立場の違い
11月に入って年賀欠礼の葉書がすでに8通、これからどれだけ増えるか心配です。
数年前までの忌中ハガキは、親兄弟の訃報が多かったのですが今年は違います。自分の交友関係本人で、日頃疎遠だった友人知人だから辛いのです。
会っておけばよかった、電話してみればよかった、と悔いが残ります。
そんな気になる昔仲間と会うためには自分の時間が無さすぎます。
どうやって時間を作るか、こればかりは自分で解決するしかありません。
何年か前に会った時は元気だった仲間が、ここ数年の間にバタバタと逝っているのです。
明日は我が身と気を引き締めながら、自分の今後に思いを巡らせます。
私の場合は、いつでもどこでも全力疾走ですから、どこで逝っても思い半ば、なのです。
しかも、金太郎飴の断面同同様、いつも幸福の絶頂なのでいつでも悔いはありません。
いつ何どきに不慮の出来事が起こっても慌てず泰然と、その覚悟も出来ています
なかには、隠居仲間の中には老後の心配どころか、明日の生活費にも事欠く者もいます。
したがって、私も心得ていつの間にか終活の話題は提起しなくなりました、
私のサロンでは、政治・宗教・シモネタの話題はタブーですから、終活、お金、これもタブーになりそうです。
そうなると、私はますます隠居仲間の集まりを減らすようになります。
ま、それもいいか・・・と、開き直ると気が楽になりました。
それにしても、立場が違うと考え方や意見も随分と変わるものですね。
ポートモレスビーで行われたアジア太平洋経済協力会議サミットでの米国のペンス副大統領と中国の習近平国家主席との演説を聞くと、それぞれが貿易問題や社会基盤支援を巡って激しく相手を非難して自国の立場を一方的に主張していました。
ペンス副大統領は、トランプ米大統領の口癖である「中国は長年米国を利用してきた」のセリフを使って中国の貿易不均衡や知的財産の盗用などを責めたてて、中国への制裁関税を正当化していました。それに対して、習金平国家主席は、アメリカを名指しせずに、保護主義や一国主義の古いやり方をする国があるようだが、これは、世界経済の不確定性要素を高める悪しき国策である、と、これに反対する立場を鮮明にしましたこれで米中2国間の対立は避けられない状況となりました。
これでは、今後も歩み寄るのは難しいのは当然で、立場の違いはますます両国の距離を広げ、場合によっては武力紛争もあり得ます。
これはもう対岸の火事ではありません。我が家が燃えるのです。その場合、日本はどうするか?
スケールは違いますが何だか終活問題と似て難しい展開になっています。