我慢の自粛
人生には限りがあり、いかなる終焉も天命とみる人もいます。
7月初旬の九州南部を襲った豪雨の直撃で球磨川が氾濫し、私の鮎釣り拠点である熊本県球磨郡一勝地の鮎宿が家ごと流されて宿の経営者が行方不明、海まで流されていった死体は、災害後10日を過ぎて干潮時の干潟で発見されました。この親しい知人の死が天命とはとても思えません。だが、高い土手上の家が水没するまでの豪雨など誰も予測しませんから避難のしようもありません。本人もさぞ無念の思いで最期を迎えたことでしょう。いまも私は悲嘆に暮れています。
近年、親しい知人・友人が次々に逝き、私の三大生き甲斐の一画である「大鮎釣り」も今回の鮎宿崩壊で終わりました。残る「もの書き」「弟子育て」だけでは息抜きの場がありません。
かといって、趣味・道楽に終活の夢を託すとしても「大鮎釣り」に匹敵する楽しみがこの世にあろうとは考えも及びません。
豪雨で増水の球磨川の濁流に呑まれての溺死も、コロナ感染での死亡も同じ天命なのか、しみじみと考えさせられました。
いまや世界の新型コロナウイルス感染者は約1400万人、死亡者は約60万人、すごい数です。日本人が地球上の70分の1だとすれば、感染者20万人、死者8千人でも不思議はないのに、19日現在の国内感染者数約2万5千人、死者約千人は少ないのか多いのか。それにしても東京都の感染数が突出してますが、人口比率でも東京都は10万人中の感染者は60人台、大阪が30人台、埼玉・千葉が20人台であることを考えると、かなり高い感染率であるのは間違いありません。
しかも、感染者の約65%が20代と30代の若年層で、感染源は3密になり易い全ての接客業種ですから始末に負えません。
せめて自分だけでも自粛とばかり、オンライン授業、友人知人とは電話とメール交流に切り替えましたが、何とも空しい限りです。
それでもまだ、この世に私を必要とする人が一人でも存在するうちは、そう簡単には死ねません。それには、このコロナ禍を一日でも早く収束させるべく、せめて自分だけでも我欲を捨てて自粛に耐えるしかありません。
これが私の天命です。