瓢箪(ひょうたんから)から駒が出る、とい俗諺があります。
自分の意図しない思いがけない出来事が起こった時に使われる言葉ですが、人生には時々妙なことが起こります。
私が82歳になって、まさか整体師育成業に首を突っ込むなど考えてもいないことが起こっています。
国家資格ではありませんが、ととにかく有難いことですので、整体師免状共々快くお受けしました.
では、どうしてこうなったのか?
そもそも私の本業は、化学系零細企業なのですが、趣味の占いを業として半世紀余、何をやっても中途半端で人生を終えようとしています。
考えてみると、人生相談所、ストレス解消サロン、結婚相談所、音楽制作、脳波の研究、長寿の研究、警備会社顧問、地方新聞支社長、少年野球教室、弓引き(和弓)、もの書き(小説)、ヘボの大鮎釣り、と精一杯好きなことをしてきましたが、何ひとつ成功したとは言えず、ただ年輪だけを重ねたこの身を恥じ入るばかりです。
なにしろ、大鮎釣りなどは激流日本一の九州球磨川で、最近は大きいのを一尾釣れば満足という心境の欲のない道楽ですし体力も衰えていて、昨年は鹿児島のK君、一昨年は熊本のO君と若手の名手に面倒見てもらいながらの鮎釣りですから、もう引退も時間の問題です。それでも未練たらしく球磨川に通うのは、地元の気のいい仲間もいますし、この二年間病床にあって同行できなかった20年来の、私が師匠と呼ぶ大分の相棒も、今年は一緒に川遊びが出来るかも知れないとの期待感で、一ケ月先のことながら気持ちだけは九州球磨川の流れの中にどっぷりと浸かっているのです。
さて、話を整体師に戻します。
8年前のある時、兄嫁(兄は病死)がギブアップして病院にいた要介護度5の病死寸前の95歳の母親を、畳の上で最期をと願って私が引き取った時から、どうやら母と私の運命の歯車が少々狂い始めたのです。
介護の日々を8年間、地元の施設にお世話になりながら、献身的な妻の協力もあって、母は103歳まで生きて老衰での大往生、なんと要介護度1での老衰死という世にも珍しい死にざまで最期を看取った医師ですら驚いています。
では、95歳で死を宣告されて病院で書いた「死んでも異議ありません」の私のサインから8年、寝たきりから回復して杖なしで歩けるまでになった母の心身に何が起こっていたのか・・・最近、これを考える余裕もできました。
そこには当然、一番にはストレスからの解放があります。
献身的に尽してくれたとはいえ兄嫁は他人です。お互いに遠慮の壁は崩せません。
その点、実の息子が相手なら遠慮は無用「足が痛い!」と言えばすぐ摩って痛みを和らげることが出来ます。遠慮というストレスが消滅したのも母親が奇跡的に生き返った大きな要因の一つであるのは間違いありません。
私は、中国の文化革命で日本に帰化した蔡一藩氏に教えて頂いた中国式整体法を母親に応用したのが良かった、と今でも思っています。肝臓ガン、狭心症など幾つかの病魔を抱えながらも103歳の長寿を全うした母親の生命力には感心するばかりですが、私の中国式整体法もかなり役立っていたのは間違いありません。
そんなさ中、目の前の景色が白っぽく霞んで視野が狭くなっていることに気づき、医者嫌いの信念を曲げて眼科医院を訊ねたところ白内障、緑内障、視野狭窄症と診断されました。ここで一念発起、昔から目が悪くなったらアンマが相場ですから、すぐさま整体師に・・・この単純な発想がいつもの失敗の元なのですが、日本式整体とタイアップでで開業をと、日本式も学んだ上での結果が実技と理論を総合して上記の通りの結果、なんと整体師育成という教える立場になってしまったのです。
これからは、中国式整体と日本式整体の長所を加えた長寿を目指す「開運道式・癒し整体法」を編み出して世に問う所存です。
と、ここでまた道楽が増えて暴走しそうな気配濃厚な昨日今日・・・どなたか止めてください!