月別アーカイブ: 2018年9月

災難日


災難日

9月の最終日となる30日の日曜日、大型台風24号の襲来で各地に被害が続出しています。
いま、夜の8時で埼玉北部の我が家の周辺は、雨もなく風もなく蟲の音もなくひっそりと静まり返っています。
これが俗事いう「嵐の前の静けさ」とは知りつつも。もしかしたら台風は横に逸れたかな? とつい思ったりします。
それでも都内および関東近県のJRをはじめとする交通機関はすでに続々と運行を停めています。
この束の間の静寂もあと数時間もすれば荒れ狂う暴風雨に襲われるのは間違いなさそうです。
この日曜日は台風の影響で子も孫もいませんから仕事が捗りました。
この村長の一言でHPも完済、もう気が楽です。
それにしても日本列島の最近の天災による被害の大きさは異常としか言いようがありません。
東北の大地震大津波被蓋以来、熊本、大阪、愛媛などに続いて今度は北海道胆振東部地震、ここの災害支援にも付き合います。これも、明日は我が身だからです。
これも災害なのか、角界が荒れています。
旧態依然で臭い物には蓋をしろ式相撲協会にもかなりの大型台風が襲っているらしく理事会も大荒れの様子です。
天下の大横綱だった貴乃花親方が、窮屈で居場所のない角界に愛想を尽かして親方どころか部屋も畳むというのです。
海が荒れると思わぬ獲物が濱に打ち上げられて漁夫に拾われ市場で売られます。これが漁夫の利なのかどうかは知りませんが、待てば海路の日和りありで、千賀の浦部屋のオーナー(元関脇・舛田山)の友人としては黙って「漁夫の利」の朗報を待つばかり、なにしろ長年の貧乏部屋が一気に大金持ち部屋になりそうなのです。
なにしろ元舛田山が千賀の浦部屋として独立してからはや数十年、幕内力士まで育ったのはわずか二人、殆どが十両も幕内もいない相撲部屋でしたから、貴の花部屋の消滅での降って湧いたような現役関取の遺蹟騒ぎ。もしも、こんな夢のような話が現実になれば、まるで風に吹かれて窓から飛び込んで来た紙切れが1億円の高額宝クジだったようなもの。中には、貴乃花部屋で部屋頭だった小結・貴景勝(22)のような伸び盛りの力士もいて、一気に幕内力士が四人、押しも押されもせぬ泰然とした大部屋です。
折しもこの日、貴乃花親方の引退や貴景勝の移籍問題の遠因となった宿敵・元横綱日馬富士関の引退断髪披露大相撲が両国国技館で行われました。当然、貴景勝関も出場しますがどちらも胸の内は複雑だと思います。
災難続きにもう一つ、災難の芽をやっと一つ摘んだ感じですが48日は警察も遅すぎました。
所持金280円、コンビニの万引きで捕まった逃走容疑者男はただ哀れ、どんな人生になるのか・・・
こちらは観客の災難を避けた話題です。
今日30日(日)、XJAPANの千葉・幕張メッセ国際展示場ホールでのライブが、台風での混乱を避けて観客なしという異常事態で実施されました。観客なしでも実施した理由は、このライブの模様をWOWOWメンバーズオンデマンドで生配信しなければならないから。それに加えてYOSHIKI CHANNELにも生中継することになったからです。
もしも、TOSHIが離婚しなかったら、私はXJAPAN公演には必ず招待されていました。理由は別れたTOSHIの奥さんが旧開運道スクールの卒業生だったからです。特に好きでもなかったXJAPANのことですが、メンバーの音楽に対する真摯な姿勢は、私が音楽制作を仕事にしていただけによく理解出来て好ましいものでした。台風に負けず・・・この姿勢も立派です。
いま、風と雨が激しく雨戸を打ち始めました。これから暴風雨が北関東を駆け抜けるらしく久喜市の防災カーのスピーカーが台風の中を走り回って「竜巻注意報」を叫んでいます。私はまだ竜巻が襲ってきた時の防御の方法を知りません。

ツボ探し!


ツボ探し!

花見 正樹

人付き合いのツボ、金運上昇のツボ、元氣のツボ、ストレス解消のツボ・・・私は今、漠然とそんなことを考えています。
もっと若い時でしたら、モテるツボなども考えたかも知れませんが82歳の私が、そんな不遜なことを頭の隅にもおくべきではないのはよく分かっています。それよりもっと大切な「人を幸せにするツボ」でも考えたほうがよほど有意義なのは当然、それなのについ横道に逸れるのは、未だに悟りが開けていいないからです。
いま急務なのは、家庭的に不遇な50代以上の女性の相談に多い経済的不安への対応です。
現政府は大企業優遇、富裕者優遇ですから、日本人の大半は中流生活などと呑気なことは言っていられません。今は中流と思っていても大地震が来たり配偶者が倒れたり、交通事故や急病など、思わぬアクシデントから一気に下流生活に流されるかもしれないのです。
この予期せぬ出来事は、地震も豪雨災害も火災などによる災難は避けようもありません。それに、交通事故死も年間約3万人と判で押したように統計的数字になっていますから、何事もなく暮らしているだけでも運がいいと思わなければ天罰が降ります。
では、何事もなく暮らせれば幸せなのか? と聞かれると、これまた疑念が湧きます。
一緒に過ごせるパートナー、我が身に緊急事態が起こっても不安のない家庭環境、老後も安心して暮らせる経済的裏付け・・・
これらが永久に続くなら、こお世の中なんの心配もありません。そっらは砂上の楼閣、何かが起これば一瞬にして消滅します。
これまでは政府も何とか高齢者対策を前向きに考え、長寿を表彰してきましたが、これからは貧しい高齢者も続けますから、政府の助成金も追い付かず、止むを得ずという理由で高齢者を冷遇する方向になるのは目に見えています。
すでに、ここ数年で政府の高齢者対策も変わり、政府から補助が出ている民間の高齢者施設では、宿泊介護は3ケ月まで、そこで自宅か他の施設に移って、また3ケ月後に再受け入れをするのですが、その時空きベッドがないと入所待ちになります。これは、私が母の介護時代にイヤというほど骨に応えた政府の高齢者対策のワナです。ここで体力気力財力のない高齢者は明らかに寿命を縮めて淘汰されてゆきます。
私は、母の介護を通じて弱者としての我慢強さも身につけました。これをこれからは世のため人のために生かしていくことに決めました。
それと、もしかして老人介護施設に入った時は、どなたでもプライドや人間性を踏みにじられる覚悟が必要です。なにしろ、起床、食事、入浴、就寝時間など個人の自由はないのですから、それに対応できる柔軟な人間性がない人の老後は惨めです。
そうしないで済む方法は、今からでも経済的余裕をつくる策を考え、それを実行することです。私はそれに気づきました。
だからこそ自分の残り少ない時間を割いて、低所得者の底上げを図っての副業、主業のお手伝いを続けているのです。
もしかしたら、私は母の介護生活から、弱者のツボを学びとっているような気がします。
東洋医学では、身体に必要な経路と経穴(ツボ)は、経路が14本、経穴(ツボ)が361ケ所あり、どれもが大切です。
私達は、ツボという言葉を何気なく別の意味で日常的に使っていますが、「肩こりのツボ」などとは別の意味で、前述の「人付き合いのツボ」などという整体とは全く関係のない使い方もしています。
それでも共通点があって、「重要なポイント」という意味ではどちらも同じです。
ですから、人生でも「人間関係、愛情、仕事、金運、学識、趣味、娯楽、健康、長寿」などの最善のツボをビシっと抑えたら、もう鬼に金棒、間違いなく人生の達人になって、生きているだけで毎日が楽しくて堪らなくなるはずです。
開運道は、それらのツボの極道(きわめみち)を目指しています。したがって、開運村村長の私(花見)は極道者と言われても反論はしません。
と、ますます「開運のツボ」を極めて弱者救済への道を邁進するのみ・・と、老いの身に鞭うっているところです。

82歳でも血は騒ぐ


82歳でも血は騒ぐ

花見 正樹

いま私は、人生の新しい局面に入っている気配を感じています。
会社人間ですと、定年後の生活を第二の人生と称しますが私の場合は少々ニュアンスが違います。なんだか第二の人生はとっくに終わっていて、ここ数年の空白を経て82歳の今から何か新たなスタートになるような予感がするのです。
普通ですと定年後に自分のしたかったことを始めて、人生の総決算に入るのですが、私は若い時から好き勝手に思うがまま生きてきましたので今さら何かを始めるでもなく漫然と小説書きで人生の終焉を迎えるつもりで生きてきました。ところが、ここ数年の間に私を取り巻く環境が大きく変化して、自由気ままに小説三昧にはまだ早いことに気づいたのです。
もしかすると、もう終るはずの人生にまだ大きな夢が隠されているのも知れない・・・こんな不遜な考えが頭に浮かぶのです。
こんな青春時代同様のときめき感を、82歳の私が感じているなど、誰にも知られたくないのですが、とにかく毎日が楽しくて仕方ないのです。これも築地本願寺というパワースポットの正面で仕事をしているせいかも知れません。
こんな場違いな高揚感を私自身が、まさか? の思いで自分を見つめていることからも尋常ではありません。
とにかく、場所を代えて頭を冷やせば現実に戻ってただの隠居に、と旅に出たのですが、どうも逆効果だったようです。

9月8日(土)から14日(金)まで鮎釣りで九州球磨川に行きましたが天候不順による河川状況の不調もあって川に入ったのは数時間、空き時間を活用して神社巡りや病気療養中の釣友の見舞い、地元の仲間との飲み会もあり、退屈する暇もありません。
(右の釣師は私ではありません)
今回の旅は実によく動きよく食べよく遊びよく眠り、乗り物にもよく乗りました。(下はいつも世話になる釣友達。左は鮎宿の女主人)

東京から鹿児島県、熊本県、福岡県、大分県と航空機、高速バス、新幹線、特急、一般電車と移動を重ね、友人宅(大分)や鮎宿(球磨川・熊本)、ホテル(福岡)、温泉(人・熊本)、あちこちの川眺めなどでめいっぱい過ごし英気を充分に吸収して参りました。お蔭で元気溌剌、まさしく82歳の青春なのです。
こうなると、この元気の元をパワースポットだけでは説明がつきません。
日頃、散歩もしない、階段歩きもサボリ気味、慢性的な睡眠不足、不規則な食生活・・・それでも思い当ることがあります。
それは、30年以上前から続けている中国式を改良した一人整体、思ひはここに辿り着きます。これを独り占めにしておく手はありません。HPで公開して、これを開運村常連さんの健康づくりのお役に立てようと考えたのです。
まだ考えただけで実行はこれからですが、とりあえず協力スタッフにお願いして、開運村HPの「癒しの家」に枠だけ用意しました。タイトルは「美容健康・癒し整体」ですがサブタイトルは「誰でもできる健康整体」、プロも養成する予定です。
なんだか、82歳からの第三の人生がスタートしそうな気配濃厚、いささかではありますが血が騒ぎ胸が躍ります。

日本列島、災害だらけ!


日本列島、災害だらけ!

花見 正樹

地震、雷、火事、津波・・・東北大地震、福島原発事故、熊本震災、西日本災害、北海道地震、もう逃げ場はありません。
いずれ、そう遠くない未来に南極北極の氷も溶けて、海の水位は5m以上上がると予測されています。
私の本職の本拠地がある墨田区などは、殆どが海抜0メートル地帯ですから、いくら堤防で防いでも高波が襲うか堤防決壊で壊滅します。これは海が近い日本の都市部で起こる同様の被害が一度にあちこちで起こる可能性もありますので、救援活動やボランティアも限界を超えて残念ながら全滅です。
最近、高齢者の事故死も増えていますが、これはマスコミが報道するからで、高齢者の死にざまは昔から⒮クなくはないのです。先日、妊娠と自殺の関係がニュースになっていてビックリしました。母親に死なれて遺された乳幼児がどうなるか、それを考えるとゾッとします。若者lの自殺も後を絶ちません。
以前から、交通事故と自殺者の数は、年間3万人前後、両行合わせて100年で600万人です。
病死、事故死、自殺などの難を野荒れて100歳まで無事に生きて人生を全うするには何と難しい世の中になったことでしょう。それでも、日本は、すでに約70年もの間、戦争のない平和な日々を迎えています。
戦火の絶えない中東などの国々の人々に御身を馳せると、何とも申し訳ないような有難いような複雑な気持ちになります。
こんな状況の中であるからこそ、開運道が提唱する「癒やしサロン」「癒し整体」「癒し占い」などで心が休まるひと時が必要になってくるような気がします。
おりしも鮎は産卵の準備に入り、ゆるゆると河を下り始めます。
激流の流心の川底の石に大きな縄張りを持つ大鮎もそろそろ移動を始めます。このチャンスを逃さず大鮎釣りを生き甲斐とする釣り人は、流れに身を漬けて長竿を出してオトリ鮎を泳がせ、縄張り鮎に挑戦します。
と、いう理由で今日8日(土)、これから始まる電話でのラジオ出演を終えたら、私も九州球磨川に行って参ります。もう多くは望みません。たとえ一尾でもいいのです。自然のの中に身を染めてストレスを発散し、温泉で体を癒やし、鮎宿に集まる仲間と球磨焼酎を酌み交わし、のんびり英気を養って、そこで得たパワーをまた皆さんに還元します。
日本列島が災害だらけだからこそ健康で長寿に意義があり、これをじっせんするのも私の役割の一つ、こう自覚しています。

作務衣の型紙


作務衣の型紙

 写真は元舛田山と頭ピカ!

 

作務衣の型紙

花見 正樹

開運村ホームページの執筆講師には変った肩書を持つ者が多い。

中でも新日本プロレスコミッションドクターの富家孝医師は、70歳を超えた今でも出身医大相撲部の総監督です。
学生時代の富家講師は反り技が得意で、元関脇の舛田山関もその手で敗れた苦い経験を持っています。その富家医師と舛田関が私とも親しくなって、現役時代からの交流で、隠居仲間にまで続いています。
舛田山籍は高校横綱、拓大時代は大学選手権で優勝、春日の部屋に入門して活躍、引退後は春日野部屋付きの千賀の浦親方として後輩の指導にあたり、やがて、千賀の浦部屋として独立・・・苦節x十年、幕内中堅まで出世した弟子もいましたが線香花火、歯がゆいばかりで、志し半ばで親方業を定年退職、自分の創立した部屋を誰かに譲らねばなりません。
本家の春日野部屋に相談したら、まるっきり条件が折り合いません。
そこで親交のある貴乃花部屋の元小結の隆三杉が、手を差し伸べ、このまま元舛田山が定年後も自分の部屋のオーナーとしていられるよう協力しました。隆三杉が千賀の浦の名跡を継ぎ、舛田山が隆三杉の親方名の常盤山を継ぐという親方名を交換するというウルトラCで、千賀の浦部屋はそのまま存続しました。ただ、所属は春日野部屋系から貴乃花部屋系になりましたが全く問題はありません。この熱血・二人親方の千賀の浦部屋は活気に溢れ、たちまち成果が出てきました。写真は元隆三杉と隆の勝です。

重陽の9月9日(日)から始まる国技館での9月場所の番付表、前頭14枚目と尻尾から三番目ではありますが、千葉県柏市出身の「隆の勝(24)」が載っています。8年前に舛田山を慕って弟子入りし、舛の勝から隆の勝に改名して徐々に上昇、今までの地味な努力が実っての幕内入りです。身長181センチ、 体重約130キロ、戦績は幕下時代から通算して220勝163敗です。
新親方の千賀の浦こと元隆三杉は今どき珍しい生一本の侠気の持ち主、貴乃花が四面楚歌のなか理事選挙に出た時に、たった一人だけ敢然と貴乃花に票を投じてマスコミで話題になった好漢です。元舛田山も腎臓摘出の手術の直後とは思えぬ元気さで弟子の稽古を見守っています。この親方二人なら、遅咲きの隆の勝を三役まで、と期待して、何かの記念に贈られる千賀の浦部屋名入りの浴衣地を取り出し、作務衣に仕立てるベく眺め、NETで調べて型紙の発注をしたところです。
その9月場所初日の9日(日)、私は九州球磨川の初日です。白星スタートか黒星で終わるのか今から期待で胸がふくらみ、隠居ながら青春の血が昂ぶるのを抑えることは出来ません。いずれ、千賀の浦名入れの作務衣で事務所で仕事、これも楽しみです。