ようやく不要になった旧事務所の撤退を無事に終えました。
引っ越しには、精神的にも肉体的にもかなりのエネルギーを要することも久しぶりに体感しました。
それでも、無事に引っ越しから片付けまでを終えると、肩の荷が下りたような安堵感がで心が安らぎます。
しかも、今回の引っ越しは終活のための事業整理を含むだけに、過去への惜別と達成感という矛盾した感情もあって思いは複雑です。
同時に、これによって得た自由を生かして雑務を減らし、執筆活動に専念できそうにな開放的な気分になっています。
これで取材活動の時間がとれるとなると、地方新聞社顧問という肩書を生かして再びマスコミの特権を生かす気にもなっています。
マスコミといえば、いま大きな問題が生じています。
6月25日に開かれた自民党文化芸術懇話会で出た若手議員の「新聞社不要」発言が今、大きな問題になっています。
たしかに一部マスコミの行き過ぎた報道やでっち上げ記事には辟易しますが、それでも{新聞社を潰せ」は言い過ぎです。
では、どんな発言だったのか? その2,3を報道された範囲内で列記してみます。
「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番。政治家には言えないことで、安倍晋三首相も言えないことだが、不買運動じゃないが、日本をあやまつ企業に広告料を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけしてほしい」
「以前、福岡の青年会議所理事長の時、マスコミをたたいたことがある。日本全体でやらなきゃいけないことだが、スポンサーにならないことが一番(マスコミは)こたえることが分かった」
「沖縄の特殊なメディア構造をつくったのは戦後保守の堕落だ。先生なら沖縄のゆがんだ世論を正しい方向に持っていくために、どのようなアクションを起こすか。左翼勢力に完全に乗っ取られている」
「本当に沖縄の二つの新聞社は絶対つぶさなあかん。沖縄県人がどう目を覚ますか。あってはいけないことだが、沖縄のどっかの島でも中国にとられてしまえば目を覚ますはずだ」
以上の発言がテレビや新聞で流れたのを見聞きした人も多いと思います。
ネット社会の発展やテレビの普及で若者の新聞・書籍離れが急速に落ち込み紙媒体の市場は年々縮小の一途を辿り、つい先日も書籍取次大手4番目の栗田書店が倒産したばかり、中小出版会社や書店の倒産などは日常茶飯的に発表されていて少々のことでは誰も驚きません。ただ、自分たちが批判されて状況が不利になると新聞不要を声高に叫ぶ、こんな卑劣な人物が国会議員なのですから情けないものです。
私は時々これからどう生きるべきかを自問自答します。これでいいのか? 悔いがないのか? いつも答えは「後日に!」です。
それにしても、築地のサロンからみた夜景はいつ見ても優雅で穏やか、心が癒されます。