投稿者「花見 正樹」のアーカイブ

女子フィギアスケートの注目度


 バンクーバーオリンピックではもいよいよ大詰め、一周110メートルのショートトラックでの手に汗握る迫力のあるスピードスケートも面白かったし、決勝目指す女子スピードスケートチームの頑張りも楽しみいっぱいですが、一先ず大会の華であるフィギアスケートは終わりました。
 男性陣も、高橋、織田選手など頑張ったのですが、女子選手からみると印象が薄いようです。
 確かに、浅田真央の銀メダルをはじめ安藤、鈴木両選手の入賞という大活躍には男性陣も惜しみない拍手を送るしかないはずです。
 今回の冬季オリンピックも、男子の活躍もあったのも拘らず、女子選手に話題が集中してしまいました。それにしても、女子フィギアスケートは圧巻でした。
 完璧な演技の韓国キム・ヨナ選手に大差をつけられての2位ではありましたが、ショート女子シングル史上初となる3回におよぶトリプルアクセル(3回転半)を成功させての総合点の205・503は素晴らしい成績で、金に匹敵する銀メダルと言って間違いありません。表彰台での真央さんには笑顔がなく、小さなミスを悔やんでいる様子でしたが、最善を尽くした上でのミスはやむを得ません。
 なにしろ、キムナム選手の得点そのものが歴代の最高得点をはるかに上回っているのですから仕方ありませんね。
 天才少女といわれ、早くから頭角を現していながら1年前の悪夢のスランプ、それを克服したからこそ真央さんの今日があるのですから、今回の銀がまた大きな飛躍のチャンスに河全日本選手権で3連覇を達成、昨年はショートプログラムで3回転アクセルのコンビネーションに成功して、国際大会で自分自身としては初めての200点超えを達成したのは見事でした。
 しかし、真央さんがスランプに襲われたのはそれからです。その後の大会で、ジャンプの回転不足を厳しく指摘され3回転すら満足に跳べない状態に見舞われ、一時は練習の意欲を失って休養を考えたとも聞きます。
 しかも、昨年のグランプリシリーズでは、3回転アクセルが6回挑んで成功はたった1回だったのですから、その後の全日本選手権で4連覇したことが、いかに自信回復に役立ったか・・・これでバンクーバーオリンピックの日本代表選手の切符を手にしたのと同時に、3回転半という大技の成功に進んだのですから運も味方していたのは間違いありません。
 ところで、日本の女子フィギアスケートで、殿堂入りした大選手がいるのをご存知ですか? 
 荒川選手ではありませんよ。もっとずーっと以前です。
 ここで名前が出れば、結構スポーツ通です。
 全くの独壇場で日本選手権8連覇、同年齢のライバルとは実力の差が歴然としていて相手にならず、同年代の選手には気の毒でしたが、ライバルからも憧れの存在だったそうですから憎い存在だったと思います。もちろん世界的にも有名で、女子選手としては公式戦でトリプルアクセル(3回転半)を世界で初めて成功させて話題になりました。なんと、今から20年以上も前のことですよ。
 彼女は、女子フィギュアスケート界に数々の記録を打ち立て、ギネスブックに、「世界でもっとも高得点を得た女子選手」として名が刻まれています。日本人初の世界フィギュアスケート殿堂入りし、3年前に開催された世界選手権の会場で、国際殿堂入りの表彰式が行われたのもテレビで見ました。その選手の名は・・・伊藤 みどりさん。今回のオリンピック選手3人同様に名古屋出身です。
 お嬢さんの遊びだった日本のフィギアスケートが、立派なスポーツとして花開いたのは、この伊藤みどりさんの活躍以来です。
 私が、自分の小説の中にフィギアスケートを取り入れようと考えたのも、その影響で・・・と、告白しておきます。

オリンピックと舞姫


 今日の「男と女」は、冬季オリンピックから舞姫に飛びます。
 男性陣は金を期待できるものはもう残っていませんが、オリンピックの華、女子フィギアスケートの金メダルのチャンスが残されています・・・と、期待を込めてこの一文を書いています。
 浅田真央もショートプログラムの本番でトリプルアクセル(3回転半)を成功させ、韓国のキムヨナに次ぐ高得点を叩き出し、19歳での金メダルに向けて存在感を示して絶好調の様子ですし、安藤美姫も連続3回転を成功させて意欲満々、静かな闘志を燃やしている様子が伝わってきます。ギョロ目の鈴木明子もなかなか落ち着いていい得点を出していますから、明日のフリーに向けて三社三様に闘志を秘めていますので楽しみがいっぱいです。
 最愛の母を失い悲しみを秘めたカナダのロシェット選手のラ・クンパールシータの調べに乗った魂のこもった素晴らしい演技も、見るものの心を打ち、キムヨナ、真央に次いで3位に入ったのも納得です。
 これで、ショートプログラムでの演技は終了しましたが、韓国のキムヨナと日本の浅田真央が最右翼にいるのは間違いありません。

  話は変わりますが、昨日、私は三鷹市の親しい文芸評論家で大先輩のO先生邸にお伺いしました。
 氏の蔵書野中に丹羽文雄氏の書籍があれば頂こうという魂胆から、約束しての訪問です。JR三鷹駅前で乗ったタクシーでO先生宅の名を告げると、「ここの運転手なら誰でも知っていますよ」と言うのです。やはり、元有名大学の学長で文化勲章の栄誉を得ている著名なO先生ですからここは納得です。
 その運転手さんは、ラジオから流れるフィギアスケートの予想からの連想からか、ふと「O先生の文化講演で舞姫を聞きました」というのです。しかも、O先生の文学講演を何度も拝聴しているというのです。三鷹市は文化活動が盛んですから、そのようなこともあるとは思いますが、森鴎外の「舞姫」とは感心するばかりです。
 森鴎外の短編小説「舞姫」は、森鴎外がドイツへ留学した4年間の体験を元に執筆された実体験に近いとされる小説です。
 貧しい踊り子の美少女と、留学中の官吏である森鴎外の分身の主人公との間に起きた恋物語で、ラストは彼女を捨てて日本に帰国する官吏のやるせない思いを叙情的な文章で書き上げた名作といわれる作品ですが、私は格調高い文体から覘く主人公の利己的な冷たさと優柔不断なご都合主義が気になって、小説の読後感がスッキリしなかったのを覚えています。
 勿論、森鴎外の「高瀬舟、山椒太夫、阿部一族、即興詩人、雁」ぐらいまでは見ていますが、永井荷風ほどは傾倒できずにいました。
 ところが、ここ数年、森鴎外が晩年を過ごした上野不忍池畔の寓居後の料亭を接待などに用いるようになり、「舞姫」なる吟醸酒も口にするようになりました。
 O先生邸にお邪魔するのは、故丹羽文雄と故青山光二を偲ぶ「丹青会」本部に置く蔵書の収集なのですが、青山師の作品は私の書庫から運べばいいだけですが、青山光二師の兄貴分だった丹羽文雄氏の著作は、遅々として集まりません。私も青山作品は在庫がありますが狭い書斎ですから丹羽作品までは収納する余地はありません。しかも、私が小説を書かない異端作家なのに、故丹羽&青山の文壇での偉業を守る「丹青会」主幹の役割を誰も疑わないのです。事情は簡単、直系の弟子がいないからです。
 文化勲章にも輝き92歳で文芸賞を得てギネスに載るという大御所の青山光二師の唯一の弟分が私で、青山光二師の兄貴分が丹羽文雄師ですから「丹青会」となると仕方なく、私もこれからは小説書きに専念しなければならないのは宿命のような気もします。

 さて、オリンピックは明日に期待・・・これで、楽しみがつながりました。
 フィギアスケートに縁のない私が、なぜこの競技に興味を示すか・・・舞の美しさに魅力を感じたのは当然ですが、私の長編小説「迷走海峡」にフィギアスケートが関係しているからです。いずれ、改定してネットで連載をしますので、楽しみにお待ちください。

「男と女」、大山椒魚


 今日は、オリンピックの話題から外れて、世にも奇妙な水棲生物の話です。
 私が自然の川に棲む大山椒魚を目にしたのは後にも先にも一度きり、およそ50センチほどの大きさですが、それが、小魚釣りに竿を出していた19歳の私の目の下2メートルほど下の岩陰から上目遣いに私を睨んでいるのを知った瞬間の恐怖と衝撃は今でも忘れることができません。
 山椒魚(サンショウウオ)は、半裂(はんさき)などとも呼ばれ、かたちはトカゲやワニに似たグロテスクな醜い姿形で気味悪がられ、何か特殊な力を持つように思われ、その粉末は心臓や精力増強の特効薬としても知られ、昔は「男と女」の仲を深めるには貴重な散薬だったそうです。
 この山椒魚を半裂と呼ぶのは、これを捕らえて(今は天然記念物で捕獲禁止)縦に裂き。片半分を食用にし、あとの片半分を川に放しておくと、数年で元の山椒魚に戻るということから名付けられたものと聞いており、その真偽のほどは分かりませんが、生命力の強さだけは間違いなさそうです。
 これに似たトカゲやイモリなどの尾を切っても、すぐに新たな身が生えて来て元の姿になるのは子供時代のいたずらで知っていますから、まんざら嘘とも思えません。それに、山椒魚の英語名は、saramander(サラマンダー)」で、これの語源は、火の中に住むという精霊の火トカゲ・サンダラーとのことですから、何か不思議な力が宿っていても不思議ではありません。この、火トカゲは、火の中に投げ込まれても平気で這い出てくることから名付けられたとの説もあります。
 この水棲生物の名は、 井伏鱒二氏の短編小説の題材などにも使われていますが、その日本名の由来は、体から山椒の香りがするところから名づけられたと言われます。と、すると、私の趣味の鮎釣りの対象の天然鮎は、西瓜の匂いがすることから別名を香魚と呼ばれることから見れば同類とも思えてきて何となく親しみを感じるから奇妙です。
 今から50年以上も前に、清流のヤマベ(おいかわ)釣りをしていたのは多摩丘陵に流れる浅川と川幅もさほど広くない清流(当時は)でした。
 場所は、新宿から高尾山方面に向かう京王線の高幡不動駅の新宿寄りの踏み切りを越えてバス通りを北へ向かって行くと、やがて辿り着く川が浅川です。その川にかかる橋(新井橋)を渡ってすぐ右に折れたあたりの北側の岸の土手下の草むらから竿を出してヤマベ釣りをしていて山椒魚を見たのですが、今になって思うと、あの時、私が山椒魚を見たのは偶然ではなかったのです。あの山椒魚は、もしかすると、私に会いに来ていたのかも知れません。身をひるがえして姿はすぐ隠しましたが、その強烈な印象は、今でも渓流に竿を出すたびに思い出しますし夢にも現れます。
 ここで少々、話題を変えます。
 この度、私は坂本龍馬を上梓した勢いを駆って、新撰組3部作を書くべく心の準備を始め、その中心人物となる近藤勇、土方歳三の墓前に線香を手向けてきました。
 近藤勇が斬首された板橋の墓前には、以前、招かれて墓前祭にも参加し近藤局長のご子孫の話も聞いていましたが、土方歳三の墓に立ち寄るのは初めてです。本来はご子孫が記念館を守っていますので、そちらに挨拶をと思ったのですが、まだ小説の骨子が出来ていませんので、私の見た土方歳三の人間像が出来ていませんので墓参りを先に済ませようと思ったのです。
 ところが、首都高から甲州街道に抜けてのカーナビ頼りの道が、浅川の新井橋を渡って右折したときは、背筋がゾッとしました。あの少年時代に電車に乗って釣りに来た同じ道を車が走り、しかも、あの忘れもしない山椒魚との出会いの場所から道はつづら折りに狭く北に向かい、ほどなく広大な石田寺の敷地に辿り着いたのです。そこで、「土方歳三義豊之碑」と文のある比較的新しい記念碑と並ぶ墓前に手を合わせて参りましたが、記念碑の傍らの樹木の枝に千羽鶴が沢山吊るされていたことでも新撰組・副局長土方歳三を偲ぶ者の多いことがよく分かりました。
 帰路、新井橋を渡らずにまっすご車を走らせ、農家風のままの土方歳三の生家に立ち寄って来ましたが、正式には、しかるべき人の紹介状持参で行くことにして挨拶なしで帰って来ました。
 坂本龍馬も、書店のパソコンで検索すると250冊ほどの出版物がありますし、新撰組となると、おそらく千におよぶ書物が考えられます。
 龍馬では、過去の誰もが考えなかったストーリーで挑みましたが、新撰組となると、隊士の一人一人までが、あらゆる資料であぶり出されていて、今から新規に参入するにはなかなか間口が狭い感じです。
 しかし、今年は妙な年です。
 1月5日の私の誕生日に、本業の会社はまだ休日なのに、銀行役員が年始の挨拶に来るというので止むなく一人だけ出社して、玄関の鍵を開けるときに肩掛けカバンを玄関脇の花壇の積み石の上に置いたときに、ふと見た先に、今までの長い年月の間、探し求めても得られなかっ四葉のクローバを見つけたのです。生まれて初めての四葉のクローバですよ。
 こんな年ですから、奇跡の一つぐらいは起っても不思議はありません。
 土方歳三の墓が、まさか山椒魚との出会いの場の背後だったとは・・・絶句です。
 そこで、当然のように土方歳三=大山椒魚=火トカゲ=神話=不死身=怪物・・・となって、私の頭の中での土方歳三が端正な美男子のマスクを被ったグロテスクで不死身な妖怪として描くことが出来るのであれば、短期間の歴史の狭間に志半ばで線香花火のようにはかなく散った新撰組の隊士たちを、泥沼から這いあがって来た爬虫類もどきの農民武士が、新撰組という晴れやかな公儀の組織に武士として取り立てられ、それまで夢に見ても叶えられなかった「食事と女」に恵まれ。華麗でしたたかな青春群像として歴史に名を残すのであれば、たとえ、その死が切腹であろうと戦死であろうと、飢えを考えずに暮せた最期を喜びと名誉として感じた一面もあったのではないか? こう考えると新したな新撰組像が生れ出てまさしく「描ける」のです。
 土方歳三の生家の家業の「秘薬・石田散薬」は、土方家の伝承によると、「夢枕に立った河童から教えてもらった」そうで、「男と女」の道の他にいろいろな効き目があるのですが、欠点は「酒と一緒に飲まないと効かない」そうで、女子供には難があるそうです。
 一方、私の描こうとする「新撰組・土方歳三編」は、「大山椒魚に教えを受け」、ショック療法やストレス解消の他にいろいろ効き目があるまでは「石田散薬」に似ているのですが、なにしろ土方歳三は15歳の丁稚奉公の失敗から女絡みの一生ですから、その方を抜きには物語は進みません。従って、こちらは女性は良くても子供にはいけません。18歳未満の方には隠れて読んで頂きます。

笛の音か? ソラ耳か?


 笛の音か? ソラ耳か?
バンクーバー五輪の舞台もいよいよ銀輪の女王の名誉を決定すべく、華やかな女の戦いが始まります。男子は高橋選手が五輪史上初めてのメダル取りを果たしました。メダルの色は、昨年の女子荒川選手の金と異なって少し赤みが強い金属ですが、これはこれで努力のたまもの立派なものです。
 ま、すでに長島選手のスピード500での銀がありますが、やはり一つぐらいは金がほしいですね。
 その銀の長島選手が、次の1000メートルでは37位、翌日の新聞には、ただ「長島選手、終盤失速、記録伸びず」と、そっけなく載っています。首位から4秒遅れの1分12秒台という大差での敗退ですから、本来なら優勝を狙える実力のある長島選手としては考えられない凡タイムで、翌日の新聞で見る限りは、銀メダルに安心して手を抜いたのではないか? と思った人もいるはずです。しかし、私の見るところ事実はその逆です。一度メダルを手にして五輪の表彰台に上がる喜びを知った長島選手の全身からは、もう一段上の優勝を狙う勝負への執念が、鬼気迫る緊張感になって伝わってきていました。
 一瞬の静寂の後、スターターのピストルの号砲が鳴り、スタートしかけた長島選手は一歩だけで踏み止まり出した長島選手は、不審な顔で周囲を見回して「ファールの笛が聞こえた」とアピールしたように見えました。テレビで実況を見ていた私の耳にも、あいまいではありますが、スターターのピストルの直後に、ファールを警告する笛の音に似た音が聞こえましたから、長島選手が走るのを取りやめたのも無理はありません。
 ところが、審判はレース中止のホイッスルを吹いていなかったのです。会場のどこからか誰かが故意に出した音なのか、ピストルの発射音に共鳴して出た音なのか結論は出なかったようですが、妙な音がしたのだけは確かです。コーチは猛烈な勢いで審判に競技妨害をアピールして抗議します。とはいえ、同走のライバル選手は300メートルも全速力で滑ってから永島選手がレースを取りやめたのに気づき、これも不審な顔でスタート地点に戻ってきます。しかも、すでに全身の筋力をフルに使っていますので再レースを行うには、疲労回復のための休憩時間が必要です。当然、競技を中止した長島側に怒りをぶつけ、レースの中断を認めた審判に食ってかかります。
 もしも、永島選手が研ぎ澄まされたような鋭敏なピリピリした状態じゃなく、もっと肩の力を抜いてリラックスしていたら、あの妙な笛に似た音など気にならず、思うようなレースになり、メダルはともかく上位入賞ぐらいは果たせたのではないか・・・私は、こう思いました。
 翌日も、このことが私の頭の片隅にこびりついて離れません。長島選手の惨敗が気になるのではありません。あの妙な音が気になるのです。どこかで聞いた・・・それを思い出したので、この一文を書いています。
 時々、私の頭の中の古びた書類棚の引き出しがガタビシと勝手に開いて、くしゃくしゃにして押し込んでおいた過去の断片がこぼれ出て、勝手に連携作業をしてしまい、私をと惑わせます。
 今回は、歴史上の人物の中の義経から、こぼれ落ちた断片が、長島選手の行為とつながりました。
 私の古文書研究会仲間に、明治時代から続く老舗の出版者の社長がいます。
 おかげで、私のライフワークである「大原幽学」という江戸時代末期の農村指導者の伝記小説や、ブームに便乗しての「坂本龍馬」、それを書き終わった後の資料をそっくり生かして、土方歳三を中心に据えての新撰組・・・と、調子づいて出版を目論んでいますが、さらに歴史を遡れば、戦国時代、源平時代へと図に乗って夢は広がります。
 私の住む栗橋という小さな町の名所は、「静御前の墓」・・・ただ一つ、日本のあちこちに義経信仰があるのと同じ数だけ静御前の墓はあるのですが、そんなことはどうでもいいのです。栗橋という小さな町の中央に静御前の墓があって神社があり、まことしやかに本人が使ったツゲの櫛が収められているというのがれっきとした証拠です。しかも、話の筋も通っています。
 奥州藤原の郷に落ちた義経を追って利根川まで辿り着いた静御前が、栗橋の関所で足止めされて泣き明かし、義経を恋い慕ったまま命を絶った・・・どうです? これでも事実じゃないと言えますか? それを確かにするためにも、町の教育委員会からささやかで貴重なギャラを頂いて講演をした恩返しにも、いずれ資料を駆使し歴史を歪曲してでも真面目な伝記にして、栗橋における静御前の存在を確かなものにしたいと思っています・・・思っているだけですよ。
 私の20年の鮎釣り仲間でお互いの家に気兼ねなく泊まれる、元小学校校長で郷土史家、今は静岡県庁委託で教員の教育を仕事にしているI氏という勤勉実直で酒好きの友人がいます。伊豆の狩野川のほとり、源頼朝が伊豆に流された蛭ケ小島の目と鼻の先ほどの近所に住んでいますので、当然ながら事細かに調べた郷土史が眠っています。
 さて、前述の古文書研究会は幹事が二人一組のまわり持ちで、嫌でも何年に一度は幹事がまわってきます。私とのコンビは、今度、日本シャンソン協会の会長になる芦野宏さんのマネージメントなどをする会社経営のF氏で顔が利きますから、毎回苦労する講師探しにも困りません。そこで、私からも「いい講師がいるから」とお願いして実現した研究会のテーマが、I氏の「源頼朝&義経」研究です。その内容ははしょりますが、その講演で、革鞄からおもむろに取り出されたのが一本の笛・・・ご存知、義経の「薄墨の笛」です。
「昨夕、清水の久能寺の住職から3日期限で借りてきました・・・義経が牛若丸時代から愛用したこの横笛は、700年の歳月を経て今もなお奏者次第ではすばらしい音色を出します。この笛は、新羅三郎義光から義経の父源義朝に、その死後は妻の常盤御前に、親子の今生の別れのときに丑若に手渡されたもの・・・」、と、こんな前触れから笛の由来などの後、それぞれが一応ハンカチで拭いてからではありますが、「静御前も吹いたそうだから、間接キッスだぞ」、などと品のいい学術的なことを口々に、どのような音色なのかをまわし吹きしました。ところが、笛が太く穴が大きくて、相当の肺活量がないと音が出ないのです。
 そこで結論が出ました。義経は肺活量の大きな凄いタフな男だったのです。
 そのときに、やっと出た音・・・それが、長島選手のスタート時の号砲の後に響いた笛に似た音とそっくりだったのです。
 で、私が未だに記憶しているのは、静御前との「間接キッス」と言った仲間の嬉しそうな顔です。
「それは、あんただろ?」
 いえ、めっそうもない。決して私ではありません。私が石部金吉なのは私自身が保証しますので絶対に間違いありません。
 と、まわりくどい喩え話ですが、これで、笛の音と勘違いした長島選手の心情をもご理解いただけたでしょうか?

男と女、どちらが活躍?


 2月もはや中旬を過ぎようとしています。
 18日は大安吉日、俗信とは知っていても仏滅と聞くよりは耳
ざわりがよく聞こえるから不思議です。
 19日は暦の上で「雨水」、水ぬるむ季節ですね。
 冬季オリンピックをテレビを見ながらのだらだら仕事で効率が
悪い上に寝不足・・・心臓によくないのは承知なのですが。
 4年前の今頃も当然ながら冬季オリンピック、場所はトリノ
でした。
 あのトリノオリンピックも、盛り上がりがイマイチの状態で、
毎晩のように徹夜で応援していましたから、寝不足ですっかり
体調を崩していました。
 それでも、もしかしたら・・・の期待で画面を見続けていま
した。あんお頃は、高橋大輔選手が絶好調でしたからビシッと
4回転ジャンプをきめてメダルを獲得するんじゃないか・・・
ノルディックスキーの複合団体も前評判が高かったからイケる
かもしれない・・・スケルトン女子の中山英子は上位確実・・
・スノーボードの千村格か藤森選手だったらメダルに届きそう。
 スケルトンの越選手は絶対にメダルに絡みそう・・・などと
期待して居たのですが、善戦むなしく全滅です。せいいっぱい
頑張っての敗戦ですから仕方ありません。
 と、あきらめかけたところに、フィギアのショートプログラ
ムでの1点をめぐる横並びの優勝争いに日本選手が絡んでいる
ではありませんか・・・。
 優勝候補のコーエン選手(米)は激戦のプレッシャーからか
コチコチに固まって不調、ロシヤのフルツカヤ選手も緊張した
の大転倒・・・村主選手も安藤選手も期待通りには滑れない。
 そんなところに、荒川選手が191.34点という高得点を
たたき出して主意に躍り出て優勝! あのときの金メダルは、
希少価値のある素晴らしいものでした。
 ところで、トリノでの優勝は、荒川静香選手ただ一人だけでし
たが、8位までの入賞率を調べますと圧倒的に女子選手が男子
選手を圧倒していました。
 競技の世界でも、一般同様に草食系男性が増えつつあるのか
も知れませんね。
 果たして、バンクーバーではどうなるか?
「男と女」、どちらがより多く活躍するか? 
 そんな他愛のない見方でも結構、楽しめるものです。

 昨年のあの時期は、ライブドアの粉飾決算やらなにやらで暗
い話題が多く、世相も荒れていましたが、荒川選手のあの金メ
ダルで全てが明るく変わったような気がしたものでした。
 今回のバンクーバーオリンピックも、これからが本番です。
 フィギアスケート男子は、高橋、織田が優勝候補ですし、
女性陣も充実しています。もしかして・・・こう思うと、まだ
まだ眠れぬ夜が続きそうです。
 何ですって? 翌日の新聞とか、ニュースで見れば?
 そうできれば、とっくに寝ていますよ。

銀と銅


 やりました!
 短距離スケートで、銀、銅のダブル受賞です。
 雑草魂を炸裂させた長島選手と天才スケーター加藤選手の二人が同じ表彰台に上がりました。
 日の丸こそ揚がりませんでしたが、氷の状態が完璧じゃない中でよく頑張りました。
「よくやった!」
 私は大満足ですが、あなたはいかがですか?
 若くして短距離の頂点に立っていた加藤選手の、長島選手に負けた悔しさも理解できますが、後輩に追いこされてもくじけずに這い上がって世界二位まで復活した長島選手の根性と執念には頭が下がります。同じチームメートめーとながらめったに言葉も交わさぬ水と油のように相容れぬ性格の二人が、お互いに「相手があったから頑張れた」との率直なコメントは、聞く人の心に響きます。
 ライバルの存在があるからこそ意地でも辛さに耐えて頑張る・・・そこには微妙な共感が通います。
「自分が成長するためには、強力なライバルが必要・・・」
 以前、文学の師で兄貴分でもあった故青山光二師から聞いた言葉です。
 東大出の青山師は、太宰治や芥川龍之介、織田田作之助らとの交流を振り返って、それを実感したそうです。文学の世界で華々しく名声を博した仲間たちを横目に見て、高校の英語教師をしながら苦節数十年、仲間と違う道に活路を求めて書き始めたアウトローの世界、これが受け、東映の任侠シリーズの映画で大当たりして注文が殺到し、ようやく純文学の世界に戻れて叙勲の栄誉にも浴し、92歳で書き上げた「妹子悲し」で、川端康成文学賞を受賞したことで、長かった波乱の執筆人生に花を添えて報われました。
 師は、病床での最後の見舞い客となった私の手を握って名残惜しげに「後は頼むよ」と言い残していますが、いまだに弟子の私は師の遺志をいまだに継いでいません。いま、ゆっくりと後追いを始めたところです。
 ここで、自他共に認める師の後継者の私が師について語ると、師は大正2年2月23日神戸市生まれ、帝大美術史学科を卒業。在学中から織田作之助らと同人雑誌を出したりして文学活動に励み、40代で三度直木賞候補になるも賞に至らず、純文学から任侠路線に移行して活路をひらき、50歳目前に「修羅の人」で「小説新潮賞」、67歳で「戦いの構図」で平林たい子文学賞を受賞し遅咲きの桜がチラホラ咲き始めて叙勲も果たし、平成15年の90歳で書き上げた私小説の「吾妹子(わがもこ)哀し」で川端康成文学賞を受賞し、ギネスブックに載るという騒ぎになるほどの異能作家で作品も数多く遺しています。
 その師も逝って1年半、さらに青山師の兄貴分だった文壇の長老で文化勲章に輝く丹羽文雄翁が、家族の手厚い看護での長期療養の末に100歳の天命を全うしてから、もうすぐ5年・・・月日の流れるのは早いものです。
 このお二人の長年の文壇への功を惜しみ、お二人の頭文字をとって丹青会と命名し、私の事務所を事務局兼サロンにしました。
 川端康成や太宰治、芥川龍之介、森鴎外など文壇での金メダル候補は数え切れないほどいますが、そこから一歩下がって、500を超える珠玉の作品を残した丹羽文雄、異色の作家として輝いた青山光二・・・このお二人を文壇の銀、銅のダブル・メダルに喩えるのは私が控えめだからです。その作品の内容は、堂々たる金に輝いているのはいうまでもありません。
「春あらし 桜を散らす なみだ雨」
 丹羽文雄先生が天寿を全うされた春、ご冥福を祈った私の追悼の句です。
 青山光二師のときは、
「柿落ちて 師のなき日々に 冬近し」
 自分も本気でこれから! と、ついテレビを眺めてコーヒー・・・これが凡人の特権というものです。

金メダルに想う


 この週は、冬季オリンピックでテレビから目が離せませんね。
 出発するまでは、マスコミが、「大量のメタル獲得確実」と煽り、選手も「絶好調!」「目標はメタルです」と金だ銀だと大騒ぎしてバンクーバーに出かけました。しかし、いざ競技が始まると予選落ちか、せいぜい入賞まででメタルにはほど遠い。
「力不足だった」「惜しい」「今一歩」「よくやった」と懺悔と慰めのオンパレード、16日午前1時現在、日本選手はまだ1ケもメタルを確保していません。
 それでも、国民もマスコミの目も選手には温かいのです。
「これからだ」「今までは序の口」これからが本番や」と、誰も敗退した選手を責めず、これから出場する選手に期待します。
 それにしても、金、銀、銅へのゴールの遠いこと。これを見ていると、成田空港までは日本の選手のパワー健在で、空を飛んでいるうちに精神的エネルギーの消耗でか体力の減少かは知りませんが、現地到着と同時にパワーダウンして有力選手からただの選手に格下げになるようです。
 話は変わって表題の「女と男」に話題が移りますが、よく結婚式をゴールインに喩える場合があります。
「えー、新郎と新婦は、三年におよぶ長い交際期間を経て、本日ここに目出度く結婚にゴールインしました」などと祝辞で言います。
「人生は山あり谷ありの難コースでして、長距離レースのように苦難に絶えて走る我慢比べのようなものです」
「これから25年の銀は当然として、50年の金婚式、60年あるいは75年のダイヤモンド婚まで頑張ってください」
 と、これらの祝辞から分析しますと、どうやら結婚式がゴールなどというのは間違いです。これは予選通過到達地点で、本番は結婚式以降にあるような気がします。
 その結果、人生のオリンピックは結婚というスタートでも難関があり、結婚というスタート地点から11年の銅、25年の銀を経て、50年の金メダルに到達するのはごく一部の男女だけとなり、オリンピック並みの厳しいレースになるのです。
 これで考えて、3位の銅までの11年なら簡単に見えますが、これがなかなか厳しいのです。
 まず、 離婚&離別についての厚生労働省の統計では、平成14年の離婚は約30万件(298、9836)です。
 結婚は約80万件ですから、8組結婚で3組が離婚という計算になります。
 結婚の内訳は、初婚が約68万、再婚12万・・・20組の内、3組が再婚者入りとなります。
 では、結婚して何年目に離婚をするか? それも調べてみました。
 30万組の離婚組みのうち、銅の11年に届かない10年未満がなんと16万件、銅から銀以下が6万、金以上の統計が残っていませんが、金の50年未満の離別死別は高齢者離婚は激増したことと、夫の死亡などで7万組と離別死別でほとんど消え、金の結婚50年以上は1万組あるかなしかという狭き門になり、60年のオマケ・ダイヤ婚はともかく、本物のダイヤ婚75年などは珍しいだけです。
 長年にわたって結婚相談所を主宰し、人生相談室で離婚相談にも乗ってきた私としては、この異常な離婚の増加は異常としか思えません。まだ統計には出ていませんが、平成21年などは、全国の離婚数は約40万組以上・・・想像を絶す離婚ブームです。
 熟年女性の離婚願望はとどまるところを知りません。
「法改正で、亭主の年金の半分が貰えるようになったから」
「子供も独立していたら、嫌な老亭主の面倒など見たくもない」
「孫の顔を見ながら暮らしたいが、老いた亭主の顔など見たくない」
「友人と旅行を楽しんだり好きな人と自由に生きたい」
 こう思えば、夫を捨てることなど、ゴミ置き場にゴミを捨てるようなものです。
 これが、これからの熟年女性のシャレタ生き方になりそうですね。
 その反面、男にとっては由々しき時代の到来です。
 妻に去られたら惨めになるだけですから、男らは、急に妻に優しく猫なで声で接しますが時すでに遅し・・・いざとなると、女性の決意はかなり固いようですから、男は捨てられるだけです。
 で、人生相談所や弁護士事務所には、これからも離婚についての相談が増えるようなイヤな予感がします。
 それにしても、早く、オリンピックの金メタルの朗報が届くといいですね。

あなたの2月14日は?


 今日はぜいたくにも、贈り物の手作りチョコをかじりながら、冬季オリンピック開幕のテレビを見ています。
 私は毎週土曜日の朝、10時過ぎから20分ほどラジオの地方局の占い番組を電話で続けて30年近くになります。
 若い頃は、フジテレビ、九州朝日放送、山形放送、テレビ岩手、山口放送などに掛け持ちで出張していた時代もありますが、今は電話の感度がよくなりましたので、ラジオなら電話でもスタジオにいるような雰囲気で違和感がないようです。
 地方局も年々予算が厳しくなって、スタジオに呼ぶよりは安上がりですから、すっかり電話になってしまいました。
 それにしても、セチ辛い世の中になりましたね。
 昔は、山口放送などファンを募集してバスで温泉に行き、スタッフ共々ドンチャン騒ぎ,、図に乗ってのヨーロッパツアーなどもありましたが、今はもう旅行どころか招かれても市内のビジネスホテルがせいいっぱいです。
 ただし、晩夏から真夏ですと事情が変わります。鮎の支度をして出かけて局内の同好の士と仕事もそこそこに清流に入るからです。
 鮎釣りとなると体が冷えますから温泉に泊まるしかありません。したがってギャラのおかげで数日は楽しめます。
 それにしても、もう仕事で呼ばれてお互いにいい思いをする時代は終わりました。
 長い間ですから、いりいろなハプニングが生じます。ここでは言いかねるような出来事もありました。もう時効ですが・・・
 さて、今日は山口放送でした。
 まず冒頭に、今日は旧正月の中国では「春節」という元日です。日本の暦では・・・と、た言うとすかさず女性キャスターから「バレンタインデーです」との声があり、大安吉日で、と話し始めようとした私の声は、男性キャスターの「今年は不況で義理チョコも来ませんよ」との愚痴でかき消され、いまどき男女の贈り物論争になってしまいました。おかげで「生まれ月別に見る運勢」と「人生相談コーナー」の持ち時間が激減して私のもっとも苦手な早口言葉で帳尻あわせをして、また来週となってしまいました。

 中国の春節には、朝起きてすぐ年長者に対して祝いの言葉を述べ、その後で近所の知人や親類をまわって春節を祝う言葉を述べるという、日本の年始まわりの原点になる昔からの習慣があります。正月料理となると一般に、鶏や魚を食べるとされますが、広大な大陸でのことですから、都会と地方では正月料理も大きく異なり、北方では餃子、南方では糖菓子を食べるという習慣の違いもあるそうです。

 それにしても輸入チョコレートの高級品の高価なこと、目を見張る思いがしますね。
 元来が、ローマ皇帝の迫害によって殉教した聖ウァレンティヌスさんに由来する記念日なのですから、日本人がこれに付き合う義理などないのですが、商魂たくましい洋菓子メーカーに乗せられてしまった・・・ま、チョコぐらいは許せますが。
 聖バレンタインデーは確かに、世界各地で2月14日を男女の愛の誓いの日としていますが、日本人ほど バレンタインデーだのホワイトデーだのと、チョコのやりとりに狂ったように奔走する妙な文化はないそうです。それと、日本に見られるようなバレンタインのお返しにホワイトデーなどと、対になるような日の習慣は外国にはないとのこと、日本がそれに倣ってホワイトデーの義務を放棄したら・・・いや、そんなこと怖くてできません。
 ただ、次のような習慣は残してもいいかな? とも思います。
 ローマでは、女神ユノの祝日が2月14日でした。ユノはすべての神の女王でもあり、恋愛と結婚の神でもありました。
 祝日に続く翌2月15日からは、豊年を祈願するルペルカリア祭に入り、当時は生活が別々だった若い男と若い娘たちが祭りの期間中だけ一緒に過ごすのです。はじめの日に若い娘たちがそれぞれの名札を桶の中に入れてかき混ぜ、翌日、若い男たちが桶から札を1枚づつ引いて女を選び、そのカップルが祭りの間中パートナーとして一緒に過ごすと決められていたのです。その結果、ほとんどの娘がやがて子供を生み、それが毎年続きますので人口増加につながったそうです。
 当時のローマ帝国の皇帝は、妻や愛する女性がいると兵士の士気が下がるという理由から、兵士の恋愛&婚姻を禁止していたのに、聖ウァレンティヌスは、祭りに結ばれて恋に落ちた男女を哀れみ、秘かに兵士たちを結婚させていたのが密告されて処刑されてしまいます。その処刑の日も2月14日が選ばれたそうです。これによって、この日が恋人たちの日となった・・・本当か嘘かは知りませんが、こんなのが通説のようです。
 神戸のモロゾフ製菓さんが企んだのが昭和11年、それに追随した森永製菓が「愛する人にチョコレートを!」とか何とか新聞広告を出して火をつけ、昭和40年の新宿伊勢丹の「バレンタインデーフェア」から決定的に習慣化したそうです。
 それにしても、女が男に愛情表現としてチョコレートを贈るのは結構ですが、日本型の義理チョコは罪作りでいけません。モテない男の錯覚を招き人生を狂わせかねない悪しき習慣だからです。思いがけない出来事で狂喜乱舞したのが義理だと知って奈落の底に突き落とされ、自殺でもされたら? 殺人幇助ですよ!
 さて、冒頭のぜいたくな手作りチョコのタネ明かしです。小学6年の女の子がクラスの男の子にあげるために頑張った手作りチョコ・・・それを毎年、私にもお情けで三粒ほど分けてくれるのです。涙が出るほど嬉しい話ではありませんか・・・。
 さて、チョコをめぐるあなたのドラマは? それとも無視? それもありですね。

なんとか記念日


 今日は建国記念日の飛び石祭日でしたが、ただただ漫然と仕事をして終わってしまいました。
 国民の祝日と言えばまず「元日」、これは一年の最初の日ですから分かりやすいですね。
成人の日・・・以前は1月15日と決まっていましたので分かりやすかったのですが、今は1月の第2月曜日となっています。ま、これは数日のずれても目くじら立てるほどでもありません。
 春分の日・・・これは2月4日、節分の次の日ですから文句はありません。
さて、建国記念日となると、日付は2月11日、国民の祝日に関する法律では「建国をしのび、国を愛する心を養う」と明記されています。
何をもって建国記念日とするかは国によって異なりますが、日本は神話から、アメリカは7月4日の独立記念日をはじめ、アルゼンチン、イスラエル、インド、インドネシアなど多数の国が独立記念日を建国の日としています。なかには中国のように、毛沢東が天安門で建国宣言をした日がそのまま建国記念日という、分かりやすい国もあります。
 ドイツの建国記念日は10月3日ですが、これはドイツ統一の日でまだ生まれたばかりです。
フランスとなると一味違って、7月14日のパリ祭で、1789年のバスチーユ牢獄襲撃で政治犯を解放したフランス革命のスタート日だといいますから勇ましいですね。
 さて、元日など他の祝日は「祝日法」で定められているのに、祝日の中でただ一つ「建国記念日」だけが、昭和41年の祝日法改正によって「政令(昭和41年政令第376号)」で定められています。
 建国記念日の前身は、明治時代の初期に定められた紀元節で、『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日(辛酉年春正月庚辰朔)に由来しています。
 占いでは旧暦に換算などしますが、この「辛酉年春正月庚辰朔」をグレゴリオ暦に換算すると、紀元前660年の2月11日に当たる・・・という説もあります。
ところが、肝心の神武天皇が日本神話に登場する架空の人物とする説もあります。
 これこそ、とんでもない話で「小説・縄文幻想」を執筆中の私としては実在の人物と確信しなければ、ふてぶてしく縄文の世界など書けません。ま、そんな立場です。
 神武天皇は、庚午年1月1日(紀元前711年2月13日)に日本の初代天皇となった(古事記、日本書紀による)のは記録にあるのですから。その記紀が疑わしいという説もまたありますが、そんなことは気にせずに信じることにしています。
 「古事記」では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)とか難しい名があり、「日本書紀」では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)などと違う名で呼ばれていますが、そんなことも気にしません。
 しかも、古事記での死亡年齢は137歳、日本書紀では127歳、どちらを信じるかは自由ですが、私も昔は長寿の研究者でもありましたから137歳説をとります。
 今の歴史学会には神武天皇の実在そのものを否定する学者も多いといいますから、作家と比べると学者はなんとも夢がありませんね。私はイナバの白ウサギの逸話も信じることにしています。ただし、丸裸にされて泣いていたのは白ウサギと呼ばれた美しい白拍子だった・・・となりますが。
 さて、話は戻って「国を愛す」のが建国記念日の主旨ですが、その前に命がけで愛せる人がいることが先ですね。愛する人がいてこそ国を愛せますし、その人を守るために命も賭けられますが、婚活もままならないのに「国を愛せ」といっても無理難題というものです。
 男も女もある年齢になれば、当然、好きな異性ができて愛し愛される状態になります。
 これは生物学からいって当然のことで、三大本能の一つである性欲があるからこそ種の保存ができるわけで、もしも、そこに至らない男女がいたら・・・いや、あり得ないことです。
 結婚前の男女は夢をふくらませてあれこれ選択に迷い、既婚者は自分の選択が誤ったことを悔いながら、不純な動機を内に秘めて夢を追う、のが真実です。もちろん、結婚に満足しているカップルも稀にはいます。それは、家庭料理で満足して外食での美味なるグルメを追い求めない人達ですから、それでもいいのです。
 男と女の結びつきは千差万別、さまざまな出会いがあります。つい昨日までのアカの他人が一目見ての愛惚れで心身ともに結ばれて一生離れ難いきずなで結ばれたり、熱烈な恋愛から一緒になって「死んでも離れない」などと、ドラマの中の主人公のような甘いセリフを交わしながら、ある日、小さな出来事からの痴話ゲンカで簡単に別れたり、と人生は無限のドラマに包まれています。
 さて、あなたの愛情に関する記念日は? 初体験、初顔合わせ、デート記念日、結婚、離婚、再婚記念日、なんでも結構ですから思いだしてください。
 すると、どんな人でも必ず、愛する人を思い出すことが出来ます。その愛する人を強く心にきざんでから、その余力でこの日本という素晴らしい国を愛してやってください。2月11日は、そんな日です。
 あ、肝心のことを訊き忘れました。あなたは好きな人を命懸けで愛したことがありますか?

長生きしたいですか?


 人生、一寸先は闇・・・こんな言葉があります。
 月日の過ぎるのは光陰矢の如し・・・これも聞いたような文句ですね。
 人生の長さは人によって違います。
 100歳までただ生きただけで死んでゆく人もいれば、若くして名を残して逝く人もいます。
 大地震の瓦礫の下、交通事故死や海難事故、戦死・・・不慮の死では人生を全うしたとは思えません。
 ところが、つい先日脱稿して出版待ちの坂本龍馬は大政奉還という大事業を成し遂げて行年33歳、次の出版予定の新撰組・土方歳三は幕府のために命を捨てて35歳・・・自分がその年齢のときに何をしていたかを考えるとゾッとします。
 私が小説を書きたいと思ったのは中学生の頃でした。
 少年時代に近所に住んでいた永井荷風翁が亡くなってからです。
 学校の先生に、「あの方は有名な作家だよ」と知らされてから、「アメリカ物語」「フランス物語」から「四畳半襖の下張り」に至るまでのありとあらゆる作品を濫読したおかげで、いつか作家に・・・との夢を抱き続けていたものです。
 それが、実際に小説を書き始めたのは50歳を過ぎてからですから、30代で死んでいたら作家にはなれませんでした。
 と、いうことは長生きして、ようやく自分のしたいことができるようになった、とも言えますね。
 そんな観点から、長生き論争からスタートしてみたいと思います。
 あなたは、長生きしたいですか? 長生きじゃなくてもいい、とお考えですか?