ゴールデンウイークも終わりました。
今はつつじの花が満開、季節感はいよいよ初夏です。
10日は母の日、我が家はちょっとしたイベントになります。
なにしろ、母は100歳9ケ月で元気ですから、母の日は兄弟身内も集まってちょっとしたイベントになります。
セレモニーは、誰かが持参するカーネーションでの孫による花束贈呈です。
もしも、誰もカーネーションを持参しない場合は、我が家の猫の額状庭に咲くチューリップで代用です。
当然ながら孫にも母(私の子)、私の子にも母(愚妻)がいます。それも一緒でケーキ一つで祝いますから全く訳が分かりません。
たしか聞いた話では、父の日というものもあるらしいのですが、我が家は家族が集まって祝うほどの処遇にはなっていません。
どうも、父親は現役で稼ぐうちがハナで、現役引退で高年齢になるほど母親との差は、地位も待遇も隔たるばかりです。
私自身、父親と過ごした日々の記憶が希薄なことを感じるだけに、わが子も同じで当然です。
それでも子供4人は私に干渉し、「そろそろ仕事を辞めたら」「身辺整理しといてよ」「もっとのんびりしたら?」と喧しいのです。
あいにく私は元気ですから、隠居はしても仕事は続けますが、やりかけの仕事だけでも4~5年はかかります。
したがって、そう簡単に全面的引退など出来るわけもありません。
これからもひたすらわが道を行く、と心に決めて年寄りの強情を貫くが、父の日など無用、、こんな気持ちです。
以上からみても母の日はあって当然、母への愛と感謝、これが形に出来るだけでも嬉しいものです。
ところで、我が家は3代で204歳を超えました。母が100歳9ケ月、私が79歳4ケ月、一番上の孫娘が25歳です。
何の自慢にもなりませんが・・・
投稿者「花見 正樹」のアーカイブ
この連休をいかがお過ごしですか?
ゴールデンウイーク5連休をいかがお過ごしですか?
連休後半の3日(日)午後にはすでに高速道路上り線で都心へのUターンラッシュが始まった、とテレビで報じています。それにしても連休初日の各地への下り線の渋滞は凄かったようです。渋滞ワースト常連の東名高速・横浜町田-海老名間は別格としても、東北自動車道・羽生PA付近、関越自動車道・東松山IC付近、常磐自動車道・守谷SA付近、東名高速道路・大和トンネル付近、中央自動車道・相模湖IC付近の混雑はもう年中行事。とくに東北道は渋滞50キロを記録しています。これでまた、Uターンラッシュですから困ったものですね。
これで一番困るのは、サービスエリアの女子トイレの大行列だそうです。オバさんグループなどは堂々?と男子トイレに入るそうです。
こんなさ中にJR四国では毛虫の大量発生で車輪が空転して列車運休、東北新幹線も事故運休、車も列車も大変ですね。私はこの連休、外出での渋滞を避けて自宅待機で次々に泊りに来る孫との対応に追われています。とはいえ、以前は6人の孫それぞれが勝手に行動予定を主張して困りましたが、今は話し合いです。孫の内訳は女5人(社会人2人、大学1人、中学1人、小六1人)、男1人(5歳)です。
アパレル関係の社会人孫は連休中も仕事、大学生孫はバイトで二人が欠け、今年は孫は4人だけが2組の両親と我が家泊りです。したがって、老夫婦を加えて10人ですから、ここから車2台のフル回転であちこち近間のレジャーに出かけます。
釣り、カラオケ、電車乗り継ぎ(マニアがいます)、ショッピング、動物公園、図書館、家でゲーム、何でもあり。それにしても、まだ4日なのに早くも都心へのUターンラッシュが始まったとテレビで報じています。近所の鉄道マニヤのお兄さんが、特急カシオペアなど豪華列車の地元運行時間を教えてくれます。それに基づいて鉄キチの孫(5歳)と見る、写す、乗る作戦を立てて実行に移します。この孫の父親が私の長男)は膵臓ガンの疑いありの精密検査中で無理は出来ませんから、家でゲームとカラオケ係りです。こうなると100歳の母も黙っていません。ひ孫を相手に書道を始めていました。
さて、3日(日)事務所片付けの用があって、埼玉の我が家から都心まで車で出ましたが、やはり途中で渋滞に巻き込まれました。この季節だけは遠距離ナンバーの福島、秋田、姫路、高知など日頃はめったお目にかからない車に出会います。渋滞時に、隣り車線の3人の子供連れ山形ナンバーの車と窓越しに会話をしました。家族連れで一泊のディズニーランド旅行だそうです。運転している若い旦那は、子供たちは車内でパソコンゲームで飽きないらしい、とウンザリ顔、隣席の奥さんは眠っていました。帰宅してみたら、また1家族増えています。連休の残りはあと2日半、私自身の連休運は吉と出るか凶と出るか? やり掛け仕事も残っていますし、これからの苦労を楽しむことにします。
伊豆の海
最近、JRが頑張っています。
私が住む埼玉県は海無し県、その北の辺境久喜市栗橋駅の上りの終点は長い間、上野駅でした。「ああ上野駅」の歌は、かつての集団就職少年の終着駅が上野だったから出来たのです。長い間、大宮以北の北関東、東北の人達の上京は上野駅が終点と決まっていたものです。これが、いつの間にか東京駅まで延び、新宿経由の逗子行きが現れてビックリしました。ところが、なんと先日気づいたら熱海、沼津駅まで栗橋から乗れる電車が1日に何本か運行し始めたのです。
以前、友人に熱海の別荘(マンションの1室)を仕事場に貸してくれると聞いたことがあります。 それを思い出したので、何気なく打診してみると「いつでもいいよ。見に行く?」です。で、見に行って参りました。
てっきり熱海の温泉街だと思っていたら確かに住所は熱海市内ですが駅は伊東線で二つ目の伊豆多賀でした。
それが今どき珍しい無人駅で、他の乗降客の影も形もないのです。しかも、その駅に停まるJR伊東線が我が家のある栗橋駅から乗り換えなしの一本で一日3本も出るようになったのです。これならグリーン車でも新幹線より格安ですし、いつでも気軽に来られます。
マンションは駅からの坂を下った海辺にあり地名は下多賀、2LDKと狭いのですが執筆仕事には充分です。駐車場が一階で、友人の一室は5階建ての2階で、相模湾が一望に見える見晴らしのいい和室があります。
左は堤防の向こうが長浜海水浴場で熱海の温泉街を望み、中央は大海原、右はやはり海水浴場があって網代漁港と町が見えます。
和室からは海はながめられても殆ど道に面していますので、車の騒音が気になれば奥の洋室に逃げ込めばいいことも分かりました。
今から30年以上もの昔、私はバスガイドの教科書づくりを手伝ったことがあります。
バスガイドの経験者なら誰でも所属会社からかドライブインで「トラベル出版のガイド教本」を手にしたことがあるはずです。
この出版会社の社長が友人で、バスガイドが喜ぶ「面白い教本を!」と注文を受けたのです。
そこで書いたのが西伊豆を舞台の「風かおる堂ヶ島」東伊豆の「恋ゆらぎ城ケ崎」です。
次作は箱根でしたが、親会社(印刷)の倒産で書籍事業も断絶、印税目当ての先行投資、自前の温泉三昧取材旅行も経費倒れです。
作品は、全東京新聞というローカル新聞に連載してムダにはなりませんでしたが未だに残念でなりません。この続編を伊豆の海を眺めながら書くとしても今更バスガイド教本でもありません。では、今執筆中のライフワークの戊辰戦争は? それは無理、雰囲気が違い過ぎます。
ぶらぶら近所を歩いてみるとバス停まで1分、スーパーまで2分、食事処まで2分、堤防まで3分。あれ? 白い割烹着のままのおばさん釣師がなにか釣り上げました。急いで見に行ってみると、結構なメバル、バケツの中でも何尾か泳いでいます。聞いてみると「夕飯のおかずだよ」、これで「女の人は釣りが上手」が納得できます。さらに、マンションから3分ほどで人口の掘割があり小魚がすいすいと楽しげに泳いでいます。と、なると近くの川ではいつでも淡水魚のザコが釣れるはずです。
そこでふと気づきます。ここは仕事場には不向きだ! と・・・
なお、「風かおる堂ヶ島」は古い原稿を打ち起こして、HP[花見正樹作品集」で連載中です・
本文の中に出てくる景色は、宜しければ本HPの「写真館・村長の日々のつぶやき」でどうぞ。
栄枯盛衰は時の流れ
上の写真は、4月20日(月)午後1時5分のディズニーシー入口正面の地球儀モニュメント前の広場です。
ここは平日でも黒山の人だかりで、写真を撮る人が順番待ちで並ぶ場所なのに、この時間、人っ子一人もいなかったのです。
天下のデズニーですから、このようなガラガラ日の危機的光景を公開しても問題はありませんが、新アトラクションの取材に訪れた私としては、信義上からもフェースブックなどで広く世間に知らせることは出来ません。
そこで、内輪の「今日の一言」に載せたのです。
この日は一般公開に先駆けて、4月24日公開の新しいミュージカルショー「キング・トリトンのコンサート」のプレス視察日でした。
毎回、新たなアトラクションがある場合は、来場者の少ない日を選んでマスコミ招待日を決めるそうですが、今回もドンピシャリ、乗り物は全て待ちなしで乗れるという驚くべき1日でした。ちなみに、前に家族で来た時は「海底2万マイル」が2時間待ち、「センター・オブ・ジ・アース」は1時間40分待ちでしたが、今回は待ち時間0分、こんなのは初めて、もう二度とないでしょう。
事業の栄枯盛衰は時代の流れと社会的環境の変化で大きく変わりますが、まだまだ飲食・娯楽・レジャー関連産業は平均して安泰、大ピンチなのは新聞・出版・家電・文具業界などのようです。中でも出版業界の衰退は目をおおうばかりで、出版社で業績がよく黒字経営なのはほんの一握り、ほとんどは赤字経営で青息吐息、いつ倒産してもおかしくない状況です。では、それが電子書籍に変わったかというと、そうでもありません。電子書籍も売れていないのです。 よく「若者の本ばなれ」という言葉を聞きますが、これは間違いで真相は高齢化社会の影響による「年配者の本離れ」のほうがはるかに多いはずです。高年齢で目が弱くなれば、誰でも本も新聞も読まなくなります。現に、日曜日に子や孫と大型店舗型書店に行ってみると、顧客は若者ばかり年配の人の少ないのは一目瞭然、若者は新聞は読みませんが本は読むのです。
さて、そうなると作家のはしくれの私としては、若者受けに路線変更しなければ、とも考えますがもう間に合いません。
結局、自分は自分、人は人、わが道を行くしかない、と腹をくくって今まで通りの平凡な生活に・・・以って瞑すべし、です。
桜はほぼ散りました。
写真は、親子3代での葉桜見物・・・左から、私、母、私の末娘です。
桜が散ると何となく気合が入って、やる気のエンジンが唸り始めます。これが、例年の私のライフスタイルなのですが、今年はまだ気ばかり焦ってパワー全開にはほど遠い状態です。それでも、身の回りの出来事が一つづつ整理されてゆくと焦りも収まって気分も落ち着いてきます。
先日来、本業の花見化学を任せた長男に膵臓ガンの疑いが出て、ガンではないと診断されてホッとしたところです。
ところが、その経過が悪くて精密検査のために東大病院を紹介され待機中、これでは落ち着きません。
気のせいか、最近、身内や友人知人に健康不調を訴える人が増えたような気がします。その内容は、ガン、心臓疾患、糖尿病、前立腺、痛風など様々ですが生活習慣病を疑えるものが殆どです。
男で多いのは大酒飲みか喫煙者、医師の勧告を無視してタバコを喫い続けている人も何人かいます。自分や家族を考えたら、もっと健康に留意しなければ、と思うべきなのに全く気にもしません。健康だけは自己責任ですから自分で管理するしかありません。その管理を怠るのはれば自滅です。
私はかつて中国の文化革命で日本に帰化した蔡一藩(さいいっぱん)師に風水とツボ療法を二年間教示され、今もそれを「手もみ健康法」として用いていますので健康状態良好、病気知らずで過ごしています。その手もみを母親にも用いていますので、母親も100歳を超えてますます元気、嬉しい限りです。
今日12日(日)も、県議選の投票を兼ねて母親連れで近所の残り桜を楽しんできました。葉桜寸前で見ごろとは縁遠い無残な姿の桜並木でしたが、天候もよくおだやかな日曜日、親孝行ではなく自分が息抜きをした感じです。今回の選挙は、統一地方選の前半戦とかで、知事選は北海道、神奈川、三重、福岡、大分など10道県、県会議員は41道府県、私の住む埼玉県は知事がなく県議だけの選挙で、用紙に書き込むのは候補者一名の名前だけです。ところが、いざ名前を書き込む段になって立ち往生です。なんと時代の移り変わりで候補者がいつの間にか一新されていて知っている名前が5,6人並んだ一覧表にないのです。仕方なく所属をみて知らない人物の名を書き込んできましたが釈然としません。明日には忘れますが、今はまだ事前調査不足を少しだけ恥じています。
今週のニュースでは、二つの出来事が気になりました。
一つは、オバマ米大統領とキューバのラウル・カストロ議長との握手です。
59年前、ソ連からのキューバへの核弾頭や石油輸送を海上封鎖で遮って第三次世界戦争必至という緊迫感を感じている世代としては、あの東西冷戦時代の両陣営は、開戦か戦争回避かで紛糾し一触即発状態でした。あの時はソ連が手を引いて開戦は免れました。その2年後、米国とキューバは国交を断絶、米国はキューバをテロ支援国家に指定して敵国としたのです。私たちの世代は、このキューバ革命の立役者フィデル・カストロを熱狂的に支持し、その映画もヒットしました。当時30歳だったカストロは、ゲリラ戦を次々と増強される米軍を完膚なきまでに叩いてキューバから追い出したのです。
大国アメリカに勝ったキューバ・・・これが当時20歳だった私の記憶です。
革命前のキューバでは、殆どの大農園が米国企業の所有となって、国の経済も米国の支配下にありました。その農地を返還させてキューバ国民に開放し、経済と秩序をキューバを民族自決主義国家として正常に機能させる、というのがカストロの掲げたキューバ革命です。このカストロの農地改革に対して、米国は即座に報復処置をとりました。米国企業が独占していたキューバ国内の石油精製事業の中止を命じたのです。
困ったキューバは、米国を敵視するソ連に接近して石油の輸入を始め、キューバは米国陣営からソ連陣営に変わります。
ソ連にとっては願ってもないチャンスです。米国本土からわずか140キロの至近距離にミサイル基地を設置できればアメリカ全土が射程距離に入ります。そうなれば、東西冷戦状態の均衡が破れて圧倒的にソ連側陣営に有利な状態が世界中を支配したのです。
それを防いだのが、米国の臨戦態勢での海上封鎖です。この時、ソ連船団が封鎖を強行突破すれば第3時世界大戦でした。
その後、キューバはベネズエラべから石油を輸入していますが今後はどうなるか分かりません。
今回の和平交渉を指示したと言われるキューバ革命の親・フィデル・カストロ初代議長は89歳でいまだ健在です。
やはり、健康が一番、健康であればいい考えも浮かぶものですね。
180歳の花見親子の花見!
お元気ですか?
この週末(4月4,5日)はまだ私の家の近所では満開の桜が見られます。多分、来週までは春一番の強風などで花は散り、葉桜になりそうな気配です。
写真は、”180歳の花見親子の花見”と題して、フェースブックに載せたものです。
母100歳8ケ月+私79歳3ケ月=約180歳、です。
「桜が咲いたよ」「じゃ、見に行こう」、こんな身軽さで母は応じます。杖なしでぶらぶら歩いて桜を堪能し、「これで長生きできるよ」などと言います。
ところで、日本の三大櫻といえば、三春滝桜(福島)、山高神代桜(山梨)、根尾谷淡墨桜(岐阜)ですが、私はまだ三春桜しか知りません。なんとか生きている間に、もう少し桜の名所を歩いてみたいものです。
五大桜といえば、これに、石戸蒲ザクラ(埼玉)と、狩宿の下馬桜(静岡)が加わりますが、ここにも行ったことがありません。
ただし、日本三大夜桜の、弘前公園(青森)、上野恩賜公園(東京)、高田公園(新潟)には行ったことがあります。ただし、上野公園以外は昼間のお花見です。
さらに、みちのく三大桜は、弘前公園(青森)、市立公園展勝地(岩手)、角館のシダレザクラ(秋田)で、桜を見たのは弘前だけです。
大きく地区で分けての花見の三大名所は、弘前公園(青森)、高遠城址公園(長野)、吉野山(奈良)です。
これは文句なし。どれにも思い入れがあるだけに甲乙つけ難いところがあります。
それでも、どこが日本一かといえば、この母親と写真を撮った場所、埼玉県南栗橋の無名の小川の両側のい桜並木です。
なぜ、日本一かというと、花見客が私ら以外誰一人いませんので、日本一空いているお花見の名所、ということです。
ところが、これは私だけではありません。皆さん、それぞれが家のご近所にそのような名所をお持ちのはず、納得ですね?
航空機事故の悲劇
3月24日、ドイツの格安会社の旅客機が墜落事故を起こしました。
フランス南東部セーヌ近くのフランス・アルプスの急峻な山肌に墜落したもので、乗客乗員150名、生存者はいません。
操縦席での会話を収録したブラックボックスから、副操縦士が機長をコックピットから締め出しての自殺行為だったと判明しました。
これでは、死亡した乗員乗客には救いようもない残酷すぎる経緯です。
この事故はフランス国内で過去数十年で最大の航空事故で、乗客名簿に日本人二人の名がありました。
報道された写真を見ると、樹木や残雪の間に散らばった機体の破片はバラバラる墜落時の衝撃の強さを物語っています。
墜落した旅客機のジャーマンウイングス社は、世界大手のドイツ・ルフトハンザ航空傘下の格安航空会社です。
日本でもJALやANAの傘下に格安航空会社が存在します。
その整備は完全なのか機長の運航技術や就航環境は万全で乗客は絶対安全なのか?
その保証は? 多分、期待や設備、機長や乗務員の質も待遇も大手一流航空会社よりは1ランクも2ランクも落ちるはずです。
そう考えると格安航空会社にはつねに不安が付きまとい、絶体安全とは考えられず、乗客も多少のリスクは背負うことになります。
私も九州への鮎釣りでANA傘下の格安航空会社に登場することもあります。
今のところ国内では大きな事故もありませんが、天災も人災も忘れたころに訪れますから油断はできません。
今回の事故は、旅客機9525便が滑走路から飛び立って上昇し水平飛行に転じた直後、突然、急降下を始めたのです。
高度1万メートル以上の上空から、通常は30分近くかけて高度を下げるのに、たった8分で山腹に激突しています。
その8分の間、管制塔には緊急連絡もSOSもなし、通常は機長が心臓麻痺を起しても、隣席の副機長が操縦を引き継ぎますし、そこで緊急連絡がはいります。問題は、事情も説明もないまま突然急降下を始めた瞬間からの乗客の心理状態です。
乱気流によるエアーポケットに入った場合、激しい上下動で天井に叩きつけられてケガをする乗客もいますが、今回はジェットコースターの滑降時のように重力が下に傾いて頭を下げた状態での8分間です。多分、水平飛行の段階で多くの乗客はベルトを外していますから、機体が急に頭を下げた瞬間、前のめりになって前の座席やテーブルに顔や胸をぶつけてケガをした可能性もあり、この時点で血を見てパニック状態が始まり、すぐベルトを締める余裕がある人がどれほどいたかは疑問です。
このような事故の度に、もの書きの習性として私は、その場の空気や遭難者の心理状態などをつい推測してしまいます。
機体が突然前に傾き降下し始めても、乗客はエアーポケットか高度変更で、すぐ立ち直ると信じ切っています。
乗務員の「落ち着いてください」「ベルトをお締めください」の声で、すぐにはパニックにはならないかも知れません。
しかし、それも30秒が限界で機内がざわめき、乗務員も異変に気づいてパニック状態が一気に機内に充満します。
そのパニックは、トイレから戻った機長が操縦室のドアーを外から激しく叩いて「早く開けろ!」と叫ぶ怒声でピークに達します。
コックピット内部に一人で籠った副操縦士は、婚約者に振られてウツ状態で自殺願望があったのではないか? との推測もあります。
勿論、この時点では誰もそのような事情は知りませんし、奇跡的な機体の回復を祈っていた人もいたはずです。
しかし、多くの乗客は機長の狂乱ぶりを見た瞬間、絶望的な環境を知って泣き叫び怒鳴り喚き、阿鼻叫喚の状態に陥ったと想像します 機体は時速700キロのスピードで下降を續けてから8分後、アルプス山脈の岩肌に激突して悲惨な結末はご存じの通りです。
この事故での日本のお二方を含む全犠牲者にご冥福を、ご遺族ご家族には心からの哀悼の意を表し申し上げます。
もしも、この中に自分がいたら・・・その臨死体験は「随想・曼珠沙華」でどうぞ!
https://www.kaiundou.biz/Zuihitsu/
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思い込み
お元気ですか?
大相撲春場所の千秋楽前日で、優勝争いはモンゴル出身の白鵬と照ノ富士の二人に絞られました。
結果的には白鵬が白馬富士を破っての優勝で幕を閉じましたが、しかも、照ノ富士、逸の城の台頭で、これでまた日本人横綱出現の夢は遠のきました。横綱への夢を託した稀勢の里にも、ほとほと愛想が尽きました。
とうとう日本の国技だった大相撲も、モンゴルに乗っ取られてしまいました。こうなると、日本での興行権を日本相撲協会が名義借りているような塩梅で、モンゴル力士に勝たせているのも納得できます。よく考えれば、白鵬に過去最高の11回も勝っている稀勢の里は、照ノ富士に勝っています。その照ノ富士は白鵬に勝っています。となると当然、一番強いのは白鵬に勝った照ノ富士を破った稀勢の里のはずです。
その一番強い稀勢の里が白鵬との対戦で、目を瞑って突進して自分から土俵に転がったのですから納得できません。
しかも、アッという間の0.6秒、これで自分から土俵に転がったのですから、さすがに稀勢の里ファンの私も「アッ」と叫んだ口を閉じるのに3秒かかりました。まさか、稀勢の里がこんなに芝居が下手とは思ってもいなかったからです。
白鵬が横綱らしからぬ右への変化で、大阪の心無いファンから「ドアホ!」それでも横綱か!」「アホか?」と汚いヤジを浴びていましたが、それは筋違いというもので可哀想です。こうでもしなければ優勝回数でも何でもモンゴル大相撲本家の横綱が、従属する日本相撲協会の記録を塗り替えることなど出来ません。最近では稼ぎに稼いで故郷に大型マンションを建築中、部屋の親方を陰ではアホ呼ばわりとか週刊誌で見ましたが、これも貧乏人の妬みと考え、あるいは、すでに引退して実業界で活躍中のモンゴルの先輩横綱と比較したら何の問題もない範囲内です。なにしろ、先輩力士ときたら金銭問題で揉め、親方と取っ組み合いのケンカの末馬乗りになって殴りつけ、弟子達が力づくで止めなければ師匠の命はなかった、と噂されるほどの金の亡者だったそうですから、モンゴル大相撲日本場所に出稼ぎに来ている後輩の力士達が目の色変えて強くなるのは当然なのです。
この、白鵬の横綱相撲らしからぬ勝利に、私は今、将棋でのある出来事に思いを重ねています。
同じ日の出来事です。
日本将棋連盟は、人類のプライドと英知を賭けて、ここ数年敗北を喫している最強の敵コンピューターソフト軍と団体戦で戦っています。
プロ棋士対コンピューター、その生活を賭けた死闘は中途半端ではありません。両団体にはこの戦いに将来の盛衰がかかっているのです。
ところが、本家の人類棋士の棋譜をインプットした新参者のコンピューターソフト棋士はめきめきと腕を上げ、たちまち本家を超えてしまい、5対5の団体戦で昨年も後進のコンピューター軍が第一線の人類プロ棋士を3勝1敗1引き分けと圧勝して本家を乗っ取ってしまったのです。これで人類は連敗、もう後がありません。
もう、こうなると日本将棋連盟も必死です。今年は、第一戦を幸先よく人類の斎藤五段が接戦を制してコンピューターソフトを破っているだけに日本将棋連盟の張り切り方は異常なほど盛り上がっています。なにしろ、他の業界に先駆けて人類とコンピューター間の戦争は始まっていたのです。
今回の日本将棋連盟の「勝つぞ!」の意気込みは、モンゴル大相撲連合軍に制圧された日本大相撲協会の比ではありません。今回の決闘の場所は、坂本龍馬の生地で知られる高知市の高知城近く、人類は「加古川青流戦」で優勝実績のある永瀬拓矢六段(22)、対するコンピューターソフトはセレネ六段(年齢不詳)、立合人は開発者の西海枝昌彦さん。この勝負の勝敗が日本将棋連盟の未来に大きく拘わっているのは間違いありません。ちなみに服装は永瀬六段が洋服、西海さんは羽織袴姿の和服でどっちが棋士かは外見では分かりません。
この試合の立会人や見物客や野次馬で高知城近辺は大変な賑わいだったと聞きますから、相撲、野球ファンから見れば地味でも将棋ファンもまだまだ捨てたものではありません。ただ、このまま日本将棋連盟のプロ棋士がコンピューターソフトに敗け続けると、誰も棋士に月謝を払って弟子入りすることなく、ソフト会社が独り勝ちになってしまい、やがては連盟もソフト会社に乗っ取られてしまいます。
そんな息詰まるような緊張の中、試合は一進一退の激しい攻防の中、中盤に差し掛かり、永瀬六段が角を動かして「王手」です。勿論、王が動く場所も駒で防ぐ手もありますから、ソフト側には痛くも痒くもなく防げばいいだけです。
ところが事件はここで起きました。
王手をかけた角が相手側に入ったのに「成り角」にならずに素のままだったので、その常識外れの一手にソフト側に対応策がなかったのです。ソフトのプログラム不備で、セレネ六段は王手を放置したまま別の手を指し、あえなく反則負けとなってしまいました。王手を差されて、それに対応せずに他の手を打つのは将棋では反則で、これは電王戦では初めての出来事だそうです。
歩、桂馬、銀、角、龍など相手陣に動いた場合は全て裏返しに「成る」と常識的に考えてソフトが創られていたのです。永瀬六段はそれも考えての奇手だったそうで、これは人類の頭脳の勝利です。
私は以前、テレビの早指し選手権で時間の無くなった棋士が秒単位で駒を置くとき、裏返しの時間を省く苦肉の策を見ました。それで時間を稼いで、攻める時に具えて最終的に勝った対局でした。思い込みで手抜きをして敗けたソフト製作者の西海さんは、帰宅後ただちに欠点の改良に入ることでしょう。
さて、大相撲の稀勢の里対白鵬戦に戻ります。
横綱だから横に逃げることは絶対にない、そう信じて思い込みで敗けた稀勢の里は、やみくもに突進する悪癖を克服するか? ほんの少しでも白鵬が優勝とか賞金の束に貪欲で執念深いかを考えれば、白鵬を倒した照ノ富士を倒した自分を恐れて、白鵬が横に逃げるのは当然と考えなかったのか? その頭の中のコンピューターは疑うことをしないのか? 稀勢の里に完璧を求めるのは無理かもしれませんが、稀勢の里に反省し努力し欠点を修正する気持ちが少しでもあるならば、あの腰高の立ち合いを是正すれば、格下力士との取りこぼしがなくなりますので、日本人横綱誕生の我々の悲願も叶えられるはずです。でも、稀勢の里は人類ですから、そう簡単には欠点を修正できません。
そこでハタと気づきました。私は昔から、柏戸、朝潮、雅山、稀勢の里と勝ちそうで勝てない力士ばかり応援しています。
なんでなのか? やはり、私も人類、仕方ないと諦めるしかありません。
共通の話題
今回も「土あさ」の話題です。
毎週土曜日の午前11時過ぎに始まる山口放送ラジオ「土あさ(土曜いい朝
お早うワイド)」の占いコーナーの出だしでは、局側の男女二人のキャスター
か私のどちらからかホットな話題を振り、それで盛り上がってから本題の「生
まれ月別、今週の占い」に入ります。
3月14日のこの土曜日はホワイトデーですから、例年なら義理チョコのお
返しはどうしたとかの話題から入るのに、今年は珍しくどころか初めてそれに
触れませんでした。多分、先月のバレンタインデーの話題の週で、私が「最近
は孫だけ」と過少化して触れたので、キャスターが気を使って話題を避けたの
です。それまでは、私がミカン箱いっぱいのチョコレートを貰っているよに調
子を合わせていましたから、突然の本音発言に盛り上がりが一気にしぼんでし
まったのです。なにしろ地方局の人気キャスターであれば、バレンタインデー
などでは視聴者や局アナなどからのプレゼントで机の上いっぱいに盛り上がっ
てこぼれ落ちるのが当たり前です。私などは弟子や孫などから義理チョコが少
々届く程度ですから話題が食い違って当然なのです。これで来年もこの話題は
ありません。
では、3・11の東日本大地震の災害の話題は共通かというと、これも西と
東ではその感じ方に温度差があります。神戸&淡路島大地震の大災害では大騒
ぎだったのですが、東北大地震と福島原発の被害について触れても妙に盛り上が
りません。山口からでは遠すぎて実感がないからかもしれません。もしかすると、
聡明で明るいメインの男性も優しく頭の回転の速いサブの女性キャスターも私と
はツーカーですから上手に話は合わせてくれますが熱度が噛み合わないのは距離
感だけではなく、福島県そのものが多少のアレルギンになっているような気もし
ます。
私の番組のファンクラブのような形で「花見xxを囲む会」で一泊温泉懇親会
を山口市内の温泉で行った時のことです。私の本籍が会津だと言った途端、それ
まで私と和気あいあい酒酌み交わして談笑していた海外旅行まで一緒に行った仲
の知人が、プイと座を立ち「急用ができたから」と立ち去り、年賀状も来なくな
りました。聞くところによると東北戦争で先祖が戦死しているそうです。これは
ほんの一面だけですが、30年間、レギュラーをして山口県内を歩いていますと、
人のよさ人間性の優秀さもよく分かりますが歴史認識の古さは、どこも同じよう
です。キャスターのお二人とも優秀で私とは気も会いますが、それでも先祖から
受け継いだDNAはどこかで、東北大地震と福島原発事故の話題に触れても普通
には喋りますが、詳しく立ち入りたくないという本能が少しは働いたとしてもお
かしくありません。
その点、花粉症の話題だけは東西共通ですから一気に盛り上がって、ミント系
のガムがいいとか医者の処方してもらった薬が効いたと、視聴者にも参考になり
そうな意見が次々に出て、私も気分よく次のステップに入れました。
名物キャスターの降板・・・
今、私の仕事で一番長続きしている仕事は、山口放送ラジオの「土あさ」で、1984年4月7日が番組のスタートで、今年31年目に入る長寿番組です。
正式名称は「土曜いい朝お早うワイド」で略して「土あさ」。私は初回から参加していますので出演回数は週1でも15,000回をゆうに超えています。毎週土曜の午前中で電話の生中継でスタジオからの電波ですから、必ず居場所を知らせねばなりません。以前は携帯は不可でしたから、旅行先のアラスカ、フィリピンのホテル、宮崎からのフェリー内の電話に掛かっていました。
今は携帯の電波が良くなりましたから便利です。九州熊本球磨川の河原からも何回か放送させて頂いています。当然ながら・・・いや、あってはならないことですが失敗も何回かありますが、今回はそのことには触れません。
レギュラーとして長く出演したのは、フジテレビでは「小川宏ショー」「3時のあなた」です。民放ではあちこちに出演させて頂き「山口放送」の他にも「山形放送」「テレビ岩手」が長く続きました。
私の最初のレギュラー番組は東京12チャンネル(現テレビ東京)の「歌謡マガジン」です。歌手の新人デビュー番組でしたが、司会の柏村武昭氏は、その後、参議院議員になりました。山形放送時代に私の出演番組で司会をしていた荒川強啓氏は、突然降板して東京に出て成功しました。
そこで、私も18年間準レギュラーでお付き合い中のテレビ岩手の話題です。テレビ岩手の名物アナウンサー雅(まさ)さんこと平井雅幸キャスターが突然、メインキャスターを自分から降板しました。局の看板番組「5きげんテレビ」のMCの降板は晴天の霹靂、局内の大騒ぎの様子が親しい仲だけに手に取るように分かります。
本人は体調不良を訴えていましたから、毎日が多忙な仕事でしたから大変気の毒でなりません。かつて「土あさ」の名物アナウンサーだった井上雪彦氏が過労で倒れ、そのまま帰らぬ人になった悲劇があります。
雅さんには、この雪彦さんの悲劇と同じ轍を踏んで欲しくないのです。
むしろ、荒川、柏村両氏のように新たな道に転身への準備なら私の心も楽になります。この降板が、別の道を模索しての策であったなら私は大歓迎、微力ながらおおいにバックアップしたいものです。
東北を代表する名アナウンサー雅さんこと平井雅幸氏の華々しい復活を願っての今日の一文です。