お元気ですか?
いよいよ師走、めっきり寒くなり風邪も流行ってきますね。
とくに高齢者の風邪は肺炎に移行しやすく命にも拘わりますので要注意です。
最近、高齢化問題が世間を賑わせていますが私自身も少しづつ巻き込まれつつあります。
なんと、周囲の仲間が次々に高齢化問題に取り組み始めたのです。
水泳で世界に君臨したY氏が家具のコトブキの顧問になって、高齢者向け家具販売の陣頭指揮をとります。
次に日本最大の個人病院・旧岩井クリニックの幹部だったT氏が、某製薬会社の認知症治療サブリメントの開発に協力中です。
極め付きは、弟子のM氏で、携帯に組み込まれている現在地表示センサーを単純に簡易化して高齢者向け現在地認知発信装置を開発中、これが完成すると認知症徘徊者の発見に手間取りません。
ここまでは仲間とはいえ他人ごとですから黙って眺めていればいいのですが、役所からの問い合わせです。
「6年前の記録では要介護度5ですが、この二年は要介護度1、寝たきりから歩行可能の101歳? これ、間違いですね?」
そこで、医者から見放されて死の縁に彷徨っていた母を病院から我が家に引き取った経緯や、医学は無知ながらストレス問題研究家だった私の看病法の一部などを話したところ、広報に書けとか講演をとかで煩く、丁重に断りました。
しかし、高齢者が健康で医者いらずになれば国の高齢者対策にも朗報ですから、いつまでも黙ってはいられません。
しかも、死の寸前から杖要らずまで戻った101歳の母と、あと1ケ月で80歳になる私自身の医者いらず健康法には当然ながら共通点があります。その謎解きを兼ねて、80歳の誕生日からNET連載を始めるつもりです。
その中の一つは、すでに実践中です。
それは、手のひら整体です。私は、すでに一昨年の発刊で「誰にも分かる手相占い」の中で「手もみ健康法」について触れています。私は、これを母に応用しながら、多くの人を対象に効果を確かめてきました。しかも、実際に開業中の整体師や鍼灸師も実践して、私の理論を立証してくれています。
そこで、私は、日本で最初のストレス解消サロンの開発者、アルファー脳波研究者、癒しの音楽の草分けなどの立場からのあらゆるノウハウを個別と総合的にまとめた上で書籍出版、私の主旨に賛同する後継者にノウハウを伝授し免状を出し、事業化を可能にする所存です。
その後継者の一人が、すでに開運村ホームページの表紙下部にある「お世話人紹介」の指導者欄に「美容健康法教授方・坂下茂弘」となって載っています。
私は、いよいよ本気で人生の集大成で終活をまとめ上げる算段で心を躍らせています。
投稿者「花見 正樹」のアーカイブ
とにかく強かった!
左から、花見、平岡、大出、杉田、山中、坂下の各氏です。
お元気ですか?
ひと昔前、両国の中学の授業中、マンガ本を見て昼寝をしている図体のでかい怪童がいると聞いた記憶があります。
それが、瞬く間に相撲界のスーパーヒーローとなる北の湖関でした。
「とにかく強かった!」
私の友人でもあある千賀の浦親方(元関脇・舛田山)が、そんな話をしたことがあります。
今日は、福岡国際センターでの大相撲九州場所の千秋楽、優勝は日馬富士か白鵬かに絞られています。
この場所中の20日(金)、日本相撲協会の北の湖理事長が直腸ガンと多臓器不全で急逝しました。
奇しくもこの日、私は、北の湖と輪粉(りんこ)時代を築いた元横綱・輪島関の親しい先輩・山中氏と会食中でした。
輪島出身の山中氏と後輩の輪島氏は親しい仲で、山中氏は私の弟分でしたから当然、輪島と北の浦なら輪島を応援していました。
北の湖が生涯で唯一負け越したのが横綱・輪島関で21勝23敗、いつもがっぷり四つで上手投げ得意の北と、下手投げ得意の輪の力相撲で観客を沸かせたものです(追悼・北の湖は別コーナー「曼珠沙華」で・・・)。
その輪島関が尊敬したのが郷土の先輩・山中毅氏です。
ひと昔前、私のサロンが銀座の「梁山泊」としてマスコミに載った時代があります。
この頃は各界の錚々たるメンバーが私の周囲に集まっていて、山中毅氏も舛田山関もその輪の中心にいました。
今、舛田山関は日本相撲協会理事・千賀の浦として本場所の解説などでお馴染み、千賀の浦部屋の親方です。
さて、2枚目の写真は前述の12月20日(金)の会食風景ですが、異質のメンバーばかりです。
左から私(花見)、平岡氏(詩人、元ダイヤモンド社部長)、大出氏(歴史・新選組関係の大御所・元新人物往来社社長)、杉田氏(音楽誌編集・元岩波書店)、山中氏(コトブキ社顧問・元水泳選手)、坂下氏(鍼灸治療院経営)などです。歴史研究家で大出氏を知らない人はいませんが、驚いたのは山中毅、大出俊幸の両氏をヤフーで検索したら、なんと二人合わせて90万件数以上もヒットしたのです。
と、いうことはお二人ともまだまだ活躍中で過去の人ではないということです。
私の尊敬する大出俊幸氏は、1937年の広島県因島市生まれ、京都大学出身の秀才で元教師。日本読書新聞、学藝書林、新人物往来社の元社長、編集者として大出氏が世に出した本は、「全集・現代文学の発見」「ドキュメント日本人」「新選組シリーズ」など1000冊以上、氏の主宰する会も多く、「本の会」「民学の会」「新選組友の会」「因島自由大学」「史道会」「土方歳三忌」「沖田総司忌」「戊辰戦争役東軍殉難者慰霊祭」「新選組流来祭」「近藤勇実供養祭」「新選組子孫と語る会」など多数を主宰または後援している超人です。
私と大出さんの共通点は、日本の黎明期に時代の波に翻弄され死を覚悟で戦った純粋無垢な若者たちへの敬愛と哀憐の情だと思います。土方歳三らの人間味豊かな生きざま死にざまに男のロマンを感じて共感して涙を流せる仲間はそう多くはいません。大出氏は、私と共通する心を持つ大切な仲間なのです。
水泳の山中毅(つよし)氏については今更語るまでもありません。
1939年、石川県輪島市出身、早稲田大学卒、世界新記録も何回か出していてオリンピックに3回参加、出場全7種目に入賞、メダル4ケ。内訳は、銀・1956メルボルン 400m自由形、銀・1956メルボルン1500m自由形、銀・1960ローマ400m自由形、銀・1960ローマ4×200mリレー、と凄い実績です。今は後輩が社長の「家具のコトブキ」の顧問として、身体障害者向け家具の普及などを手伝っています。
勿論、平岡、杉田、坂下の各氏に加えて、この写真を撮ったスタッフの比留川氏も大切な仲間です。
と、話は脱線しましたが、北の湖関も強かったが、山中選手の強さも凄かった・・・これが言いたかったのです。
陸上界のスーパースター!
さわやかな秋、お元気ですか?
本年9月23日、京都府在住の一般男性・宮崎秀吉さんが、陸上短距離の100メートルと砲丸投げで前人未踏の世界記録を出しました。
このニュースはたちまちNETに載って世界を駆け巡り、ライバルの決起を促しますが今のところ名乗り出る相手もいません。
おそらく、この宮崎さんがさらに奮起して挑戦したとしたら幅跳び、高跳び、200走、、やり投げなど、長距離や三千障害、棒高跳びなどを除く全種目を制覇するのは間違いありません。その上、体操なども得意なのです。いま陸上会にはこの凄いスーパースターの出現で、若者たちを圧倒しています。
宮崎さんは、世界記録樹立で京都市スポーツ最高栄誉賞の栄誉に輝きましたが、まだ国民栄誉賞には至っておりません。理由は、安倍総理に無視されているからです。安倍総理は高齢者対策に乗り出し、百歳祝いの簡素化、高齢者施設から自宅介護への移行を迫っています。私の母は週末は自宅、月~金は母のお気に入りの元気村という施設にいますが、一昨日、政府が推進する自宅介護奨励の通知が来ましたので、私はまた埼玉県久喜市の自宅仕事が増えそうです。
あ、言い忘れましたが、前述の宮崎さんは今105歳、マスターズ陸上105~109歳クラスの部の公認記録で、100メートルを42秒22、砲丸投げは重量3キロで3メートル25の世界記録、当然ながらギネス公認でブックにも載ります。
なお、過去100~104歳時の世界記録は29秒83、この当時からライバルはいません。
今回は、105歳の世界新記録ながらあまりにも記録が悪かったので、再度挑戦するとのことです。
この一文を読んで挑戦? お止めなさい、運動ですと足がもつれ息は絶え絶え、100メートル30秒がまず無理です。
それにしても健康で元気で毎日が楽しいというのは何と有り難いことでしょう。
最近の私は、毎日を感謝の気持ちで生きています。
では、一体全体、誰に感謝なのか何に感謝なのか、と問われると返事に窮します。あまりにも対象が多いからです。
健康な体に生んでくれた父母、兄弟身内、友人知人恩人、先祖、先人、環境、生きた時代、相思相愛の人、全てに感謝なのです。
つぎに、この五体満足で病気知らずは、粗食乍ら食べものに恵まれたこともありますので食べものの全てに感謝です。
当然ながら、農家の皆さまの育てた穀類農作物、漁師や牧畜業の方々にも感謝です。
なにしろ、あと二カ月で80歳のこの身のために、どれだけの動物魚介類鳥類農作物の命を頂いたことか?
お陰様で平成26年(2014)度日本人男性80.50歳の平均寿命まで後8ケ月、無事に人生を全う出来そうです。
ちなみに女性は、同年の平均寿命86.83歳で男性との差は6.53歳、この差は開くばかりです。
私の父親も早逝して母は元気で101歳、男より女性は長生き、これは実感です。
平均寿命の推移をみますと、昭和22年(1947)の平均寿命は、男性50,06歳、女性は53,96歳です。
昭和35年(1960)は、男性65,32歳、女性は70,19歳です。
私が長寿の研究を始めて全国の長寿者を訪ね歩いた昭和57年の100歳超えの長寿者は約1、500人、平成26年には6万人を超えましたから2千人に一人は100歳以上が当たり前の時代になりました。
私が100歳の研究を始めたきっかけは、運勢学と長寿の関係を調べるためでしたが、昔の人は出生と役所への届け出日が違っていましたから、端午の節句だったとか、正月の三日目などさまざまな記憶で、正しい生年月日の判明した長寿者だけで調べますと、その殆どが「大極貴人」という長寿星を持っていることに驚きました。
残念ながら私には長寿星はなく、「天官貴人」という仕事と社会運の強い星があります。
したがって、世のため人のため自分のためにせいいっぱい生き抜いてパッと散る・・・これぞ理想の人生です。
どうぞ、今、私から遠ざかっている方は、今のうちに溢れるように漲っている私の開運パワーをご活用ください。
なお、現在の日本一長寿者は、田島ナビさん、115歳、明治33年8月4日生まれで鹿児島県喜界町の女性です。
勿論、あなたが元気で楽しく、焼酎愛飲家の故・泉重千代さん(118歳)の記録を更新してギネスに載ることも可能なのです。楽しみがまた一つ増えましたね・・・
マイナンバーの功罪
お元気ですか?
いよいよ悪名高きマイナンバーの配布が始まりました。
会社関係からスタートしたらしく事務所には届きましたが、自宅にはまだ届いていません。
一般に内容や手続きが知られていないことを逆手にとって、すでに手続き・管理代行サービス業者が現れました。
銀行や大手企業は、この管理代行業者と契約して管理と責任を他社に任す策で、銀行はこの枠を取引先にまで広げ、それも仕事にしようとしています。このマイナンバー関連サービスを含めたマイナンバー市場規模はなんと約1兆円を上まわるそうですから、一部の業者にとってはマイナンバー様様ですね。
そう考えると今回の法令施行は、このような業者のためには大いに役立っているようです。
国民の約65パーセントが「理解できない」「個人情報の流出を危惧して反対」「プライバシー丸裸だから」と猛反対したこの法案が、
国民が選んだ政権担当党派国会議員によって強引に法制化され、ついに、国のため?に個人を犠牲にしたマイナンバー制がスタートです。
これで個人情報は役所に筒抜け、家族構成、経歴、収入、納税状況など何もかもが白日の下にさらされ、私達のプライバシーは国によって管理されることになります。いずれ、スエーデンなどのように役所に問い合わせて、他人の年収を聞けるようになるかも知れません。
それでいいのか?
この答えはすぐには出ませんが、真綿で首を締めるようにように、じわじわと私達を不快な状況に追い込むことでしょう。
前述の通り、企業にはすでにマイナンバーが押し付けられてもう逃れることは出来ません。
企業では、税金や社会保障の関係で、従業員やパート、アルバイトのマイナンバーによる特定個人情報を集めて管理し、届けなければなりません。と、いうことは会社のマイナンバー取扱責任者は、社員の個人情報を知る立場にあるわけです。
それを防ぐために、今回の法律ではマイナンバー取扱い責任者以外の人物が覗き見も出入りも出来ないように、間仕切りのある場所の設置や施錠ができる保管場所が必要となります。当然ながら、新たな管理設備を設けるとなるとお金がかかります。多分、従業員10人未満の零細企業でも100万ぐらいはかかります。
実は、花見化学の毒物劇物試薬の管理がこれと全く同様なのです。小部屋に施錠した棚を作りそこに試験ように用いる毒劇物の試薬を貯蔵して扉を閉めてカギを掛け、在庫管理帳簿も必要、それを何年に一度か都の役人が不意打ちで訪れ、チェックして異常があると告発し責任者を罰します。しかも「毒物劇物取り扱い責任者」は国家試験で、その資格を持った者が常駐しなければなりません。花見化学の場合は、私がその責任者ですから不意に来られても会社にいたことがありません。
したがって。その都度トラブルですから嫌になります。そこで、毒物劇物資格の受験を門外漢の現社長の息子にさせ、何とか名義変更はしましたが、息子はそんな面倒を避けるために試験室での毒劇試薬の使用を禁じ、薬品は廃棄処分、棚も取り外しました。
それでも、仕事には全く影響がありません。
私にもその手があったのですが、一応、化学会社である以上、実験室に試薬は必要と頭が固かったのです。大学院まで行って、オヤジの仕事をイヤイヤ継がされた息子ですから、社名から化学が消えるのも時間の問題です。
今回のマイナンバーへの対応も、浪花節型の私と違って合理的な息子ですから社内取り扱いを一切やめて、外部のマイナンバー管理会社に委託すると思いますが、どうなることか? ともあれ、気に入らない法制ですし、いずれはトラブルが続出しそうな気がします。以上はあくまでも私の私見ですので、マイナンバー賛成の方、ご不快でしたら「ご免なさい」・・・
海底火山で大陸が?
お元気ですか?
テレビニュースで海底火山噴火の模様が無人ヘリで撮った映像が放映されていました。小笠原諸島に新たな島が誕生しつつあるというのです。
小笠原諸島西ノ島の南西500メートルでの噴火ですが、すでに西ノ島の大半を飲み込んでいるそうですから、このなな噴火が続くと、かなり大きな島が出来て日本の領地が広がります。
調査船から送られてくる映像を見て驚いたのは、周辺の海には熱帯性の魚や大きなサメまでいて生態系の狂いはしんぱいなさそです。しかも、噴火した新島に飲み込まれた西ノ島のわずかな土地には、そこに生息する野鳥が子育てをしながら何とか生き伸びています。これには驚きました。木も草もなく巣もない荒れ地に生物は存続して日々の営みを続けていたのです。
なお、現時点での中心部座標は、北緯27度14分49秒 東経140度52分28秒、面積は2,71km²から拡大中、最高標高は約150m、日本橋からは約1,000キロ離れていますが、東京都小笠原村に所属しています。
西之島は東京の南約1,000km、父島の西約130kmに位置し、火山列島(硫黄列島)と同一火山脈に属し、付近では海底火山活動が活発であ 西ノ島は海底から約4km、直径約30kmの大火山体の海面上にある山頂部です。
周囲の海は、島の北方沖合い約1km、西方約400mまでの水深は5m未満の浅い海、その先は急斜面となり、約4千mの深海まで坂が続きます。植物も魚類や鳥類も豊富ですが、この噴火で大きく変わる可能性もあります。
一般に海底火山から噴き出る溶岩が海上に積もって島が出来ても、重い地質のために自重でまた沈んでしまいます。
ところが今回は、大陸を形成する地質と同じ軽い岩石で成るそうですから、このまま噴火が続くと間違いなく大きな陸になります。
もしかすると、日本大陸が出来たりして・・・ま、1万年ぐらいはかかると思いますが。
領土が狭いということは食料や気質にも影響するらしく「島国根性」「大陸的おおらさ」などの言葉もあります。
1万年後の日本人がおおらかで幸せかどうか? 私達には調べるすべはありませんが楽しみです。
スーダン250万、南北62万、戊辰1万人
お元気ですか?
先日、テレビのニュースで来日中のユニセフ南スーダン事務所代表・ジョナサン・ベイチさんが、南スーダン共和国の悲惨な内戦について語り、難民救済への援助を訴えているのをチラと視聴しました。
地図で見ると南スーダンは、北にスーダン、東にエチオピア、南東にケニアとウガンダ、南西にコンゴ民主共和国、西に中央アフリカなどに囲まれたアフリカ中央よりやや東寄りのる内陸国です。
つい5年前にスーダン共和国南部10州が独立して、アフリカ大陸54番目の国家としてうぶ声を上げたばかりで、もう激しい内戦で民族抗争を續け、国内は殺し合いでめちゃめちゃです。
南スーダン独立前のスーダンの内戦では約250万人の南部住人が殺され、独立後の南スーダンでも内戦の構図は何ら変わらず武力紛争は激しさを増し、サルバ・キール大統領派と、クーデターに失敗して解任されたマシャール元副大統領派の戦闘で、すでに数十万人が殺害され、220万人以上が避難民となり、少年は少年兵として武装勢力に徴用され、多くの女性が浚われて性奴隷にされているそうです。
さらに、食糧不足で約25万人の子供が栄養失調に陥り、餓死寸前の子供は3万人を遥かに超えて6万人とも言われます。
国連を通じての救援物資の殆どは難民キャンプまで届かず、ほんの一部の救援物資が一部の難民に届くだけです。
南スーダンは、白ナイル川沿いに熱帯雨林もあり、世界第二の多様な野生動物の宝庫で石油資源も豊富で、天然資源としても鉄鉱石、銅、金、銀、ダイアモンド。農産物としては綿花、ピーナッツ、サトウモロコシ、雑穀、サトウキビ、マンゴー、パパイア、コムギ、サツマイモなど豊富な産物があります。しかも、主要輸出品の木材でもアフリカ最大のチークの産地で、潜在的電力資源もたっぷりとあります。なのにインフラも教育も進まず国民は飢えています。その原因が最大部族・ディンカ族とその他少数部族との抗争による内乱です。
内乱とは対立する派閥間の戦争ですから当然のように殺し合いになります。
奴隷解放を旗印に戦ったアメリカ北軍のリンカーン大統領の戦い方は、徹底して相手を殺すことでした。あの4年間の南北戦争での死者は62万人と言われます。
内乱とは少し違いますが、イギリスから不良白人が大量に入植した時は、1千万人いた先住民のインディアンの約950万人を殺して完全に駆逐し、ドイツのナチススターリン、中国の毛沢東、ソ連のスターリンなども数百万人あるいはその上の単位で人を殺していて、その残虐性は日本人の遠く及ぶものではありません。古代中国の蓁の始皇帝も二万人の村を皆殺しに焼き殺しています。
アメリカの南北戦争で不要になったスペンサー銃が、武器商人を通じて大量に日本に運ばれ、主として西軍の主武器になり戊辰戦争での殺し合いに使われました。
その戊辰戦争の資料は幕末維新全殉難者名鑑など数種あり、新政府軍の死者は3588~6400人、幕府軍は約4690~8625人で、とされています。教科書に載っているのが最小人数で、戊辰戦争での総死者数は8、420人で、内訳は、新政府側3,550人、旧幕府側4690人)。このうち薩摩藩514人、長州藩427人、会津藩2557人(女性194人を含む)。会津藩の戦死者が最多であることに変わりはない。
また、戊辰戦争の中で双方合わせた戦死者が最も多かったのも会津戦争。ちなみに越後長岡藩を中心とする北越戦争も激戦だったが、戦死者は最大級に見ても双方各1000人余り(新政府軍の被害としては最大だった可能性あり)、鳥羽・伏見の戦いでの戦死者は双方で390人に過ぎない。
函館戦争の戦死者は、ウィキペディアによると、幕府軍約1000、新政府軍約300の計約1300人。最後の激戦には違いないが、戦死者は会津戦争より少ない。旧幕府軍は当時、アジア進出で出遅れていたプロイセンに北海道を割譲し、自らは傀儡政権を樹立して旧幕勢力の生き残りを図ろうとまでしたが、普仏戦争直前で余裕がなかったプロイセンにも断られ、命運尽きた。
この数字を世界の内戦と比較してみると、いくら岩倉具視が「皆殺しに!」と叫んでも、他国から見たら町内の争いのようなものです。
現代では交通事故死、自殺、どちらも年間3万人以上で、戊辰戦争は約1万人、いかに民間人を犠牲にしなかったが窺える数字です。
それでもなお、私は夢想します。
戊辰戦争が大砲・小銃などの重火器なしで、刀、槍での戦いだったら死者は数百人?
新選組数名の天然理心流と薩摩の示現流、土方歳三と中村半次郎の一騎打ちなど、幾つかの名勝負が歴史に残ったものと推測します。
欠陥マンションンの応用
お元気ですか?
横浜市の建築基準法施行令違反の大型マンションが傾いた問題が、大きな社会問題に広がっています。
杭を施工した下請け会社のずさんな手抜き工事がこのうようなひどい結果を生んだわけですが、業者は最初、説明会で地震のせいにしたそうです。住民の誰もが傾いていると気づいたマンションの近隣のマンションが何にも変化がないのに、そのマンションだけ傾いているのに地震のせいにするとは、ずいぶん住民も甘く見られたものですね。しかも地盤沈下と関係なく、自然に傾いているのですから雑な工事もあったものと呆れるばかりです。しかも、建築基準を見たさない分をデータ偽装で通しているのですからかなり悪質ですね。
その点、東北大地震の余波で地盤沈下や泥状現象で、土地が住宅建築に適しないことに気付いた埼玉県の東武日光線南栗橋駅周辺の地主さんは賢明です。駅前から歩いて10秒のだだっ広い空地が、東側も西側も全部駐車場です。私は、その隣駅の栗橋駅に近い所に住んでいますが、車で8分ほどの隣駅、前述の南駅前駐車場に車を停めて、通勤はそこから一本のスカイツリー線・曳舟駅前の花見化学か、北千住乗り換えの地下鉄日比谷線・築地駅前の花見事務所に通っています。どちらも駅から至近距離ですから小雨なら傘は不要です。
さて、駐車場の料金ですが、私の場合は駅から10秒の駐車場の年契約6万円、月に5千円です。ちなみに自転車は月3千円で、自動車とたいして変わりません。1日預けは普通乗用車24時間・料金の高いところで200円、やすいところで150円(私の住んでいる隣駅の栗橋駅前は1日800円、月極2~3万円)です。
これぞ欠陥土地の有効利用で、傾くマンションを建築するよりは土地保有者も利用者もお互いにプラス、何のトラブルもありません。なにしろ、昔は沼だった場所の埋め立て地ですから駅前なのにマンションは建てられません。見渡す限り駐車場、かなり遠くの方が月極で契約しています。しかも東武線南栗橋駅は始発駅で、終電も遅くまでありますから便利です。鉄道料金もJRより、かなり割安、この欠陥土地のおかげで多くの人が小さな利益を共有し、細やかな幸せを得ています。
さて、ここで欠陥マンションに対するアイデアを提供します。
いま騒がれている欠陥マンションは氷山の一角、こんなのは全国にいくらでもあるはずです。そこで、欠陥土地の駐車場利用と同様に考えて、ひとまず法律で規制し、欠陥住宅購入者には、業者が住宅購入料金を一度住民に返済し、年6万円、月5千円で賃貸に再契約、賃貸住民の場合は保証・敷金、過去の賃貸料を返済し、改めて前述と同じ年6万円の賃貸契約で仕切り直し・・・業者も建て直さないで済みます。これですと、家賃格安の欠陥住宅を求めて希望者が殺到しますから、欠陥住宅探しも熱を帯びて洗いざらい旧悪が暴露され、悪徳業者こそが、住宅困窮者にとっては神様同様、いい業者という評価になります。
勿論、私も仕事場に3LDKの欠陥マンションの一室を月5千円で借りることにします。さあ、今日から”国民総活躍”で全国いっせいに欠陥住宅探しですね。その前に法律? まだ出来てませんか?
人のご縁
本日は人の縁について触れます。
先日、鹿児島で西郷隆盛公のご子孫・西郷隆夫さんと会食して大いに歓談した件をここに載せました。
それを見た公家・東久世道通禧(みちとみ)公のご子孫・東久世章さんが「遠縁らしい」と言うのです。
そこで、西郷家の系図と東久世家の系図を突き合わせることにしました。歴史を好きな方は、幕末の長州征伐時の七卿落ちといえば、よ
く知られていて、東久世卿が大宰府に流された時は、坂本龍馬も会いに行っています。
その東久世通禧、西郷隆盛は、お互いに戊辰戦争では東征軍の参謀ですから親しい仲であるのは当然ですが、子孫までご縁があるとは?
で、調べた結果、次ようなことが判明しました。
西郷隆夫さんは、隆盛公と正妻・糸さんの間に生まれた寅太郎さんの孫ですから、直系の曾孫(ひまご)です。
東久世章さんは、母が通禧公の孫ですから、やはり曾孫ですが、父は米国人で国際的な弁護士で、いわゆるハーフです。
前述の遠縁は、こんなことです。
東久世家の縁者が、隆盛公が奄美大島時代に愛加那との間に生んだ菊子(菊次郎の妹)の娘・すみ子と結婚していました。
したがって、西郷隆夫さんとは直接は結び付きませんが、縁者であることは確かです。
最近、このような例が身の回りに沢山起こっています。
なお、東久世章さんは、私の文學の弟子で、開運村HP内の日本文芸学院に壮大なスケールの小説「太平洋年代記」を連載中です。
さらに、開運村HPの「お世話人紹介」欄には占述家名「ビギー・ネプテューン」講師として載っていて占いでも活躍中です。
なお、開運村会員には、咸臨丸で訪米した勝海舟や福沢諭吉の上司で軍艦奉行・木村摂津守のご子孫などもいて多士済々、賑やかです。
勝てば官軍?
勝てば官軍?
まず野球の話題から・・・
セントラル・リーグ、ヤクルト・スワローズの真中満1年目監督が神宮球場で胴上げされて宙に舞いました。チームとしては、14年ぶ
りの優勝ですから関係者は感慨深いものがあると思います。 しかも、シーズン中盤まで最下位に沈んでの屈辱的な位置から這い上がって
の優勝ですから、よく頑張ったものです。これで、急にヤクルトの無名だった新監督がマスコミに引っ張りダコ、勝てば官軍です。
それと対照的なのが横浜ベイスターズで、オールスター戦までの折り返し点までは首位、そこから失速して、終わってみれば最下位。こ
れでは救いようもありません。横浜スタジアムを満員にするなど球団増収に大きく貢献した中畑監督が、オーナーの慰留を断って辞任した
くなる気持ちもよく分かります。勝ち続けた前半戦と負け続けた後半戦では選手の気迫も集中力も違います。これが、勝ち癖のある常勝チ
ームと負け癖のついた弱小チームとの差かも知れません。こうして負けたらボロクソ、退団とは厳しすぎます。
パ・リーグでは西武ライオンズの秋山選手が、1年のヒット数でイチローなどを抜いて日本新記録です。これは凄いことです。
相撲では、凄くないことばかりが続いてうんざりです。
稀勢の里などは、精神的にどうかしてるとしか考えられません。
鶴竜との対戦で、横綱の鶴竜がズルい立ち合いで横に逃げた時、なんとか捕まえたのですが腰高のままバタ足で押し立てました。その結
果、うっちゃり気味に横からひねられてアッという間に土俵下に転落して優勝を逃しました。私はあれを見て、稀勢の里は、お人好しです
から、横綱二人が休場のこの絶好機に、横綱になってまだ優勝のない鶴竜に、何とか勝たせてやりたかった。だから、楽勝で勝てるのに自
分から飛び出して負けてやった。あんな腰高のままバタバタと走っては勝てるわけがありません。あれは稀勢の里の鶴竜に対する道場から
出た片八百長に間違いありません。来場所も、他の力士に同情して白星を黒星に塗りかえて他の力士に感謝されることでしょう。
これで、また日本人力士の優勝は遠のき、せこい勝ち方の鶴竜が優勝、見え透いた肩痛の嘘で非難は同情に。勝てば官軍です。
変わりました。
ラグビー? 初戦に力を出し切って終り。こんなのは論外・・・いえ、こんなことも勝負の世界にはよくあることです。
さて、自分のことです。いま、小説の戊辰戦争のエピソードを執筆中ですが、錦の御旗は明らかに偽造です。しかし、あの錦の御旗のお
かげで東軍の士気は萎えて徳川慶喜公も敵前逃亡。勝敗の綾はこのニセ錦旗が握っていました。ただし、作った時点ではニセ物でも、天皇
が認可した時点で本物・・・中国の三国志にも「勝てば官軍」の故事は生きています。
静かな連休でした。
秋の連休、シルバーウイークをいかがお過ごしでしたか?
世界の名車・フォルクスワーゲンの不正事件、安全保障関連法案の成立など世の中騒がしい中、私は穏やかに過ごしました。
各地で豪雨被害があったあとの連休でしたがどうやら天候には恵まれました。連休となると孫たちが我が家に集結し、ここを拠点としてあれこれ出かけて大騒ぎになるのを長年に渉って続けています。孫も6人いますから親子で集まると合宿状態です。ところが、この連休は閑古鳥、誰も来ません。秋祭りや催事に行楽と夫々が多忙だったこともあり、101歳の母も元気で手が掛からず、私にとっては思ってもいなかった自分の時間が出来た連休でした。久しぶりに自宅周辺を散策してみると、稲刈り後の田園風景も秋の気配を涼風に感じて、心が豊かになれるように感じて落着きます。
おかげでこの連休、私は我が家の書斎にこもって、種々雑多な音楽を耳に資料調べと書き物三昧と近間のドライブ、それと、つい先日カナダに留学した孫娘(長女の長女)とパソコン(スカイプ)での近況交流、声も映像もバッチり、国内で会っているような雰囲気で会話を楽しめました。それにしても、便利な世の中になりましたね。メールでの写真交換もあって話題は豊富、これからは大いにスカイプ活用で孫と交流できますから外国にいても心配しないで済むことも分かりました。それだけでもいい連休でした。
さあ、これから私もいつも通りの平凡な日常が再開しますが、それもまた楽しみです。