毎日、暑い日が続きますね。
今日は「素晴らしき人生」という話です。
これは私のことではありません。
私の場合は「楽しい人生」には間違いありませんが
「素晴らしい」にはほど遠いからです。
これは、開運村HP、日本文芸学院客員講師でお馴
染の桐山健一さんのことです。桐山さんは10年ほど
前、故井上ひさし(元ペンクラブ会長)氏から「文学
の里を地方から」と助言されて文学界に入ったという
異端児ですが、その行動力には頭が下がります。
井上氏は桐山さんに、「文芸誌に協力して、それが
3年続けば編集長とそれを支える地域の力、5年続け
ばそれに加えてあなたの努力が報われたと思いなさい。
文芸誌を続けることは生易しいことではありませんよ」
と、言われたそうです。
全くその通り、殆どの同人誌は短命なのです。
桐山さんが協力する中に、宮崎県東臼杵郡美郷町の
有志で発行する文芸誌があります。「美郷文芸」と呼
ぶ80頁弱の小冊子ですが、すでに20号、よくぞ続
いたと、故井上氏も草葉の陰から拍手してくれている
はずです。
実際、地方の文芸誌を維持する大変さは、私自身、
イヤというほど見聞きして熟知しております。
私が文学の世界に入ったのは、今は亡き青山光二と
いう師との出会いからです。青山師は太宰治、芥川龍
之介、織田作之助、丹羽文雄氏らと交流の深い文学者
です。
東大文学部時代から一緒に下宿していた親友の「織
田サク」が、代表作の「夫婦善哉」で世に出て一気に
一流作家として羽ばたいたのに大いに刺激されたそう
です。
青山師は、当時の文学者としてはタブーだったヤク
ザ小説を次々に発表し、それが映画化されて話題にな
り過ぎて大衆作家のレッテルが貼られたのを、かなり
気にしていました。
その後、褒章も得て文芸界で推奨された文人の名誉
である芸術院入りが、ある著名な老女流作家H女史の
猛反対で見送られてしまったのです。
「反道徳的社会のヤクザ小説を書く人が権威ある芸術
院会員なんて、もっての他です!」
これが、H女史の拒絶理由です。
この時の青山師の無念さは、身近にいる私には痛い
ほど伝わっています。青山師にとっては、大衆文学も
純文学も垣根がなかったのですから悔しいのは当然で
す。
それからの師は、ひたすら純文学という枠内の小説
を書き続けました。その結果、91歳で書いた「吾妹
子(わぎもこ)哀し」で川端康成文学賞を得ています。
その賞は、文学者として最高の栄誉ですから、師は
これを以って人生を全うしました。これも「素晴らし
き人生」です。
その青山師の後継者は不肖私ですので、師の名を汚
さない作品を書かねばなりません。私も、自他共に認
める作品を遺した時「素晴らしき人生」として静かに
幕を引きます。まあ、そうなれば、というタラレバで
はありますが・・・。
青山師の兄弟分に、やはり褒章組の元武蔵野大学理
事長で名誉教授、現代随一の文芸評論家・大河内昭爾
先生という大人物がいます。
青山師と親しいということは当然ながら私とも親し
い仲で、私からみれば大先輩です。私も誘われて8歳
年長の大先輩の講演に同行し、温泉や美味しい郷土料
理などに便乗しています。その上、その大先輩には、
日本文芸学院の名誉学長もお願いしています。
大先輩の講演内容は、殆どが地方で盛んな文芸同人
誌がテーマです。それが主宰者の注文ですから仕方あ
りません。
文芸評論家で、自らも資金難に苦労しながらも文芸
誌「季刊文科」を主宰する大河内大先輩の元には、毎
月山のような文芸同人誌が送られてきます。
そんな大先輩の元には全国から講演依頼がひっきり
なしに舞い込みます。氏は、体調が悪くて講演が中断
したら私に「替わってくれ」と言いますが無論冗談で
す。私には文芸誌について語るほどの知識も実績もあ
りません。
しかし、文芸誌事情に疎い私にも、同人誌にはピン
キリまであることだけは承知しております。紙質、表
装、頁数、会員数、内容の質、作家層などの違いが歴
然だからです。書店に並ぶ立派な本から手刷りの小冊
子まで様々ですが、会員が多い文芸誌はそれだなりに
充分な制作費をかけて見てくれのいい本を出していま
すが、中身は外装とは関係ありません。
文芸講演に集まる文芸ファンは、驚くほど熱心で生
真面目なのに感心します。文芸評論家の大河内大先輩
が、雨後のタケノコの如くどこにでも出てくる文芸誌
には、「稀には見るべきものもあるのですが・・・」
と認めた上で、「自画自賛」「自己満足」「内容がな
い」「文芸誌から一流の文学者は生まれない」、こん
な辛辣な言葉を教壇で鍛えた巧みな話術でひょうひょ
うと冗談交じりで話すのです。
大河内大先輩宅に送られた数多くの文芸誌に載った
作品中、幸運にも目に止まった作品が偉大な評論家の
評を受けて雑誌や新聞に載ることになりますが、その
幸運は偶然でもあるのです。
さて、文芸誌「美郷文芸(編集長・藤本茂氏)」を
支える桐山健一さんに話を戻します。桐山さんは日本
中を旅して歩いて、詩を書き旅日記、エッセイを書き
続けています。その作品はつねに瑞々しい感性と叙情
に溢れていて、啄木に傾倒する桐山さんの優しいお人
柄が偲ばれます。「美郷文芸」20号にも「幻想の白
い時空」「哀愁」「粉雪舞い散る那須高原」「素朴で
孤独な旅」「十勝平野の豆」「ポエニの思想」「新聞
の使命」とショートエッセイが続き、「啄木の青春に
重なる」と詩作があり、小説「ポエニの希望」で、古
代フェニキア人とレバノン海岸を舞台に遠い中東の物
語に夢を託します。それらの作品の底に流れる啄木と
共通の孤独感・・・これが桐山さんの作品を生むエネ
ルギーになっていて、人として生きる悩みや苦しみ、
その合間に垣間見る一瞬の輝きを見い出した時の喜び
が伝わってきます。それらは正しく啄木と共通のもの
でした。
桐山さんは、かなりの歳月をご兄弟と半月交代で老
いた母親の介護生活を続けています。横浜市の自宅か
ら京都まで、毎月、月の半分を通っていられるのです。
これは大変なことです。
そのご自分に課せられた逃れられない宿命を、その
まま受け入れて桐山さんは決して愚痴ることがない。
その心根の優しさで詩を詠み、随筆、小説を書き続け
る・・・その底にそこはかとなく哀愁が流れるのです。
自分が置かれた環境から心を磨いて文学を生みだす、
これこそが文学の本質だとすると、桐山健一さんもま
た「素晴らしき人生」を歩みつつあるのは間違いあり
ません。こう考えて、私は惜しげなく桐山健一さんと
「美郷文芸」に賞賛と激励の拍手を送ります。
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さて話題を変えて、女性のための開運講座です。
これは、恋愛、結婚、再婚に役立つ開運法です。
途中からご覧の方は、遡ってご覧になってくだ
さい。勿論、男性が見ても役立つはずです。
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女性のための開運講座ー86
(3) 心身回復・安眠美容コース
1、眠りのサイエンス-2
眠りの判定には脳波が用いられると言いましたが、脳
波の測定によって精神の安定状態もわかりますから、
ストレスの多い現代に生きる私たちのリラックス状態
や興奮状態などが脳波の測定するだけで一目でわかり
ます。
脳波というのは、脳の二点に電極をセットして、そ
の二点間の電位差の変化を読み取ることで、脳から出
る電波のことではありません。その二点間の電位差が
ゆるやかなほどリラックス脳であることが証明されま
すが、このときの波形の状態によって次のように分類
されます。
1. ガンマ波 興奮状態の脳波
2. ベータ波 緊張状態の脳波
3. アルファ波 リラックス状態の脳波
4. シータ波 安静状態の脳波
5. デルタ波 熟睡状態の脳波
以上の5種類の脳波の内、美容に良い影響を及ぼす
脳波は3のアルファ波と4のシータ波です。アルファ波
の内容についてはほかで説明しますので省略しますが、
眠りに入ったときは脳波はシータ波またはデルタ波に
なります。
不眠症の脳波ではシータ波もデルタ波も継続性がな
く、やすらぎの脳波に入れないためよけいイライラし、
精神的疲労が蓄積されますから、美容上にも悪い影響
だけが残ります。眠りの形と性格についての研究はか
なり以前から進んでいますが、規則的な就寝起床時間
を守って生活できる人は、分別ある常識人で安定した
性格であり、不規則な睡眠時間の人はムラの多い性格
と言われます。
低血圧の人は、夜更かし朝寝坊、高血圧の人は早寝
早起きタイプということもありますが、美容のために
は、まず規則正しい眠りを取ることと、その眠りを深
くすること、さらに大切なことは、楽しく快適でここ
ろよい眠りをとることです。
こころよい眠りは、全身の細胞の若さを再生し、心
も身体もリフレッシュさせ、生きる喜び、明日への希
望を与え、さらに、あなたの魅力を若々しくよみがえ
らせることでしょう。
したがって、よい眠りをとることは、細胞を若返ら
せ、美しさを作り出すことですから「寝不足は美容の
大敵」ということが理解されると思います。
つづく
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書店発売中の「坂本龍馬異聞」に続き「新選組3部作」
を執筆中です。その内容を先にお届けします。
ホームページでも挿絵入りで連載を始めました。
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新選組ー異聞
第三章 黒船騒乱
(8)賭場の喧嘩-2
金之助と睨みあっている坊主が、右手で刀を構えたま
ま、左手で懐中から十手を取り出した。
「ご用だって言ったな。それじゃあ二人とも、大人しく
お縄につくか?」
歳三に衣類をぼろぼろにされた髭面の用心棒が喚いた。
「もういいだろう。お互いに無駄死にはしたくない。
親分も手を引いてくれ」
用心棒が刀を鞘に収めて歳三に近付いて来た。
「弥太郎さんとやら、おまえさん、ただのムジナじゃな
さそうだな?」
「うるさい。おれはムジナじゃない。ただの小間物屋だ」
「そうか? おれは菱山の佐太郎というケチな野郎だ。
そこの法印さんに雇われてる」
「なんだ、浪人じゃねえのか?」
「ま、武士の真似ってとこかな」
少し髪の伸びた坊主頭の法印が顎をしゃくった。
「手入れなら、二人をしょっ引くところだが、今日は見
逃してやる」
金之助が嘲笑った。
「坊主に博徒に岡っ引き、三足のわらじか? その上、
にせ浪人? 全く呆れた連中だな」
「この野郎、いい気になりやがって。にせ浪人のどこが
悪い!」
「まあ待て、佐太郎、わしらは縄張りと賭け金さえ取り
戻せればいいのだ。こいつらにも用はない」
金之助が居丈高に威張った。
「ならば、おれの勝ち分だけでも返せ!」
「分かった。それで水に流そう。定吉、金は抑えたか?」
法印が定吉という子分を呼んで命じた。
「こいつの勝ち分を返してやれ」
「へい」
さすがに博徒は話が早い。盆茣蓙を襲った直後に金函
を抑え、金之助の駒札も数えてあった。
「十五両とニ分二朱ですが、寺銭は二両ほど引きますか」
「随分と稼いだな。巻きあげた残りの銭はいくらある?」
「ざっと百両ってとこです」
「なら、寺銭は要らん。そっくり返してやれ」
金之助は、その金を横柄な態度で受け取り、懐中から
巾着を取り出し無造作に詰め込んだ。
法印が、今度は金之助を誘った。
「おまえさんは、いい度胸で腕も確かだ。うちに草鞋を
脱がねえか? すぐ幹部だぜ」
「うるせえ。たかが博徒のくせにでかい口きくな。おれ
は博打は好きだが博徒にはならん」
「まあ、そういうな。関東取締役の御用をつとめる法印
の仙之助だ。気が向いたら寄ってくれ」
法印が、定吉という子分を呼んで命じた。
「こちらの弥太郎さんにも、五両ほどくれてやれ」
「わらじ代なら1分もあれば」
「いいんだ。これだけ腕っ節の強い若い衆はそうはいね
え。楽しませてもらった分だ」
子分の定吉が目の前で粒銀などで数えて五両、歳三の
前に出した。
「そいつは境内を血で汚した掃除料で寺に寄進してくれ。
てめえらの顔はしっかり覚えた」
「覚えてどうしようというんだ?」
「いずれ、出番が来たら声を掛けるさ」
「出入り(争い事)なら手伝うぜ」
歳三は、さっさと荷物を担いで立ち上がった。
(石田散薬があれば、こいつらの傷も早く治るのに)
歳三は腹の中で、そんなことも考えている。金之助が
あわてて声をかけた。
「弥太郎さんとやら、もしも歳さんに会ったら、鍬次郎
からよろしくとな」
「鍬次郎? 分かった伝えておく」
そういえば、金之助から鍬次郎に改名していたと聞い
ていたのを歳三は忘れていた。歳三はもう後は振り向か
ない。だが、仙之助と鍬次郎、髭の佐太郎の名もしっか
りと頭に刻み込んでいた。
つづく
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