切腹考


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 HPで新渡戸稲蔵の「武士道」で切腹」に一文を書いていて、昭和45年の秋深き日に決行された作家・三島由紀夫の衝撃的な割腹自殺のテレビニュースで流れた凄惨な死亡現場の映像を思い出していました。三島由紀夫は、憲法改正のために自衛隊のクーデターを呼びかけましたが、自衛隊はそれに応じず、やむなく自決したものです。この異様な事件は当時の平和ボケした日本社会に大きな衝撃をもたらしましたが政治的には何の影響もなかったのが気の毒でもありました。
戦後日本の文学界を代表する作家の一人でもある三島由紀夫は、仮面の告白、潮騒、金閣寺、豊饒の海など小説に加えて、鹿鳴館やサド侯爵夫人などの戯曲も書いていますが、私はあ耽美的な作風が好きになれませんでした。
三島は11月25日朝、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の総監室を私設団体「楯の会」メンバー4名とともに訪れました。総監と面談中に突如益田総監を縛りあげて総監室に籠城、総監を人質にクーデターへの決起などを要求します。
この要求が無理と知った三島は、市ヶ谷駐屯地の全隊員を正午前に集合させて演説を打ち、その後で自決します。
演説の主旨はこうだった。
「日本は経済的繁栄にうつつを抜かして精神的にカラッポに陥っている。政治はただ謀略・欺傲心だらけ。日本の魂を持っているのは自衛隊であるべきだ。われわれは、自衛隊に対して期待している。日本人の魂を取り戻し、日本の根源の歪みを正すのが自衞隊だ・・・諸君の中に、一人でも俺といっしょに立つ奴はいないのか。一人もいないんだな。それでも武士かぁ! これで、俺の自衛隊に対する夢はなくなった。それではここで、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!」
演説を終えた三島は総監室に戻って益田総監に「こうするより仕方なかったのです」と語りかけています。
三島は、上半身裸になって正座して短刀を両手に持ち、背後に立った部下の森田に介錯を頼み、気合いを入れて「ヤァ」と叫び、左脇腹に短刀を突き立てた。益田総監が「やめなさい」と叫んだが、介錯人の森田は刀を振り下ろしていたが手元が狂って首は落ちず、替わって剣道有段者の古賀という部下が一太刀で三島の頸部の皮一枚残すという古式通りの介錯をし、続いて切腹した森田の首も一太刀で見事に介錯しています。残った小賀ら3名が、三島、森田の両遺体を仰向けに直して制服をかけて両名の首を並べて合掌すると、拘束を解かれた益田総監も正座して共に手を合わせ、惨劇の幕は閉じます。これは、何人かに傷を負わせたこの事件は、単なる犯罪だったのか、憂国の士の義挙だったのか? 私には未だに謎です。
翌日の新聞によると、三島の短刀による傷はへソ下4センチを左から右へ十三センチ、真一文字に切っていて深さは約五センチ、腸が傷口から外へ飛び出していたとのこと、見事な切腹で、その覚悟のほどが分かります。
検視に立会った東京大学医学部講師・内藤道興氏の談話が残っています。
「三島氏の切腹の傷は深く文字通り真一文字、森田の傷がかすり傷程度だったのに比べるとその意気込みのすさまじさがにじみでている」

 ここまで書いてきて、私はいま、小説の中で無性に壮絶な切腹シーンを書きたくなっています。
新渡戸稲造先生には申し訳が立たぬのは承知の上で、武士道にあるまじき命惜しやの罪なき武士が、思わぬ逆境に追いやられた挙句、否応なしに切腹の場に引き出されたところで、急に命が惜しくなり、短刀を振るって必死の抵抗を試みます。介錯人は倒せても、検視の役人や見聞役相手に多勢に無勢、力尽きて体中を切り刻まれ、のたうち回って苦しみ呻いて、無実を訴えながら惨殺される・・・こんなシーンを書きたい衝動を抑えられません。読者が、2,3日は食事が喉を通らない、そんな理不尽で凄惨な腹切り風景が描けたら作家冥利に尽きます。
しかも、切腹する主人公は自分自身だったりして・・・