白内障手術記-12
花見 正樹
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大型台風での日本列島大被害やラグビー旋風と、目まぐるしく動いた10月の末、沖縄の首里城が燃え落ちました。
あの朱色の華麗な建造物が一夜にして灰燼に化すとは残念無念、観光の目玉でもあっただけにその損失は計り知れません。
地元の高齢者は、今でも首里城のことを「大学跡」と表現します。
私の親しい知人が琉球大学の教授だった関係もあり、仕事でも沖縄にはよく通いました。その頃はその場には琉球大学がありました。
私は仕事外でも沖縄にはよく通っていて、「ひめゆりの塔」や「太平洋戦争史跡」巡りも何度かしています。
その他にも記憶に残っていることがあります。
たまたまゴルフ仲間である某テレビ局勤務の友人O氏からの誘いで、ゴルフ旅行と大会見物を兼ねて沖縄に行くことになりました。
大会とは、那覇カントリークラブで行われる「1981年度 沖縄牧港自動車レディストーナメント」のことです。
私の友人と大会プロデューサーの松井功氏が友人関係で、松井氏の奥方(当時)である樋口久子(通称チャコ)プロの応援をし、大会終了翌日に、我々でプライベートゴルフを楽しんで帰京する計画でした。
スコアは忘れましたが、チャコの朝のスタート時のスコアは首位と5、6打差ほどで、生きのいい若手の台頭から考えると追いつくくのは無理と考えられました。ところが、あれよあれよで最終ホールでは首位と一打差にまで迫って。いました。
しかも、最終ロングホールの第3打でチップインバーディ、大逆転での優勝です。観衆の大喝采を浴び、主催者側のご亭主も応援の我々も面目を施した一瞬でした。
その前年のことです。
私の受講したゴルフ教室の教師・林由郎プロの愛弟子でもある青木功プロが、ハワイオープンの最終ホール首位と2打差でロングホールの第2打目で残り128ヤード。ピッチングウエッジで振り抜くと、弧を描いた白球は真っすぐ飛んでグリーンを捉え、そのまま転がってカップインで奇跡的な大逆転の優勝劇。これを知った時の興奮は未だに私の記憶に残っています。
一昨日の11月1日(金)、SU眼科での検診では、緑内障と視野狭窄症の悪化でか、右眼の視力が鏡使用で0.1とかなり落ちていました。 頼みの右眼も眼鏡使用で0.6・・・免許証には少々パワー不足ですが、上記の2例のように奇跡的な逆転劇は世の中にいくらでもあるものです。
その結果をお知らせするまでの「白内障手術記」もあと一か月です。自分の不摂生を棚に上げ、SU眼科の皆様にお礼を言うか愚痴を言うかは結果次第。ささやかな個人的問題ではありますが、奇跡的大逆転狙いの結末を楽しみにお待ちください。