前回はおさな馴染との恋愛について語りましたが、今日は同じ趣味仲間との恋愛について触れます。
テレビの「龍馬伝」では龍馬の女好きが明かされていますが、これは事実です。龍馬が最初に江戸行きを果たしたのは19歳の時ですが、私はドラマなどで語られるような剣術修行ではなく、北品川にある土佐藩邸下の沿岸工事や黒船対策の砲台建設のための臨時御用が主であったと見ています。当時の土佐藩は、幕府から浦賀の湾岸警備も任されていましたから土佐から多くの人員を呼び寄せていました。浦賀の海岸警備中に黒船を見た龍馬は仰天し、世界観が変わったと言われています。
龍馬は、非番の日に剣術の師である日根野弁治に紹介された千葉定吉道場を訪れて入門し、剣術修行もします。その千葉定吉の道場に は龍馬より3歳年下の16歳の佐那という定吉の娘の美人剣士がいました。道場で竹刀を合わせた龍馬は佐那にまったく歯が立ちません。
龍馬は剣を通じて佐那と親しくなり、若い者同士の特権でたちまち仲良くなって離れられない仲となります。
その後、二度の江戸行きで待望の一刀流免許・・・は頂けず、佐那の好意で佐那の連名入りの長刀(ナギナタ)免状を有難く拝領し面目を保ちます。やがて、二人は千葉定吉にも認められて婚約します。結納として、龍馬は松平慶永から拝領した紋服(中古)を贈り、千葉家からは短刀がは贈られました。これで正式に婚約し、結婚の日取りはは後日にとなりました。
ところが、龍馬があちこちで浮気を繰り返しているうちに、お龍にめぐり合ってしまい佐那の元には戻りません。
そんな龍馬を佐那は待ち続け、龍馬の死後も結納に貰った紋服の片袖を切りとって、夫の形見として生涯大切にしたそうです。
龍馬がまだ佐那と熱々だったころ、姉の乙女にあてた手紙で佐那のことを、「馬によく乗り、剣もよく、長刀も出来、力は並みの男より強く、琴も絵もよく心しづかなる人」と佐那を評し、さらに「器量は平井加尾より上」と余計なことまで付け加えています。
これでは、高知で龍馬を待ち続けた平井加尾の立つ瀬がありません。
考えてみると、男と女の色恋沙汰は、相思相愛である男女交際でも必ずしも結果オーライとはならないから辛いですね。それどころか、千葉佐那や平井加尾のように、一生孤独で過ごさなければならない場合も生じますから辛いですね。
それと、龍馬は剣術を習うために千葉道場に通い千葉佐那と知りあいました。剣だけでなく碁でも将棋でも、登山、水泳、その他のスポーツやレジャーでも、遊び仲間、習い事仲間のカップルは、共通の仲間でありながらライバル意識があり、生活を共有するには一長一短があって、なかなか安定した家族を築くことが出来ません。結婚しても結構、高い離婚率を示します。
想い出に共通なものがあることは、プラスに働くはずなのですが、過去の情熱的な二人と比較して徐々に衰えてゆく行動力やスタミナ、や活気の衰えを、自分のことは棚に上げて相手のことだけが気になったりします。したがって、趣味やスポーツを共有する男女は、夫婦と友人とライバルが同居したような生活になり、疲れることになるのです。
この場合、つねに相手に尊敬と信頼をもち共通の向上心と目的意識を失わないようにすれば、いつまでも仲間割れはしませんが、人間としては最良のカップルでも、愛情は薄くなるばかりですから、やはり、趣味仲間との恋愛には気を使わねばなりませんね。