月別アーカイブ: 2019年12月

今年も有難うございました。


今年も有難うございました。

花見 正樹

 いよいよ1919年もあと1一日弱となった大晦日入りの深夜、1年の反省を込めてこの一文に向かっています。
雨戸を打つ木枯らしの音もなく静かに更け行く夜陰に一人で過ごす年の瀬のひととき、今年も生きながらえています。
今年もまた釣友を一人失いました。明日は我が身と知りながらも友を喪うのは何ともやるせなく辛いものです。
この1年を振り返ると様々な出来事が脳裏に蘇って、思いを新たにさせられます。新年幕開けの東京箱根間往復大学駅伝は東海大が大会新記録で初の総合優勝を飾ったのはまだ記憶に残っています。
国際的には、徴用工問題での日韓関係悪化で韓国国内にある日本企業の資産差し押さえや日本製品不買運動など、日韓関係は悪化するばかりで気になります。
5月には平成天皇の退位、新天皇の即位、トランプ米大統領が令和初の国賓として来日し、日米首脳会談が行われましたが、日本は得るものもなく、会談は一方的にアメリカペースで終わっています。
夏には仁徳陵など大阪の古墳群が世界文化遺産に登録されました。
猛暑の夏が終わっても日本列島には様々な事件が荒れ狂いました。かんぽ生命の不適切契約問題、京都アニメーションに対する放火事件もむごい仕打ちです。
スポーツでのアッパレは、ゴルフの渋野日向子選手が全英女子オープンで優勝、日本勢の海外メジャー制覇は男女を通じて42年ぶり2人目という快挙でした。
男子も活躍しました。ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会において、日本代表は予選リーグ4戦全勝で初の8強入りを果たす快挙を成し遂げています。たとえ、準々決勝で南アフリカ代表に敗れたとはいえ、過去の弱小日本ラグビーからは考えられないほどの活躍ぶりでした。
この+秋は消費税が10%にアップ、プロ野球で400勝投手の金田正一さんが死去、私もかつては交流があっただけに残念です。嬉しい出来事は、今年のノーベル化学賞に、リチウムイオン電池を開発した旭化成の吉野彰さんが選ばれたこと。つぎはまた残念な出来事に戻りますが、沖縄・首里城の不審火による焼失は、世界文化遺産・首里城跡にあっただけに猶更残念です。
以上の他に台風15号、19号の猛威による被害、自分も避難民の一人だっただけに忘れられません。
それでも、私の個人的な1年としては、友人知人、お弟子さんや周囲の人に恵まれ仕事にも恵まれた幸せ多い文句なしの1年間でした。
 あえて反省をするならば、台風の影響で河川状況が悪かったこともあり、下手なアユ釣りを数十年ぶりに休んだこと。時間の配分が悪かったたのと眼の疾患でライフワークの小説書きが進まなかったことです。しかし、これも春日部市の杉浦眼科のお陰で一時的ではあれ無事に手術が成功、自動車の優良許証の更新というオマケ付きですから出来過ぎです。
この幸運は、私とご縁のある皆様のおかげと心から感謝して年を越し、新たな発展を目指します。
どうぞ、くれぐれもお体大切に・・・
よいお年をお迎えください。花見正樹

職業について考える


 

 

職業

 

職業について考える

 以前は目が悪かったこともあり、新聞もパソコンも小さい字は見ないように心がけていたのに、左眼は殆ど見えなくても右眼は見えるようになりましたので、最近ではパソコン情報にもよく眼を通します。
年の瀬も迫ると、今までの「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」の焦りがすっかり影を潜めて、もう「どうにでもなれ」の心境に入って肚も座り「怖いものなし」となります。
すでに免許証の更新を済ませ、テレビの録画撮りで「明けましておめでとうございます」も、2020年の予測も言い、落ち着きましたから、あとは年賀状書きと大掃除と断捨離、小忘年会とHPの原稿書きなど、残念ながらデートはありません。
そんなヤケ気味に落ち着いた気持ちで何気なくパソコンニュースを眺めていたら、日韓会談延期や関電幹部30人超金品受領などの陰に隠れて、次のような文字が見えました。
「2020年代に引く手あまたになる{自由度の高い}仕事トップ10」。アメリカの在宅ワーク求人サイトの会社が企画しての膨大な調査資料を分析した結果の発表とあります。
それによると、お尻から羅列して次のようになります。

10位:高等教育機関の保健学の教員
9位:アプリケーション・ソフトウェア開発者
8位:オペレーション・リサーチ・アナリスト
7位:数学者
6位:遺伝子カウンセラー
5位:言語聴覚士
4位:診療看護師(ナース・プラクティショナー)
3位:統計学者
2位:医師助手
1位:情報セキュリティ・アナリスト

これで観る限り、これからは、「IT産業、統計学、医療関係」が三大花形職業として活躍し、その周辺にコバンザメのごとく大小の関連産業が漁夫の利を得るべく群がって餌を漁ることになるわけです。
1位の情報セキュリティアナリストとは、コンピューターのネットワークやシステムを管理するためのセキュリティー対策を行う仕事のようですから、頭脳明晰であることが第一、これは私には無縁です。
と、1位から10位までを検討したところ、私には何度生れ変っても無理な仕事ばかりなのが歴然としました。
ただ一つだけ、この情報を提供した会社の報告によれば、これから働く人に好まれる職業は、「自由度が高く、比較的自な勤務時間だったり、自宅のソファでくつろいだまま仕事ができる職業とあり、これからは在宅ワークの時代が来る、との観測もあり、これなら今の自分にピッタリです。ただ、残念ながら、これで高収入は個人の能力次第とか。やはり、努力は必要と知り、がっくりと肩を落としたところです。その前に、すでに隠居の身であることを忘れていました。

白内障手術記ー15(最終回)


白内障手術記-15

花見 正樹

 人の運命は、木の葉が風に舞って地上に落ちるまでのようです。木の葉の表裏のどちらが上になるのか、誰にも分からないはずです。
ところが、木の葉の裏表は自分に関係ないからどうでもいいのですが、自分のことになると、すぐ易に頼るのが私の悪い癖、いわば、易は心の拠りどころとも言えます。これで観る限りは、この12月も好調持続と出ています。
ところで、私の生まれた日は昭和11年1月5日、もうすぐ84歳、現在の平均寿命は男性が81.25歳(女性は87.32歳)ですから4歳も余分に生きていることになります。しかも、まだ元気なのですから何も言うことがありません。これからの余生は「下手なアユ釣りでも楽しんで」に尽きるので、それには車と免許証が必用です。
なにしろ、私の道楽である大鮎釣りには、長竿(10~12メートルで折り畳んでも1m以上)、囮缶(空気循環装置付き鮎入れ)、引き舟(川の中で使う)、手網(たも=鮎の出入りに必要)、クーラーBOX(氷で飲食物保存や鮎を締めたり)など必需品が多いため、電車やバスでは無理があり、九州での鮎釣りの場合は、鮎宿に必要な物は全て先に宅急便で送った上で身軽に空の旅、現地では親しい鮎仲間のお世話になるので免許証は不要なのです。
しかし、これからひと夏を鮎釣りで過ごすとなると、私が出没するホームグラウンドは栃木県那珂川の黒羽界隈ですから、一人の場合はマイカーしか移動手段はありません。したがって、車と免許証は必要不可欠なのです。
もしも免許証がないとなれば、空の旅で行く遠距離の鮎釣りは可能でも、平日に一人で気軽に車で行く那珂川の鮎釣りは諦めねばなりません。
それに、日常の生活上の理由で、免許証がなくなれば都内に舞い戻ることに決定していて、アウトドアー派の私としては致命的、多分、そこで寿命も尽きます。
以上の理由から、「手術は手遅れでいずれは失明」と言われ、緑内障+白内障+視野狭窄症の悪化で「物書き、占いの弟子育て、下手な大鮎釣り」の三大生き甲斐すら諦めかけたのに、何と春日部のSU眼科という救いの神が現れたのです。そこでの手術の経過は今まで述べた通りですが、免許証更新前の最終チェックの11月30日(金)のSU眼科での視力検査で、女性検査技師より率直で貴重な助言を頂きました。それによると、眼鏡使用で左眼は0.7で問題ないのですが、右眼は0.1以下で、合格基準に遠くおよばないことから、まず100%視力検査で落とされる、とのことです。
これで私が気落ちしていると、技師が続け、「ただし、救済措置として視野検査が採用される場合があります」、これで私は救われた気分になりました。
免許証の更新は誕生日の一か月前からと聞いていたので、誕生日が1月5日の私は、12月6日(金)からと思っていたところに警察からの通知が届き、12月5日(木)から更新が可能と知りました。
 私は6日(金)には大切なスケジュールがあって都合が悪かっただけに自分の幸運を信じました。前日の4日(水)はパソコンもテレビも絶ち、目薬もたっぷりと目に流し込み早寝して明日に備えました。
私は、運命の解禁日の5日(木)のAM8時に地元の久喜警察署に着き、8時半の開始時間を待ちました。待ち順も3番目と悪くありません。ところが、いざ視力検査に直面して、すぐに弱点が暴露してあえなくKO負けの完敗です。いきなり右眼の検査から始まって何も見えない私が、右だの左だのと口から出まかせを言うものだから、さすがに担当の警察官も呆れたらしく改めて書類に目を通していました。なにしろ、警察からの更新通知にも高齢者講習の修了証にも優良とあるのを指差して「優良なのに右眼が見えないのですか?」と妙な質問です。これには私も返答のしようもなく「でも左は見えます」と応じるのが精いっぱいでした。担当の警察官は多少投げやり気味に隣りで書類整理をしていた婦人警官に「視野検査を頼むよ。優良だからな」と謎めいた言葉で引き継ぎです。私は、SU眼科の技師から検査の有無を聞いていましたから落ち着いていました。顔の前を鉢巻状にぐるっと回した検査器上に、光の玉が中央から右耳方向に消える瞬間を、真正面を見ている左眼でどこまで追えるか、その角度を調べるのです。これはあまりにも簡単すぎました。たった一回で5秒ほど、「はい、15度以上で合格です」で呆気なく、何の劇的幕切れもなく、優良のゴールドマークで3年、平成5年2月5日の87歳と1ケ月、高速の逆走にも注意して安全運転に専念します。
春日部のSU眼科こと杉浦眼科杉浦院長・赤星先生・新先生・医師・看護師・職員の皆様、有難うございました。心から御礼申し上げます。もちろん、これからも月一で通いますので宜しくお願いします。
私を応援してくれた皆々様に感謝して、この「白内障手術記」の幕を閉じさせて頂きます。

白内障手術記-14


白内障手術記-14

花見 正樹

いよいよ今年も多忙な師走入りです。
日頃の心掛けが悪いせいか 、何もかも年の瀬にしわ寄せになっていますので、これから一仕事しなければなりません。
まず、顧問をしている米沢新聞の元日号の見開きに、年頭の挨拶と2020年の運勢の記事で1ページを埋めるのですが、これが結構手間の掛かる仕事なので、.少しだけ時間がとられます。
つぎは山口放送とテレビ岩手の自社番組のスタートが正月6日ですが、二社同時に生放送出演は不可能です。
そこで、山口は年内の録画撮り、岩手は当日出張となりますが原稿は用意しなければなりません。年賀状書きもあります。とはいえ、好きでやっている隠居仕事ですから誰にも文句はいえません。
こうして思いっきり楽しんでいる人生ですから、どんなに多忙でも喜びでいっぱいなのです。
誰でも、自分の好きなことに熱中している時は寝食を削っても惜しくないものです。
プロ野球のイチロー選手(元)は、かねがね現役を引退したら草野球に熱中したいと公言していましたが、今日、その夢を実現したことをニュースで知りました。イチロー選手(元)は自分の作った「神戸・智弁」チームのピッチャーとして登場、14-0の16奪三振で完封勝利、打者としても好打を連発してチームの勝利に貢献しています。自分がプロ野球選手を引退した後は草野球・・・この信念を貫いたイチロー選手(元)の想念には感服するばかり、私も我が道を行きます。
私の隠居生活の三大目標はいつも通り、「もの書き、弟子育て、大アユ釣り」。これは来年の抱負でもあります。
と、なれば免許証は必要不可欠・・・もうすぐ免許証更新が可か不可か、結論が出ます。それまでは、ひたすら苦手な医者(眼科)通い、目薬も使い続けます。