月別アーカイブ: 2019年2月

水ぬるむ春近し・・・


水ぬるむ春近し、されど心躍らず。

立春が過ぎても寒さは一段と厳しさを増しています。
それでも気象庁の予想では、この週明けにも関東地方には春一番が訪れるようです。
となれば、水ぬるむ季節の到来も間もなく、以前の私なら胸のときめく季節でした。
それは、3月1日が待ちに待った渓流の解禁日、源流のヤマメ、イワナを求めて前夜から山に入る楽しみがあったからです。
渓流釣りの相棒は栃木県鹿沼地方の漁協幹部で私と同年のF氏、夏になると鮎のオトリ屋も始めるという川魚好きのこの地一番の豪農の主でした。表現が過去形なのは、このF氏が糖尿病の合併症で急死、すでに八年になるからです。
以後八年、私は渓流釣りを中断して九州球磨川の大鮎釣りだけに釣り人生の全てを賭けています。
思い起こせば小学生の頃から釣り好きの父親のお伴で海、川、池と片っ端から釣り歩きました。ただ、当時の住居が千葉県市川市だったこともあり、市内の釣り会に入っても渓流釣りがありません。
夏は五井や木更津周辺の河口近くの川で小鮎の餌釣り、房総半島丘陵地帯の養老渓谷で清流の川魚を楽しむ程度でした。
それが、十代の終盤に登山に凝って週末になると山歩きの日々でした。そこで、山奥の源流に泳ぐイワナやヤマメを散見して渓流釣りも登山の楽しみに組み込んだのですが、登山より渓流釣りのほうが面白くて沢登りに転向、何度も滝つぼに転落しました。
その後、沢登りも引退し、渓流釣りと鮎釣りのダブルヘッダー、8年前から鮎だけの楽しみになりました。
もっとも私の場合は季節に関係なく春めいた気分でいますから、つねに心は弾んでいます。
これが若さの秘訣・・・残念ながらそれは自信がありません。年相応に無駄な年輪を重ねているだけの今日この頃、いまさら反省しても仕方ない、と諦めか悟りかはんぜんとしないまま今日という日も過ぎてゆきます。

隠居仲間の求める人生の目的は?


隠居仲間の求める人生の目的は?

 私が住む埼玉県久喜市にも2月9日(土)の朝から夜半までハラハラと少量の粉雪が舞いました。路面には積もるほどではありませんが家々や野天駐車の車の屋根にはほぼ2センチほどの積雪を見ましたが10日(日)の午前中には跡形もなく消えました。
先週、この欄で、相変わらず同じ言葉の繰り返しですが、私の三大生き甲斐は、もの書き、弟子育て、大鮎釣りで変わらないが、今年は力の入れ方の配分が少々変わったことを報告しました。
すると、長らく疎遠で最近また付き合いが戻った友人から、「人生の目的変更ですかな?」との突っ込みメールが届きました。
その友人は私より少々若いのに何事にも舌鋒鋭く論理的、何を言っても反論され論破されるので、何となく面倒になって、私は君子でもないのに「危うきに近寄らず」とごく自然に縁遠くなり年賀状のやりとりだけになっていたのです。
このメールにはまだ返信をしていません。ここで一言でも反論すれば、虎視眈々と狙い撃ちをと身構えている相手の罠にまんまと引っかかって、暫くはメール交換に明け暮れた過去の愚を再現するからです。
したがって、ここは穏便にこの一文を相手にも読ませて、立ち合いの肩すかしで空を泳がせ、相手の力みを利用して土俵の外に弾き出して完勝を狙う作戦と、手の内を明かした上で私の『人生の目的』について応じることにしました。
もちろん反論を受け付ける気はありませんから、メールは無駄とご承知おきください。
私の人生の目的は、いつもの口癖に出る『三大生き甲斐』ではありません。
臨終に際して「楽しかった、有難う」、この気持ちで人生の幕引きをと願うだけです。
死は不慮の災難や心臓発作や脳梗塞などで突然訪れることもありますが、この私の一念は変わりません。
昨年も一昨年も、昨日も今日も、多分明日も将来といつでも、「楽しかった、有難う」なのです。
前述の友人(多分、この一文にも目を通されていると思いますが)と疎遠になった経緯も思い出しました。
以前は、同じ話を耳にタコが出来ても聞き続ける余裕があったのに、私も高齢化して気が短くなって相槌うちの米つきバッタになり切れなくなったのです。私には一流企業の重役などという輝かしい過去はありませんから、いかに華々しく国際社会で活躍したかを語られても返事のしようがありませんから、ただただ頷くか感心するだけですが、最近はそれにも飽きました。
前述の友人がその典型でしたが、ある日、ふと私に質問を振ったのです。
「最近、成すこともなく、人生に退屈してるんだが、なにかいい手はないだろうか?」
ここでつい、「なにか趣味を」とか平凡なことを答えて失笑を買い、一方的な妙な論争に巻き込まれた記憶があります。
相手は墨絵や書道、和歌にも通じ、大手広告代理店の管理職の現役時代には海外で活躍した強者ですから、何でも出来るはずですが、確かに何もせずに都民限定高齢者優待パスを利用して毎日バスや都営地下鉄を利用してデパートの無料画展巡りや友人の事務所めぐりなどしかしないのは確か、これに「新たな趣味を」は釈迦に説法でした。多分、相手の求めているのは、仏教でいう『悟り』の世界ではないかとも推察できて、悟りとは縁遠い雑駁な日々に追われている自分とは別世界に生きている友人の存在に気付いたのです。
そう思って周囲の隠居仲間を見まわすと、大半の友人が企業戦士の一員として活躍した経歴の持ち主で、功成り名遂げた過去について語り合うことで悠々自適の日々を過ごし、人生の目的について語り合って結論のない論争を楽しんでいます。
ここでふと気づきました。私の隠居仲間の人生の目的は、学歴、職歴、戦果を含めて「過去を語り会える仲間探し」ではないか、と。そうなると、そこで対等に渉りあえる経歴の主は限られますので、その目的もまた意義のあるものに思えてきます。
そう考えて周囲を見回すと、隠居仲間の夫々が海千山千の企業戦士出身で、今は既に生活に余裕があっての無為無職、あくせく働く理由など何もないからこそぶらぶら出来るのです。
これでは、私のように「楽しかった、有難う」では単純すぎて人生の目的という深淵からはほど遠くなり、隠居仲間の大半が求める、永遠にエンドレスでなければ意味がない人生の目的論戦に参加する資格もないのも無理はありません。
そこで、この一文に目を通すであろう友人に一言、私の非を詫びて「どうぞ、仲間と語り合うことを人生の目的に」、これで幕引きとさせて頂き、論争で損なう時間さえなければ、いつでも熱い珈琲と冷えたビールぐらいの用意は・・・といつもの自分に戻って、またあくせくと自分の仕事に戻るのです。

立春に誓う


立春に誓う・・・と自分自身にハッパを仕掛けて!

花見 正樹

さあ、待ちに待った立春です。
本年の2月4日は正真正銘の立春で、旧暦の正月節といい、占いではこの日が1年のスタート日になります。
この日は、暦でいう24節気の一つで、天文学でみると太陽の黄経が315度のときで、冬至と春分の中間です。例年、殆どの年が2月4日がこの日になりますが、太陽の運行によって稀に立春が5日になったりする例外もありますが、占いでは平均節入り日として4日をスタートとしています。
冬至は1年で昼間が一番短い日で、春分は昼と夜の長さが同じ日、そのど真ん中が立春で、冬至からは1/8年(約45.66日)後になります。
旧暦では1年の始まりが立春ですから、暦上の様々な節目の行事や八十八夜や二百十日などはこの日を起点に数えます。
中国では、この日を「立春大吉」として家の玄関の両側に、願い事を書いた紙を貼ったりしますが、日本でもこの日に「立春大吉」の御札を出す禅宗のお寺さんがあると聞いたことがあります。
我が家の立春の最初の行午前0時を期して、居間の隅の柱上部に、神社から頂いて来た「一陽来福」の逆円錐形のお札を本年の恵方「東東南」に向けて貼ることです。
これは占いを業とする私は全く無関心なのですが、二番目と三番目の末娘のどちらかが持ち込んで来るので、毎年の行事になっています。ま、おかげで無病息災、今年も元気で皆さんのお役に立てるように頑張ります。
 開運村もこの日から一年が始まり、新た仲間の参加を得てますます発展、これからが楽しみです。
私個人としては、気学同会法でみて東北の艮宮入りで、意識改革と環境改善で前向きに前進する年です。
私の三大生き甲斐は、もの書き、弟子育て、大鮎釣りで変わりませんが力の配分が小々変わります。
弟子育ては新たな弟子はとらずに後継者育成を重点に、大鮎釣りはマグレ狙い、エネルギーの大半をもの書きに注ぎます。
もちろん、新たに計画中の開運村友の会(仮称)には全力投入、きっと皆様に喜んで頂けることをお約束します。