館が所蔵するだけでも鷹見泉石関係資料は3000点を遥かに超すそうですから、鷹見泉石の偉業も、それらに加えて広大な家老屋敷の管理に関係する第11代、12代の鷹見家ご当主のご苦労も察して余りあるものがあります。
隠居した泉石は、安政5年(1858)、古河長谷町の現在の古河歴史博物館・鷹見泉石記念館にあたる隠居屋敷で死没、享年74歳、墓地は古河市の正麟寺にあります。
さて、私の住む久喜市の市長とは旧知の仲ですが、今回、古河の市長、教育長と親しく話し合えたことは今後の古河史取材に極めて有意義でした。この出版パーティにお招き頂いた宗像善樹ご夫妻に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

 

サバサバと!


 

サバサバと!

花見 正樹

7月に入って2日目の日曜日、梅雨空がからっと晴れて絶好のアウトドアー日和でした。
とはいえ、母親がお世話になっている介護施設からのお招きで、母親の103歳誕生祝い会の打ち合わせです。
なんと、施設でパーティを開いて私達息子4人兄弟夫婦総勢7人(4男が配偶者病死)を招待してくれるというのです。
その打ち合わせを終えてすぐ、日曜日恒例の川魚釣りと、身内の病気見舞いで、一日が過ぎました。
ところが、この日、とんでもないことが起こっていました。
将棋の天才で14歳の藤井聡太四段が、将棋会館で行われた竜王戦決勝トーナメントで、ついにデビュー以来29連勝の新記録で破れました。
お相手の佐々木勇気五段は、スイス生まれ22歳のイケメン棋士で、女性雑誌のグラビアに載るほどの人気棋士だそうです。
30連勝ならずでさぞ悔しかろうと思ったら、当の藤井四段はサバサバした表情で「完敗でした」とあっさりです。
さて、負けてあっさりといかないのが自民党、こちらは2日夜に幹部会で大変な騒ぎになっているはようです。
安倍総理関係学園問題、獣医科大学問題、稲田発言問題、豊田暴力問題、下村献金問題と問題だらけで勝ち目はありません。
なにしろ都議選の開票前に出口調査で、すでに小池百合子都知事率いる都民ファーストの会の圧勝、自民党の惨敗が決まっていたのですから、もう安倍総理の心中が穏やかでないのは当然で、藤井少年のようにサバサバとはいきません。
明日からの政局がどう動くのか? 東京都政はどう変わるのか? 築地問題は?
藤井四段と佐々木五段の今後は? と思いは尽きませんが、そろそろ寝ないと夜が明けます。明日は私もサバサバと過ごしたいものです。、

海の神、山の神


 今日は、古代から崇拝されている海の神と山の神の揃い踏みです。
世界遺産登録ま近の「沖ノ島=宗像大社」と山岳信仰の雄「武蔵御嶽神社」です。
どちらも古いだけではありません。人生行路を守る神と、人生勝負を勝ち抜く神の物語です。
この両者の共通点は、どちらも日本有数のパワースポットであることです。
本HPの「お休み処内・開運&心霊スポット」コーナーには、どちらも掲載されています。
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6月19日(月)、久し振りに千代田区一ツ橋の如水会館で開催された日本ペンクラブの総会に出席して参りました。
最近は政治的色合いの強いペンなのであまり気乗りしなかったのですが、会長の浅田次郎さんに会いたかったからです。
この同じHPのお休み処で「開運・心霊スポット」を担当する小林永周講師がなんと浅田会長と親戚だったのです。
小林講師は御嶽山の行事で浅田氏と会って、この著作を戴き、その作品内に出て来る浅田氏の祖父・武蔵御嶽神社の神主が、自分にとっても祖父なので驚き、浅田氏と話し合ってみたら同じ祖父だと分かって本人同士がマタイトコで驚いたそうです。
その時、小林講師が戴いた本を私がちゃっかり頂戴し、親友

としての紹介状持参で会い、図々しくサインも頂いてきました。
ま、私が、浅田会長の親戚の親友である上に、私の師匠の青山光二師もよくご存じで大いに歓迎された感じです。
と、私は勝手にそう推測したのですが、総会後の理事会で会長改選、私と交換した名刺が会長としてのラストの1枚でした。

6月20日(火)は、待ちに待った同じこのHP内「歴史の舘」で「歴史こぼればなし」担当の宗像善樹講師のライフワークの一つでもあった世界遺産予定の「宗像大社・沖ノ島」本の発売日・・・著書が全国有名書店に並びます。
7月初旬の世界遺産決定までの出版にまにあって関係者全員が「ヤレヤレ」で一部では祝勝会も始まっています。
ところが、あろうことかアマゾンと書籍の取次業者のトラブルの影響で、宗像講師の著書「史料にみる宗像三女神と沖ノ島伝説」が本のスーパーマーケットに姿かたちがないのです。これは一大事、本と言えば「アマゾン」と反応する単細胞の私などはどうしていいか分かりません。ひとまず、お近くの書店にお申込み頂くのが一番、宜しくお願いします。

6月25日(日)雨もようの一日でしたが、今日は、かつて水泳で活躍した故山中毅氏のお別れ会でした。
昭和39年の東京を含めて三度のオリンピックに出場して4つの銀メダルを獲得、金がないのを本人は悔しがっていました。
水泳会では、世界の古橋、世界の山中といわれる逸材でしたが、ついに病いには勝てませんでした。
お別れ会は、故山中氏の出身校・早稲田大学内大隈ガーデンハウスの1、2階を借り切って記載されました。
友人仲間、母校の水泳&体育関係者、政財界の早大出身者など多士済々約150人ほどの集いでした。
私は友人として親しかっただけに辛い気持ちでしたが、立派な社会人のお子様に接して一安心、肩の荷が下りました。