熊本大地震お見舞い 


熊本大地震のお見舞い

大地震
桜散り新緑の4月14日(木)の夜9時過ぎ、東京でも微震があった熊本県大地震は、震源地の益城町で震度7の激しい揺れで、この日だけで死者9人、負傷者は千人以上、家屋倒壊10棟以上と発表され驚いていたら余震が相次ぎ、16日未明にはマグニチュード7.3という阪神淡路島大地震並の大きな地震が襲ったため、死者、負傷者、避難者、倒壊家屋など被害は続々と増え続け、これからも被害は続々と増え続ける様相で、遠く離れた首都圏の我々にとっても他人ごとではありません。
東海大地震、首都圏大地震、東北大地震と太平洋側の深海プレートの暴れ具合では、全くどうなるか予断を許さないからです。

今回の地震が起きた周辺では布田川・日奈久断層帯などが以前から知られていたそうですが、今回のように内陸の浅い場所での地震の場合は余震が多発するそうですから、崩れて崖や倒壊寸前の家屋は大きなダメージを受けることになります。
安倍首相は15日夜の会見で、総理官邸見解で「捜索の結果、行方不明者はいない」と断言して、震災の被害の幕引きを図りましたが、その思惑とは裏腹に閉じ込めや生き埋めで行方不明者も続出しています。
熊本駅近くで九州新幹線の列車が開業以来初めての脱線、九州道でも路面の陥没で交通止め、無敵の熊本城でさえ石垣が崩れています。
私も昨日、熊本県内の知人友人・弟子などに電話をしまくりました。
携帯が混雑して通じ難い中、何とか連絡がついて、球磨川流域の鮎宿や釣り仲間もみな無事でひと安心でした。しかし、まだ余震が続いていて完全に余震が止むまでは予断を許しません。

東北大震災の時は、新潟まわりで被災地に入り親類や会員の家に救援物資を運びましたが福島以北は交通止めで、福島市内の親類までで帰宅しましたが、その親類も原発事故でその数日後に家を離れて避難生活になりました。
神戸淡路大地震の時は米沢新聞東京支社長でしたから取材もしました。旅行でパリにいたのですがテレビで地震を知ってすぐ帰国し、自宅には帰らず新橋駅前のレンタル屋で折り畳み自転車・寝袋など野営用品一式を借りでの取材でした。食品や水も担いでのろのろ新幹線で新大坂、そこから西宮まで電車。あとは電車は不通、バスは折り畳み自転車は載せてもらえません。結局、そこから被災中心の神戸市長田町まで自転車でした。壊れた道路で渋滞の中、火事跡や死体の搬出、救助活動などを見乍ら自転車で走り続け、地図を頼りに知人友人弟子宅を回りましたが、電話も通じず不意の訪問でしたから、皆さん驚いて感激されたものです。その後は取材で公園や学校で寝たりしましたが、その時の人情や助け合いは忘れられません。地元の人に食事の差し入れを頂き自衛隊には露天風呂の提供を受けました。

水は各地から届き電気も通じましたが、どの家も一番困っていたのはガスが止まって風呂が沸かせないことでした。帰京した私はすぐ花見化学で扱っていた工業用電気ヒーターを大量に担いで再度神戸に戻り、それを知人友人に配りました。
それを近所中で使いまわしして町内が風呂に入れたとの礼を開通した電話を受けて嬉しかった思い出があります。
今は携帯電話、NETの普及で被害状況が分かって熊本に行きませんが。心は友人知人・鮎宿に飛んでいます。
ともあれ、この熊本大地震での被災者の皆さまに心からのお見舞いを申し上げ、心のケア―に無料相談も受け付け中です。