五木の子守歌
花見 正樹
この8月21日(月)から25日(金)まで熊本県球磨地方の川遊びで過して参りました。
天候とよき釣友、地元の人々との交流に恵まれ楽しい数日を過して、すっかり命の洗濯をして大満足で帰京です。
今回は、鹿児島在住の若い鮎名人や地元の釣友の案内で清流日本一の栄誉に輝いていた川辺川に遊んで参りました。
清流といえば先年に国土交通省が全国の1級河川の水質検査の結果、その中で汚染の指標となる生物化学的酸素要求量(BOD)で評価した水質ランキング上位の9河川を発表しました。
細かい数値は省きますが、北海道では尻別川(しりべつがわ)、後志利別川(しりべしとしべつがわ)の2河川です。
本州では、阿武隈川水系で福島県福島市&二本松市を流れる荒川(あらかわ)と岐阜県&富山県に拘わる庄川、滋賀、福井県を
流れる北川(きたがわ)、島根県の高津川(たかつがわ)の4河川です。
四国では、四万十川の支流で高知&愛媛を流れる仁淀川(によどがわ)と徳島県の吉野川(よしのがわ)の2河川です。
九州では前述の川辺川tだ一つ、水質がいいとその川底の石に着く藻を食べる鮎も美味しいのは当然です。
したがって、今年、私が釣った僅かな川辺川の鮎は超高級品質で美味、その塩焼きでビール・・・考えただけで喉が鳴ります。
この川辺川は、ダム問題で騒がれた五木村から流れ落ちて日本三大急流の球磨川に合流して大河となります。
球磨川は延長62Km、水源の標高 1,739m、平均流量 m³ / s 流域面積533kの堂々たる一級河川です。
川辺川の上流が五木村ですから、釣友を誘って五木村特産の美味しいソバやトウフ料理なども食べてきました。
ところで、あなたも五木の子守唄はご存知だと思います。
あの哀調を帯びたもの悲しい歌を聞くたびに胸苦しさを感じるほど五木村の貧しさが伝わります。
熊本県球磨郡五木村に伝わる子守唄で、現在では熊本県を代表する民謡としても知られています。
地元には沢山の詩が遺されていますが、ここでは一般的なものを列記してみます。
「おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと 盆が早よ来りゃ早よもどる」
「おどま勧進勧進 あん人たちゃよか衆 よか衆ゃよか帯 よか着物」
「おどまいやいや 泣く子の守りにゃ 泣くといわれて憎まれる 泣くといわれて憎まれる」
「ねんねした子のかわいさむぞさ 起きて泣く子の面憎さ 起きて泣く子の面憎さ」
「ねんねいっぺんゆうて 眠らぬ奴は 頭たたいて尻ねずむ 頭たたいて尻ねずむ」
「おどまお父つぁんな あの山おらす おらすともえば行こごたる おらすともえば行こごたる」
伝聞によれば、寿永の乱に敗れた平氏一族が五家荘(八代市)に逃げて定着したのを機に、鎌倉幕府は東国の武士を五木村に住まわせて、八代の平家一族の動向を監視したのが真相のようです。
その後、これら武士の子孫を中心に「三十三人衆」なる地主層ができて、小作人たちに田畑や家屋敷から農具に至るまで貸し与えて生計を立てさせて搾取し、貧しい小作人は口減らしに幼い娘たちを地主の家や他村へ子守奉公に出さなければならなかったのです。
五木の子守唄はこの悲哀を歌ったものですが、今は、一軒1億円と言われたダムの補償金で皆さん優雅にお暮しです。
さて本題です。
私は今年も熊本県南部を流れる球磨川の大鮎釣りに行く、とHPに書きました。
ところが、球磨川の流れに胸まで入った途端、膝から下がガクガクで足元が定まらず、ずるずると下流に体が引きずられる状態が続き、体勢が崩れて竿先がぶれ、オトリ鮎の泳ぎが落ち着かないのです。
これでは、釣りになりませんので、恥も外聞もなくギブアップ・・・転ばぬ前の杖、溺れる前の自分です。
これで、ついに四半世紀続けた球磨川の激流遊びに終止符を打つことになりました。
昨年もその兆候はありましたが、まだ出来ると自分自身を鼓舞してきました。しかし、もう自分を騙せません。
もっと押しの弱い浅場で釣ることも出来ますが、これは性に合いません。
そこで、球磨川から支流の川辺川に転向したのです。
日本三大急流の最右翼にある球磨川で大鮎を狙ってこそ球磨川の大鮎釣り師ですが、もともと釣果の薄い私ですから、球磨川から川辺川に転向したところで、何ら精神的なダメージはありません。と、精一杯の負け惜しみで球磨川遊びの幕を閉じます。
前述のごとく、水質の良い川辺川の鮎は突出して美味なのも事実ですし、私はまだまだ鮎釣りをしますので関係者の方々はご安心ください。