灼熱の夏に友を偲ぶ
ここのところ猛暑が続き、日本列島のどこかで高温新記録が出る可能性があるという気象庁の観測がニュースに流れ、コロナ禍も全国で連日20万人前後の感染者が出ていて、その猛襲は一向に止む気配がありません。医療機関の人手不足や病床不足は感染者の急増と相まって深刻な過密状態に陥っていて医師や看護師など医療従事者のSOSの悲鳴があちこちから聞こえて来ます。
にも関わらず、政府の方針は「経済優先」で平常通りとの無策に尽き、各地の祭りやイベントは全て野放し、ここ数年の閉塞感から解放された国民はこの機会を逃してなるかと、我れがちにどこにでも出没し、もはやお手上げ状態で一億総感染も目前です。
私のオフイス兼サロンから眼下の築地本願寺の中庭でもご多分に漏れず、中央区と地元の商店街が組んでの3年ぶりの盆踊り,「2022第75回築地本願寺納涼盆踊り大会」を企画して舞台や屋台を設置中、人出は約3万人を見込んでいて、数日後には東京音頭や炭坑節の歌に合せて笛や太鼓の音が響いて、私もそこにいれば仕事どころではなく、当然ながら来客と参加ですが、生憎と今の私は週末になると自宅仕事で築地にはいません。
(下の写真はいま準備中のものです)
(上の写真真は以前のものです)
さて、本題の「偲ぶ会」です。
本年5月5日に心筋梗塞で急逝した友人・小美濃清明氏(幕末史研究会会長)を偲ぶ会が、7月30日(土) 午後2時から都内市ヶ谷の「アルカディア市ヶ谷・私学会館」で、46名の有志者の参加を得て執り行われました。
司会は小林賢吾氏(咸臨丸子孫の会幹事)で、挨拶の榎本隆充氏(榎本武揚玄孫)と大出俊幸氏(元新人物往来社社長)のお二人に続いて、不肖私めが献杯の音頭を執ることになりました。
献杯の挨拶は1分まで、この常識を念頭にラジオで手慣れた頭時計での一言です。これで言い残すことがあれば私はプロとして失格です。
「小美濃清明氏は、幕末史研究会会長として長年に渉って皆様と共にあり、我が良き友としても取材旅行や図書館通いなどを共にしてきました。つい3ケ月前、小美濃氏は皆様の前で、あと5年は頑張る、と執筆活動への意欲を述べました。そのわずか12日後に志半ばに急逝されたのです。真に残念です。本人の無念もさぞかしと思われます。ここに、その早逝を悼み、永久のご冥福を祈って献杯を捧げます・・・献杯!」
自分としては一分ピタリ、まずまずでした。
ここから「偲ぶ会」は賑やかな懇談や飲食で時を過ごしました。
私の席は6人円卓で、左は前述の榎本氏、時計回りに廣橋静江氏と飯野順子氏(小美濃氏妹)、米川佳伸氏(元国連職員・真言宗僧侶)、そして右隣が大出氏ですから、どう見てもメインテーブル、何で私が??です。
ともあれ会食が進み、テーブルスピーチでは、前田由紀枝氏(坂本龍馬記念館職員)、福井慎二氏(元NHKアナウンサー・北海道坂本龍馬会)、高山みな子氏(勝海舟玄孫)、植松三十里氏(作家)、宗像信子氏(木村芥舟玄孫)などが故人との想い出を語り、追悼の辞を米川氏が述べました。
続いて加藤健太郎氏(歴史研究家)の詩吟があり、広橋・飯野(小美濃氏妹)両氏の答礼の挨拶があって会は無事に閉じました。
これで、故人も安らかに冥界に眠り、幕末史研究会と私との縁も遠のきました。
ところが、この「偲ぶ会」を終えてみると、自分にもかすかな変化が起こっています。残り少ない自分の人生に何を為すべきか? その選択肢がもう幾つもないことに気付かされたのです。
明日は我が身、過去の遍歴から的を絞って、今からでも出来ることだけを「成す」ことだけを考えることにしました。これでスッキリ、迷いはありません。
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仕事は引退しました。