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佐藤彦五郎忌


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「坂本龍馬は好きだけど新選組は嫌い!」というあなた、好き嫌いは横に置いてご一読を。
9且19日(月・祭日)、日野市にある大昌寺(浄土宗知恩院末寺)における佐藤彦五郎・のぶ夫妻忌法要に参加して参りました。
幕末時の日野の大名主だった佐藤彦五郎の妻・とく(のぶ)は、後の新選組副局長・土方歳三の実姉です。その佐藤彦五郎は、代官・江川太郎左衛門英龍に見込まれて、わずか11歳にして祖父の後を継ぎ日野宿名主の名跡を継いでいます。彦五郎は歳三の義兄であると共に、天然理心流・試衛館道場を継いだ近藤勇とも義兄弟の盃を交わしており自らも免許皆伝、近藤&土方らが京都市街警備の新選組結成後は、近藤勇の代稽古として多摩地区各道場の指導を始め、精神的にも経済面でも全面的に新選組を援助し、新選組の甲州進攻には、農兵隊(春日隊)を組織して甲陽鎮撫隊に加わり実戦にも参加しています。
佐藤彦五郎は、私の描く戊辰戦争(小説)にも登場する主要人物で、佐藤彦五郎なくして新選組は語れなません。私は、戊辰戦争の会津侵略の遠因は、京都守護の新選組が長州浪士を倒した池田や事件の私怨も絡んでいるとしています。そう考えると、佐藤彦五郎もまた日本の歴史を動かした陰の人物として見逃すことが出来ません。その意味では、今回の佐藤彦五郎忌は私にとっても大事な法要となり、佐藤彦五郎・のぶご夫妻のご冥福を心から祈念申し上げる次第です。
また、本年は佐藤彦五郎新選組資料館(館長・佐藤福子さん)の開館10周年、その節目となる記念イベントとして、新選組研究家の菊地明・伊東成郎・山村竜也各氏3人による新選組講演会トークショーが行われ、それを目当てに新選組ファンの若い男女が大勢参加し大盛況。私は所用で参加できませんでしたが歴史マニアの増加は嬉しい限りです。

4月1日


五線譜

4月に入ると、いつも心新たに再スタートみたいな気分になるのですが、今年は何だかいま一つまだ気合が入りません。
 昨年発表された男の平均寿命は80・5歳、私は昭和11年1月5日生まれですから今年の7月4日で満80・5歳を無事に生きたことになります。なんだか、これで人生に投資した元金だけでも受け取った気分です。そこから後は利益ですから丸っきり生き得です。資産はありませんが子供4人に孫6人、貧乏人の子沢山で自分のDNAはしっかり残しましたので死後も細胞は生きます。
 私は開運というキーワードに興味を持ち、20代から運勢学のいいとこ取りをして今日まで生きて来ました。したがって、運がいいのは当然ですが、いま、この文章に目を通しているあなたも私と共通の運のよさを持っているのです。
 まず、私達はわずか0.005ミリという小さな体で生まれ、17センチぐらいの距離を全速力で疾走して人生最初の勝負に勝ちました。この時の体長と走行距離を換算すると現在の私達なら6キロを必死で走り抜いたことになります。ま、駅伝の一区間と考えれば分かり易いですね。全国都道府県駅伝なら競争相手は46人、ところがその時のライバルは数億人、まだ正確に数えた人はいません。ここで勝つことはオリンピックで日の丸を揚げるより大変なこと、あなたも私もこの壮絶な戦いに勝って生きているのです。これだけでも凄いことです。 
 しかも、流産、中絶、死産、新生児死亡、乳児死亡、幼児死亡、病死、事故死、なども乗り越えて生き残ってきました。日本人の死亡原因一番のガンによる死亡者は大雑把にみて34万人(6割は男)、これも今のところ何とか切り抜けました。これで運が悪いなどと言ったらバチが当たります。
 さて、オマケの人生をどう生きるか?
 老いらくの恋? いいですねえ。この言葉を胸に秘めて見果てぬ夢を追う余生、これも悪くありません。もちろん、こんな年甲斐もない恥知らずなことは絶対にNETでも言えません。一生そっと胸の内、エイプリルフールの夢のまた夢です。

勝てば官軍


戊辰碑 

卓球女子日本が準決勝で北朝鮮を破って決勝進出を決め、45年ぶりVへ王手を掛けたのをニュースで知りました。
 小学生時代から活躍した泣き虫愛ちゃん・福原愛も今や最年長で日本チームの牽引車役です。
 驚異の逆転勝ちを演じた15歳の伊藤美誠の喜びの泣き顔を見て、なぜか愛ちゃんの昔の悔し泣きの顔を想い出しました。
 ところが、すすり泣く伊藤の肩を抱く愛ちゃんの余裕の笑顔を見ると、ほのぼのとした温かい先輩の余裕の大人の顔でした。
 決勝の結果はともあれ、福原愛、石川佳純、伊藤美誠のチームプレーで素晴らしい勝利でした。
 一方。常勝の女子サッカー・なでしこジャパンが中国に敗れて、まさかの一分け二敗でリオ五輪が絶望的になりました。
 流れの悪さ、痛恨ミス、JFA会長に「このチームは古い」とまでボロクソに言われて佐々木監督の進退問題にもなっています。
 なぜ「よくやった。つぎ頑張ろう!」が言えないのか?
 その答えは簡単、この世の中「勝てば官軍、負ければ賊軍」だからです。
「勝てば官軍」を辞書から抜いてみました。
【意味】 勝てば官軍負ければ賊軍とは、何事も強い者や最終的に勝ったものが正義とされることのたとえ。
【注釈】 たとえ道理にそむいていても、戦いに勝った者が正義となり、負けた者は不正となる。物事は勝敗によって正邪善悪が決まるということ。
 以上から考えると、勝てば褒められ、負ければぼろくそ、これは「勝てば官軍」の通例で仕方ないことなのです。ここでいくら悔しがっても後の祭り、勝ち負けは勝敗の常、つい先日までは希望の星だった「なでしこジャパン」ですら、こうなるのですから、戦いに負けた以上は言い訳無用、じっと耐えて再起しまた勝ち続けるしか汚名挽回の方法はないのです。
 私はいま、戊辰戦争150年をまじかに控えて、義務感に追われて小説・戊辰戦争(仮題)を執筆中です。
 なぜ義務感かというと、私の両親が会津喜多方出身、いま私は長州の山口放送レギュラー出演32年目、会津と長州の板挟み常態です。
 しかも鹿児島から北海道まで友人知人がいて 私の親しい友人には歴史に詳しいだけでなく人生を歴史研究に明け暮れる人もいます。一人は、歴史関係書籍で一世を風靡した「新人物往来社」元社長のO氏、こちらは広島出身で東軍びいきです。もう一人は「幕末史研究会」会長のO氏で、こちらは坂本龍馬研究家で土佐びいき、東京出身の西軍びいきです。
 私自身、白虎隊生き残りのご子孫飯沼氏、薩摩の西郷さんのご子孫とも知己の仲、榎本武揚、土方歳三、近藤勇、大久保利通、阿部正弘、勝海舟、木村摂津守、東久世道とみ、坂本龍馬、その他多くの幕末史に残る方々のご子孫とご縁があります。
 さらに、私の三大生き甲斐(もの書き、弟子育て、大鮎釣り)の一つ、例年訪れる大鮎釣りが九州熊本の激流・球磨川です。
 このように東西に身を置いて生きている私の職業の一つが執筆業である限り、書かねばならないテーマは「戊辰戦争」、これは避けて通れません。
 幕末史において毒殺されたとされる孝明天皇は生前、会津藩主・松平容保に授けた御宸翰(ごしんかん)という天皇直筆の書簡と御製(ぎょせい)という天皇の御詠みになった和歌があります。皇居に砲弾を撃ち込む暴挙に出た長州藩(禁門の変)を、薩摩藩と協力して撃退した会津藩・会津容保の忠誠心を称揚したものです。
 この時点では、長州藩が賊軍、薩摩藩と会津藩が官軍です。
 ご宸翰はつぎのような内 容です。
「堂上(どうじょう=高級公家)以下、暴論を疎(つら)ねて、不正の処置、増長に付き痛心堪え難く、内命を下せしのところ、速やかに領掌し、憂患掃攘(ゆうかんそうじょう)、存念を貫徹の段、全く其方の忠誠にて、深く感悦のあまり、右一箱、これを遣わすもの也」
 その遣わされた箱に、和歌が二首収められていました。
「やはらくも 猛き心も 相生の 松の落葉の あらす栄へむ」
「武士と 心あはして 巌をも つらぬきてまし 世々のおもひて」
 これを賜った松平容保は、身に余る光栄を謝して感泣したと伝えられています。
 これだけ天皇の信頼高い松平容保が賊の悪者で、皇居に大砲を撃ちこんだ長州が官軍では話が逆ですが、前述の通り「勝てば官軍」なのですから敗けた会津が150年経った今、いくら喚いても官軍にはなれません。ただし、正義はどちらにあったか? これは検証する価値があります。中国伝来の戦いの教本「孫子の兵法」では、離間の計など敵を騙して勝つ方法がぎっしり詰まっていて、勝つためには正義などどうでもいいのです。
 しかし、日本の武士道はそれとは違います。義を尊び道を究め筋を通さねば武士道とはいえません。その武士道も武器が刀から銃砲に替わった時点で廃れました。
 英明な幕府の閣僚の一部が開国を主張、それに対抗した反幕府勢力が攘夷と鎖国の維持を叫んで始まったのが京都騒乱で、その延長上に戊辰戦争があるとしたら、攘夷が間違っていただけに、真の正義がどちらにあったかは明白過ぎて考えるまでもありません。黒船来航以来の経過をみれば、いずれ開国しなければならないのは自然の理だったのですから幕府の選択した開国の道が正しかったのです。
 にも拘わらず幕府を倒した上、寄ってたかって会津を攻め滅ぼした自称「官軍」の大義名分はどこにあったのか? 
 しかも、今まで曖昧にして握りつぶしてきた奥州会津攻めでの残虐行為等に対する謝罪は? 私の極めて個人的な意見では、幕府の命で京都守護を勤めた会津藩指揮下の新選組として公務で不逞浪士を斬ったのを逆恨みされて一般罪人扱いで斬首になった近藤勇の一件など、悪くても京都で吟味の上切腹が妥当なはずですから、何らかの名誉回復がないと、武士として死にたかった故人としては浮かばれません。
 とはいえ、どんなに徹底検証して黒白をはっきりさせて欲しくても、未だに長州主導の国政ですから無理な話です。
 せめて私が「戊辰戦争」執筆で中立的立場で公明正大に裁いてわだかまりを消し、明治維新150祭に花を添えたいものです。

祝・結婚!


錦戸 

大相撲では土俵上で力士が塩を撒きます。
 高く大きく塩を投げるのは琴奨菊、高見盛など人気力士の特権です。
 弱くて不人気な力士が毎回そんな派手なパフォーマンスを続けたら観客から笑われます。
 その大量塩投げの仕草が豪快で大人気だったのは何といっても高砂部屋の水戸泉関でした。
 一回に投げるのが600グラム、仕切り直しごとに投げるから一日2キロ以上、15日間30キロ、年間5場所で150キロです。
 さすがに遠慮して、制限時間後だけ大撒きにしましたが、塩を撒いた直後に頬や胸を叩く所作も人気があったものです。
 得意は突っ張り、押し出し、左四つで上手を引くと滅法強かったのですが、怪我のデパートというあだ名があるほどケガに悩まされて、幕内上位に行くとケガ休場で下位に落ち、また頑張って上に行ってまたケガ、こんなことの繰り返しでした。
 そのため十両にも落ちましたが、その都度頑張って這い上がって幕内に返り咲き東関脇まで上り詰めています。
 しかも、平成4年(1992)の夏場所には西前頭筆頭の位置にあっての快進撃でなんと平幕優勝・・・まったく不思議な力士でした。
 この2月12日(金)、その水戸泉こと現・錦戸親方が22歳年下のソプラノ歌手・小野友葵子さんと結婚の報が流れました。
 それを知った瞬間、私は何となく肩の荷が下りた思いでホッとしました。
 20年ほど前のことですが、茶屋の女将の仲介で、私の知人の娘と水戸泉関との間に縁談が起りました。
 全盛期ながらケガの多い水戸泉に家庭を持たせたら、もっと私生活が安定するのではないか、との世話心からの縁談でした。
 知人から相談を受けて相性をみるとお互いに大吉、私としては同部屋の朝潮ファンでしたから大賛成でした。
 ところが、縁談に乗り気だった知人が突然「この話はなかったことに」と大騒ぎで縁談をぶち壊してしまったのです。
 反対の理由は明確ではありませんが、両家の宗教問題だったかのように記憶しています。
 そのことが、水戸泉関にも好意的だった私としては残念で気掛かりだったのです。
 今、水戸泉関こと錦戸親方の幸せそうな写真の顔を見て、末永く共白髪での幸せを祈りつつ私も一安堵したところです。

何もなければいいのですが・・・


空港

 お元気ですか?
 もうすぐクリスマス、何もないといいのですが・・・
IS(イスラム国)の関与する無差別テロによる大量殺人が世界を震撼させていますが、ついに日本にも上陸しそうです。
 ヨーロッパや北アフリカからイスラム国の無差別テロへの懸念は、ついにアジアへと飛び火しようとしています。
 シンガポールのテロ問題研究の権威とされる専門家は、産経新聞の取材に応じて、このクリスマスが要注意とテロ発生への注意を喚起しています。これは、イスラム国が方針を転換したことから予測されたことです。
 ISの過激思想に共鳴して参加した戦闘員は、全国各地からの多種多様な人種から成り立っています。その各国からの過激分子を夫々の母国に帰還させて、宣伝効果の大きいクリスマス期間を狙っていっせいにテロ行為を実行するというのです。

 問題は、観光ビザで中東やアフリカに渉った日本人がどれほどISの戦闘部隊に参加しているかということです。その件については政府は公表していませんが、日本の公安当局は人名も数も把握していて帰還する危険分子を待ち伏せているはずです。ところが、彼らは世界中を敵に回して活動しているだけに、パスポートの偽造なども専門家が携わっていて殆ど見分けがつかないので、出入国印も用いた他のアジア人の偽造パスポートで入られればお終いです。いくら空港の入国管理職員や税関職員が優秀でも、書類が完璧で初入国の異国人なら、日本人を他のアジア人と見誤ることもあるはずです。
 この8月にタイ・バンコックの中心部で発生したISの無差別爆弾テロでは約160人の市民が死傷していますが、ここには中国新疆ウイグル自治区出身の戦闘員らが逮捕されています。

 調べによると、ウイグル族中国人だけでも800人以上の戦闘員がいて、彼らはトルコ人作成の偽造旅券で、タイ経由でイラクやシリアに潜入しています。これが、ISの北東アジアルートとなって、世界中からISの戦闘員を集めているのです。
 そのアジア各地から集結した戦闘員が、爆弾の製造技術を教わって、また偽造パスポートで夫々帰国して、このクリスマスに世界各地で大規模な同時テロを行うというのが専門家からの情報です。
 アジアでも、MIT(東インドネシア・ムジャヒディン)というイスラム過激派の集団がいて、その組織の戦闘員も独自の活動を続けていて、フィリピン南部、マレーシアの過激派なども加わって、東南アジアでのISの影響はますます強まっています。

 そこで日本への影響が懸念されるとになります。
 テロ対策の専門家は、米国主導のIS敵視政策で有志連合を支持する日本もテロの標的と見ています。
 日本はISの拠点からは遠く離れているために直接の戦闘には関係しませんが、故郷帰りのテロリストが存在すれば、日本国内での爆弾テロも有り得ますし、それよりもよりも、海外で活動する日本人に被害が及ぶのが心配です。
 中には、日本はISと何ら関係ないからイスラム国のテロの「標的にはならない」という声もあります。
 しかし、日本はISと敵対する国に軍事協力はなくても経済協力や難民支援はしています。ISから見れば、これらはISに対する敵対行為とみなして、日本もテロの対照となるのです。

 では、日本国内でテロが起きるのを防ぐためにはどのような対策が必要でしょうか? 
 おおかたの意見では「テロ組織に関する情報」「公安・警察当局間連携による対テロ組織対策強化」に尽きます。
 政府がとる対策は、「国際テロ情報収集」「空港での水際対策充実」の二つが柱です。
 空港では、手荷物検査を厳しくすると共に、入国審査時に、情報であぶり出したテロリストの顔画像と入国者を瞬時に照合できるシステム、搭乗者の衣服を透視できる高精度の探知装置、この二つの機器の導入を急いでいるところですが、クリスマスには間に合いそうもありません。だからといって、国民1人ひとりには、テロを防ぐ方法など思いつきません。
 せめて、クリスマスイブの夜、翌日の集会、この二日だけは「都会の人混みは避ける」ぐらいです。
 ともあれ、もうすぐクリスマス、人混みを避けて、愛する人と静かに楽しく「平和を祈って」過ごしましょう。
 愛する人がいない場合は? ご家族、身内、友人、子猫・・・心配ありませんね。


百万本のバラ

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 いよいよ出発の手続きになると、かなり緊張した表情でした。
 私の一番孫(長女の長女)がカナダへの留学、1年半の予定で旅立ちました。
 長女も大学生時代にアメリカ留学をしていますので別に心配することもないはずです。
 なのに、長女の時は平気だったのに孫のことになると無性に心配なのです。
 私は留学の経験はありませんが、本業の花見化学がドイツとスイスの化学製品(染料)の輸入販売ですから海外旅行は多少経験しています。ところが、若い時の努力&勉強不足で外国語がまるっきりいけません。それでいてドイツへの一人旅などもあり、その内容は支離滅裂で目茶苦茶、これでよく世の中を渡ってきたものと顧みて恥じ入るばかりです。
 その情けない自分の実体験から、子や孫は語学、最低で英語だけでも何とか克服してほしいもの、それには語学留学が手っ取り早いのではないか? と考えます。
 この9月末、英国のレスター大学大学院の博物館学研究科に1年間ほど留学されていた秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまがご帰国されるとニュースで報じていました。その眞子さんが、「留学生活はよい経験になりました」とテレビのインタビューで楽しげに語られていました。
 やはり、皇室は正式のイギリス英語を学ぶのが当然のようですが、私の孫娘はカナダで、ルームメイトがメキシコ娘、帰国してどんな英語をしゃべるのか? 私からみれば、とりあえず英語をしゃべる人と会話が出来れば上々吉、いわば東北なまりの英語でも合格点、孫には元気で帰ってさえくれれば成果など何でもいい、と、孫には甘いのです。

笛の音か? ソラ耳か?


 笛の音か? ソラ耳か?
バンクーバー五輪の舞台もいよいよ銀輪の女王の名誉を決定すべく、華やかな女の戦いが始まります。男子は高橋選手が五輪史上初めてのメダル取りを果たしました。メダルの色は、昨年の女子荒川選手の金と異なって少し赤みが強い金属ですが、これはこれで努力のたまもの立派なものです。
 ま、すでに長島選手のスピード500での銀がありますが、やはり一つぐらいは金がほしいですね。
 その銀の長島選手が、次の1000メートルでは37位、翌日の新聞には、ただ「長島選手、終盤失速、記録伸びず」と、そっけなく載っています。首位から4秒遅れの1分12秒台という大差での敗退ですから、本来なら優勝を狙える実力のある長島選手としては考えられない凡タイムで、翌日の新聞で見る限りは、銀メダルに安心して手を抜いたのではないか? と思った人もいるはずです。しかし、私の見るところ事実はその逆です。一度メダルを手にして五輪の表彰台に上がる喜びを知った長島選手の全身からは、もう一段上の優勝を狙う勝負への執念が、鬼気迫る緊張感になって伝わってきていました。
 一瞬の静寂の後、スターターのピストルの号砲が鳴り、スタートしかけた長島選手は一歩だけで踏み止まり出した長島選手は、不審な顔で周囲を見回して「ファールの笛が聞こえた」とアピールしたように見えました。テレビで実況を見ていた私の耳にも、あいまいではありますが、スターターのピストルの直後に、ファールを警告する笛の音に似た音が聞こえましたから、長島選手が走るのを取りやめたのも無理はありません。
 ところが、審判はレース中止のホイッスルを吹いていなかったのです。会場のどこからか誰かが故意に出した音なのか、ピストルの発射音に共鳴して出た音なのか結論は出なかったようですが、妙な音がしたのだけは確かです。コーチは猛烈な勢いで審判に競技妨害をアピールして抗議します。とはいえ、同走のライバル選手は300メートルも全速力で滑ってから永島選手がレースを取りやめたのに気づき、これも不審な顔でスタート地点に戻ってきます。しかも、すでに全身の筋力をフルに使っていますので再レースを行うには、疲労回復のための休憩時間が必要です。当然、競技を中止した長島側に怒りをぶつけ、レースの中断を認めた審判に食ってかかります。
 もしも、永島選手が研ぎ澄まされたような鋭敏なピリピリした状態じゃなく、もっと肩の力を抜いてリラックスしていたら、あの妙な笛に似た音など気にならず、思うようなレースになり、メダルはともかく上位入賞ぐらいは果たせたのではないか・・・私は、こう思いました。
 翌日も、このことが私の頭の片隅にこびりついて離れません。長島選手の惨敗が気になるのではありません。あの妙な音が気になるのです。どこかで聞いた・・・それを思い出したので、この一文を書いています。
 時々、私の頭の中の古びた書類棚の引き出しがガタビシと勝手に開いて、くしゃくしゃにして押し込んでおいた過去の断片がこぼれ出て、勝手に連携作業をしてしまい、私をと惑わせます。
 今回は、歴史上の人物の中の義経から、こぼれ落ちた断片が、長島選手の行為とつながりました。
 私の古文書研究会仲間に、明治時代から続く老舗の出版者の社長がいます。
 おかげで、私のライフワークである「大原幽学」という江戸時代末期の農村指導者の伝記小説や、ブームに便乗しての「坂本龍馬」、それを書き終わった後の資料をそっくり生かして、土方歳三を中心に据えての新撰組・・・と、調子づいて出版を目論んでいますが、さらに歴史を遡れば、戦国時代、源平時代へと図に乗って夢は広がります。
 私の住む栗橋という小さな町の名所は、「静御前の墓」・・・ただ一つ、日本のあちこちに義経信仰があるのと同じ数だけ静御前の墓はあるのですが、そんなことはどうでもいいのです。栗橋という小さな町の中央に静御前の墓があって神社があり、まことしやかに本人が使ったツゲの櫛が収められているというのがれっきとした証拠です。しかも、話の筋も通っています。
 奥州藤原の郷に落ちた義経を追って利根川まで辿り着いた静御前が、栗橋の関所で足止めされて泣き明かし、義経を恋い慕ったまま命を絶った・・・どうです? これでも事実じゃないと言えますか? それを確かにするためにも、町の教育委員会からささやかで貴重なギャラを頂いて講演をした恩返しにも、いずれ資料を駆使し歴史を歪曲してでも真面目な伝記にして、栗橋における静御前の存在を確かなものにしたいと思っています・・・思っているだけですよ。
 私の20年の鮎釣り仲間でお互いの家に気兼ねなく泊まれる、元小学校校長で郷土史家、今は静岡県庁委託で教員の教育を仕事にしているI氏という勤勉実直で酒好きの友人がいます。伊豆の狩野川のほとり、源頼朝が伊豆に流された蛭ケ小島の目と鼻の先ほどの近所に住んでいますので、当然ながら事細かに調べた郷土史が眠っています。
 さて、前述の古文書研究会は幹事が二人一組のまわり持ちで、嫌でも何年に一度は幹事がまわってきます。私とのコンビは、今度、日本シャンソン協会の会長になる芦野宏さんのマネージメントなどをする会社経営のF氏で顔が利きますから、毎回苦労する講師探しにも困りません。そこで、私からも「いい講師がいるから」とお願いして実現した研究会のテーマが、I氏の「源頼朝&義経」研究です。その内容ははしょりますが、その講演で、革鞄からおもむろに取り出されたのが一本の笛・・・ご存知、義経の「薄墨の笛」です。
「昨夕、清水の久能寺の住職から3日期限で借りてきました・・・義経が牛若丸時代から愛用したこの横笛は、700年の歳月を経て今もなお奏者次第ではすばらしい音色を出します。この笛は、新羅三郎義光から義経の父源義朝に、その死後は妻の常盤御前に、親子の今生の別れのときに丑若に手渡されたもの・・・」、と、こんな前触れから笛の由来などの後、それぞれが一応ハンカチで拭いてからではありますが、「静御前も吹いたそうだから、間接キッスだぞ」、などと品のいい学術的なことを口々に、どのような音色なのかをまわし吹きしました。ところが、笛が太く穴が大きくて、相当の肺活量がないと音が出ないのです。
 そこで結論が出ました。義経は肺活量の大きな凄いタフな男だったのです。
 そのときに、やっと出た音・・・それが、長島選手のスタート時の号砲の後に響いた笛に似た音とそっくりだったのです。
 で、私が未だに記憶しているのは、静御前との「間接キッス」と言った仲間の嬉しそうな顔です。
「それは、あんただろ?」
 いえ、めっそうもない。決して私ではありません。私が石部金吉なのは私自身が保証しますので絶対に間違いありません。
 と、まわりくどい喩え話ですが、これで、笛の音と勘違いした長島選手の心情をもご理解いただけたでしょうか?

男と女、どちらが活躍?


 2月もはや中旬を過ぎようとしています。
 18日は大安吉日、俗信とは知っていても仏滅と聞くよりは耳
ざわりがよく聞こえるから不思議です。
 19日は暦の上で「雨水」、水ぬるむ季節ですね。
 冬季オリンピックをテレビを見ながらのだらだら仕事で効率が
悪い上に寝不足・・・心臓によくないのは承知なのですが。
 4年前の今頃も当然ながら冬季オリンピック、場所はトリノ
でした。
 あのトリノオリンピックも、盛り上がりがイマイチの状態で、
毎晩のように徹夜で応援していましたから、寝不足ですっかり
体調を崩していました。
 それでも、もしかしたら・・・の期待で画面を見続けていま
した。あんお頃は、高橋大輔選手が絶好調でしたからビシッと
4回転ジャンプをきめてメダルを獲得するんじゃないか・・・
ノルディックスキーの複合団体も前評判が高かったからイケる
かもしれない・・・スケルトン女子の中山英子は上位確実・・
・スノーボードの千村格か藤森選手だったらメダルに届きそう。
 スケルトンの越選手は絶対にメダルに絡みそう・・・などと
期待して居たのですが、善戦むなしく全滅です。せいいっぱい
頑張っての敗戦ですから仕方ありません。
 と、あきらめかけたところに、フィギアのショートプログラ
ムでの1点をめぐる横並びの優勝争いに日本選手が絡んでいる
ではありませんか・・・。
 優勝候補のコーエン選手(米)は激戦のプレッシャーからか
コチコチに固まって不調、ロシヤのフルツカヤ選手も緊張した
の大転倒・・・村主選手も安藤選手も期待通りには滑れない。
 そんなところに、荒川選手が191.34点という高得点を
たたき出して主意に躍り出て優勝! あのときの金メダルは、
希少価値のある素晴らしいものでした。
 ところで、トリノでの優勝は、荒川静香選手ただ一人だけでし
たが、8位までの入賞率を調べますと圧倒的に女子選手が男子
選手を圧倒していました。
 競技の世界でも、一般同様に草食系男性が増えつつあるのか
も知れませんね。
 果たして、バンクーバーではどうなるか?
「男と女」、どちらがより多く活躍するか? 
 そんな他愛のない見方でも結構、楽しめるものです。

 昨年のあの時期は、ライブドアの粉飾決算やらなにやらで暗
い話題が多く、世相も荒れていましたが、荒川選手のあの金メ
ダルで全てが明るく変わったような気がしたものでした。
 今回のバンクーバーオリンピックも、これからが本番です。
 フィギアスケート男子は、高橋、織田が優勝候補ですし、
女性陣も充実しています。もしかして・・・こう思うと、まだ
まだ眠れぬ夜が続きそうです。
 何ですって? 翌日の新聞とか、ニュースで見れば?
 そうできれば、とっくに寝ていますよ。

長生きしたいですか?


 人生、一寸先は闇・・・こんな言葉があります。
 月日の過ぎるのは光陰矢の如し・・・これも聞いたような文句ですね。
 人生の長さは人によって違います。
 100歳までただ生きただけで死んでゆく人もいれば、若くして名を残して逝く人もいます。
 大地震の瓦礫の下、交通事故死や海難事故、戦死・・・不慮の死では人生を全うしたとは思えません。
 ところが、つい先日脱稿して出版待ちの坂本龍馬は大政奉還という大事業を成し遂げて行年33歳、次の出版予定の新撰組・土方歳三は幕府のために命を捨てて35歳・・・自分がその年齢のときに何をしていたかを考えるとゾッとします。
 私が小説を書きたいと思ったのは中学生の頃でした。
 少年時代に近所に住んでいた永井荷風翁が亡くなってからです。
 学校の先生に、「あの方は有名な作家だよ」と知らされてから、「アメリカ物語」「フランス物語」から「四畳半襖の下張り」に至るまでのありとあらゆる作品を濫読したおかげで、いつか作家に・・・との夢を抱き続けていたものです。
 それが、実際に小説を書き始めたのは50歳を過ぎてからですから、30代で死んでいたら作家にはなれませんでした。
 と、いうことは長生きして、ようやく自分のしたいことができるようになった、とも言えますね。
 そんな観点から、長生き論争からスタートしてみたいと思います。
 あなたは、長生きしたいですか? 長生きじゃなくてもいい、とお考えですか?