月別アーカイブ: 2016年12月

明けましておめでとうございます。


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  明けましておめでとうございます。

 本年も宜しくお願いします。

平成29年 元日

          開運道主宰・花見正樹

 2017年、平成29年は「一白水星ひのと酉」年、
万人共通吉方位の「恵方(あきの方)は「北北西」です。
本年の「一白水星」は、流通、旅行、社交、愛情、学び事の年です。
とくに、愛情面と人間関係の和を大切にする人に幸運の女神が微笑みます。
さらに、本年は西に金運ありの西を表す「酉年」で金運に関係します。
したがって、明るく堅実な家庭と経済面の充実を心がけるべきです。
「一白水星」の本年は、水に縁のある年だけに豪雨や津波による水害に要注意です。
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つぎに、2017、平成29年を幸せに過ごす風水の極意です。
まず、対人関係、愛情運をよくするために玄関の整理整頓を。
台所、浴室、トイレなど水回りをきれいにすると金運、健康運が好転します。
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本年は12支でいう酉年、酉と相性のいい、巳年、丑年生まれが「三合の吉」で大吉。
酉と同じ西の仲間の、申年、酉年、戌年生まれが「方合の吉」で小吉。
その反面、酉と反対側の東に位置する卯年生まれが注意年になります。

 1月生まれ◎大吉
「公私共よきパートナーに恵まれる」
ツキのあるのは 5月、ラッキ-アイテムは「小銭入れ」、
金運□小吉 仕事運◎大吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉
2月生まれ○中吉
「家族に喜びが重なり自分も好調」
ツキのあるのは10月、ラッキ-アイテムは「ブレスレッド」、
金運〇中吉 仕事運〇中吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉
3月生まれ□小吉
「目標目指してまっしぐらに進む」
ツキのあるのは 2月、ラッキ-アイテムは「筆記具」、
金運◎大吉 仕事運〇中吉 愛情運□小吉 健康情△注意
4月生まれ〇中吉
「周囲に尽して自分のプラスになる」
ツキのあるのは 8月、ラッキ-アイテムは「時計」、
金運□小吉 仕事運◎大吉 愛情運〇中吉 健康運◎大吉
5月生まれ◎大吉
「仕事も私用もNETを上手に活用」
ツキのあるのは 1月、ラッキ-アイテムは「電子辞書」、
金運◎大吉 仕事運〇中吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉
6月生まれ□小吉
「小さな苦労で大きな収穫に変わる」
ツキのあるのは 2月、ラッキ-アイテムは「携帯電話」、
金運△注意 仕事運□小吉 愛情運〇中吉 健康運◎大吉
7月生まれ〇中吉
「友人の助言が役立って好機生かす」
ツキのあるのは 3月 ラッキ-アイテムは「のど飴」、
金運◎大吉 仕事運△注意 愛情運〇中吉 健康運□小吉
8月生まれ〇中吉
「約束した事は必ず実行信頼深まる」
ツキのあるのは12月、ラッキ-アイテムは「文庫本」、
金運〇中吉 仕事運□小吉 愛情運◎大吉 健康運△注意
9月生まれ◎大吉です。
「公私共に好調で余裕の海外旅行も」
ツキのあるのは 5月、ラッキ-アイテムは「デジカメ」、
金運□小吉 仕事運◎大吉 愛情運◎大吉 健康運〇中吉
10月生まれ□小吉
「余裕あれば新たな学びごを始める」
ツキのあるのは4月、ラッキ-アイテムは「折り畳み傘」、
金運◎大吉 仕事運□小吉 愛情運〇中吉 健康運△注意
11月生まれ○中吉
「家族の平安を第一に考えて行動を」
ツキのあるのは5月、ラッキ-アイテムは「キーホルダー」、
金運〇中吉 仕事運◎大吉 愛情運□小吉 健康運△注意
12月生まれ□小吉
「奉仕の心で人に接して得る事多し」
ツキのあるのは12月、ラッキ-アイテムは「手帳」、
金運□小吉 仕事運△注意 愛情運◎大吉 健康運◎大吉
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では、本年一年元気でお過ごしください。
花見 正樹

聖夜に祈る 


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お元気ですか?
年の瀬も迫った12月22日、新潟県糸魚川市で大火事がありました。
出火は午前10時頃だというのに、私が親しい人からの情報でそれを知ったのは夕刻近い午後5時過ぎ、慌ててテレビを見たところ、現場からの実況放送ではまだ紅蓮の炎が南からの強風に煽られて海辺に向って流れ、まだ燃え盛っていてまるで地獄絵でした。この瞬間、私の脳裏に甦ったのは1995年(平成7年)の神戸・淡路大地震の悪夢でした。咄嗟に頭に浮かんだのは焼死者と悲嘆にくれる家族の姿でした。
あの阪神大地震とも呼ばれた災害での死者は6,000人を超えたと記憶しています。しかも、その大半は地震ではなく、地震後に発生した火災に巻き込まれての死亡者なのです。ところが今回の糸魚川の大火災では、翌日になって知ったことですが、死者がゼロ、150棟が焼け落ちて、出火から30時間後にやっと鎮火したこの大火で、一人の死者も出さなかったのは、地域の緊密な人間社会の勝利です。
罹災者へのお見舞いの言葉に添えて、この地域社会の素晴らしい連携プレイです。
高齢者も多いのは日本全国の分布とさほど変わらないと思います。その中には、ベッドで寝たきりの老人もいたと思います。それを背負って退避した人もいるはずです。
町一つが壊滅状態になったこの大火事で、一人の死者も出さなかった町ぐるみの協力体制には惜しみない拍手を送ります。
それにしても、今回の糸魚川大火の原因は、中華料理「上海軒」の店主が朝の仕込みに店に出て、鍋を火に掛けたまま自宅に戻って朝食を食べていたのかどうか明らかに人災で、まるで放火と同じです。いくら大鍋に水でも、一時間煮沸したら空炊きになって出火する可能性大なのは子供でも分かる理屈です。これでは、この冬空に焼け出されて年を越す人の憤懣やるかたない思いが報われません。江戸時代は放火は死罪でした。この店主は罹災した地域の人に、どのような誠意で謝罪して許しを乞うのか、それもこれからの課題です。
不幸中の幸いに支援金も続々と集まり、罹災者もそれぞれ行く先が決まって、当面の生活環境はは最低限定まった用です。これも地域社会の絆の強さです。
折しも今宵はクリスマスイブ、天から地から救いの手が差し伸べられることを信じます。
とはいえ異教徒の私は、聖夜とは無縁のまま二階の仕事場で一人でこのような雑文書き仕事に余念がありません。だからといって孤独ではないのは、私のこの雑文に目を通して頂ける幸せを感じているからです。これこそ心と心が通い合っている方ばかり、そう信じています。
異教徒ではありますが、私も願い事だけは用意しました。
「天にあります主なるイエス様、この一文を目にした人に平和で豊かで愛に溢れた幸多き人生をお与えください」
それに、私からも個人的な一言を加えます。
「くれぐれもお体を大切に、良いお年をお迎えください」

相手はしたたかでした。


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 ロシアのプーチン大統領は、やはり評判通りのしたたかさで、日本の主張を軽く跳ね除けて帰国しました。
北方四島は戦勝国の旧ソ連が不法に占領したにも拘わらず、日本が四島支配を放棄したから自国領土として実効支配している、と、ロシア側は主張します。ロシアとしては、日本が見捨てた島々を自国の領土にしたのだから、日本が返還を求めるのは、筋違いだ、と言うのです。
ただし、日本が、現ロシア連邦の北方四島領有権を認めた上で、割譲して欲しい、との要望があれば、平和条約締結後に、ロシアへの大型経済協力の見返りとして二島を譲渡してもいい、と、ぬけぬけと言います。
彼らは、日ソ中立条約による不可侵条約を破って強奪して不法占拠した日本固有の領土を我が物にして、返還ではなく、あくまでも経済協力という有料「譲渡」だと主張していて、それで嫌なら交渉はしない、まず大型経済協力で「誠意を見せろ」と凄みます。

 北方領土の帰属を決めた「サンフランシスコ平和条約」では、南樺太と千島列島はソ連に強奪されましたが、国後、択捉両島はソ連領には含まれていません。ましてや、色丹および歯舞諸島は地域的にも北海道の一部です。したがって、北方四島は法的には明らかに日本領です。
なのに、択捉島にはロシア空港が建設され、極東の軍事拠点化されつつあり、日本に返還する気配など全く見えません。
彼らの考えでは、戦争で勝ち取って一旦国庫に財産として収納したら自分たちの物、それを、平和条約締結後に譲渡してやると言っているのに、まだ何か不服があるのか、と公然と自国の立場を明確にしています。そこには、盗人猛々しい、という白々しい悪党の態度など微塵もありません。プーチン大統領は、それらを当然として確信しているからこそ安倍総理を上から見下ろして一歩も譲ろうとしないのです。
安倍総理は、プーチン大統領とのこの歴史的会談の会場を総理官邸ではなく、わざわざ郷里の山口県で開催したのは、歴史的な華々しい成果を実現して故郷に錦を飾る予定だったからです。ご自分では、これまでに何度かプーチン大統領と会っただけで、友達にでもなったような錯覚でいたのが間違いの元、正式会談となったら「肩透かし」どころか、軽く「大外刈り」で投げ飛ばされて、手も足も出なかったのです。

 それでも口だけは達者です。
「何べん同じ主張を繰り返しても相手は動じなかった。それでも一歩前進、交渉はこれからです」、会談後の安倍総理の談話と、疲労と敗北感で引きつった蒼くやつれた顔を見ただけで、まざまざと会談が不調に終わったことが読み取れて総理が哀れに思えました。
しかし、これをそのまま公表するのは国際的にも日本にとって国益を損なって不利ですから、官房長官指令でテレビにも自粛を迫り、何とか多少の成果を発表したかったと思いますが、真相は一方的な経済支援を迫られただけで成果っどころか、修羅場に弱いボンボン総理が、秘密警察出身の凄腕大統領に手玉に取られてギブアップ・・・自国の総理として、こんな惨めな姿は見たくもありません。
テレビでは、総理の敗北には触れず、交渉の「難しさ」だけを強調したにとどめていますが、どれもこれも中途半端な報道で消化不良、報道各局のスタッフも特番も組めずに悔しい思いをした事でしょう。

 以上、正論は正論として、ロシアが経済援助で二島の「移譲」を匂わせたのですから、超大型援助で四島を買い取る案があってもいいような気がします。その金額が幾ら高額であっても国中の企業や個人から募金を募れば何とかなります。漁業権や観光資源などの国益を考えれば北方領土の確保は絶対に必要です。日本側は、経済協力で四島返還と記述し、ロシア側は、経済協力の代償に四島を譲渡したと記述すれば、お互いの面子は潰れません。これなら、話し合いの糸口はつくはずです。

 北海道を旅して、知床峠から眺めると、わずか40キロ東に見える国後島はすぐ目の前です。現在ロシアが実効支配している択捉、国後、色丹、歯舞群島の四島とその周辺の岩礁までも、私達の認識では日本固有の土地に間違いありません。
ですから、返還を求めるのは当然のこと。ところが、相手は獰猛な北海の熊、道理や常識は通じません。そこで上記の案が有効になります。しかも、先方は武力で奪取した島々ですから原価はゼロです。これが巨額の経済援助に化けるのですから損はありません。
しかし、これには、自分の土地を金を払ってまでして買い戻すのか! という抵抗もあります。

 ならば、武力で奪われたのだから武力で取り返すという案が出ても不思議はありません。
今から科学、工学、物理学、兵学など日本人の総力を挙げて徹底的に軍事化して北朝鮮以上の核保有国になって四島奪取の戦闘を仕掛ける手もあります。これなら、安倍総理も考えそうなことで、すでに総理官邸で秘密会議が持たれているかも知れません。
勿論、これには強大な武力が必要、長州出身の安倍総理は、間違いなく頭の中では軍拡を考えたはず。あの屈辱感に溢れた顔を見ていると、そうとしか思えません。私の身内もシベリヤ抑留で瀕死の思いをしていて、旧ソ連に恨みはありますから反対はしません。でも、それには安倍総理が、往年のヒトラー総統のような狂信的カリスマ性で国論を一つにまとめ上げねばなりません。
最近の安倍総理なら独裁的で弁舌も巧み、支持率も高く、当面のライバルもいませんから、真似ごとぐらい出来るような気もします。

 だが、国論を統一するには、まず長州嫌いの会津との完全和睦が先決になります。
そうなると、長州と鹿児島、旧南部藩と伊達とか、三春と二本松、庄内と秋田など、戊辰内乱150年を契機に大規模な仲直りイベントで国内を一つにまとめ上げねばなりません。ま、それまで安倍政権が持てば、の話ですが・・・。

小川宏さんを偲ぶ


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 今週も追悼号です。
小川宏さんがご逝去されました。
最近、自分が平均寿命を超えてオマケの人生に入ったこともあって、人間関係の因縁について自分なりに考えることがあります。
一番の反省点は、平均寿命に至る以前に身辺整理をしておくべきだったことに、今頃やっと気がついたことです。
しかも、それに気がつきながら未だに何の手もうたず、ただただ一日一日が過ぎ行くだけですから情けない話です。
最近は、激流に胸まで浸かって鮎釣りをしていて足元が滑ったりすると「このまま死んでもいいかな」と思ったりします。
それでも足を踏ん張って流されないのは、やはりまだ死ぬ運命ではないからだと勝手に解釈して今日も元気で生きています。
それにしても、いくら人は必ず死ぬと頭では分かっていても、親しい人の死は悲しく辛いものです。
12月に入って年賀状を書く季節になると「忌中につき賀状欠礼」の葉書が否応なしに届きます。昨年は13枚、今年はすでに20枚を超えました。その半数は知人の身内、半数が知人友人ご本人で、そのまた半数が親しい方々です。
小川宏さんの死も辛い事ですが「順番順番」と心に言い聞かせて、故人のご冥福を祈っている今日この頃です。
その前に・・・作曲家の中山大三郎さんが2005年に亡くなっています。大さんは私より5歳下で昔まだヒット曲もない30代後半の頃、売れない作曲家の無名時代にも意気軒昂、すでに弟子も数人いて張り切っていました。私もまだ40代でしたが占いの仕事で多忙、弟子も何人か抱えていました。それが、あろうことか私の女弟子と大さんの男弟子が、20歳そこそこの若さでデキてしまい、親の反対を押し切って結婚させることになったのです。なにしろ貧乏作曲家とシガナイ占い師ですから知恵も金もありませんが勢いだけはあります。
「どうせなら帝国ホテルで!」、これが親代わりの二人の合言葉で、当時、私が占いを通じて支配人とも知り合いでしたから、ホテル内の式場で挙式し披露宴は立食パーティで会費制にして結構派手な結婚式が出来たものです。それから時を経て、日刊スポーツ海上スクールというクルージング「カルチャー教室」があり、そこで講師陣としてばったり、私は「占い教室」。大さんが「歌謡教室」。芹沢信夫選手が「ゴルフ」、小島名人が「麻雀教室」など盛り沢山、講師だけで十数人、テニヤン、グアムなどを巡って一週間、芹沢,大さんと上半身裸のマナー違反でゴルフをしたり、講習生を集めて野球をしたりと遊びまわってきました。と、ここまでは前置きです。
小川さんは、NHKの人気番組やフジTVの小川宏ショーで大活躍でしたから、私が金曜日レギュラーになっても、さほど個人的に親しく付き合っていた分けではありません。なにしろ小川さんの周囲にはフジTV関係者だけでなく、各界の有名人がいつも出入りしていて、たまに会食したりしましたが週一ゲストの私から冗談を交わす雰囲気ではなかったのです。ところが、ある時、小川さんからご長女の結婚式に招待されたのです。出席してみると主席のテーブルで、フジTV関係は、小川宏ショー担当ディレクターの小林氏(現・開運道最高顧問)と私とでわずか数人、後で理由が分かりました。
「有名人も裏方も全く同じ態度で接している人に初め出会って驚いた」との嬉しいお言葉で、これからご家族全員と親しくお付き合いするようになり、仕事絡みですが石川県に、講師として二人で旅行したこともあり、小川さんの弟さんと、地元ゲストの森喜朗さんが級友だった関係で、森さんの車で観光もしました。それからは番組終了後、小川さん行きつけの店でご馳走になる機会が増え、何かと親しく話し合うようになりました。
それから何年も過ぎて、ゴルフ仲間になっていた小川さんの次女が、私にとんでもない相談を持ち込んできました。
別のゴルフ仲間と一緒だった中山大三郎氏から「結婚を申し込まれた」、というのです。これは大変な出来事でしたが、お互いに気が合うのですから反対の理由はありません。年の差はありますが私は大さんの人柄が好きで、こちらも人間の出来た素敵なお嬢さんですから大賛成、しかし、父上は猛反対、理由は「オヤジのような男に大事な娘をやれるか!」です。それ以降、暫くは私とも口をきいてくれませんでした。
花嫁の父君の反対を押し切って強引に進めた結婚披露パーティでも、花嫁の父君は花婿と一切顔も合わせず挨拶もせず、一人でヤケ酒です。それでも、1年もしないうちに、お互いに酒好きでしたから酒で和睦、晴れて義父になり、私とも元通り、築地に寿司を食べに寄ったりするようになりました。その時は前述の小林さんも一緒です。
その後、お体が不調とはお聞きしてはいましたが、先日の訃報、悲しい限りです。大さんが64歳で逝き、義父の小川さんも90歳で逝きました。残された奥方様やご家族の皆様のお辛い気持ちもお察ししますが、心からのご冥福をご祈念申し上げ、私の追悼の辞とします。

 

いよいよ「縄文幻想」へ


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 松岡隆一画伯の「冬景色」です。

お元気ですか?
今週の開運村HPは、この十月にお亡くなりになった「松岡隆一画伯」追悼号です。
魂の画家・松岡画伯は、秋田県鹿角市花輪の画家で、私の尊敬する人の上位に位置する人で、私の小説「縄文幻想」の生みの親でもあり、1章から10章までの扉画も提供して頂いております。生前、これを上梓する約束をしながら当時一緒に企画した市長が県議に転出したこともあって、出版が中断したままになっていました。

 ところが、地元で下記のような美術展が開かれました。
これは大変、尻に火が点くとはこのことです。

 文化の杜交流館 コモッセ > イベント情報
花輪市民センターまつり
メイン展示「松岡隆一画展」

~小説「縄文幻想(花見正樹著)」扉画
~第一章から第十章まで一堂に展示~
以下省略
開催施設 文化ホール
開催期間
平成28年10月28日(金)~30日(日)
開催時間 9時~19時 ※最終日は16時まで
参加費(入場料)無料
お問合せ先
花輪市民センター TEL:0186-23-3351
———–

 これでは、NET上だけの公開では松岡画伯の霊が納得しません。早く書籍にしないと不義理を重ねることになります。
早速、時間が出来次第、20数年前の作品に手を入れて、全国書店発売に向けて鋭意内容の手直しを始めることにしました。
なにしろ、私が長編の舞台にしたぐらい気に入った鹿角地方ですから、今でも知人の消息なども気になります。
私が今書いている戊辰戦争によると、旧幕府軍の南部藩に属して、新政府軍側の秋田藩と死闘を繰り返した鹿角市周辺の人々は、明治維新の廃藩置県によって秋田藩に併合され、大変辛い思いをしています。
ではなぜ勝ち組の秋田が、鹿角を欲したかというと、その立地条件の良さ、住みよさ、豊かさにあると言われます。
「加賀の銭谷五兵衛か、花輪の佐藤屋庄六(別称・奈良家)と言われたほどの豪商がいて、しかも鹿角地方には豪商五人衆が共存して栄えた時代もあるのです。なにしろ、尾去沢(おさりざわ)鉱山をはじめ金の出る山が幾つもあり、緑も水も豊かで縄文人以来栄えている土地なのです。縄文時代、土地が豊かで獲物も豊富だったこの地方には、あちこちに小部落があり、それが年に一度か二度、全員が集まって先祖供養の祭祀を行った・・・その宴の跡が日本一の大湯の環状列石(ストンサークル)です。ここが私の小説の舞台です。
今でも年に一度、夏の週末二日間、各地から大勢の人々が集まって「縄文祭り」で賑わいます。
私は、松岡画伯とのご縁で小説「縄文幻想」を書きました。
その縄文祭りの夜、その祭りの取材に来た民放の局アナが何者かに誘拐拉致され行方不明になります。
20数年前、折しも某国の悪辣な拉致事件頻発の時期で、国際的にも危機感が募る時代でした。これを今の時代に直してみていいかな? と思案しつつ心は100%、出版に向っています。乞うご期待です。
お気が向きましたら「花見正樹作品集」から「縄文幻想」をご覧ください。