写真は元舛田山と頭ピカ!
作務衣の型紙
花見 正樹
開運村ホームページの執筆講師には変った肩書を持つ者が多い。
中でも新日本プロレスコミッションドクターの富家孝医師は、70歳を超えた今でも出身医大相撲部の総監督です。
学生時代の富家講師は反り技が得意で、元関脇の舛田山関もその手で敗れた苦い経験を持っています。その富家医師と舛田関が私とも親しくなって、現役時代からの交流で、隠居仲間にまで続いています。
舛田山籍は高校横綱、拓大時代は大学選手権で優勝、春日の部屋に入門して活躍、引退後は春日野部屋付きの千賀の浦親方として後輩の指導にあたり、やがて、千賀の浦部屋として独立・・・苦節x十年、幕内中堅まで出世した弟子もいましたが線香花火、歯がゆいばかりで、志し半ばで親方業を定年退職、自分の創立した部屋を誰かに譲らねばなりません。
本家の春日野部屋に相談したら、まるっきり条件が折り合いません。
そこで親交のある貴乃花部屋の元小結の隆三杉が、手を差し伸べ、このまま元舛田山が定年後も自分の部屋のオーナーとしていられるよう協力しました。隆三杉が千賀の浦の名跡を継ぎ、舛田山が隆三杉の親方名の常盤山を継ぐという親方名を交換するというウルトラCで、千賀の浦部屋はそのまま存続しました。ただ、所属は春日野部屋系から貴乃花部屋系になりましたが全く問題はありません。この熱血・二人親方の千賀の浦部屋は活気に溢れ、たちまち成果が出てきました。写真は元隆三杉と隆の勝です。
重陽の9月9日(日)から始まる国技館での9月場所の番付表、前頭14枚目と尻尾から三番目ではありますが、千葉県柏市出身の「隆の勝(24)」が載っています。8年前に舛田山を慕って弟子入りし、舛の勝から隆の勝に改名して徐々に上昇、今までの地味な努力が実っての幕内入りです。身長181センチ、 体重約130キロ、戦績は幕下時代から通算して220勝163敗です。
新親方の千賀の浦こと元隆三杉は今どき珍しい生一本の侠気の持ち主、貴乃花が四面楚歌のなか理事選挙に出た時に、たった一人だけ敢然と貴乃花に票を投じてマスコミで話題になった好漢です。元舛田山も腎臓摘出の手術の直後とは思えぬ元気さで弟子の稽古を見守っています。この親方二人なら、遅咲きの隆の勝を三役まで、と期待して、何かの記念に贈られる千賀の浦部屋名入りの浴衣地を取り出し、作務衣に仕立てるベく眺め、NETで調べて型紙の発注をしたところです。
その9月場所初日の9日(日)、私は九州球磨川の初日です。白星スタートか黒星で終わるのか今から期待で胸がふくらみ、隠居ながら青春の血が昂ぶるのを抑えることは出来ません。いずれ、千賀の浦名入れの作務衣で事務所で仕事、これも楽しみです。