さあ9月、秋風が快い季節です。
つい数年前までの四半世紀超の毎年9月上旬、私は熊本県南部球磨郡の球磨川で下手な鮎釣りを楽しむのをライフワークの一つとしていました。
現地の仲間は誰もが親身になって、私の自由気ままな川遊びに付き合ってくれました。てい
10代後半頃の私は、市川市八幡の釣り会で毎月一回、年に12回の魚種別競技会に参加、たまには優勝したりもしましたが所詮は井の中の蛙でした。
その市川市の釣り会では、タナゴ、ハヤ、ヤマべ(オイカワ)、フナ、ハゼ、キス、カレイ、クロダイなどが対象でしたが、都内に転居して東京の釣り会に入ったとたん、鮎の友釣りが必須項目で、千葉県では鮎の友釣り河川がありませんので鮎は餌釣りだけで友釣りは未経験、1から始めなければならず苦労しました。
それでも埼玉県に越してからは関東北部山間部での渓流釣りでイワナ、ヤマメ、鮎釣りに凝り、挙句の果てに九州球磨川通いとなり、大洪水災害による鮎宿流失、宿主ら溺死の悲劇で辛い想いで挫折しましたが、今でも川は好きです。
一時期、栃木県小倉川流域に住む釣友が、土地を提供するからプレハブで自分用の鮎宿を作らないか、との誘いもあったが、いまは日本全国どの地域でも線状降雨帯による河川氾濫の危険がありますので、残念ながら川辺には住めません。
猛暑日が鎮まり秋風が肌に快くなるこの季節、いまだに激流の中で大鮎を掛けた時の激しい感触が蘇って、老いの血が騒ぎます。
この秋は、この残された最後の情熱を「もの書き」生活に賭けて一勝負、これも人生の一齣です。
(注)写真の大鮎は、親しい釣友の鮎名人が球磨川で釣りあげた大物です。この当時は日本一、33センチ500グラムという巨大な鮎です。この大鮎はテレビでも紹介され、発売された釣り風景DVDには釣り人・野嶋島玉造(ガマカツテスター・野嶋釣り教室主宰)、現認者・花見正樹とあり、私は手に汗を握る思いで、激流を引きづられながらも数十分の激闘でこの大鮎を仕留めた名人の技の一部始終を見届けています。このような大鮎は、一般の釣り師には立ちこむことが不可能な流心部の深場に縄張りを持って君臨していて、私が特注で作った12メートルの鮎竿でも無理、私達では命がけの激流を、この長身で筋肉質の野嶋名人だけは縦横無尽に渡り歩いているのです。
この野嶋名人は、釣り雑誌「つり人」に連載の私の小説「利根川心中」のモデルで、父親が赤城山で山荘を開いていた学生時代、毎日のように重い荷を背負って麓と山を往復して足腰を鍛え、父の死後は山より川へと生き方を変えているのです。その強靱な足腰が激流の底石をがっちりと捉えて流れに逆らって立てるのです。この真似は私にはできません。
秋紀の気配を感じたら、こうして心が騒ぐのです。
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