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霊感商法を断罪
霊感商法を断罪
サッカー・ワールドカップ(のカタール大会では、コスタリカに不意を突かれて一敗はしたが、強豪のドイツとスペインに勝利するという素晴らしい成績で日本が決勝トーナメント進出を決めました。これでベスト16,つぎのクロアチア戦で勝てば初のベスト8、これも夢ではありません。がんばれ日本! 楽しみです。
ところで、安倍元種相に対する狙撃事件を皮切りに、旧統一教会の悪質な霊感商法による多くの被害が明るみに出ています。
その旧統一教会と安倍元首相は祖父の時代から三代続いて密接な関係をもち、多くの自民党議員が不適切な腐れ縁でつながっていたことを知り、多くの国民は呆れ果てガッカリしたはずです。旧統一教会は太平洋戦争時の罪滅ぼしに日本人信者の財産を貢がせる、といいますが、これは政府間で解決済み、すでに膨大な賠償和解金を支払っているはずです。
先日、あるテレビ番組で、このような悪質な霊感商法に便乗して、占いの世界でも「霊感占い」と称して相談者から巨額の相談料を払わせる団体が激増、消費者センターには過去の8倍近い相談が寄せられている、と報じていました。
その番組では霊感商法を断罪すると共に、正しい占いの在り方も取材し、生年月日からみたラッキーカラーなどを洋服選びに活用して喜ばれている成功例も紹介していて、ランスのよくとれたいい番組になっていました。
そのカラー占いIT化などのノウハウを提供している「ザッパラス」という正しく占いを活用する会社も照会されていて、霊感商法や霊感占いへの疑念と嫌悪感を持つ私にとっては、一陣の清風を感じた思いで気持が癒されました。
私が半世紀以上前に、米国FBI使用済みのカードソーターを6台輸入して始めた占を、マスコミがコンピューター占いとして大々的に報じてくれてたこともあり、これからも占い業界の正しい発展に寄与する企業や団体には、心から惜しみない拍手と声援を送り続けます。
それと、全てを後進に任せた隠居後の私自身も、占い人生の集大成として、占いに絡んだ仕事で終活を迎える予定で準備中です。
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仕事は引退しました。
新型コロナは成り行き任せ
新型コロナは成り行き任せ
今日は11月27日の日曜日の午前9時、今日は大相撲九州場所の千秋楽、高安が悲願の優勝成るか? 日本時間で今夜7時過ぎに行われるカタール・ドーハでのサッカー・日本対コスタリカ戦の結末は? と、こんな平和ボケのさ中の昼下がり、テレビの日曜討論」では、政権各党の論客が集まっての「有事に際しての軍事的反撃能力へのミサイル保有と膨大な軍事予算の財源」で激論が交わされていました。これは北朝鮮を意識してのことですが、台湾有事の場合は尖閣諸島への中国軍の侵略は必至ですから深刻です。
この10月来の新型コロナ禍第8波では日本が再度の世界一を奪還して独走中、不名誉な記録を塗り替えています。一昨日の11月25日(金)の国内での新型コロナ感染者は11万8764人、174人が死亡しています。しかし、この最悪の凄い数字にも拘わらず、もう話題にも上りません。
一昨日の11月25日(金)の国内での新型コロナ感染者は11万8764人、174人が死亡しています。しかし、この最悪の凄い数字にも拘わらず、もう話題にも上りません。
23日(水)の勤労感謝の日など、私の住む地域の商工会議所や商店街の感謝イベントが近くの施設を利用して開かれて大賑わい、コロナなどどこ吹く風とばかりに町内商店の出店がズラリと並びましたがどの店も長蛇の列、買物どころではありません。
体育館内では「そば打ち教室」も開かれて、こちらも申込多数で割り込む余地がありません。これでまたコロナ感染者が出ると思います。
25日(金)のニュースでは、ゼロ・コロナ対策で知られる中国でも新型コロナウイルスの感染が急拡大していて、同じ25日の新規感染者数は約3万5000人と過去最多となり、移動制限や地区の封鎖、一部日系企業でも操業停などと報じられています。
中國の人口総数は14億人、このうちの3万5千人ですから4万人に一人。日本は1億2千万の人口で約12万人の感染ですから約千人に一人。数字の上では日本人感染者35人に対して、中国では1人ということになります。それでも中国では政府の厳しいコロナ政策で暴動が起きたり、経済停滞が長期化するなどの影響が出ています。
その結果、従業員に感染者が出ると操業停止や永病停止になる起業が続発、企業によっては従業員を工場に寝泊まりさせて生産を続けているといいます。とうぜんながら、待遇への不満の高まりなどを受け、従業員による大規模な暴動が起きてニュースにもなっています。
それにしても、その35倍もの感染者多発の日本では経済優先、政府の無策ぶりは呆れるばかりです。
いま世界の人口80億人のうち新型コロナ感染者は約6億1戦万人、これからみれば感染者数約360万人超の日本はまだ余裕があります。
マスク着用も慣れましたし、行動制限制限のない今の我が国の無策ぶりを良しとすることにします。
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仕事は引退しました。
北軽井沢はうっすら紅葉
あと数日で11月いりという秋深い金曜日、義息(長女の夫)の運転する車で紅葉狩りを兼て、久しぶりに北軽井沢の群馬県嬬恋村にと出かけて参りました。この日は快晴、雲一つない秋晴れの空の下、浅間山もくっきり見えて、街道筋の灌木もあちこちで黄や赤に色づき始めて、すでに紅葉のシーズンに入りつつある気配でした。
今回の目的の一つは、半世紀ほど昔、軽井沢でのゴルフ帰りに、大手不動産会社の新規開発別荘地の宣伝キャンペーンに引っ掛かって衝動買いした土地の確認もあったのですが、その頃はきれいいにi整地されていた土地が、なんと今では松や杉、白樺や椎などの雑木林に変貌していて見る影もありません。これでは、 ログハウスをと思う気もすっかり萎えてしまいました。これでは子も孫も友人知人も誰も欲しがる人はいないはず、無料で差し上げると言っても貰ってくれる人との間には贈与税などという厄介者が発生するし、全くムダばかり、我ながら呆れています。
その近くにあったソバ屋が改築し て繁盛していて味も良く、浅間牧場が立派な売店&食事処を出していて、ど ちらも来客でにぎわっていたのが印象的でした。。
帰路は八ッ場ダム経由の我妻渓谷沿いの紅葉風景をとも思いしたすが、この道は超渋滞間違いなしでしますので、やはり中軽井沢から高速に抜けての帰路になりました。
仕事は引退しました。
花よりだんご
先日来の寒暖の差が激しい日々が嘘のような、爽やかな秋晴れの日曜日になりました。こんな日に家にじっとしてはいられません。そこで、休日になると買い物や家事を手伝いに来る末娘の運転で、隣接する加須市郊外にあるコスモスの群落に行ってきました。
期待するほどの景観ではありませんでしたが、気持ちは落ち着きました。しかも、そこに近い道沿いに名物「千明だんご」の店があり、やはり「花よりだんご」の俗諺は生きていました。
ところで、ウクライナ情勢は混沌としてきました。
クリミヤ大橋の爆破でウクライナ側が圧倒的優位に立ったかのように見えましたが、その後の長距離ミサイルによる無差別報復爆撃での市民殺傷など、プーチンのなり振り構わぬ非情なやり口は、明らかに常軌を逸する狂気の仕業です。今後は化学兵器や核ミサイルなど大量破壊兵器の使用も時間の問題のような気がします。
そうなると、西欧側はどう出るのか? アメリカは? これがウクライナでの局地戦で終わるのか? 世界規模に広がるのか?
すべては疑問だらけ、我々もどの局面にも対応できるように準備すべき時期に来ています。
場合によっては人類滅亡に近い状態になることもあり得ます。
プーチンがウクライナ侵攻で「併合」を宣言した四つの州をめぐる戦闘が激しさを増し、ここをウクライナが奪還すればロシアは大敗北、プーチン政権もクーデターによって崩壊、プーチンは死刑か自決か刑務所入り・・・プーチンはその前に大量破壊兵器など禁じ手を用いて一発逆転を図るはずです。
先日のニュースによると、ロシアの同盟国であるベラルーシのルカシェンコ大統領がロシア軍との合同部隊編成に合意、はやくもロシア軍千人がベラルーシ領内に入って、その合同軍がウクライナ北部からの攻撃準備に入った可能性が指摘されています。
この情報がどこまで正確かは知りませんが、ロシアの同盟国が参戦となると戦況は一変して、ロシア側が優位に立つことも考えられます。ただし、この参戦はベラルーシにとって百害あって一利なし、国家の存亡にも関わるだけに、したたかで狡猾なルカシェンコ大統領がどこまでプーチンに義理忠誠を果たすのか? これらは全て疑問だらけなのも事実、哀れなのは孤独で逃げ場のないプーチン大統領、同情の余地はありませんが。
秋の夜長にこんなことを考えて、眠れぬ夜を過ごしています。
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仕事は引退しました。
鬼蓮(オニバス)の花
先日この欄で、秋風が吹くと私は大鮎を想うと書きました。すると、時々ここを覗きに来る暇な友人がいて、「鮎は初夏6月の風物詩
だし、夏までの季句じゃないのか?」と突っ込みがありました。確かに、その通りです。
若い頃から3月1日の渓流解禁日(イワナ・ヤマメ)と6月1日の鮎解禁日には何を置いても川の中で竿を出していたものです。
そして、シーズン終了までのほぼ毎週の週末を川で過すという非生産的な半生を過ごして参りました。さすがに、これでは自分の願望達成どころではないと気づき、70歳以降の晩年になって鮎が一番大きく成長する時期だけ竿を出す「大鮎釣り」に転向し、2年前の球磨川災害で竿を畳み、不本意ながら一つのライフワークを終えたのです。
それにしても週末の殆どを川で過したのですから、今になってやり残しの仕事を急いでも間に合うはずがありません。
私の今の状況は、いわばサボリ癖のある仕事の遅い人間が、ノルマ達成もままならず、毎日無休の残業で苦労しているようなものです。
それでも仕事は遅々として進まず、このまま朽ち果てるのがしいのも本音ですが、周囲には「いつ死んでも満足」などとうそぶいています。これも半分は本音です。
ところで、秋の野には様々な花が咲きますが、今日は珍しい「鬼蓮(オニバス)」の花を紹介します。
これはも隣接する加須市が「観光客目当てに力を入れた割にはパッとしない事業の一つで、7月の中旬から9月上旬までに咲く赤紫の小粒で地味な花 で、数年に一度でも見られれば上出来というほど気まぐれな花なのです。しかも咲くのは早朝だけ・・・よほど運が良くないと大きな葉だけで「花は見ず」となります。ま、そうまでして見に行くほどではないのですが、駐車場からオニバスや聖地まではかなり歩きますので、散歩という健康法の一環として捉えれば無駄にはなりません。
仕事は引退しました。
秋風に想う。
さあ9月、秋風が快い季節です。
つい数年前までの四半世紀超の毎年9月上旬、私は熊本県南部球磨郡の球磨川で下手な鮎釣りを楽しむのをライフワークの一つとしていました。
現地の仲間は誰もが親身になって、私の自由気ままな川遊びに付き合ってくれました。てい
10代後半頃の私は、市川市八幡の釣り会で毎月一回、年に12回の魚種別競技会に参加、たまには優勝したりもしましたが所詮は井の中の蛙でした。
その市川市の釣り会では、タナゴ、ハヤ、ヤマべ(オイカワ)、フナ、ハゼ、キス、カレイ、クロダイなどが対象でしたが、都内に転居して東京の釣り会に入ったとたん、鮎の友釣りが必須項目で、千葉県では鮎の友釣り河川がありませんので鮎は餌釣りだけで友釣りは未経験、1から始めなければならず苦労しました。
それでも埼玉県に越してからは関東北部山間部での渓流釣りでイワナ、ヤマメ、鮎釣りに凝り、挙句の果てに九州球磨川通いとなり、大洪水災害による鮎宿流失、宿主ら溺死の悲劇で辛い想いで挫折しましたが、今でも川は好きです。
一時期、栃木県小倉川流域に住む釣友が、土地を提供するからプレハブで自分用の鮎宿を作らないか、との誘いもあったが、いまは日本全国どの地域でも線状降雨帯による河川氾濫の危険がありますので、残念ながら川辺には住めません。
猛暑日が鎮まり秋風が肌に快くなるこの季節、いまだに激流の中で大鮎を掛けた時の激しい感触が蘇って、老いの血が騒ぎます。
この秋は、この残された最後の情熱を「もの書き」生活に賭けて一勝負、これも人生の一齣です。
(注)写真の大鮎は、親しい釣友の鮎名人が球磨川で釣りあげた大物です。この当時は日本一、33センチ500グラムという巨大な鮎です。この大鮎はテレビでも紹介され、発売された釣り風景DVDには釣り人・野嶋島玉造(ガマカツテスター・野嶋釣り教室主宰)、現認者・花見正樹とあり、私は手に汗を握る思いで、激流を引きづられながらも数十分の激闘でこの大鮎を仕留めた名人の技の一部始終を見届けています。このような大鮎は、一般の釣り師には立ちこむことが不可能な流心部の深場に縄張りを持って君臨していて、私が特注で作った12メートルの鮎竿でも無理、私達では命がけの激流を、この長身で筋肉質の野嶋名人だけは縦横無尽に渡り歩いているのです。
この野嶋名人は、釣り雑誌「つり人」に連載の私の小説「利根川心中」のモデルで、父親が赤城山で山荘を開いていた学生時代、毎日のように重い荷を背負って麓と山を往復して足腰を鍛え、父の死後は山より川へと生き方を変えているのです。その強靱な足腰が激流の底石をがっちりと捉えて流れに逆らって立てるのです。この真似は私にはできません。
秋紀の気配を感じたら、こうして心が騒ぐのです。
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仕事は引退しました。
8月15日
このお盆休みは、中学生になった孫と川釣り、池釣りと釣り三昧の筈でしたが、その姉(大学1年)がコロナで発熱、その弟も父(私の長男)も濃厚接触者として在宅となり、釣り企画は残念乍ら中止、毎日が雑事雑用で無為に過ぎました。
この中の8月15日(月)はお盆の中日で、終戦記念日でもありました。
77年前のあの日、小学3年生の私は疎開先の福島県喜多方市の父の実家の居間に正座させられていました。日ごろから厳格な教育者の伯父が神妙な口調で「日本は負けた。もうすぐ天皇陛下のお言葉がある」、といい毅然とした姿勢で家族全員の真ん中に座り(伯父伯母従姉二人と私の5人)、やがて玉音放送が始まりました。
意味は全く理解できなかったが、伯父夫婦がしきりに涙を拭くのを見て、今まで「勝つ」と教えられいた戦争が、疎開する前に見た、あの東京大空襲の地獄絵図と重なって、「やはり負けた!」という思いが子供心に重くのしかかっていたものです。
業音放送は次の通りです(無理に読む必要はありません。記録として載せただけです)。
「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク。朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ。抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々惜カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ心霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ。朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負イ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス。
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ」
つぎは現代語訳です。
「世界の情勢と日本の現状を深く考えた結果、緊急の方法でこの事態を収拾したい。忠実なあなた方臣民に告ぐ。共同宣言を受け入れる旨をアメリカ、イギリス、中国、ソビエトの4カ国に伝えよ」と政府に指示した。日本臣民が平穏無事に暮らし、全世界が栄え、その喜びを共有することは歴代天皇が遺した教えで、私も常に心に持ち続けてきた。アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定を願うからであり、他国の主権や領土を侵すようなことは、もともと私の思うところではない。
だが戦争は4年も続き、陸海将兵の勇敢な戦いぶりも、多くの官僚の努力も、一億臣民の奉公も、それぞれが最善を尽くしたが戦況はよくならず、世界情勢もまた日本に有利ではない。その上、敵は新たに、残虐な爆弾を使用して多くの罪のない人を殺し、被害の及ぶ範囲を測ることもできない。このまま戦争を続ければ、日本民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊してしまうだろう。
そんなことになってしまえば、どうやって私は多くの臣民を守り、歴代天皇の霊に謝罪すればよいのか。これが、私が政府に共同宣言に応じるように命じた理由だ。私は、東アジアの解放のために日本に協力した友好国に対して、遺憾の意を表せざるを得ない。戦地で命を失った者、職場で命を失った者、思いがけず命を落とした者、またその遺族のことを考えると、身も心も引き裂かれる思いだ。戦争で傷を負い、被害にあって家や仕事を失った者の生活についても、とても心配だ。これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民のみんなが思うところも私はよくわかっている。けれども私は、時の運にも導かれ、耐えられないことにも耐え、我慢できないことにも我慢し、今後の未来のために平和への道を開いていきたい。
私はここに国体を守ることができ、忠実な臣民の真心を信じ、常に臣民とともにある。感情の赴くままに問題を起こしたり、仲間同士で排斥したり、時局を混乱させたりして、道を外し、世界からの信用を失うことは、私が最も戒めたいことだ。国がひとつとなって家族のように団結し、日本の不滅を信じ、責任は重く、道は遠いことを心に留め、総力を将来の建設のために傾け、道義を大切にし、固くその考えを守り、国体の本質を奮い立たせ、世界の流れから遅れないようにしなさい。あなた方臣民は、これらが私の意志だと思い、実現してほしい。」
(注)原文は国立国会図書館のホームページで閲覧できます。
私は、小学3年の9歳で迎えた77年前のこの日から、この日を「終戦記念日」ではなく「破羽扇記念日」として脳裏に刻んでいます。それは、都内と川(江戸川)一つ隔てただけで戦火を逃れた自分が、夜陰に襲来した米軍のB29重爆撃機の大編隊によって、都内各地に焼夷弾が雨あられと降り注ぎ、燃え盛る紅蓮の炎で夜空が昼間のように橙色に明るく染まり、恐ろしくも美しい光景でした。日本の戦闘機も敵銃爆撃機に体当りせんと果敢に立ち向かいますが、B29を護衛するグラマン戦闘機に迎撃され、相討ちで双方が煙を曳いて墜落する姿も見ました。
その翌日、怖い物見たさもあってか、小6のガキ大将の引率で総勢8人が、県境の鉄橋を渡って都内の焼け跡を見に行きました。
廃墟となった焼け野原はまだ倒れた家がくすぶっていて、突然火を噴く場合もあり、死体を片づける人びとも疲れ切っていて無言、まだ生き残っている人のうめき声があちこちで聞え、まさしく生き地獄、引率のガキ大将が、リーダーらしい大人に手伝いを申し出ましたが、足手まといとして却下され、炊き出しの麦飯お握り1個づつを貰って帰路に就きました。この十時、「この戦争は負けだな」と皆に語りかけたガキ大将の一言に全員が頷いたものでした。ここで見た地獄絵のような惨状は、同行したガキ仲間8人全員が一生忘れることは出来ないはずです。
そんなな想いを抱いての玉音放送拝聴聴ですから、意味は不明でも子供心に「敗戦は当然」のように思えていたのです。
敗戦から77年のこの日、お盆休みで帰省中の末娘らと隣接する加須市志多見の「道の駅 ・童謡のふる里おおとね 」内にある「お食事処・わらべ」に襲い昼食を食べに行って参りました。家から車で18分ほどの至近距離にあるこの「道の駅」には新鮮な野菜が安価で沢山あることから我が家では近所の八百屋と同じぐらいの頻度で通っていて、加須市はウドンの名産地ということから、家族はウドン、私はソバを食します。
私は食通とは全く無縁なほど味に疎く、何を食べても美味しいのですが、とくに固めのニ八蕎麦に大根オロシを絡めたり、雑魚の天ぷらと合わせたりと好き勝手に食べるのが好きで、築地の一人食事の時などは殆どメン類、具は冷蔵庫に有るもの全てが対象です。
この、童謡のふる里」として売り出し中の「おおとね道の駅」に付随するへようこそ! 東北自動車道「加須IC」または「羽生IC」から車で約15分 道の駅 童謡のふる里おおとねの農産物直売所では、地元加須市の農家で採れた新鮮で安心・安全な特産物でもある「大利根産コシヒカリ」「つる付きいちご」「いちごトマト」「古代米」「いちじく」「地元特産の梨」、その他農産品全般、金魚やメダカ、近隣で獲れる雑魚なども持ち帰り用に酸素付きで販売しています。
それと、今回のこの道の駅行きの目的の一つは、その敷地内にある大きな浅い池に咲くホテイアオイが見ごろであることでもありました。ホテイ ホテイアオイ.(布袋葵 )はミズアオイ科 に属する 水草 で、花が青く美しく、捌名は 「ウォーターヒヤシン」です。
湖沼や流れの緩い川などの水面に浮かぶ水草で、葉は水面から立ち上がって丸っぽく膨らんで浮き袋の役目をしていますが、これが七福神の布袋さんのお腹のようでホテイと名付けられたようです。
ただし、そ観賞用に人気のあるこの花には大きな欠点があります。それは、原産地が熱帯・亜熱帯域に属していたため寒さに弱く、冬はほとんど枯れてしまって悪臭を放つため、短期間ですが近所迷惑とされ地域の鼻つまみ者として嫌われる一面もあるのです。
ここの所在地は、: 〒349-1151 埼玉県加須市佐波258-1。: 県道46号線沿い(埼玉大橋手前)
正式な施設名は、 道の駅 童謡のふる里おおとね 農業創生センター。
電話:は、0480-72-2111、です。
こうして、今年の敗戦記念日は終わりを告げました。
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仕事は引退しました。
灼熱の夏に友を偲ぶ
灼熱の夏に友を偲ぶ
ここのところ猛暑が続き、日本列島のどこかで高温新記録が出る可能性があるという気象庁の観測がニュースに流れ、コロナ禍も全国で連日20万人前後の感染者が出ていて、その猛襲は一向に止む気配がありません。医療機関の人手不足や病床不足は感染者の急増と相まって深刻な過密状態に陥っていて医師や看護師など医療従事者のSOSの悲鳴があちこちから聞こえて来ます。
にも関わらず、政府の方針は「経済優先」で平常通りとの無策に尽き、各地の祭りやイベントは全て野放し、ここ数年の閉塞感から解放された国民はこの機会を逃してなるかと、我れがちにどこにでも出没し、もはやお手上げ状態で一億総感染も目前です。
私のオフイス兼サロンから眼下の築地本願寺の中庭でもご多分に漏れず、中央区と地元の商店街が組んでの3年ぶりの盆踊り,「2022第75回築地本願寺納涼盆踊り大会」を企画して舞台や屋台を設置中、人出は約3万人を見込んでいて、数日後には東京音頭や炭坑節の歌に合せて笛や太鼓の音が響いて、私もそこにいれば仕事どころではなく、当然ながら来客と参加ですが、生憎と今の私は週末になると自宅仕事で築地にはいません。
(下の写真はいま準備中のものです)
(上の写真真は以前のものです)
さて、本題の「偲ぶ会」です。
本年5月5日に心筋梗塞で急逝した友人・小美濃清明氏(幕末史研究会会長)を偲ぶ会が、7月30日(土) 午後2時から都内市ヶ谷の「アルカディア市ヶ谷・私学会館」で、46名の有志者の参加を得て執り行われました。
司会は小林賢吾氏(咸臨丸子孫の会幹事)で、挨拶の榎本隆充氏(榎本武揚玄孫)と大出俊幸氏(元新人物往来社社長)のお二人に続いて、不肖私めが献杯の音頭を執ることになりました。
献杯の挨拶は1分まで、この常識を念頭にラジオで手慣れた頭時計での一言です。これで言い残すことがあれば私はプロとして失格です。
「小美濃清明氏は、幕末史研究会会長として長年に渉って皆様と共にあり、我が良き友としても取材旅行や図書館通いなどを共にしてきました。つい3ケ月前、小美濃氏は皆様の前で、あと5年は頑張る、と執筆活動への意欲を述べました。そのわずか12日後に志半ばに急逝されたのです。真に残念です。本人の無念もさぞかしと思われます。ここに、その早逝を悼み、永久のご冥福を祈って献杯を捧げます・・・献杯!」
自分としては一分ピタリ、まずまずでした。
ここから「偲ぶ会」は賑やかな懇談や飲食で時を過ごしました。
私の席は6人円卓で、左は前述の榎本氏、時計回りに廣橋静江氏と飯野順子氏(小美濃氏妹)、米川佳伸氏(元国連職員・真言宗僧侶)、そして右隣が大出氏ですから、どう見てもメインテーブル、何で私が??です。
ともあれ会食が進み、テーブルスピーチでは、前田由紀枝氏(坂本龍馬記念館職員)、福井慎二氏(元NHKアナウンサー・北海道坂本龍馬会)、高山みな子氏(勝海舟玄孫)、植松三十里氏(作家)、宗像信子氏(木村芥舟玄孫)などが故人との想い出を語り、追悼の辞を米川氏が述べました。
続いて加藤健太郎氏(歴史研究家)の詩吟があり、広橋・飯野(小美濃氏妹)両氏の答礼の挨拶があって会は無事に閉じました。
これで、故人も安らかに冥界に眠り、幕末史研究会と私との縁も遠のきました。
ところが、この「偲ぶ会」を終えてみると、自分にもかすかな変化が起こっています。残り少ない自分の人生に何を為すべきか? その選択肢がもう幾つもないことに気付かされたのです。
明日は我が身、過去の遍歴から的を絞って、今からでも出来ることだけを「成す」ことだけを考えることにしました。これでスッキリ、迷いはありません。
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仕事は引退しました。
第7波コロナ禍に想う
第7波コロナ禍に想う
新型コロナの変形であるオミクロン株を主役とする第7波コロナ禍の脅威を尻目に、人数制限なしの大相撲観戦をはじめ夏のイベントが各地で目白押しです。
新型コロナの国内累積感染者はすでに1千万人超、国民の10人に一人がコロナに感染する状況でも、政府の方針は経済優先で国民の健康は二の次でコロナ感染は野放しです。
もはや誰もが一度は病床に伏し、約10日間の高温発熱で苦しみながら、死と隣り合わせの闘病生活を覚悟しなければなりません。
私もすでに86歳という年齢から考えて、感染した場合の覚悟は出来ていて、呆気ない最期もあると思っています。
それにしても、安倍晋三元総理の67歳の不慮の災難は、あまりにも無惨でお気の毒でした。
このような暴挙は絶対に許せません。
だからといって、元総理の全てを美化し、国葬などとは、これも暴挙過ぎます。
元総理と統一教会との関係はともかく、森友学園・加計学園問題や、税金の私物化でもある不透明な「桜を見る会」問題などが未解決、国会でも追及された公文書改ざん問題では、財務省近畿財務局職員の赤木俊夫氏(54)が、この不正な仕事の軋轢(あつれき)に巻き込まれて命を絶っています。
安倍元総理はもう少し長生きして、国民の前で「政権の私物化」も含めて謝罪と懺悔で「頭を下げて欲しかった」、こう思うのは私だけではないはずです。
それでも、わが国には「死者に鞭打たない」という美徳?がありますので、これで全ての疑惑は藪の中。
若くして総理になり、二度の総理選出で在籍期間は歴代最長、外交手腕や国政のかじ取り、アベノミクスなどで対立と賛否両論の中を駆け抜け、それなりの実績があるのは事実ですから、ここは素直にご冥福を祈るのみです。
ただし、国葬などは論外で、私は国民の一人として断固反対です。
何故ならば、疑惑まみれの安倍元総理が国葬ならば、今後も含めて歴代総理全員が国葬の資格ありとされ、税金の無駄遣いだからです。
それとも岸田総理は、自分の将来を考えての前例づくりという遠謀深慮なのか、それならなお反対です。
それにしても韓国の宗教団体に日本の1信者が1億円超の献金で家庭崩壊、これが氷山の一角だとしたら、その恐ろしい闇を暴くことは出来ないのか? それと共通する闇の部分が、日本の国政の表舞台にも多くの影響を及ぼす日本の新興宗教団体にもあるのではないか? この闇は深すぎて暴けませんが、いつの世にもあることかとも思えます。
安倍元総理狙撃事件は、法治国家においてあってはならない不祥事で多くの教訓を遺しています。
私も若き日には友人の経営する警備会社に在籍し、防弾チョッキを着し、伸縮自在の警棒を隠し持ち要人警護を職業の一つとした経緯もあるだけに、この事件は他人事とも思えません。思わず、自分だったらどう動くかをシュミレーションして冷や汗をかきました。
この不幸な出来事とも無縁で、恵まれた環境のこの穏やかな終活期にいる自分の天運にただただ感謝するばかりです。
この新形コロナの第7波を乗り切ることが出来たら、微力ながらもう少しだけ世の中のお役に立ちたいものです。
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仕事は引退しました。