白内障手術記-8


白内障手術記-8

花見 正樹

 9月に入って少しは涼しくなるかと思ったのに涼しいのは朝晩だけ、日中は30度を超す真夏日で、まだまだ熱中症への注意は必要不可欠です。それでも9月は新学期、ランドセルを背負った子供たちに負けないように頑張らなければ、と気持ちだけは張り切っています。
それにしても、地球上にひしめく69億人の人々の何と騒々しいことか。米中貿易摩擦、北朝鮮の度重なるミサイル発射、香港の人権問題に端を発したデモと大集会と衝突と暴動、中東での相も変らぬ武力衝突・・騒がしいのは地上だけではありません。米国の宇宙軍創設で、もはや見上げる空の彼方の宇宙空間すらすら戦場に化けかねないのです。
こんな時に、ゴマ粒ほどにも値しない私ごときの目の手術の話題など全く無意味なのですが、それが一概にそうとも言えないから世の中は面白いのです。手術が終わってから知ったのですが、私の目の手術の執刀医は、白内障の世界的権威で知られる赤星隆幸医師だというのです。
生憎とこの業界に詳しくない私ですから、そんなこととは露知らず、SU院長の直接手術を希望したのに、手術日の折り合いがつかず、止むを得ず客員執刀医・赤星医師の月1出張の日曜日に手術を受けることになったもので、私から望んだことではないのです。
それが、私の白内障手術を知った知人数人からの推薦を受けていた秋葉原のM記念病院、そこの執刀医も赤星医師であることを知って、これも何かの因縁と思わずにはいられません。
手術日が決まってからは、数日ごとに予約しての予備検査があり、手術仲間の顔ぶれと順番はいつも同じで、待合室での会話は賑やかです。中には、すでに片目の手術を終えた者も何人かいて、一様に「よく見えるよ」と得意気です。これでは、これから手術をする身としては期待に胸が膨らむのも無理はありません。
このような経緯を経て手術に及んだ私ですから、手術後は見えない目が「見えて当たり前」の浮き浮きした気分で一夜を過ごし、手術翌日の月曜日朝、奇跡の喜びを味わうべく、足取りも軽くSU眼科に向かったのです。

この朝の二階の予約客専用待合室は、手術仲間の明るい笑顔に溢れていて、病院というより高齢者専門のスポーツジムの休憩室という雰囲気の賑わいです。やがて、眼帯を外された患者間仲間の「よく見える!」の歓声の輪が次々に広がり、私の眼の前にもついに白衣の天使が現れました。
こうして、大仰に顔半分を覆ったていた眼帯を外される瞬間、周囲の仲間の、「すごく見えるぞ!」の声援に期待で胸の鼓動は高まるばかりでした。しかし、その私の期待とは裏腹に、天使の手はしごく事務的で、「痛かったらご免なさい」と眼帯を縦横に止めたテープを容赦なくむしり取ります。しかも、眼帯を外した瞬間、すぐ見えている左眼を閉じて、眼帯を外したばかりの右眼で周囲を見廻したところ、なんと、見えすぎの感激どころか、目の前が明るくぼやけて霞むだけ、人の顔すら見分けがつきません。私は、奈落の底に突き落とされたような絶望感に見舞われ、心は真っ暗闇、しばし言葉を失いましたが、見える左眼を見開くと、私の反応に気づいたらしく、天使が屈託ない笑顔のまま少しだけ同情する口調で「すぐ見えるようになりますよ」と言い残して立ち去ったのです。続いて、院長の「手術後診察」が始まるのですが、私だけが手術に失敗したとしたら? なんだか一人だけ取り残された暗然とした気分でした。