今、新選組についての取材を仕切り直し中です。
土方歳三の戦いは、京都から宇都宮、会津、仙台、
函館と転身します。
関東から東北での戦いは、宇都宮、会津、仙台の
宮古湾海戦へと激しく動きます。
この中でまだ未取材の地は函館だけですが、5月
中には行ってきます。宇都宮は、私の鮎釣りのホー
ムグラウンドの那珂川への入り口で年に何回も寄り
ます。
会津は私の本籍地で親類に郷土史家もいますので、
助かっています。宮古湾は、知人の商船大学の教授
から沢山の新たな資料を預かっています。
函館は観光では行ったことがありますが、新撰組
の取材は来月初めて行きます。多分、今までと違う
新撰組になると思います。
新撰組は過去数百人の作家が著書を出しています。
いまさら、同じことを書く気はありません。
ならば、新選組についても変わった切り口がない
かを考えました。
1、刀剣所持禁止の農民が剣術を学べた理由
2、農民出身の近藤、土方が武士より強い理由
3、全国の名だたる剣士が農民剣術を恐れた理由
4、近藤、土方が鉄より硬い結束で結ばれた理由
5、新選組が内部粛清で身内の死を増やした理由
6、優れた人材の芹沢、伊東が粛清された理由
7、近藤、土方の結束が崩れなかった理由
まず、以上が納得できる説明が必要な項目です。
その上で、
1、明治維新と新選組の拘わり合い。
2、大政奉還をめぐるの謎
3、近藤、土方、沖田の死にざま
4、新選組の残党それぞれの生き方
5、新選組、近藤、土方の名が残る理由
このあたりを書きこみたいと思います。
4月26日(木)、私は青梅街道を歩いて自分の
新選組の冒頭の部分を確かめてきました。
そこは、嘉永六年(1853)夏、十九歳の歳三
が打ち身薬「石田散薬」の行商をしながら武術を習
うのに通った新町村名主・吉野家九代の文右衛門屋
敷跡です。当時、文右衛門邸は貰い火事で燃えた家
を改修中で、蔵屋敷を改造して住居とし、庭の一部
に剣術道場を開いていました。私は、ここを新選組・
土方歳三の冒頭の舞台に選びました。
今、この吉野家の家屋は東京都有形文化財「旧吉
野家住宅」として、庚申塔と馬頭観音、井戸跡、石
碑などが残っています。
吉野家十三代当主・吉野文平氏から昔の資料をお
借りし、今、解読中です。
多分、今の掲載文は入れ替えになります。
お楽しみに・・・
つづく
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さて話題を変えて、女性のための開運講座です。
これは、恋愛、結婚、再婚に役立つ開運法です。
途中からご覧の方は、遡ってご覧になってくだ
さい。勿論、男性が見ても役立つはずです。
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女性のための開運講座ー75
恋愛・結婚、さまざま模様
美しくなる秘訣
(6)情熱でムダな脂肪をどんどん排出-1
皮下脂肪はウエスト・ヒップ・太もも・脚部などに
つきやすいということは誰でも知っていることです
が、表面に表れない体内脂肪については意外に無関
心な女性が多いようです。表層部皮下脂肪は美容面
を気にしますが、体内脂肪は心臓や肝臓などに負担
をかけるため健康面において大きな問題となります。
スリムで美しい体をつくるには体内の脂肪を減少
さえることにつきるのは当然ですが、そのためには
まず、一日の運動量以上のカロリーを採らないこと
が大切です。
というと、すぐ食事を減らしたり、低カロリー食
にしたりと考えますが、デスクワーク主体に仕事を
しているOLの消費カロリーが実は意外に多いとい
う事実が最近の労働調査で判明しています。
通勤・掃除ほか事務所内の雑用・昼休みの散歩・
同僚との付き合い・終業後のショッピングやデート・
月に何回かのスポーツクラブでの運動・休日のレジ
ャー・家事など結構せわしく動き回っているのが現
実です。極端なカロリー不足を招く減食は、身体の
抵抗力を弱め、むしろ脂肪のつきやすい体質に変え
てしまいます。
また、減食をしながらのエアロビック運動は確か
に発汗を含む有力な減量効果をもたらせますが、栄
養不足でのカロリー燃焼ですから、あまり度を過ぎ
ますと、筋肉の基礎代謝を上昇させるはずなのに、
脂肪を減らす前に筋肉の科学的性質を変化させ体内
抵抗力を弱めてしまいます。
食事はバランスよく、少し控えめに、運動も過度
に、では痩せたくても痩せないのではないかという
疑問があります。それでもスリム戦略の決定打はあ
るのです。
そこで実例をあげます。
つづく
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書店発売中の「坂本龍馬異聞」に続き「新撰組
3部作」を執筆中です。その内容を先にお届けし
ます。
ホームページでも挿絵入りで連載を始めましたす。
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新撰組ー異聞
第三章 黒船騒乱(この項、HPでは修正します)
(4)老中首席・阿部正弘-1
「だが、筆頭老中から失脚した水野さまは、すぐ不
死鳥のごとく返り咲いた」
「どうやって?」
「将軍家慶(いえよし)さまの、異国対策に水野さ
まが必要、との一声で復帰したんだ」
「真相は?」
「恥も外聞もない賄賂策さ。老中に復帰した水野さ
まは、仇敵の土井さまを失脚させ、次に、自分を裏
切った鳥居耀蔵を江戸南町奉行から追放し、後任に、
かつては自分に刃向かった元北町奉行の遠山金四郎
景元さまを就かせて新たな布石を敷いた。しかし、
その水野さまにも異国相手に良策はなく、後ろ盾の
将軍家慶さまもお亡くなりになったため、親しい阿
部正弘さまを後任の老中主座に推して野に下った」
「阿部さまは棚ボタですな」
「とんでもない、貧乏クジさ。ま、トシさんがまだ
ガキの頃の出来ごとだがな」
ここで長山与四郎が手を打って気軽に吉野家の女
中を呼び、酒を所望して膝を崩した。
「世間では昼行燈(ひるあんどん)などと言われて
いるが、阿部さまは聡明なお方で、やるとなったら
仕事は早い。昨年も、江戸城西の丸造営を任され、
昼夜兼行で指揮した結果、短期日で予算も半分に近
い額で仕上げて一万石加増という功を得ておられる」
「それと、今の状態とは違うだろ?」
「度重なるオランダ、イギリス、ロシアに加えてア
メリカ船の来航や、中国でのアヘン戦争の影響など
の対外的な脅威が深刻になったため、この国難を回
避するための策と称して、朝廷を始め、薩摩の島津
斉彬さまや水戸の徳川斉昭さま以下の諸大名や識者
らからも意見を求めた。だが、どの大名からも有効
な対案は出なかった。ましてや、聡明な将軍家慶さ
まがお亡くなりになり、幼児性があるなどと悪評高
い家定さまが十三代将軍になられたことで幕府の弱
体化は誰の目にも明らかだ。そうなると勤皇に凝り
固まっている西国雄藩からの幕府への不満は強まり、
やがて風向きが倒幕に変わるかも知れん。と、阿部
さまは考えた」
「それで?」
「阿部さまは、江戸の治安は遠山さまに任せ、密か
に幕府軍の強化に乗り出し、それを我が殿に相談さ
れたのだ」
「タンナンさんに?」
「そうだ。阿部さまが老中主座に就いて以来、我が
殿はその右腕になって海防掛(海岸防禦御用掛)と
なって、アメリカ帰りの万次郎の知恵も借りて外国
との戦さに備えるため、伊豆と多摩で農兵隊の育成
を進めていることを阿部さまに伝えたら、大変、感
心されたそうだ」
「それで?」
「阿部さまは我が殿を倣って、自らが治める備後福
山藩の国家老に命じ、藩の資金に加えて、江戸造築
恩賞の一万石もつぎ込み、藩校も「誠之館(せいし
かん)」と改め、武士も町民百姓も同じ文武両道を
と、身分に関わらず緊急事態のための人材育成と軍
備を急いでおられるのだ」
「阿部さまは、世間の評価とは大分違うようだな」
「昨年、アメリカの東インド艦隊が浦賀に来航して
通商を求めたとき、阿部さまは、鎖国を主張した諸
藩の意見を入れて開国を拒絶した。だが、戦って勝
てるか? と、我が殿に聞いたそうだ」
「タンナンさんの意見は?」
「異国が攻めてくれば国を挙げて戦うだけです。こ
う答えたそうだが、ただ・・・」
「なんだ?」
与四郎が続けた。
「十年近くも老中首座にいる阿部さまも、最近では
度重なる外国との交渉で体調を壊して床に伏し、ど
うやら近いうちに老中首座を堀田正篤(まさひろ)
さまに譲るらしい」
「佐倉の?」
「堀田さまは一度老中を退いたが、阿部さまの推挙
で老中に返り咲いていたんだ」
「一度引退した年寄りの堀田さまで大丈夫なのか?」
「大丈夫なもんか、もう幕府は長くもたん。早晩、
西から倒幕の火の手が上がるだろう」
ここで一瞬、与四郎がためらった。歳三にどこ
まで話すべきか迷ったらしい。
つづく
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では、次回をお楽しみに・・・・
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花見正樹事務所
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