最近、日常の挨拶が「暑いですね」が定着しました。
今までは「お早う」「今日は」「元気ですか」などでしたから楽でいいです。
私は夏が好きで、比較的暑さには強い方ですが、どうやら今年は例外のような気がします。
今のところまだ何の自覚症状もなく元気ですが、そのうち体のあちこちで疲労を感じるかも知れません。
それにしても、自分の体が不調で自分らしくない時・・・誰でもあることですが焦ると自分の心が折れます。
なぜ、こんなことを言い出したかと言いますと大相撲の御嶽海の優勝を知って唐突に稀勢の里の心境を思ったからです。
大相撲は、3横綱と前場所優勝の栃の心球場の間隙を突いて、関脇御嶽海が見事に優勝を果たしました。
稀勢の里関は来場所がダメなら引退という切羽詰まった危機感の中にあり、本人の胸中を察するとこちらまで苦しくなります。
どの様なスポーツ競技、武道、格闘技でも一度落ちた力はそう簡単には元に戻りません。まず、傷や怪我を完全に治すには、無理をせずに治療に専念という徹底した忍耐を擁しますが、つい焦ってまだ傷が完治しないのに練習を始めて怪我を再発、結果的に完全復帰を不可能にしてしまうケースがあります。
その逆に、怪我が完治したにも拘わらず、体が大事を取り過ぎたり休養慣れなどで、猛特訓などほど遠い普通の稽古しかできなくなっている場合です。長期休養から復帰するためには、気力、体力、筋力、勝負勘など全てが以前に倍する猛特訓がなければ元に戻ることは出来ません。それには強い信念がなければなりません。
稀勢の里の稽古相手は幕下や十両までで、大関・高安という弟分がいるのに全く相手にしていません。これでは、土俵復帰に向かって本気で稽古をしているとは思えません。あるいは怪我をした傷跡がまだ完治していないのかも知れません。高安もそれを知っているからこそ、兄弟子の稀勢の里を破壊することを恐れて胸を貸すことをしないのかも知れません。高安の性格として、いざ土俵で組みあったら相手が手負いの稀勢の里だろうと誰だろうと手加減など出来ません。
だからこそ、自分から稀勢の里との稽古を遠慮したとも考えられます。いずれにしても稀勢の里は来場所で引退と私は見ていますが、引退の原因は日馬富士の強引で計画的な荒業による怪我なのですから、堂々と胸を張って横綱として花道を去ってほしいと願う者です。強い大関の高安ですら今場所の御嶽海の勢いを止めることが出来なかったことを考えると、若手の台頭著しい土俵上はもう稀勢の里の出る幕ではありません。
それにしてもヒィリピン人の母親を持つ、長野県木曽出身の心優しい御嶽海の快進撃は見事でした。連日、バスで駆け付けた出身地地元の応援団の団結力も見事でした。御嶽海は、腰をがっちり落とした土俵際の安定感は抜群で、相手を土俵から押し出したときでも絶対にダメ押しをしません。むしろ、相手をかばうそぶりが多くみられました。モンゴル力士は是非見習ってほしいものです。
さて、今、こうして淡々と相撲のことを語っている私は、必ずしも冷静とは言えません。
私は、千賀の浦部屋の特別会員で前親方の旧千賀の浦(元関脇・舛田山)は現役時代からの友人です。
そこには、御嶽海と同じくフィリピン人の母をもつ舛乃山という関取がいて、破竹の勢いで幕内中位に上がり、三役を狙える位置にまでたどり着いていました。
ところが足首の怪我が常習になって休場がちになり稽古量も減り、たちまち十両、幕下と転落、弟弟子へのイジメも暴露されて今や見る影もなく廃業寸前です。これもっ怪我が元、自己管理の大切さも痛感させられます。
怪我さえなかったら・・・これは多くのアスリート達の共通の悲鳴です。
いま、千賀の浦部屋は、元小結・隆三杉が千賀の浦親方を継ぎ、元舛田山の千賀の浦が常盤親方を名乗っています。
そこで彗星の如く現れた救世主が、十両4枚目の隆の勝(たかのかつ)、この名古屋場所は13勝2敗で優勝決定戦、惜しくも元同門の貴ノ岩に引き落としで敗れましたが、来場所は幕内に昇格間違いなし・・・これでまた私も角界に復活出入りです。
是非、御嶽海だけでなく千賀の浦部屋の「隆の勝」の名を覚えておいてください。
「また勝ちました」が日常の挨拶になるかならないかは怪我次第、隆の勝の心掛けと強運を信じて後援して参ります。
それにしても、門外漢の私が病気知らず怪我知らず、この丈夫な体に生んでくれた今は亡き両親に感謝するばかりです。