月別アーカイブ: 2019年7月

白内障手術記-5


白内障手術記-5

花見 正樹

どうやら関東地方も梅雨が明けました。
農業でも建築業でもない私が、天候に左右される職業を持っている、と言っても誰も信用しません。
もちろん、釣りではありません。九州・球磨川の大鮎釣りは、下手な鮎釣り師の私など単なる道楽にしか過ぎません。しかも、この天候に左右される仕事は、この季節に限定されるのです。
この傾向は35年前から続いていて、私は7月下旬限定の季節労働者なのです。
種明かしをしますと、昭和59年(1984)4月にスタートした山口放送(KRY)ラジオの「土曜いい朝お早うワイド(現在の土アサ)」内の私の占い番組が、夏の甲子園野球の県大会予選の実況とダブると、占い番組が消滅して私の出番が失せるのです。したがって、この季節の土曜日の天気は、朝早くからテレビなどで調べ、山口方面が100%降雨ナシと知ると、早朝からアウトドアー、河原に到着した車中の携帯に、局からの「本日は野球中継」の聯絡があり次第、残念そうな声で応じて、さっさと清流に身を乗り入れるのが、この時期の楽しみだったものです。
ところ、今年のように天候不順で雨が多いと、山口県も地区予選の中止が続き、せっかくの土曜ボーナスが消えて、いつも通りにラジオの仕事があるのです。例年3回ほどは休めるのに、今年はわずか一回だけ。それもギリギリまで天候がはっきりせず自宅待機の指示が出て、有難みはゼロでした。もっとも、今年は眼科通いの身ですから土曜の朝から解放されても何も変わったとはありませんでしたが気分は違います。
これからの季節、高校球児が用いるアルミ合金の金属バットの大半は、花見化学がドイツから輸入販売している金属錯塩染料でアルマイト加工法で染めたもの、選手の活躍が楽しみです。
さて、今週も月曜日は眼科です。
眼科に通うと、初めは何が何だか分かりませんでしたが、通いなれた常連になると、作業の流が分かるらしく、病院の退出時間がわかるらしいのです。
眼科での検査には、度数、眼圧、視力、視野検査などがあることは前回に述べましたが、それに加えて眼内撮影、血圧、血液検査、点滴なども始まって、手術への準備も心構えも徐々に盛り上がってゆきます。
眼科に通った方ならあの不気味な瞳孔を開く目薬を点されてからの幾つかの検査を覚えているかと思います。私は検査は忘れましたが瞳孔が開いて横断歩道がまともに歩けなかった濃霧状態視野の恐怖だけが強く印象に残っています。検査後5時間は車の運転を禁じられていますが、5時間以内の運転は間違いなく自殺行為で事故は必至、他人にも迷惑を掛けますので、私はきちんと5時間を1秒でも過ぎてからハンドルを握ることにしています。それで、よく見えるのか? と問われると困るのですが、ただ、こればかりは自己責任ですからいつでも安全運転を心がけています。
SU眼科には5人の医師を含めて約100人ほどの職員が勤務していますが、何度か通っていると何んとなく服装で職種の違いがわかるようになります。医師はどこでも同じですが長白衣、看護師は白衣の上下で全体の20%以下の18人ほど。その白衣上下の上に空色のカーデガンを着ている女性が婦長格らしく、きびきびと同僚に指示を出したりしています。
こまでは何となく識別できましたが、上着がが空色で下が白、上下共に空色など、様々な服装の組み合わせがあるようで准看護師や技師、事務員などの区別が分かりません。分からなくても何も困りませんが、待ち時間が退屈だからこんなことを考えるのです。
念のために申しあげますと、私はJALとも縁がありましたが制服マニアとは無縁です。

白内障手術記-4


白内障手術記-4

花見 正樹

 大相撲名古屋場所の千秋楽は相変わらずのモンゴル勢同士の決戦で鶴竜が白鵬に圧勝して優勝、4大関の休場もあって盛り上がりには欠けましたが、小兵力士の活躍など見どころもありましたので相撲人気はまだ続きそうです。
台風の影響で九州・四国に加えて中国地方は大雨による被害続出でお気の毒、心からお見舞いを申し上げます。
この季節のこの雨は、私にもほんの少々影響があります。理由は単純、山口地方に雨がなければ、夏の甲子園野球大会に向けて、県大会での熾烈な熱戦が繰り広げられ、その実況ラジオ放送で私の占い番組が臨時休業、骨休みができるのです。
先週の13日(土)は晴天で野球実況、おかげで私は休養でしたが昨日20日(土)の山口地方は雨、準備は万全で問題はありませんがちょっぴり残念でした。
それにしても。京都のアニメスタジオへの放火事件は悲惨すぎます。被害に遭われた方々には深い哀悼の意とご冥福を捧げ、ご遺族の方々には心からお見舞いを申し上げます。
さて、私の白内障手術記は、私自身の不摂生と怠慢が災いして好結果とは言い難い状況ですが、それでも緑内障末期で手術を断られた過去を持つ私に、救いの手を伸べて手術OKの大英断を下されたSU眼科の院長には感謝するばかりです。
 白内障の手術をされた方は私の周囲には沢山いて、皆さん簡単に「手術は15分ほどで日帰り」と軽く言い、それによって自分がいかによく見えるようになったか、を強調します。
それを鵜呑みにした私も迂闊でしたが、初日草々、そんなに甘くはないことに気付き、ガックリと気落ちしました。
度数検査、眼圧検査、視力検査、視野検査などが適度な待ち時間を交えて延々と続いた後に院長診察に辿り着くのです。これが何日も続いてから、ようやく手術へのゴーサインが出るという段取りなのです。おかげで眼科友達も出来ましたし、医師・看護婦・技師など職員とも徐々に馴染んで手術への心構えが出来つつありました。
そんなある日、ちょっとした手違いが生じたのです。
手術前の院長出勤での内検診がなんと芹洋子さんの池之端コンサート当日と重なってしまったのです。
コンサートは午後からですが時間的には間に合いません。
その日以外にはSU眼科での内科検診はありません。手術日を延期するのも感心しません。
そこで、窮余の策が提示され、SU院長の紹介状持参で他の日に近くのK病院で内心電図など必要な内科診療を受けて目の手術に支障がないことを証明しなければならないしいのです。
ところが、どうしたことかK病院の検査で、血圧が174,179などと高血圧と不整脈が発見、診断され、早々に入院治療をと勧告され、予期せぬ出来事に仰天したものです。それでも、内科検診の目的が眼の手術であることを話し説明して、内科の結果では眼科の手術には支障がない、との内諾を得て、K病院からSU眼科院長宛ての親書を預かって、よやく心穏やかにK病院を退去したものです。

白内障手術記-3


白内障手術記-3

花見 正樹

7月とも思えぬ涼しい日々が続いた一週間、お体に不調はありませんか? 梅雨時は体調を崩しやすいものです。お互いに健康第一ですね。
私は目さえ治れば万全です。
受付で所定の手続きを終え係員から8番の番号札を預かり、おなじ番号のゼッケンに座ったまでが前回でした。
さて改めて受付をみると、事務室の内部で立ち働く白衣の女性たちの会話から察して、どう見ても事務員らしくないのです。受付といえば普通は事務員が椅子に座って質疑応答の末に書類を書いたりするものですが、このSU眼科では少々趣が違うようです。
事務室内で受け付けとして働いているのは看護師や観護助手など医療従事者らしく、要領を得た短い会話で、次々に押し寄せる来院客を巧みに捌いています。しかも一人が一人を受け付けて奧に下がると、次の職員が次ぎの客に対応して次々に作業手順が書類に書き込まれて現場に回されていくから、いくら患者が増えようとも手の空いた者が次々に対応するから受付での混雑は目立たないのです。
そういえば私も、初診の書類記入は「あちらで」と言われて、少し離れた場所にある台の上で書き、目が合った職員に手渡しただけで、受付のカウンター前には1秒ほどしか立ち止まっていません。これはまさに天文3年(1575)の初夏、長篠の戦いで織田信長が武田の騎馬隊に用いた三段備えの戦法そのものです。これだと新手の敵には新手の銃で対応できるから戦線に停滞はないのです。
「うーむ、SU眼科は手ごわい・・・」
病院嫌いの私だけに病院が珍しいだけに実は興味津々、これからどうなるのか? 失明も覚悟の上です。
病院といえば5年ほど前に銀座4丁目交差点近くの馴染の歯科に歯石削除に行って以来久々のことです。その時は新任の研修歯科医が、私の上部右端の歯が少々ぐらついたのを見て、すかさず「これ抜きましょう!」と鬼の首でも取ったように嬉しそうに職業病丸出しの笑顔を隠そうともしません。それ以来歯科医は行かず、その歯も臨終の折は自分で力任せに抜き、うがい消毒で看取りました。その時は歯を食い縛って頑張らず、口を開いて頑張りました。
今回の目の手術の場合は条件がまるで逆です。こちらから探し求めて藁にもすがるような気分での訪院です。
医者嫌いが祟って緑内障での失明寸前と判明、ままよ支罪したら整体業と一念発起して整体師範まで上り詰めてはみたが整体は施術も指導も時間がかかり過ぎて、平均寿命超えでオマケの余生を楽しむにしてはマイナーすぎます。
それに、好きな絵画鑑賞や観劇、旅行や釣りからも縁遠くなるばかり、目の前50センチに絶世の美女がいても霞がかかっておぼろげに見えるだけ、さらにパソコン仕事に支障が出ていましたから、悪質な緑内障持ちの私に「白内障手術OK」のゴーサインを出してくれたSU眼科の院長はまさに「地獄で仏」、拝むような気持で待合室のイスに沈んでいました。開業は9時からと聞いていましたが、定刻より早めの8時50分ごろ名前を呼ばれて待合室を離れて別室へ移動、この時、瞬間的ではありますが、榎本武揚と別れの水盃を交わして出撃し箱館一本木関門で戦死しますが、その時の心境の千分の1ほどの覚悟が試の片隅に浮かんだのを感じました。

白内障手術記-2


白内障手術記-2

 さて東武線春日部駅西口から駅前交番の南側に聳え立つ銀杏の大木に度肝を抜かれて駅前広場を横切るとスクランブル交差点があり、その信号を左折するとタクシーの運転手が示唆したコンビニの裏側に出ました。なるほど、これなら店内を横切れば近道なのは間違いありません。大雨の日なら店内を横切れば少しは濡れないで済みますが、その分、濡れた傘の雫で店内を濡らしてしまいます。その場合は何か買い物をすることで良心の呵責は薄らぐかと思います。そのコンビニの裏の手前右側角が自転車駐輪場で一日100円、「これは安い!」と思ったのですが生憎と私は自転車を持っていません。それに栗橋の我が家からは20キロ以上はありますから自転車では無理です。その駐輪場を右折して、すぐまた居酒屋「むさし」の手前を左折すると、広い駐車場が二つ並び、その先の角にSU眼科の4階建ての立派な近代建築風の建物がありました。どうも、私が想像した閑静なイナカの小さな眼医者さんとは無縁のようです。
その建物裏の駐車場の半分がSU眼科の来客用無料駐車場になっていて、私がそこを通ったと午前7時50分にはまだ満車になっていませんでした。私が早すぎたのです。
SU眼科の建物の角をさらに右に回って玄関口を見ると、8時半受付のSU眼科の玄関シャッターはまだ閉まっていましたが、3段ほど上がったシャッター手前の踊り場にはすでに高齢者男女7人ほどがたむろしていて賑やかに談笑していました。一番乗りどころではありません。私が皆さんに挨拶をすると、見慣れない顔で分かるのか、挙動不審で分かるのか、私を眼科初心者と見抜いたらしく、眼科通いのベテランらしい風貌の私よりは若そうな高齢者の男が「もうすぐ、15分にはシャッターが開いて中に葉入れますから」と、親切なのです。受付開始にはまだ40分もあります。そこでの会話で分かったことは、花粉症などで眼科の患者が多いときは、病院の玄関から400人以上が並んだことがあり、診察の医師も院長を含めて3人いるとのこと、しかも県内に二つの分院を持つ、県内有数の眼科だとか、これは喜ぶべきか悲しむべきか。こうして待つ間。私も眼病仲間の初心者として、諸先輩の経験や助言を聞きながらいつの間にか眼病仲間となっていることに全く違和感がない自分に気づき愕然としました。なるほど、病院の門を潜った者は、こうして病人になってゆくのです。
やがて時間が来たらしく、屋内から白衣の男性職員が表れて、シャッターを開いたときは、すでに30人ぐらいの患者が集まっていましたが、屋内に入ると実に順序良く来訪順に並んで、受け付けの数人の女性職員に予約券や診察券などを出し、受付で配布された番号順に、待合室の長いすの背もたれに張られた番号順に座って、検査が始まるのを待つことになります。
初回ということでまだ診察券もない私も、所先輩患者に交じって8番のゼッケンの張られた長いすに腰を沈めた瞬間、私はもう紛れもない眼科患者という病人に成りきっていました。