小川宏さんを偲ぶ


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 今週も追悼号です。
小川宏さんがご逝去されました。
最近、自分が平均寿命を超えてオマケの人生に入ったこともあって、人間関係の因縁について自分なりに考えることがあります。
一番の反省点は、平均寿命に至る以前に身辺整理をしておくべきだったことに、今頃やっと気がついたことです。
しかも、それに気がつきながら未だに何の手もうたず、ただただ一日一日が過ぎ行くだけですから情けない話です。
最近は、激流に胸まで浸かって鮎釣りをしていて足元が滑ったりすると「このまま死んでもいいかな」と思ったりします。
それでも足を踏ん張って流されないのは、やはりまだ死ぬ運命ではないからだと勝手に解釈して今日も元気で生きています。
それにしても、いくら人は必ず死ぬと頭では分かっていても、親しい人の死は悲しく辛いものです。
12月に入って年賀状を書く季節になると「忌中につき賀状欠礼」の葉書が否応なしに届きます。昨年は13枚、今年はすでに20枚を超えました。その半数は知人の身内、半数が知人友人ご本人で、そのまた半数が親しい方々です。
小川宏さんの死も辛い事ですが「順番順番」と心に言い聞かせて、故人のご冥福を祈っている今日この頃です。
その前に・・・作曲家の中山大三郎さんが2005年に亡くなっています。大さんは私より5歳下で昔まだヒット曲もない30代後半の頃、売れない作曲家の無名時代にも意気軒昂、すでに弟子も数人いて張り切っていました。私もまだ40代でしたが占いの仕事で多忙、弟子も何人か抱えていました。それが、あろうことか私の女弟子と大さんの男弟子が、20歳そこそこの若さでデキてしまい、親の反対を押し切って結婚させることになったのです。なにしろ貧乏作曲家とシガナイ占い師ですから知恵も金もありませんが勢いだけはあります。
「どうせなら帝国ホテルで!」、これが親代わりの二人の合言葉で、当時、私が占いを通じて支配人とも知り合いでしたから、ホテル内の式場で挙式し披露宴は立食パーティで会費制にして結構派手な結婚式が出来たものです。それから時を経て、日刊スポーツ海上スクールというクルージング「カルチャー教室」があり、そこで講師陣としてばったり、私は「占い教室」。大さんが「歌謡教室」。芹沢信夫選手が「ゴルフ」、小島名人が「麻雀教室」など盛り沢山、講師だけで十数人、テニヤン、グアムなどを巡って一週間、芹沢,大さんと上半身裸のマナー違反でゴルフをしたり、講習生を集めて野球をしたりと遊びまわってきました。と、ここまでは前置きです。
小川さんは、NHKの人気番組やフジTVの小川宏ショーで大活躍でしたから、私が金曜日レギュラーになっても、さほど個人的に親しく付き合っていた分けではありません。なにしろ小川さんの周囲にはフジTV関係者だけでなく、各界の有名人がいつも出入りしていて、たまに会食したりしましたが週一ゲストの私から冗談を交わす雰囲気ではなかったのです。ところが、ある時、小川さんからご長女の結婚式に招待されたのです。出席してみると主席のテーブルで、フジTV関係は、小川宏ショー担当ディレクターの小林氏(現・開運道最高顧問)と私とでわずか数人、後で理由が分かりました。
「有名人も裏方も全く同じ態度で接している人に初め出会って驚いた」との嬉しいお言葉で、これからご家族全員と親しくお付き合いするようになり、仕事絡みですが石川県に、講師として二人で旅行したこともあり、小川さんの弟さんと、地元ゲストの森喜朗さんが級友だった関係で、森さんの車で観光もしました。それからは番組終了後、小川さん行きつけの店でご馳走になる機会が増え、何かと親しく話し合うようになりました。
それから何年も過ぎて、ゴルフ仲間になっていた小川さんの次女が、私にとんでもない相談を持ち込んできました。
別のゴルフ仲間と一緒だった中山大三郎氏から「結婚を申し込まれた」、というのです。これは大変な出来事でしたが、お互いに気が合うのですから反対の理由はありません。年の差はありますが私は大さんの人柄が好きで、こちらも人間の出来た素敵なお嬢さんですから大賛成、しかし、父上は猛反対、理由は「オヤジのような男に大事な娘をやれるか!」です。それ以降、暫くは私とも口をきいてくれませんでした。
花嫁の父君の反対を押し切って強引に進めた結婚披露パーティでも、花嫁の父君は花婿と一切顔も合わせず挨拶もせず、一人でヤケ酒です。それでも、1年もしないうちに、お互いに酒好きでしたから酒で和睦、晴れて義父になり、私とも元通り、築地に寿司を食べに寄ったりするようになりました。その時は前述の小林さんも一緒です。
その後、お体が不調とはお聞きしてはいましたが、先日の訃報、悲しい限りです。大さんが64歳で逝き、義父の小川さんも90歳で逝きました。残された奥方様やご家族の皆様のお辛い気持ちもお察ししますが、心からのご冥福をご祈念申し上げ、私の追悼の辞とします。