- お元気ですか?
消費税引き上げ問題がいよいよヤマ場を迎えます。
不適切な発言や危ない交際などで5人の閣僚が入れ
替えになりました。野田総理は、増税強行賛成派の岡
田議員を副総理にして増税に本腰です。
総理は、今回の改造で「最善最強の布陣」と言いま
したが、今までは最善ではなかったことになります。
国民からみると、今回内閣入りした顔ぶれが「最善}
とはとても思えません。
それでも、これが消費増税へ態勢強化に「最善最強
の布陣」なら、総理の言葉足らずとして納得です。
これで、不況の中での増税体制は出来ました。
14日(土)もテレビで、増税を含めて超党派での
協議入りを野党に持ち掛けて、必死です。
総理は、訪米でオバマ大統領との密約と財務省の増
税案で日本の経済安定に「増税」は不可欠とする説に
凝り固まっています。
一昔前、消費税3%を決めたときは大事件でしたが、
これで日本は安泰と聞いた覚えがあります。それが、
箱もの建設ブーム、町興しで全国各市町村に1億円づ
つ配るなど湯水のごとく金をドブに捨てました。
その結果、全国で評価額何兆円もの建物が二束三文
で売られ、各市町村も膨大な赤字を抱えました。
私が住む町でも同様で、温泉プール、スポーツジム、
舞台つき休憩所、ニセ温泉、子供の遊び場などを包括
した大きな施設を作りました。ところがが、町村合併
で経常経費が掛かり過ぎるからと休業で今は廃墟に、
1億円をドブに捨てました。
もう予算獲得と浪費のために役人が考える無駄使い
は、きっぱりと終わりにしたいものです。
それより、議員定数の削減、役人も適数に減らして
健全な国政に変えてから、増税の必要性を論じても遅
くはありません。総理がその気になって行政改革を進
めれば、江戸時代から続いた役人天国もなくなります。
平成元年の3%、平成9年の5%増税後のあの不況
を思い出すと、今は増税の時期に非ず・・・こんなの
は誰もが知っています。
今のまま、役人の思うままの国政を続けると、今世
紀の間に消費税は35~40%になるという試算もあ
ります。
増税派は、民主党の半数強、自民党、民主党、たち
あがれ日本、新党改革などです。増税の理由は「国債
累積の返済に増税は不可避。国民から平等に税金を徴
税するためには消費税が一番手っ取り早い」という立
場です。
増税慎重派は、民主党の半数弱、公明党、共産党、
国民新党、社民党、女性党などです。いつも何でも反
対の社民党も、今回は、「対経済成長効果や対税収効
果を見極めて判断」と極めて日和見的な判断で中立の
立場で慎重派の仲間入りです。
増税派の民主党の中にも、まず経済成長を第一に頑
張って、2~5%増の成長を見てから消費税論議をし
ようと言う良識人もいます。これなら私も賛成です。
私もただやみくもに消費税反対を言うのではありま
せん。無駄な経費を省き、景気浮揚後、正当な収支決
算でも不足であれば、適正な増税は是とします。
ただし、景気がよくなって増収が進み、行政改革効
果で国の経費が半減すれば、消費税増税は先送り出来
るのです。ただ、今の不況に目を背けて好き勝手に予
算を組む行政のありかたでは、増税には反対だと言っ
ているのです。
とりあえず衆院解散で総選挙、これで増税が先か行
政改革で無駄を省くのが先か、国民に信を問うて貰い
たいものです。
もっとも、私の知人や開運村にも政治や役所の関係
者がいますが、ここはご容赦を・・・以上が私の個人
的意見ですが、あなたはどう思われますか?
ぜひ、ご意見を投稿ください。宛先はフリーメール、
masaki19458@yahoo.co,jp にお願いします。
もちろん、消費税問題以外の投稿も大歓迎です。
投稿された方で、まだ今年(平成24年2月4日~
25年2月3日)の運勢をプレゼントされていない方
は、生年月日もご一緒にどうぞ!
九星気学でみた本年の開運データを進呈します。
では、メールをお待ちします。 花見 正樹
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さて話題を変えて、女性のための開運講座です。
これは、恋愛、結婚、再婚に役立つ開運法です。
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さい。勿論、男性が見ても役立つはずです。
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女性のための開運講座ー111
(4)、人間関係がよくなる開運コース
4、相性は悪くても相手に合わせるコツ
人と付き合う上で、相性は悪いより良い方が楽しく
過ごせることは言うまでもありません。
しかし、もし相性が悪くても「もうだめだ。付き合
うのは難しい」などと嘆くのも勿体ないことです。
相性が悪いと分かっているなら、それは既に一歩前
進したことになります。というのも、お互いに友情や
愛情をより強くして努力する気持ちになれるというこ
とです。
なまじ相性が良いと思って安心して節度を忘れて付
き合うよりは、よほどお互いに得るものが多く成長も
あるはずです。
その意味では、相性が極端に良い同士というのも、
逆に付き合いづらいという面もあるのです。
そして、気が合わないと思って、相手を嫌ってしま
うと何もかもが鼻についてしまうものです。先入観と
は恐ろしいものです。
仕事などで止むを得ず、ウマが合わない人と付き合
わなくてはならなくなった時も、嫌だなどと思わず、
相手の良い面だけ見て接するようにしてみてください。
また、自分から見てどうしても好きになれない、あ
るいは尊敬できないと感じる人でも必ず何かしら得る
べきものがあるのだということを知って下さい。
それから多くの人々、色々な性格の人々と触れ合っ
ているうちに、自然と相手に合わせられるコツが身に
付いてゆくものです。
やはり人間社会は、好きな人とばかり付き合っては
いられませんし、同じ価値観の人とばかり交際してい
ては、激論を交わすこともなく進歩もありません。
好むと好まざるとにかかわらず、様々な価値観の人
と出会ってこそ人間として一回りも二回りも大きくな
れるのです。
嫌な相手と相対しても、これもすべて勉強のうちと
思って、その相手に感謝するよう心がけましょう。
また、相性が良くても悪くても感謝の気持ちで相手
に合わせれば多少の難点は乗り越えることができます。
ここでの要点を・・・
1、相性が悪い場合の付き合いの方法は?
相性が悪くても相手を嫌わずに、お互いの友情
や愛情をより強くして努力すればお互いに得る
ものが多いものです。
2、相性が極端に良い場合は?
相性が良すぎるとお互いに自分を見ているよう
に知り過ぎている面があり、つい気軽に欠点を
衝いてしまい気まずくなることがあります。
お互いを認め合うことで安泰です。
3、相性の良し悪しを乗り越える方法は?
相性が良くても悪くても感謝の気持ちで相手に
合わせれば、多少の難点は乗り越えることがで
きます。
つづく
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書店発売中の「坂本龍馬異聞」に続き「新選組3部作」
を執筆中です。その内容を先にお届けします。
ホームページでも挿絵入りで連載を始めました。
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新選組ー異聞
「土方歳三の師」
今日は、戊辰戦争の勝敗を分けた銃砲の話題です。
歴史といっても、さほど昔の話ではありません。
土方歳三を師と仰いだ新選組隊員が、つい昭和13
年まで生きていたのです。函館で入隊した最後の新撰
組隊員・池田三四郎(別名・稗田利八・嘉永2年生)
が89歳で亡くなったのは私が満2歳を過ぎてからの
ことです。
私の亡父は明治38年生まれでしたが、子供の時に
郷里の会津で町人髷の老人を何人も見たことがあると
言っていました。と、いうことは明治維新後も断髪を
嫌って時代の波に取り残されていた人もいたのです。
そんな身近なところに江戸時代はあったのです。
世相不安な京都守護を仕事にした新選組は、剣豪だ
けの集団を目指した天然理心流宗家で試衛館館長でも
あった近藤勇局長を中心とした剣客集団でしたが、剣
を頼りにし過ぎたがゆえに近代兵器の西国諸藩の農民
兵の放つ銃弾に次々倒されて壊滅しました。
しかし、副長の土方歳三は早くから銃砲による戦闘
を意識していた節があります。
ただ、近藤勇局長の「剣」に対する思い入れが、そ
れを許さなかったために、銃砲での武装化が遅れてし
まい、鳥羽伏見の戦いで薩摩藩の火砲による攻撃で多
くの隊員を失い、完膚無きまでに叩かれました。
土方歳三は、銃砲を相手に白刃で戦う愚を悟り、鉄
砲隊を組織するように近藤局長を説得します。
鉄砲傷の癒えない近藤勇は、その後、甲州でも破れ、
下総流山で官軍に捕らえられ斬首されます。
兄とも慕う近藤勇と袂を分かってからの土方歳三は、
思考を180度変えて新たな新選組を銃砲で武装させ
て戦いを続ける決意を固めます。
しかし、幕府から支給される銃には限界がありまし
た。西国諸藩の軍隊が所持するような近代的で優秀な
武器は入手できず、やむなく旧式銃で我慢せざるを得
なかったのです。
なにしろ当時の幕軍が用いた銃の中には、先込め式
の火縄銃さえ用いられたのですからお粗末極まりない
話です。当時の火縄銃はすべて和銃と呼ばれて、最大
射程距離は600m前後ですが、人を殺傷する有効射
程は、わずかに50~100mという至近距離で、ど
んなに熟練した射手でも1分間に4発の発射が最高で
した。しかも、当時の発射薬は黒色火薬で、発射後は
銃身内に残滓が多く付着するため、ある程度の発射を
かさねるとカス掃除をする必要がありました。火縄は
竹の繊維が用いられましたが、激しい雨の中では使え
ませんでした。
その後、幕府はフランスで開発されオランダ軍の正
式装備となったゲベール銃などを大量に購入しました
が、これも先込め式の旧式で殆ど使い物になりません。
戊辰戦争で最新の優秀な銃砲火器を用いてもっとも
活躍したのは、長州や薩摩以外では佐賀藩が群を抜い
ていました。佐賀藩では、早くから火縄銃を廃してゲ
ベール銃を標準装備化していましたが、それも廃し、
この当時はアメリカの南北戦争で使われたスペンサー
騎兵銃に移行しています。これは射程距離1・5キロ、
有効射程距離2~3百mというものです。
スペンサー銃は、慶応二年当時横浜での卸価格が、
37ドル80セント(二十八両二分)でした。
それに引き換え、前期のゲベール銃は5両で買えま
す。この価格の差が武器の性能の差でした。
この高価なスペンサー銃を、なんと薩摩藩は1万6
千挺、佐賀藩は2000挺も購入しています。しかも、
佐賀藩はガトリング砲という機関銃の親方のような、
1分間に何百発も撃てる速射砲を、他藩に先駆けて何
門も購入しており、これを鳥羽伏見の戦いから用いて
幕府軍を壊滅させたのです。
ところで、土方歳三率いる銃隊もこのスペンサー騎
兵銃で武装していましたから銃撃戦でも官軍と五分に
戦えます。函館戦争ではこの小部隊を率いて数倍に及
ぶ官軍の猛攻撃に耐えて戦っています。
けた話を聞いて、私も峠での戦場跡に行って来ました。
山の両側に陣を構えて、下を通る敵の大軍を迎え撃
ち、昼間は撃ちまくって一歩も進ませず、日が暮れれ
ば白刃をかざしての夜襲ですから、さらに最新鋭の銃
で攻撃した官軍も成す術もなく撤退して、他の山路に
迂回して函館に入ったそうです。
会津戦争でも歳三は少数で大勢の敵を相手に銃撃戦
で勝ちを制しています。歳三は銃器にも詳しかったの
です。現存する土方歳三の生前の写真では、腰に拳銃
があるのが見えます。
どうも、土方歳三は銃器が好きだったようです。
では、誰が土方歳三に銃器の扱い方を教えたのか?
それは、日本の大砲つくりの草分けでもある伊豆韮
山の代官、江川太郎左衛門(坦庵)しか考えられませ
ん。ここは江川塾ともいわれ、佐久間象山はじめ砲術
を学ぶ人達が弟子として集まって来ています。
子供の時から歳三は、江川坦庵に気に入られていた
のは間違いありません。
「成長するためには早道は、よき師を得る」
歳三の師は江川坦庵だった、と私は断言します。
ところで私の文学の師は、故青山光二師です。
青山光二師は、太宰治や芥川龍之介、織田田作之助
ら文学の世界で華々しく名声を博した仲間たちを横目
に見て、高校の英語教師をしながら苦節数十年、仲間
と違う道に活路を求めました。純文学から外れたアウ
トローの世界を書き、これが東映の任侠シリーズの映
画化で大当たりして大衆作家の道を走り、ようやく純
文学の世界に戻れて叙勲の栄誉に浴し、91歳で書き
上げた「わがもこ悲し」で、川端康成文学賞を受賞し
たことで、長かった波乱の執筆人生に花を添えて逝き、
はや3年になります。
師は、病床での最後の見舞い客となった私の手を握
って名残惜しげに「後は頼むよ」と言い残しました。
そこで、唯一人の弟子兼弟分の私が師の遺志を継い
で、いま、ゆっくりと後追いを始めたところです。
つづく
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