木枯らしが電線を鳴らし街路樹の枯れ葉が乾いた音をたてて舗道を走る季節になりました。夏に深緑だった樹木から剥がされ、今は惨めな干からびた茶の病葉になって車に弾かれている光景を眺めると人の世の儚さが見えます。
人間の尊厳を守る理想の自然死は餓死です。食欲がなくなって何日か絶食し水も飲まなくなって枯れてゆき呼吸が止まるのです。
ところが現代の優れた医療は、年寄りでも体のどこかに潜む病気の種を見つけますから死因には必ず病名が付きます。
私の母は94歳で一度ほぼ死にました。それまで母の面倒を見てくれた兄嫁(兄は故人)も甥もギブアップで、身内家族がお別れ見舞いを済まし、医師からも最期を告げられ、応急処置などなんぞの時に医師には責任がない、という書面にも私がサインしました。以前、母が子宮ガンで緊急手術をした時も父が不在中で私がサインしましたから、この時が二度めのサインでした。
この時にどう魔がさしたのか母を我が家で死なせたいと私は考え、医師の承諾を得て自宅に引き取り、周囲や家族の協力もあって要介護度5が1になって奇跡的に元気に外出もできるまでになり、母は我が世の春を楽しんできました。
しかし、今回は高齢で高熱での入院ですから、今までとは状況が違います。
養護施設「元気村」にお世話になって、日頃は杖なしでも歩ける要介護度1の母が10月下旬、ついに39.1度の高熱で地元・埼玉県久喜市南栗橋のS病院に運ばれました。これで最後、誰もがそう思いました。病名は尿感染症です。
担当の若い主治医は韓国籍から帰化したエリート医師で100歳以上の患者を扱うのは初体験だそうで、死んだように高熱にうなされている母親を一目みて「もうダメ」という先入観を持ったのは表情や態度や言葉で分かります。
それからは母の嫌いなオムツですから母もどうやら周囲の気配から死期を感じた様子で食事には一切手をつけません。
どうやら、主治医の「食べないと死にますよ」のハッパに応じて死を選ぶ気持ちにもなっているかのようにも思えます。
私に呟いた言葉で「なかなkお迎えが来ないねえ」が気になります。それでいて私が持ち込む飲食物は少しづつ口にするのです。
ともあれ、点滴だけで命は持ちこたえますが体は一日一日痩せ衰えて衰弱して骨と皮で餓死寸前です。
その時、主治医が、これ以上は治療方法もないからと転院を勧めてくれました。
私も起死回生に転院を望んでいましたから、渡りに舟と紹介状をもらって行ってみたところ、そこは末期患者専門病院で、全員ベッドから起きられない口もきけない死を待つだけの重病者ばかりの病院で面会室もなくリハビリもありません。
速断でお断りして、すぐその足で隣接する加須市のリハビリ有りの療養型病院に行き、そこの内諾を得て主治医と再交渉し12月4日の転院が決まりました。
その前日、病院から緊急電話で98度の発熱で転院は中止・・・すぐ病院に駆けつけたところ熱は下がっていましたが、確かに体力はなさそうですから転院は無理だったのかも知れません。
主治医もまた慌てました。
なぜ急に高熱が出て、すぐ熱が下がったのか? その日は主治医と会えませんでしたが翌朝会うことになりました。
朝会うと、さすがにエリートですから冷静沈着に原因究明に母の精密検査を始めました、
その結果、協力を求められた内科の若い日本人医師が、母の胆のうと肝臓にガンがあり、そのガンが担管を圧迫して胆汁の流れが滞って高熱を発する原因になっていたことを突き止めてくれたのです。
主治医は、率直にガンの摘出は無理だが、胆管を広げる手術は出来る、ただし。口から管を通して手術しますので体力が耐えられるかどうかはギリギリのところで医師でも分からないのです、ここを家族が理解して手術をするかどうか決めてほしい、というのです。
私は母の緊急入院に際して、延命処置はしないという書類を出しています。
しかし、このような病いで高熱にうなされて死ぬのは自然死ではない、手術で失敗するかしないかは私の決断・・・そう思った時、内科の日本人医師が私の顔を見て微かに頷いたのです。この瞬間、私は「お願いします」とその医師に頭を下げました。
医師は、手術は早い方がいい、夜でも帰りに寄ってください」と言います。
夜、寄ってみると母はげっそりしていましたが目は死んでいませんでした。
夜勤担当の男性看護士F君が「手術は成功したみたいですよ」と言ってくれたので少し落ち着きました。
それから2週間、私が再び転院を試みて主治医も了承しました。
弟たち兄弟は今までの母親の経過をみて、今度はもうだめと見切って、弟や兄(故人)の身内はすでに、お別れ面会を済ましています。
あとは、私の通知待ちらしいのですが、私は相変わらず母親の手モミを欠かしませんし年賀状も出します。喪中ハガキは数年後、これは希望ではなく過去の経験と実践で培った勝負カンです。
もしも母がこれで延命したら恩人は、ガンを見つけてくれた若い韓国系主治医と、胆管拡張手術をしてくれた内科の日本人医師です。
私の親しい友人にも医師はいます。
しかし、普通の医者と違って病人を治すのではなく病人をつくらないのです。いわば病人で稼ぐ日本医師会の敵です。
その著書には「医者いらずの健康法」とか、現在このHPの私と同じ「お休み処」で「死に方格差社会」など医師らしからぬ著作が約30冊もある医師なのです。しかも某医科大学の相撲部総監督で、アントニオ猪木率いる新日本プロレスのコミッションドクターなどの経歴の持ち主です。
なにしろ、相撲協会の役員を務めたことのある元関脇の舛田山(現常盤山親方)が学生時代に勝てなかったと私にボヤいたぐらいの強者(つわもの)が、その著書だけでなく本気でアドバイスしてくれますから私はますます病院には近づきません。
万が一、ガンだの糖尿病だの前立腺だのだけでなく、痴ほう症まで見つかったら「ガーン!」と頭をハンマーで叩かれたように目から火が出て人生に希望を失うのは目に見えています。だから病院にも歯医者にも行きませんので健康なのです。+
以上、死にたい願望らしい母の抵抗に逆らって手術や転院を試みる私の賭けが勝つかどうか?
私の提唱する手相・手もみが役立つのか?
母の正月をどう祝えるか?
まずは無事に転院できるかどうか? これからが楽しみです。