白内障手術記ー15(最終回)


白内障手術記-15

花見 正樹

 人の運命は、木の葉が風に舞って地上に落ちるまでのようです。木の葉の表裏のどちらが上になるのか、誰にも分からないはずです。
ところが、木の葉の裏表は自分に関係ないからどうでもいいのですが、自分のことになると、すぐ易に頼るのが私の悪い癖、いわば、易は心の拠りどころとも言えます。これで観る限りは、この12月も好調持続と出ています。
ところで、私の生まれた日は昭和11年1月5日、もうすぐ84歳、現在の平均寿命は男性が81.25歳(女性は87.32歳)ですから4歳も余分に生きていることになります。しかも、まだ元気なのですから何も言うことがありません。これからの余生は「下手なアユ釣りでも楽しんで」に尽きるので、それには車と免許証が必用です。
なにしろ、私の道楽である大鮎釣りには、長竿(10~12メートルで折り畳んでも1m以上)、囮缶(空気循環装置付き鮎入れ)、引き舟(川の中で使う)、手網(たも=鮎の出入りに必要)、クーラーBOX(氷で飲食物保存や鮎を締めたり)など必需品が多いため、電車やバスでは無理があり、九州での鮎釣りの場合は、鮎宿に必要な物は全て先に宅急便で送った上で身軽に空の旅、現地では親しい鮎仲間のお世話になるので免許証は不要なのです。
しかし、これからひと夏を鮎釣りで過ごすとなると、私が出没するホームグラウンドは栃木県那珂川の黒羽界隈ですから、一人の場合はマイカーしか移動手段はありません。したがって、車と免許証は必要不可欠なのです。
もしも免許証がないとなれば、空の旅で行く遠距離の鮎釣りは可能でも、平日に一人で気軽に車で行く那珂川の鮎釣りは諦めねばなりません。
それに、日常の生活上の理由で、免許証がなくなれば都内に舞い戻ることに決定していて、アウトドアー派の私としては致命的、多分、そこで寿命も尽きます。
以上の理由から、「手術は手遅れでいずれは失明」と言われ、緑内障+白内障+視野狭窄症の悪化で「物書き、占いの弟子育て、下手な大鮎釣り」の三大生き甲斐すら諦めかけたのに、何と春日部のSU眼科という救いの神が現れたのです。そこでの手術の経過は今まで述べた通りですが、免許証更新前の最終チェックの11月30日(金)のSU眼科での視力検査で、女性検査技師より率直で貴重な助言を頂きました。それによると、眼鏡使用で左眼は0.7で問題ないのですが、右眼は0.1以下で、合格基準に遠くおよばないことから、まず100%視力検査で落とされる、とのことです。
これで私が気落ちしていると、技師が続け、「ただし、救済措置として視野検査が採用される場合があります」、これで私は救われた気分になりました。
免許証の更新は誕生日の一か月前からと聞いていたので、誕生日が1月5日の私は、12月6日(金)からと思っていたところに警察からの通知が届き、12月5日(木)から更新が可能と知りました。
 私は6日(金)には大切なスケジュールがあって都合が悪かっただけに自分の幸運を信じました。前日の4日(水)はパソコンもテレビも絶ち、目薬もたっぷりと目に流し込み早寝して明日に備えました。
私は、運命の解禁日の5日(木)のAM8時に地元の久喜警察署に着き、8時半の開始時間を待ちました。待ち順も3番目と悪くありません。ところが、いざ視力検査に直面して、すぐに弱点が暴露してあえなくKO負けの完敗です。いきなり右眼の検査から始まって何も見えない私が、右だの左だのと口から出まかせを言うものだから、さすがに担当の警察官も呆れたらしく改めて書類に目を通していました。なにしろ、警察からの更新通知にも高齢者講習の修了証にも優良とあるのを指差して「優良なのに右眼が見えないのですか?」と妙な質問です。これには私も返答のしようもなく「でも左は見えます」と応じるのが精いっぱいでした。担当の警察官は多少投げやり気味に隣りで書類整理をしていた婦人警官に「視野検査を頼むよ。優良だからな」と謎めいた言葉で引き継ぎです。私は、SU眼科の技師から検査の有無を聞いていましたから落ち着いていました。顔の前を鉢巻状にぐるっと回した検査器上に、光の玉が中央から右耳方向に消える瞬間を、真正面を見ている左眼でどこまで追えるか、その角度を調べるのです。これはあまりにも簡単すぎました。たった一回で5秒ほど、「はい、15度以上で合格です」で呆気なく、何の劇的幕切れもなく、優良のゴールドマークで3年、平成5年2月5日の87歳と1ケ月、高速の逆走にも注意して安全運転に専念します。
春日部のSU眼科こと杉浦眼科杉浦院長・赤星先生・新先生・医師・看護師・職員の皆様、有難うございました。心から御礼申し上げます。もちろん、これからも月一で通いますので宜しくお願いします。
私を応援してくれた皆々様に感謝して、この「白内障手術記」の幕を閉じさせて頂きます。